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第1話 マーカス・ルカスター
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「ああ!主にして王なるお方よ!なぜあの異端者どもは、エデンの外で生きようとするのです⁉正気の沙汰とは思えません!昼も夜も動物に頭を下げて、錆びた鉄の拷問具みたいな異形の像に、ひざまずいております!もはや、冒涜以外の何物でもありません!」
マーカスは椅子の上でもぞもぞと身をよじりながら、無意識にうなじの「神意の印」に指を触れた。こんなものに、どうしてそんな仰々しい名前をつけたのか——マーカスには、さっぱり理解できなかった。
要は、ただのIDだ。生まれたときに自動で付けられる、小さな丸いラベルにすぎない。そのラベルの正体も、ただのQFコード。個人情報が埋め込まれていて、エデンに生まれた人間すべてに、ハイハイもしないうちから体内チップとひもづけられている。
歴史の授業が始まると、毎回決まって同じ言葉が繰り返される。さらにうんざりなのは、教師が変わっても、毎回まったく同じ話をされることだった。教師の目にじわりと涙が浮かび、顔を上げる頃には、マーカスにはもう先が読めていた。
「ああ、主よ。どうか楽園(パラディソ)から、我らを見守りください。エデンの子として、あなたの血の系譜に忠誠を尽くせますように!」
出たよ。鼻をすするとこまでテンプレ通り。
マーカスは左をちらりと見た。そこにはレミーがいた。目を潤ませ、涙で日記が濡れないように手の甲で拭いながら、何かを懸命に書きつけていた。この茶番にうんざりしているのは、自分だけじゃないはず——そう思いながら、マーカスは教室を見回した。
教室の隅で鼻をほじっている女子、生気のない顔で机の下のスマートコム 《スマコム》 をいじっている男子。やっぱり、似たような気分のやつは、少しはいる。それでも——あいつらですら、ときには「それっぽく」取り繕ってみせるのだった。
マーカスは眠気と戦いながら、教室の前に映し出された巨大な都市ベゴニアのホログラムをぼんやりと眺めていた。階段状に並んだ席のせいで、まるでスタジアムの観客席に閉じ込められたようだ。エデンの「死ぬほど退屈な再放送」を、毎学期見せられているような気分だった。
「ほらな?」
マーカスはレミーに小声でささやいた。
「だから、初日から来たくなかったんだよ。時間のムダだし。『クレド』から始まるとか、小学校に逆戻りしたみてぇでさ」
教師は胸ポケットからハンカチを取り出し、涙をぬぐって思いきり鼻をかんだ。使い終えたハンカチは、そのままポケットに押し込んだ。
「失礼。少々取り乱しましたね。……さて、ひと通り話は終わりましたし、シラバスも配布済みですから、今日はこれで終了としましょう。来週からは『王政の最初の十年』に入ります。」
椅子が一斉に軋む音を立て、教室に授業の終わりを告げた。生徒たちは立ち上がり、雑談まじりに出口へと歩き出す。教師は、ベゴニアの都市とその障壁のホログラムに名残惜しげな視線を送り、静かに映像を閉じた。
「ん……」
レミーは日記を閉じると、ひとり静かに頷いた。レミーはマーカスの方を振り向き、人差し指を左右に振った。
「大学に入っても、『エデン創世』に敬意を表してるのって素敵よね。『エデンの子ども』として、つながってる実感があるし、なんだか気持ちも前向きになれるじゃない?」
「何回オリエンテーションやりゃ気がすむんだよ?前にバイトしてたファストフード店みたいだ。やたら会議ばっか開いてたとこさ……」
マーカスはそう言って椅子から立ち上がると、ムズムズしていた足を思いきり伸ばした。ようやく、この苦行から解放されたのだ。
レミーは指を顎に当て、しばらく考え込んだ。
「ああ、あそこ?たしか、火事で焼けちゃったのよね。残念だったわね。」
「そうさ。別にどうでもいいけど……開店には毎回ぴったり来るくせに、閉店のときはいつもいねぇんだよな、あの店長。」
マーカスは肩をすくめ、教室のドアへと向かった。レミーは足をドンと踏み鳴らして、マーカスのあとを追いかけた。
「マーカス!」
「なんだよ。誰かが死んだわけでもないし。かえって、もっといい場所が見つかるかもしれねぇしな」
「不釣り合いなふたり」──そう呼ばれるのも、もう数えきれない。だが、マーカス・ルーカスターからすれば、それはずいぶん甘い評価だった。実のところ、彼の立場は「付き添い」──しかも無給だった。ベゴニア公の娘、レンブラティア・メイフラワーの「庶民体験」という気まぐれに付き合わされ、護衛役を任されていたのだ。最初は、この関係がどうにも腑に落ちなかった。だが、人は一緒にいる時間が長くなれば、不思議と嫌悪感も薄れていくものだ。所作のひとつひとつに育ちの良さがにじみ出ている彼女だが、それでもレミーを嫌いになるのは難しかった。……認めるのは少し癪だが、最近では「友達」だと思えることさえある。
