快適な世界

花水 遥

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夢中毒 ①

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 日常からのストレスで不眠症になったのか、不眠症が原因でストレスを強く感じるようになったのか。今となってはどうでもいい。
 とにかく私は眠い。
 眠いけど眠れない。病院で処方された睡眠薬は何の効果もなく、私が得たものは医者に対する不信感のみだった。
 慢性的な寝不足のせいで授業内容が頭に入ってこない。勉強する集中力が無い。テストの結果も散々で担任には進学先も無いと脅される始末。
 高校三年生という、多分人生で一番勉強しないといけない時期に陥った不眠症のせいで、私は参考書と向き合う前に枕へと顔を埋めなければならなかった。
「あーうざい。何もかもうざい。毎日7時間以上睡眠している奴ら全員死ねよマジで」
 枕が呪物になりそうな勢いで毎日のように私は呪詛を吐きだし続けている。
 常に不機嫌な私の粗暴な言動は両親を私から遠ざけた。
 不眠症の事は当然両親も知っている。受験が迫っている中改善しない事でピリピリしている私を両親は責めなかった。
 むしろ父と母が私に話しかけないようにと、気を使っている事がより私を不機嫌にさせる。
 だからと言って、気にしない素振りで話し掛けて来てもきっとイライラする。言ってしまえば今の私はどんな事にも腹を立てる非常に厄介な生物と化している。
 このままではいけないと自己嫌悪にもなるが、全ては眠れないという原因に帰結する。
 ピンポーンという来客を告げるインターホンの音に睡眠を妨害された私はベッドから身を起こし、不機嫌を隠そうともせずに鬼の形相で玄関ドアを開けた。
「ごめんください。私、夢の販売を行っている者でございます」
 スーツと嘘臭い笑顔を纏った中年男性が差し出した名刺には、男の名前と「夢のような夢を販売します」という意味の分からない言葉が印字されている。
 明らかに怪しい訪問販売の話を聞いてやれるほど、今の私は穏やかじゃない。
「はぁ……。結構です」
「見たところ、貴方は寝不足でいらっしゃるようで」
 私の否定を無視した男は、グイっと半歩こちらに足を踏み出して言葉を続ける。
「そんな貴方にはこちら、象でも瞬く間に夢の中へ誘う超濃縮睡眠薬。こちらを一錠服用すれば不眠症を一発で解消間違いなしの一品です」
 嘘くさ過ぎる。こいつバカなのか? そんな大袈裟な謳い文句を信じる奴がどこにいるんだ? あーイライラする。
「更にこちらの睡眠薬はただ眠るだけじゃございません。なんと、寝ている時に見る夢を選ぶ事が出来るんです。例えばこちらの薬は空を飛ぶ夢が入っております」
 指で摘まんだ一錠の薬を大袈裟に掲げるセールスマンの声が頭に響いて不快感を高めてくる。
「結構です! 帰ってください」
 ダンッ! と勢いよく玄関ドアを閉めた後も男はドア越しにしつこく話しかけてくる。
「こちらは試供品としてお配りしております。ぜひ一度お試しください」
 そう言って男は玄関ドアに付いているポストから、持っていた薬を入れると帰って行った。
 こんな怪しい薬を飲むバカなんて居る訳ないだろ。
 ポストから取り出した一錠の薬をゴミ箱に入れると、再度枕に顔を埋めて羊を数えた。

 両手を広げ風を切り空を飛ぶ感覚は心地よく、青く澄み切った視界に映るのはどこまでも続く広大な森林と空。
 私は今、空を飛んでいる。
 こんな事あり得ないと分かっていても、そんなことどうでも良くまさに夢心地だった。
 そう、私は今夢を見ている。眠っているのだ。
 夢を見ている時は眠りが浅いと言われるが、浅かろうが深かろうが私にとっては非常に貴重な睡眠だ。
 ダメ元で羊を数えて良かった。
 鳥のように両手を広げて飛んでいたが、試しに両手を頭の後ろで組んでみると地上に落ちる事なくゆっくりと飛翔を続けられた。
 これは良い。このまま夢の中で寝てしまおうか。
 今までの睡眠不足を取り戻すように私は睡眠を楽しんだ。

 目を覚ますと窓から朝日が差し込んでいた。
 昨日の夕方から現在に至るまで眠っていたらしい。ざっと十五時間は眠っている計算になる。
 快適な目覚めを迎えられた事なんて、一体いつぶりだろう? 頭もスッキリしている。
 一時的とは言え、久しぶりの睡眠で常につきまとっていた不機嫌から解放された。心の余裕からか、ぐ~っと腹の虫が鳴った。
 腹が減ったな。何か食べよう。
 瞼を擦りながら一階のリビングへ向かおうとしたが、私は足を止めた。
「なんで、これがここに?」
 机の上に置いてあったそれは、薬が入っていたPTPシート。それは昨日セールスマンの男がポストに入れて、私がゴミ箱に捨てたはずの薬が入っていたものに違いない。
 一体いつの間に飲んだんだ? いや、私は絶対に飲んでない。飲んだとすれば奴に違いない。私の中にあるもう一人の人格はたまに私が無意識のうちに私の体を好き勝手に動かす。
 つまり私が久しぶりの睡眠をとる事が出来たのはこの薬のおかげなのか? 昨日見た夢は空を飛ぶ夢を見る薬だったよな……。
 私はゴミ箱を漁った。空腹を訴えてくる腹の虫を無視して漁った。
 昨日薬と一緒に捨てた名刺には、確かあのセールスマンの連絡先も記載されていたはず。

