自分を忘れた悪魔

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二話 地の底

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「アルバート・テッド──イイ名だ」

 誰かの声が聞こえる。微かに低く柔らかい声で。男の人だろうか、オレは一体…?

「おお!目を覚ましたか!実に生命力が強いな、流石はオオモノ!」

 喧しい声だ。何をそんなに喜んでいるのだろうか。薄目を開けたオレは気付けば大きな赤色の椅子へ座らせられていた。広すぎる大理石の建物の中。左右は柱で覆われオレの座る椅子はその空間の中央に位置しているようだ。そして多くの煙の様な糸で身体は椅子に固定されている。然し自然と笑みが溢れてきてしまう。なぜだ?どうなっている?

「赤色の瞳…赤色のメッシュに赤色のベルト!黒い服に凄くマッチしている。まるで作品だ!美しい悪魔になったものだな!」

 褒める言葉に合わせて顔や身体を乱暴に触られる。悪魔…?オレは悪魔になったのか?そんな疑問も、次第に薄れていった。そして何故だか初対面の筈の目の前にいるこの男の存在を一瞬で把握出来た。顔半分を覆う頭蓋骨の仮面、黒いフードを深く被り白くストレートな髪。そして彼の背後へ掛けられた大きなカマ。そう、死神だ。

「はぁー…んん゛、少し大きな声を出しすぎてしまったな。それより、君を迎えに行けて嬉しいんだ。何百人と殺し何年も逃げ回った殺人鬼。きっと上級の悪魔として地獄で活躍するに違いないとな。」

 此方は何も口にしていないのに、つらつらと並べられる言葉をオレはただニコニコした儘聞き入れている。長話に退屈してきた頃、自身の身体を見える範囲を眺めたり、触ったりしてみた。青緑の髪に、存在していなかった赤色のメッシュと襟足。尖った耳に生えた小さな羽。そして切断された足は無いのに確かに地に足をついている異様な光景。ゆらゆらと静かに動く悪魔の尻尾。どれも初めてではあったが、不快感を感じることはなく全てを不思議と受け入れている自分がいた。そう、完全な悪魔としてオレは地獄に堕ちたらしい。

「さて、つい取り乱してしまったが…先ずはお前の意思が優先だ。」

 死神は顎元に手を遣りながら先程までとは違う真剣な表情を此方へ向ける。

「意思とは?」

 地獄での第一声。オレの声は僅かに二重になっている。其れにすら違和感を覚えることはなく小さく首を傾げた。

「死ぬべきして死んだお前は地獄に選ばれた訳だが、未だ選択肢は残っている。今からここで悪魔として活動をするか、生前の全ての記憶を抹消して人間界へ子として戻るか。好きな方を選べ。」

 何故、こんな質問をするのだろうか。死んだ瞬間のように大きく開いたままの瞳はあちらこちらへと泳ぐ。大前提としてオレは、自分がなぜ地獄に選ばれたのかを理解していない。そして、何故理解できていないのかすら理解していない。そう、全てはあの病のせいなのだろうが、オレはそれすらも思い出せないみたいだ。悩むと言うより、理解しようと時間がかかる。暫くの沈黙、死神はこの黙りとした時間に慣れているみたいに背後に置かれた釜の方へ背を向け、指先で持ち手を撫で下ろしている。

「前者で。」

 そしてオレの口から自然と出てきた言葉はその一言。死神はゆっくりと此方を振り向く。

「後悔はないな?」

 椅子に拘束された儘のオレは尖った歯の並ぶ口元を動かして元気よく

「えぇ勿論です!」

と頷いて見せた。死神は微笑み踵の高い靴の音を鳴らして此方へ歩いてくる。「■■■■…」聞き取れない呪文のような言葉を呟いて、それと同時にオレを拘束していた煙の糸たちが解けていく。呪文を唱えられている間は、無意識に死神の仮面の目の奥へと視線が吸い込まれていった。

「お前に新たな名を授ける。アルバート・D・テッド。デビル、デーモン。悪魔の印を永遠の記憶に。そして、決して其の姿で人間を愛してはならない。万が一にも愛せば、お前は失格となり排除される。そう、2度目の死を経験することとなるのだ。」

