クラシオン

黒蝶

文字の大きさ
上 下
191 / 216

大嫌いなもの

しおりを挟む
「小夜さん、ありがとう」
彼女は何か言いたげにしていたものの、一礼して部屋へ戻っていった。
少し体調を崩しがちになっているのを無事に誤魔化せたことに安堵しつつ、お客様がやってくるのが目に入る。
「いらっしゃいませ」
「こ、こんにちは…」
その少女はかなり弱い声をはっした。
恥ずかしがりやなのか、それとも声を出すのが苦手なのか…とにかく何か事情を抱えているようだ。
「こちらの席でお待ちください」
どこでもいいと言うと床に座ってしまいそうな印象を受けたので、中庭からの温かい光が差しこむ場所を指定する。
「一先ずこちらで体を温めてください」
ホットココアをお出ししてみると、彼女は一礼して両手をあわせる。
無言でカップを傾け、小さく呟いた。
「美味しい…」
「ありがとうございます」
少女は今何を考えているのだろうか。
なんだか辛そうにしているようにも見えるし、何かから逃げ切ったようにも見える。
もしそうでないなら、あの靴の汚れは珍しい事態だ。
「こちらで靴を磨かせていただいてもよろしいでしょうか」
彼女は小さく頷くと、両方の靴を脱ぎはじめる。
「脱がなくても大丈夫ですよ」
「…脱いだ方が、店長さんがやりやすいでしょう?」
「お心遣い痛みいります」
「修繕する間、代わりにこちらをお使いください」
サイズはぴったりだろうが、スリッパでは過ごしづらいかもしれない。
そこで、料理の待ち時間に少しずつ手早く磨いていくことにした。
「もうすぐ料理ができますので今しばらくお待ちください」
磨きながら気づいたことがある。
この靴は汚れているわけではない。
単純に長い間はかれてぼろぼろになっているらしかった。
靴の修繕はあまり得意な方ではないが、ここまではき続けるということは思い入れがあるのだろう。
それならば、できるだけ直して返したい。
流石に何箇所かはり換えなければならない場所があったものの、ようやく完成した。
「お客様、できましたので先に靴の方をお返しします」
「綺麗、ですね…どうやってやったんですか?」
「勝手ながら、少しずつ修繕をくわえさせていただきました」
怒られてしまうかもしれないと思っていたが、彼女の口許には少しだけ笑顔が浮かんでいた。
「ありがとうございます」
「お喜びいただけたようでよかったです」
「私なんかに勿体ないくらい綺麗になって、本当によかった…」
今の一言で、少しだけ分かったことがある。
恐らく彼女は無意識に声を出したのだと思うが、もしそうだとすれば少し問題かもしれない。
「あなたは、自分自身があまり好きではないんですね」
「…大嫌いです。無能で醜い自分のことなんて、好きになれません」
しおりを挟む

処理中です...