仏の顔

akira

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家族

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 その夜、清吉は眠れなかった。己の未熟さ、幼さに心底悔いていた。
 素直になっていればもっと早く、菊の人となりを理解出来たであろうに、店の者にも要らぬ心配をかけずともよかったろうに。
 和尚の話は、清吉を真に目覚めさせるのに充分すぎた。眠る事を諦めた清吉は、規則正しく並んだ天井の木目を見つめるともなく眺めながら朝を迎えた。
 気が立っているからだろう。眠気を感じることもなく午前の仕事に一段落をつけ、落ち着きのある、手入れの行き届いた庭へと向かった。


 「今日も日向ぼっこですか?」

 「あら清吉さん、ご苦労様です。もうお昼は摂られたんで?」

 「いえ、それよりも少しわたしに付き合ってはもらえませんか?」

 「あらあら?清吉さんもやっとあたしの魅力にお気づきになりました?あははっ」

 「そういう意味でなく!……真面目なお話ですので……」


 いつもとは雰囲気の違う清吉に、茶化すのをやめて縁側に面した床の間で向かい合った。


 「あの、どうかなさったんです?なにやら神妙な面持ちですけれど?」

 「…………」

 「……清吉さん?」


 意を決した様な表情を浮かべた清吉は、座布団から席を外し、勢いよく手を付き頭を下げた。


 「お菊さん!申し訳ありませんでした!」

 「ちょちょ、ちょいとちょいと!いきなり何をなさってんですよ!?よしてくださいな、頭をあげておくんなさいよ!」


 突然の清吉の謝罪に慌てる菊。


 「そりゃ、これまで嫌味言われたりもあったけどお互い様じゃありませんか!?あたしは気にしてませんし謝らないでおくんなさいな!」

 「そうではありません、その事ではないのです。実は……お菊さんがちょくちょく一人出をされていたのが気になって……、昨日、後をつけてしまったのです!自分でもどうかしていたと思います……」

 「あ~……そうだったのですか……。元はあたしは芸者ですし、清兵衛さんを騙して外に男でも……みたいな疑いでしょうか?清吉さんのような真面目なお方なら、そういう考えに至られても詮無いことかも知れません……」


 菊は嫌味でなく、自分を卑下するように言った。どう足掻いても過去は消せるものでもなし、自分がどう思っていようが、他人が思う「元芸者」という肩書きには、そういった印象は付き物だという事は理解している。理解はしていても、そう慣れるものでもないとは感じていたが。


 「本っ当に申し訳ありません!!でも、街に出てすぐにもその疑いはわたしの間違いだと気付きました!もしお菊さんがお父つぁんや店の者たちを騙しているようなお人なら、あれほど町の衆に慕われるお人のはずがありません。そこでやめておけばよかったものを、徳庵和尚と善照寺へ入っていくところも見てしまったのです」


 菊はそこではっとした。
 あの頃の自分のことは、辰巳屋の女将にも、清兵衛にも話してはいない。騙すつもりは無かったし、あの過去を恥じても悔いてもいない。菊の性格上、お涙頂戴の同情話ととられてしまわないかという事が1番の理由だった。


 「そこまで行ったのなら……、もう和尚から聞いたのですか?」

 「…………はい…………」


 少しの沈黙の後、観念したような表情で「あははっ、バレちまったか~」と頭をかいた。


 「清吉さん、これだけは天に誓って言いますけど、みんなを騙すつもりなんて毛ほども無かったんです。ただ、こんな話ってよくあることでしょうけど……、同情されるのだけが我慢ならないんです!あの寺での暮らしは……、貧しかったけどあたしにとっては宝物、幸せだったんです……」


 うつむいたままそう言った菊の表情は見えなかったが、それをわからぬ程、清吉は馬鹿な男では無かった。


 「勿論、同情などしていません。わたしはこれ程自分を恥じたことはありません。今は、あなたを純粋に尊敬しています
 あなたは、他の善照寺で暮らす子供たちの為に芸者になったこと、先の亭主さんが亡くなられたあとこの町から姿を消したのは、子供たちに学問を授けてくださるご先生を探しての旅だったことも和尚から聞きました。今では子供たちは少しずつ読み書きも覚えて、その日の飯にも困らず元気に過ごしているそうです。
 あなたの行動はすべて、家族を守る為のものだったんです。わたしはあなたほどの立派なお人に出会えて、心底お天道様に感謝する気持ちですよ」

 「それはそれで、買いかぶり過ぎってもんですよ。お世話になった方へ恩を返す、当たり前のことでしょう?あたしは頭が良くなかったから、こんな方法しか取れなかっただけです。でもあの子たちには、きちんと読み書きを覚えてどこかのお店で奉公に上がれれば、人並みの幸せをつかむ事も出来るようになるだろうと……。まぁなんの宛もない無茶な旅でしたが、なんとかご先生も見つかりました。あたしが教えられることなんてたかが知れてますからありがたい限りなんです」

 「その、当たり前のことが幾人の人が成せるでしょう!?それにわたしは寺の子供たちにも会いました。みんな口々に『 お菊姉ちゃんに恩返しがしたい、早く会いたい』と言っていましたよ」

 「あの子たちがそんな事を……」

 「それに昨夜一晩頭を冷やしわたしは考えたんです。わたしに何か出来ることはないだろうかと……。わたしは、まずは進太とお光の二人を奉公人としてうちで面倒を見ようと思うんです!」

 「清吉さん!それはとても、とてもありがたいお話です!あの子たちがこんな立派なお店で働けるようになるなんて。……でも、もうお店には職人さんたちや女中さんたちが大勢おりますし、流石にどこの誰かもわからない二人を旦那様がお許しになるでしょうか……?」