 死神は両手をオレの頭に添えながら唱え続け、全ての内容が頭にすんなりと入っていった。

「そうすれば、お前の魂は完全に消滅する。いいな?アルバート。お前は今この瞬間から上級の悪魔であり、私の犬だ。」

 話し終えた頃に拘束の煙の糸は消滅し、オレも我に返ったかの様に死神から視線を外す事が出来た。〝人間を愛してはならない。〟人間を愛する事など自分が有り得るだろうか?まさか。そんなまさかだ。

「クク、ハハハハ……」

 悪魔の本能というものだろう。今すぐにでも何かを殺め、手に掛けてみたかった。オレの本質は悪魔そのものとなった。

「ご冗談でしょ?愛など存在しない世界で愛を育めなんて無理もいい所です。」
「はは、そうか。まぁお前のような上級悪魔なら安心だろう。位の低い悪魔なら有り得ることかもしれんが」

 高貴にも見える座っていた椅子から立ち上がり、これで話は終わりだろうと死神に背を向けスラスラと出口の方へ歩いた。すると直ぐに肩を組まれ背後に居る死神に引き寄せられる。丸い瞳を死神の方へ向けて首を傾げた。

「オイ待てアルバート。初日から自由に歩くものではない。やる事もない上何も分からないだろう?私と食事でもどうだ?ゆっくりと。」

 食事を誘う穏やかな表情には見えなかった。口角は吊り上がり、仮面の奥に位置しているだろう赤い瞳が逆光でも光っている。然し、こいつの言う通り此処に今来たばかりのオレには地獄で活動する目的がなかった。すんなりと誘いを受け入れ、肩に置かれた手を払い除ける。

「えぇそうですね、それはそうだ!喜んで。」


 案内されるがまま、地獄を死神と共に歩く。コンクリートの地面に赤色の空。有り得ない程に大きく浮かぶ満月。建物は歪みに歪んで月に被る程高く建てられているものもある。それぞれの建物の屋根には赤いライトが付けられていて、チカチカと消え入る箇所もいくつか存在していた。

「ご冗談でしょ?はこっちのセリフだ!!本当に覚えてないの?!あんなにカッコイイ生き方をしてたのに!俺は関心してたんだ、寧ろファンでもあったんだよ?お前が死ぬのをずっとずっと待ち侘びていたんだ!なのに、本人は何も覚えていないだと?!こんなこと有り得るか?!」

 何だか、先程の広間に居た死神とはまるで話し方が違った。あの仕事が終われば素に戻るのだろうか。いや、会ったばかりのオレにはどちらが素なのか想像もつかないが。

「オレ、ファンがつくようなことしてました?」

 考える様に瞳は空を見上げて こて、と態とらしく首を傾げる。

「当たり前だ!何年もの間地獄には上級の悪魔が現れなかった!やっとのこと現れ、生前について色々と心情を聞こうと楽しみにしていたのに…」

「勝手に楽しみにされてもね」

 眉が下がりまるで馬鹿にした様な笑みが零れてしまう。本当に覚えていなんだ。どうしろというのか。残念そうに猫背になって歩く死神を横目に見ていると、ぴたりと歩みを止めた死神が目の前にある真っ赤な建物のドアノブに手を掛けた。

「まぁいい、万が一にも思い出したら教えてくれ。それより本題だ!ここで食事とお話をしたいのさ。」

 中を開けるとそこは建物の外見より遥かに広く見える洒落た景色が拡がっている。窓は無い。1番奥に驚く程大きな扉があって、その手前には赤い布の垂れ下がったテーブルがいくつも並べられている。天井へつけられた電気は円型でシンプルな作りだった。一貫性のないチグハグな建物だ。

「ここは∞レストラン、名の通り無限に無料で料理を楽しめる。悪魔でもない退屈極まりない生活をおくっている死者からすれば、とっておきの娯楽だ。早速料理を持ってこよう。」

