クラシオン

黒蝶

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割れなかった硝子

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小夜さんにはお客様を泊めてあると説明し、先に用意しておいた朝食セットを部屋の冷蔵庫に入れておくようお願いしておく。
なかなか寝つくことはできそうにないが、何か食べるものを作っておこうと考えた。
翌朝6時前、かたんと扉が開く音がする。
「おはようございます。何か食べられそうですか?」
「ごめんなさい。ありがとうございます」
「熱も下がっているようでよかったです。すぐお持ちしますね」
とにかく温かいものを食べてほしいと、できたての朝食を渡す。
白米に卵焼き、サラダにベーコン...そして、わかめスープをトレイにのせた。
「お待たせいたしました」
「あ、あの...」
「どうかされましたか?」
「...どうして、ここまでよくしてくださるんですか?」
別に特別なことはしていない。
ただ、気持ちよく過ごしてもらえるように方法を考えただけだ。
「あなたは、周りを思うがあまり自分自身が見えなくなってきているのではないでしょうか?」
「...そう、ですか?」
「人の気持ちを考えられることは長所だと、俺は勝手にそう思っています。
あなたからすれば短所なのかもしれないけど...とにかく、生きづらいなかひとりでよく頑張りました」
こんなことくらいしかできないが、これで少しでも彼女の心が休まればいい。
「人より傷つきやすいの、褒められたことなくて...。私は私でいいんですか?」
「少なくても、俺はそう思っています。...他の人じゃ君にはなれない、唯一の人なんだから」
みんな違ってみんないいなんて綺麗事でしかないのかもしれない。
だが、どうしてもその綺麗事を信じてみたいと思った。
信じていれば、もしかするといつかは事実になってくれるかもしれない。
...こんなことを考えるのは馬鹿らしいだろうか。
「あ、あの」
「どうかなさいましたか?」
「スープのおかわり、もらってもいいですか?」
「勿論。すぐお持ちしますね」
すぐに用意すると、何故か女性は少し戸惑っている。
「何かありましたか?」
「...あなたの言葉には、裏がないんですね。全部純粋な、本当の気持ち...一緒にいても、具合が悪くなったりしません」
「そう言っていただけるととても嬉しいです」
お客様から見てストレスになってしまうようでは、この店がある意味がない。
彼女は食器がぴかぴかになるまで綺麗に完食し、微笑みながら立ちあがる。
「人に話せてすっきりしました。ありがとうございます」
「困ったときにはまたいらしてください」
根本的なことは何も解決できていないのかもしれない。
だが、彼女の場合はこれでよかったのだろう。
『なかには、話を聞いてもらうだけで気が楽になる人もいる。...大丈夫、──なら見分けられるよ』
...果たして俺に、そこまでの力があるのでしょうか。
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