 清吉は立ち上がり、決意を固めた表情で菊に言う。


 「今はわたしが伊勢屋の主です!お父つぁんの了承は得なければいけませんが、わたしが説き伏せてみせます!もしわたしが話しても首を縦に振らないのなら、息子のわたしがガツンと説教をしてやりますよ!」


 任せてくださいと、そう言って振り返り部屋を出ようとしたが、開けた襖の先には清兵衛が腕を組んで立っていた。


 「お父つぁん!?」

 「あなた!?」


 清吉とすれ違いざま肩にポンと手を置き、黙って頷いた清兵衛。二人の間に立ちそれぞれの顔を見やって満足気に微笑んでいた。


 「清吉、よくぞ言った!それでこそ、ようやくうちの自慢の二代目と世間様に胸を張れる。お菊や、黙っていて悪かったのはわたしもだよ。お前の境遇はすでに和尚から聞いていたんだ」

 「すべて知っていらしたんですか?それでも何も言わずに……お人が悪すぎますよ」


 そう言ってむくれた菊の目には涙が浮かんでいた、とても嬉しそうな涙が……。


 「徳庵のやつも、清吉に上手く話してくれたようだね。お菊、お前が気にしていた……わたしがお前を選んだ理由を聞いてくれるかな?」


 涙を拭い、姿勢を正した菊は静かに頷いた。


 「わたしと和尚は古くからの友人でな、親無し子たちを引き取って面倒を見ていたのも知っていた。わたしもできる限り援助をしたかったが、まだまだ半人前で給金も少なかった。だから必死で頑張って、この店を構えて、少しずつだがずっと援助を続けていたんだ」


 そこまでは知らなかった菊は驚いていた。


 「あれは善照寺の改修工事の時だった。清吉、あの工事にかかる金の出どころをしっているか?
あれはお菊の先の亭主、新造さんの遺産だったんだ。新造さんは残した金を、困っている人の役にたててほしいと言い残していたそうだ。新造さんも立派な御仁だったが、その使い道を誤らなかったお菊もまた立派だ、だいぶと歳は離れていたが年甲斐もなくわたしはその心に惚れてしまったんだ」

 「そんな経緯があったのは和尚から聞いていませんでした。どこぞの御仁の寄付であろうとは思っていたけど……」

 「すぐに和尚にお菊の事をたずねた、だがお菊はもうご先生を探す旅に出たあとだったんだ。わたしは方々のツテを頼って、武田殿という、浪人だが立派なご先生を紹介してもらってお菊を探して会ってもらったんだよ」

 「そんな……あのご先生と会えたのがあなたのおかげだったなんて!どうりで物分りのいいご先生だと思いましたよ、あのお方に得なんてない無茶なお願いだったのに」


 菊は驚くばかりであった、自分の与り知らないところでこんなにも自分のために骨を折っていてくれたのかと……。


 「お菊や、お前の必死さがあればこそだよ。武田殿も、もしわたしからの話がなくてもお菊の話を聞けばきっと賛同してくれただろう、それほどに出来たお方だよ、あのお人は。
 それで戻ったお前がまた辰巳屋へ行ったことを知ったわたしは、和尚に頼んで辰巳屋の女将に引き合わせてもらい頼み込んだというわけだよ。いやぁ、手強い女将さんだったよ」


 菊はそうでしょうと言いながら心底幸せそうに笑っていた。こんなにも自分を見てくれていた人だったんだと、自分が今までやってきたことは、この人に出会うためだったんだと思えて涙が溢れた。


 「清吉、進太とお光の件だが……、わたしは何も反対する理由がない。経緯を知ったお前ならそうしてくれるだろうと、そう思っていたよ」

 「あなた!本当によろしいんです!?」

 「何を言うんだお菊、家族が増えるなんて賑やかになっていい事じゃないか」


 もう溢れる涙をこらえるのを諦めた菊は、はばかることなく清兵衛の胸で泣いた。


 「なんだよ、お父つぁんには適わないな。すべてわかっていたのかい……」


 そう言い頭をかく清吉の目にもうっすらと涙が滲んでいた。こんなにも素晴らしい父と、心から尊敬できる人、その二人のもとで自分はもっと励まなければならないと清吉は決意を新たにする。


 「なんだか、あなたってお釈迦様みたいなお方ですね」

 「どういうことだい?」

 「今までの事がすべて、あなたの掌の上で収まっていた様な気持ちってことですよ」

 「はっはっは、まぁお釈迦様と言われて悪い気はしないね」

 「お父つぁん、ホントのお釈迦様になるにはまだまだ早いからね。もっと教えてもらいたいことが沢山あるんだ、これからも孝行していくから、長生きしておくれよ」


 清吉のわだかまりも綺麗に消え去り、三人は笑いあっていた。


 「清吉、お菊。人の心は弱く流されやすい。だが、相手を想う気持ちを忘れず生きていれば
人の心には仏が宿るというそうだ……。
 わたしが逝く時は、仏の顔で送っておくれよ」

 「何言ってんだいお父つぁん、まだまだ死なせやしないよ!」

 「うふふ、そうですよあなた。あたしが離さず捕まえて、簡単には逝かせませんからね!」




 真に家族となった三人。
 これから先の人生を共に歩むかけがえのない相手を想い、にこやかに、軽やかに、爽やかに
高らかに笑った。
 菊は思いを馳せた。善照寺のみんな、辰巳屋のみんな、気さくな町の衆、清吉、自分に終の居場所をくれた清兵衛。

 笑いとともに流れる涙を、もう拭うつもりもなかった。
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