〝持ってくる。〟レストランなのに自分で?そんな疑問を抱きつつもはじめに目に付いた手前の椅子へ座って脚を組んだ。死神は1番奥にある大きな扉の奥へ入っていった。隙間から覗くとどうやらその扉の先は台所になっている様だ。暫くして戻ってくる死神の手には銀色のトレーに生肉が乗っている。料理をしてきた訳ではなく食材を持って来たのだろうか。そしてオレが座る手前の椅子に死神は腰を掛け、トレーをオレの目の前へ置いた。

「これは?」

「これは羊の肉。ラム肉というものだ。立派な肉だろ?食べてみるといい。」

 ぱち、と何だか久々に瞬きをした。肉に目を遣っていたが死神の方へ視線を戻す。……え?生肉を?とでも言いたげな笑顔で。

「オイオイ心配するな!お前ないか?生肉を生肉のまま食べてみたいと思ったことは。……あぁ覚えてないか。もう死んだお前には関係ない、別に病気にもならんし死ぬこともないさ。ほら食べてみろ。私は好きだぞ、ラム肉!」

 また、一人称が変わっている。仕事モードにでも入ったのだろうか?掴めない男だ。そう思いながら内心疑ったまま肉を取り、小さく齧って伸びる筋を悪魔の歯は簡単に引きちぎれる。味わう様に噛んで、やがて飲み込む。すると咥内に溢れる血の味に瞳を輝かせた。

「あぁこれは美味しい!地獄に羊を飼っているんですか?」

 純粋に問い掛けると、死神は静かに笑う。喉奥を鳴らして細かく笑い声を零している。

「いいや違う。これは死者から得たラム肉だ。地獄には虫以外存在しない。」

「ではどうやって?」

 着いて来いとでも言わんばかりに死神は立ち上がり先程の扉の方まで歩き始めた。もう一度だけ肉を噛みちぎってからオレも立ち上がり着いていく。大きな扉は軽々しく開けられ、煙の漂う台所を目にする。其処にあるのは極一般的と言われる食材と食器ばかりだった。死神は冷蔵庫を開けて、中に並べられている食材を眺める。

「これらは全て人間界から直接持ってきた食材だ。面倒なことに人間界では食材を仕入れるのに金がいる。だが悪魔を視認できる彼らは恐怖に負けて捕まえようとはしてこない。つまり盗んだ食材達だ。」

 言葉を紡ぎながら冷蔵庫を閉じて圧力鍋の蓋を開ければ既に作られていたような煮物が腐り虫が湧いている。

「料理は一般的な料理だが、この台所には料理をしていない時でも常に煙が発生している。これこそが答えさ。そう、この煙は変形の効果を持っている。此処で作られた料理を最後まで食べた時、煙を吸った料理の効果が身体にまわって身体は大きな羊へと変形してしまうのだ。」

「つまり、死者を招いて煙を吸った料理を食べさせオレ達悪魔の食料にすると?」

 視線を部屋中へ漂う煙へと移しながら問い掛け、死神は高らかに笑った。

「ハッハッハ!流石はオオモノ、その通りだ。話が早くて助かるよ。それでね、お前にはここで働いてもらいたいんだアルバート。毎日あの美味いラム肉が食べ放題だぞ、どうだ?悪い話ではないはずだ。地獄にいて食えるのは枯れた葉か虫だけ。だがここで働けばどうだ?毎日美味い肉が食える!」

「然し、客はそんなに集まりますか?羊化すると噂が立てば直ぐにでも店は潰れるのでは?」

単純に気になった事を口にすると、突然死神は至近距離まで前屈みになって顔を近付けてくる。光って見えた色だけではなく、仮面越しでもくっきりと瞳の形が見えるほどの距離だった。

「いいか?ここは1度入れば完食するまで死者は出られない。完食したところで既に身体は羊だ。言葉も話せん、直ぐにでも悪魔の食料となる。誰1人として噂など立てられないんだよ。」

 冷酷な声で死神はこのレストランについて説明し、顔をオレから離すと手を引かれレストランの外へ出る。

「前まで此処を動かしていた悪魔は羽を切って死んでしまってね。悪魔の食材を集める者が居なくなってしまった。だから頼むよ、お前には期待している。」

そうして頭に手を置かれる。今直ぐにでも肉が欲しい。直ぐにでもそう思った。まるで悪魔の本能が、疼く様だった。
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