クラシオン

黒蝶

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僕なりの表現で

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「おはようございます」
「おはようございます!泊めてもらって本当にありがとうございました」
実雪さんの表情は少しすっきりしたものになっていて、見ているこちらも安心する。
沢山のぬいぐるみたちに囲まれた世界で、彼女は今日を楽しむだろう。
問題は、その世界を破壊しようとする人間を止めるかということだ。
「珈琲と紅茶、どっちがいい?」
「できれば、この前のハーブティーをもらえませんか?」
「かしこまりました」
彼女はかなり気に入ってくれたのかご機嫌な様子だ。
「…実雪さん、俺はあなたに家に行けとは言えません。だから、これから君の世界を護る方法を考えよう」
「あの人のところ、戻らなくていいんですか?」
「俺はそう思ってる。君は学生とはいえ自立して生活を送っているし、住む場所もある。
食べ物や隠れる場所が必要なときはここに来てくれればいつでも歓迎するよ」
彼女は傷だらけにも関わらず、周囲に頼ることができない。
だったらせめて、この場所でだけは気をはらずに過ごしてもらおう。
「また来てもいいんですか?」
「もちろん。お代はもらうけどね」
「僕、ここまで居心地がいい場所は初めてなんです。この子たちに料理を用意してくれるお店なんて他にないし、店長さんとの話は楽しいし…。
ここに来られたのが僕が傷ついているからだとすれば、それだけはよかったって心から思えます」
彼女は自らの平穏を護る為、これからも戦っていくのだろう。
大したことは何もできないがせめてくつろいでもらおう。
「店長さんは、出掛けたりしないんですか?」
「買い物くらいかな。俺は人混みが得意じゃなくて、いつも避けて通ってるんだ」
「無敵そうなのに、ちょっと意外です」
「ただ、だからこそ人に会いそうなときの対処法は分かる」
「それを僕に教えてください!」
「それじゃあ、今回のお代はそれということで」
人に教えるなんてほどのことでもない気がするが、こんなに目をきらきらさせて言われたら断れない。
他のお客様が来ない間に終わらせてしまおうと少しずつ言葉にして伝えた。
「あの…ありがとうございました!」
「こちらこそ。どうかその手で、護りたい世界を護りぬいてください」
「はい。また来ますね」
「ありがとうございました」
彼女の心には相変わらず小さな傷がところどころに残っているものの、少しだけ減ったような気がする。
そんなことを考えていると、視界がぐらついてその場に崩れ落ちた。
『──、無理だけはしないでほしい。君が倒れてしまったら意味がないからね。
もしもいざというときになって倒れでもしたら、大切なものが護れないかもしれないだろう?…だから、休みたいときは休んでいいんだよ』
…俺はただ、あなたと過ごした時間とこの場所を護りたいだけなんです。
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