皓皓、天翔ける

黒蝶

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第32章『止まない雨』

第189話

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「お客様、痛みなどはありませんか?」
《平気です。ただ、あたしっていつから腕がないんだろうって…。すみません、こんなこと言われても困りますよね》
戸惑っている女性に、どう声をかけたらいいか分からない。
「いえ。ここには、そういったお客様がいらっしゃることもありますから。…食事や飲み物はいかがですか?」
《もしあるなら、ハニーレモンソーダがいいです。あたしが1番好きなやつなので》
「かしこまりました」
グラスに注いで手渡そうとしたけど、なんだか手つきが危なっかしくてストローを用意した。
「おまたせしました」
《ありがとうこざいます!…うん、やっぱりこれが1番!》
「気に入っていただけたようで何よりです」
女性はにっこり笑っていたけど、なんだか一瞬だけ元気がないように見えた。
「あ、あの…何か気になることでもありましたか?」
《あたし、ネイリストなんです。自分の爪を手入れしたかったけど、片手じゃ無理だなって…》
「もしよろしければ、あなたの話を聞かせていただけませんか?」
《あたしの?…まあ、いいですけど。仕事の話中心になりますよ?》
「それでも構いません。あなたのことが知りたいんです」
女性は明るく笑って、今の仕事に就くまでの話をしてくれた。
《あたし、家が貧乏でいじめられてたんです。高校は通信制に入って、不登校だったときの勉強からやり直しました。
それで、美容系の専門学校に入ったんです。ひとりで育ててくれた父親を楽させたいっていうのと、バイト時間を増やしたいっていうのがあって…》
女性はとても自信に満ち溢れていて、私とは大違いだ。
《ネイルの勉強というか、資格とりたいって思ったのは高校の時です。そのとき心を閉ざしていたあたしにメイクを教えてくれた人がいて…気づいたら追いかけてました》
「その方もネイリストさんなんですか?」
《芸能人御用達のメイクさんになってます。顔より心の美しさを磨け、そうすればきっと周りに味方ができるはずだって言ってました。
けど、あたしは人と話すのも、組織に属するのも苦手で…バイトも清掃員しかやったことないんです。話さなくていいから》
人と話したくない気持ちは分かる気がする。
苦しみが誰にも届かなくて、もういいやと思ってしまう。
あとは、誰かの負担になりたくないって考えたり…理由は色々あったんだろうけど、私には彼女が輝いて見えた。
《すみません、おかわりもらえますか?》
「かしこまりました」
すぐに用意していると、女性はぽつりと呟いた。
《がむしゃらにやってた頃から、ハニーレモンソーダはあたしの心の支えになった。…戦友って感じなんです》
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