クラシオン

黒蝶

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疲弊

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「ちょっとマスター、大丈夫なの?」
「俺は平気です。いつものですね」
妖精から向けられる心配の目に大丈夫だと返しつつ、痛んだ場所を少し押さえる。
薬の飲みすぎはよくないと分かってはいるのだが、お客様の前で表情を歪めるわけにはいかない。
「大丈夫じゃないなら、少し店を閉めて休んだ方がいいですよ」
「...考えておくよ。ありがとうございました」
不安がないわけではない。
だが、店を閉めているときにお客様が来たことを考えると、そうはいかないのだ。
そして、今日もからんと音がする。
「いらっしゃいませ」
そのお客様は、足に大怪我をしているようだった。
「松葉杖では動きづらかったでしょう。こちらの席へどうぞ」
「ありがとうございます」
少女は笑顔を作ろうとしているようだが、目が殺気立っているので嘘であることくらい容易に見抜けてしまう。
「アイスココアです。如何でしょうか?」
「...いただきます」
彼女はとてもぎこちなくカップを手に取る。
ゆっくり傾けてながら飲んでいるものの、なかなか多く飲むことができないようだ。
...いや、敢えてそうしているように見える。
「ごゆっくりどうぞ」
寛げているかは分からないが、内装に興味があるらしい。
「あの...」
「どうかされましたか?」
「いきなりこんなことを言うのは失礼だと思うんですけど、その...寝転んでも、いいですか?」
確かに突然どうしたのだろうとは思った。
だが、彼女なりに考えがあってのことだろう。
それとも、疲れた体を横たえて休みたいと考えていたのか...。
「他にお客様もいらっしゃいませんし、ご自由にお過ごしください」
「ありがとうございます」
お客様に快適に過ごしてもらうのが目的の場所なのだから、別に問題はないはずだ。
少女は本当に疲れていたようで、ぐっすりと眠ってしまった。
...なんとか誤魔化しきれたか。
「ふう...」
カップを片づけ、そのまま料理の準備をはじめる。
包丁を握った瞬間、あの人の言葉が頭を駆け巡った。
『誰かに優しさをもらったらその人が優しさを他の誰かに返してくれているんじゃないかって、俺は勝手に信じてる。
...なんて、こんなこと他の人には聞かせられないけどね』
以前、何故この店を開いたのか尋ねるとそう答えられた。
その頃は呑気にすごいくらいの印象しか持っていなかったが、やはりすごい人なのだと今でも思う。
あの人と比べてまだまだ人の思いを掬いあげる能力が足りていないのは分かっているが、今回のお客様は一体どんな思いを抱えているのだろうか。
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