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黒蝶

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少女の思念の章

ひとつの想い

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「お姉さん、あのね...」
「ん?どうかしたの?」

桜はかなり雪芽になついているらしく、楽しそうに話し掛けている。
僕は時々相槌をうつのが限界で、それ以上は何もできなかった。

「お兄さん、大丈夫?」
「ごめん、少しだけぼうっとしてたみたいだ」
「もう一回言うから、ちゃんと聞いててね?」

僕が頷くと、桜は話しはじめた。
和田幸宏との約束は、随分前にしたものであること。
そのことを知っている人間は僕と雪芽の他に誰もいないこと。
そして、なんとか優を元気づけたいのだということ...。

「私、やっぱり変かな?」
「そんなことないよ、他の人の為に頑張れるのってすごいことだって私は思うよ」

彼女だって、ずっと人の為にと努力してきたのに...それが認められることはなかった。
人の為にと真面目に動いた者が追いこまれる。
...人間というものはなんて愚かなんだろう。
そして、何故ただ生きるだけでこんなにも苦労をしなければならないのか。

「柊...?」
「...誰かの為に頑張ったところで、それがちゃんと返ってくるとは限らないのに?」

気づいたときにはそんな言葉が口から出てしまっていた。
桜は少しだけ寂しそうに笑う。

「返ってくるかどうかより、優ちゃんを元気にできれば私はそれだけでいいの。
あとは...私が約束を守りたいっていう我儘だから」
「桜ちゃん...」
「お兄さんとお姉さんは仲良しさんでしょ?
...お姉さんが困ったときは、お兄さんが助けてきたんじゃない?」
「確かに、いつも僕の方が助けてもらってばかりだ」
「私はいつも柊に助けられてるよ」

桜は僕たちを交互に見て、声を押し殺すように笑った。

「ほら、やっばり二人とも仲良しさんだ!」
「仲良しさん...」

繰り返してみるが、違和感しかなかった。
そもそも、どうなったら仲良しと言えるのだろう。
...雪芽に、嫌がられたりしないだろうか。

「桜!やっぱりここにいた...」
「え、優ちゃん?」
「ご飯なのにいないって看護師さんが探してたから、手伝ってたの」

桜は、しまったという表情をしていた。
雪芽が車椅子を押そうとしたとき、桜はこそっと言う。

「お兄さん、お姉さん。...また明日もきてくれる?」
「えっと、」
「...うん、勿論」

戸惑っている雪芽より早く答える。
そしてそのまま、桜は優と看護師と一緒にどこかへ行ってしまった。

「僕たちも行こう」
「あ、うん、そうだね...」

人がいなさそうな場所へ行き、思いきり翼を広げる。
いつもどおり手を繋いでいるのだが、なんだか雪芽の元気がないように見えた。
家に辿り着くのはあっという間で、そっと降りる。
やはり様子がおかしいので、思いきって訊いてみた。

「どうかしたの?」
「私、柊の為に何かできているのかなって...」

やはり雪芽は真面目だ。
だから僕も、きちんと答えようと思う。

「君がいると、独りだった頃より毎日が輝いて見える。
それに、いつも家事だってしてもらってる。
...それだけで充分だよ」
「ありがとう。柊はやっぱり優しいね」

こんなふうにお礼を言われると、なんだか胸がざわつく。
桜にできることを考えなければと思いつつ、雪芽にできることも何か探したいと思っている自分がいる。

「ひとまずご飯にしようか」
「何か作るね」
「いつもありがとう」
「...!ううん、私がやりたくてやってるだけだから」

雪芽の笑顔を見ていると、鼓動が高鳴る。
僕は彼女の笑顔だけで、元気をもらえているのだと思う。

──この感情の名前は、まだ分からない。
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