 私が連絡を取ると、間もなくセールスマンの男はインターホンを鳴らした。
「この度はご連絡誠にありがとうございます。弊社の製品を気に入って頂けたようで何よりでございます」
 昨日と同じような嘘臭い笑顔がまるで勝ち誇ったように見えてしまうのは、あれだけ拒絶したにも関わらず、まんまと連絡を取ってしまっている敗北感からだろう。
 昨日と同じスーツを着た中年の男は、笑顔のまま一つの冊子をカバンから取り出すと私に見せるように広げた。
 それは昨日服用した夢を見る薬のパンフレットだった。
「見る夢の内容によって金額は変わりますが、基本的には三段階に分かれます。一番安いのは『悪夢』続いて『夢』『幸福夢』という順に金額が上がっていきます。昨日見て頂いた夢は普通の『夢』に該当します」
「悪夢の需要はあるんですか?」
「ええ、ありますとも。自分で服用するのではなく、憎い相手に盛ったりする用途として非常に人気があります」
「そもそも、睡眠薬を訪問販売する事は違法なんじゃ……」
「ご安心下さい。弊社こちらの商品はあくまでサプリメントとしてご提供しております。国の研究機関に調べて頂いた結果、睡眠薬の成分とは異なる成分によって作られている事も証明されております」
 その後も男は、夢を見る薬が如何に合法なのかという証拠を述べ続ける。
 興味本位で聞いただけで、ぶっちゃけ合法だろうが違法だろうが私にとっては寝られればどうでもいい。
 男がペラペラと喋っている間、私はカタログをペラペラとめくりながら適当な夢を探した。
 眠れれば夢の内容なんて何でもいいが、折角なら悪夢はやめよう。途中で目が覚めてしまっては元も子も無いからな。
 カタログから適当な夢を数個選んで、私は夢を見る薬を購入した。

 夢を見る薬のおかげですっかり睡眠不足で悩む事が無くなった。
 おまけにその日の夕食を選ぶかのように、その夜に見たい夢を選ぶ事が出来た。
 十分な睡眠をとることが出来るようになった私は、今までの遅れを取り戻すように勉強に集中できた。
「最近、調子が良いみたいね」
 リビングで勉強をしていると、母が洗濯物を畳みながら話しかけて来た。
「まぁね。最近買った薬のおかげでよく眠れてるから」
「そうなの。最近寝つきが良くないから、一錠分けて貰おうかしら」
「良いけど、高い薬だから今度からは自分で買ってよ」
 私から「近所を散歩する夢」を見る薬を受け取った母は、それをポケットにしまうと再び洗濯物を畳み始める。
 そろそろ薬が無くなってしまう。今度はどんな夢を買おうか。折角なら一度『幸福夢』も試してみたい。
 基本的には就寝前に夢を見る薬を飲むことが当たり前になっている。
 選ぶ夢の内容は「近所を散歩する夢」や「美味しい物を食べる夢」「学校に行く夢」など日常に近い物ばかりだったが、今夜は違う。
 今日は試しに買った「宝くじに当選する夢」を見る。これは『幸福夢』に分類される夢であり通常の夢よりも値が張るのでその分期待値も高い。
 錠剤を水で流し込んでから部屋の明りを消す。ほんの少し目を閉じれば強烈な睡魔が瞬く間に夢の世界へと私を誘う。

「………は?」
 一体どうして? 私は引っ越しをする前、宝くじに当選する前の家で寝てるんだ?
 この家は既に借家として人に貸してるはず……。
 嫌な予感が脳裏を過る。転げ落ちそうな勢いで階段を駆け下りるとリビングで朝食を食べていた両親に怒声を飛ばす。
「おい! 今は何年の何日だ! あんたらはドバイに旅行に行ってるはずだろ! こんなのおかしいって!」
 ふざけるな。あれが夢のはずがない。
 確かに宝くじに当選したはずだ。こんなボロ屋で貧しい生活に逆戻りなんて、ありえない。
 怒りに似た動揺を隠さない私に対して、両親はきょとんとした表情で「何を言っているのか分からない」と表情で答えた。
 その表情を見ただけで、今まで経験した宝くじ当選からの出来事が全て夢だったという現実が突き付けてられた。
「嫌だ……嫌だ、いやだ」
 降りて来た時とは正反対にゆっくりとおぼつかない足取りで階段を上って、自室へ戻る。
「そうだ。夢の中ならまだあの金があるはず。なるべく長い間夢の中に居られるようにしようう」
 机の上に広げてあった錠剤を手当たり次第に、そして貪るように口へ放り込むとそれを水で一気に流し込む。
 途端、ふらつくような睡魔が頭頂部から足へ全身を撫でるように降りていく。コマを回すようなぐるぐると回転する感覚が全身を覆い、右も左も、どこが足で頭かもわからなくなる。
 完全に平衡感覚を失った私は、床へ倒れ込むと同時に意識が夢の中へと沈んでいく。

 テレビに映る情報番組では、ニュースキャスターが淡々と午後のニュースを読み上げている。
『本日未明、一家が衰弱死するという事件がありました。一家は父、母、娘の三人家族であり、検察側は家族全員が眠ったまま衰弱死しており、現在B市では同様の事件が相次いでいる事から警察は事件の関連性を調べています。また、専門家はこういった症状を夢(ゆめ)中毒(ちゅうどく)と名付け――』

                                                 続く。
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