今日は、ふたりがコミュニティカレッジに通い始めて二年目の初日だった。マーカスにとってそれは、興味のない授業をいくつもこなしたあと、彼女を迎えに来た執事と気まずい時間を過ごす──そんな退屈な一日がまた始まる、ということでもあった。
マーカスは安物のスマコムを取り出し、メールをざっとスクロールした。新着はなし。続けてバイトアプリを開き、通知欄に並んだ「0」と、募集終了の案件リストをじっと見つめた。
スマコムを下ろしたとき、レミーが後ろ向きに歩きながら、じっとマーカスを見つめていた。大きな目を見開き、何かを探るような顔つきで。
「ん……?」
その視線は、まったく揺るがなかった。
「……何だよ」
マーカスは、その責めるような赤い瞳から目をそらした。
「私、力になれるわよ、マーカス。お父さまには内緒にしておく。だから……そんなに意地を張らなくてもいいのよ?」
マーカスはぴたりと足を止めた。
「いや、もう「パパ・デューク」には学費ローンでたっぷり借りがあるからさ。これ以上ツケを増やす気はないよ、メイフラワーお嬢様」
そう言って、わざとらしく笑ってみせた。
するとレミーの表情がふっと曇り、ほんの一瞬だけ、落ち込んだような影が顔をよぎった。レミーは小さく息を吐き、言いかけた言葉を飲み込むと、観念したように首を振った。
「仕方ないわね……それなら、お定まりの場所で少し休みましょうか。ちょっと小腹もすいてきたし」
「お定まりの場所?」
マーカスがつぶやいた。
「貴族ってのは、なんで普通に『いつもの場所』って言えねぇんだ?」
いずれにしても、話題が金のことからそれたのはありがたかった。
二人はキャンパスの出口へと歩みを進めた。出口には、白く磨かれた石の柱が二本立っている。その間には、かすかに音を立てる境界線が張られている。アニムスによるほとんど見えないこのカーテンが、通過する学生のIDを読み取り、青緑色の光で通過を認証していた。
マーカスは椅子の上でもぞもぞと身をよじりながら、無意識にうなじの「神意の印」に指を触れた。こんなものに、どうしてそんな仰々しい名前をつけたのか——マーカスには、さっぱり理解できなかった。
要は、ただのIDだ。生まれたときに自動で付けられる、小さな丸いラベルにすぎない。そのラベルの正体も、ただのQFコード。個人情報が埋め込まれていて、エデンに生まれた人間すべてに、ハイハイもしないうちから体内チップとひもづけられている。
歴史の授業が始まると、毎回決まって同じ言葉が繰り返される。さらにうんざりなのは、教師が変わっても、毎回まったく同じ話をされることだった。教師の目にじわりと涙が浮かび、顔を上げる頃には、マーカスにはもう先が読めていた。
「ああ、主よ。どうか楽園(パラディソ)から、我らを見守りください。エデンの子として、あなたの血の系譜に忠誠を尽くせますように!」
出たよ。鼻をすするとこまでテンプレ通り。
マーカスは左をちらりと見た。そこにはレミーがいた。目を潤ませ、涙で日記が濡れないように手の甲で拭いながら、何かを懸命に書きつけていた。この茶番にうんざりしているのは、自分だけじゃないはず——そう思いながら、マーカスは教室を見回した。
教室の隅で鼻をほじっている女子、生気のない顔で机の下のスマートコム 《スマコム》 をいじっている男子。やっぱり、似たような気分のやつは、少しはいる。それでも——あいつらですら、ときには「それっぽく」取り繕ってみせるのだった。
マーカスは眠気と戦いながら、教室の前に映し出された巨大な都市ベゴニアのホログラムをぼんやりと眺めていた。階段状に並んだ席のせいで、まるでスタジアムの観客席に閉じ込められたようだ。エデンの「死ぬほど退屈な再放送」を、毎学期見せられているような気分だった。
「ほらな?」
マーカスはレミーに小声でささやいた。
「だから、初日から来たくなかったんだよ。時間のムダだし。『クレド』から始まるとか、小学校に逆戻りしたみてぇでさ」
教師は胸ポケットからハンカチを取り出し、涙をぬぐって思いきり鼻をかんだ。使い終えたハンカチは、そのままポケットに押し込んだ。
「失礼。少々取り乱しましたね。……さて、ひと通り話は終わりましたし、シラバスも配布済みですから、今日はこれで終了としましょう。来週からは『王政の最初の十年』に入ります。」
椅子が一斉に軋む音を立て、教室に授業の終わりを告げた。生徒たちは立ち上がり、雑談まじりに出口へと歩き出す。教師は、ベゴニアの都市とその障壁のホログラムに名残惜しげな視線を送り、静かに映像を閉じた。
「ん……」
レミーは日記を閉じると、ひとり静かに頷いた。レミーはマーカスの方を振り向き、人差し指を左右に振った。
「大学に入っても、『エデン創世』に敬意を表してるのって素敵よね。『エデンの子ども』として、つながってる実感があるし、なんだか気持ちも前向きになれるじゃない?」
「何回オリエンテーションやりゃ気がすむんだよ?前にバイトしてたファストフード店みたいだ。やたら会議ばっか開いてたとこさ……」
マーカスはそう言って椅子から立ち上がると、ムズムズしていた足を思いきり伸ばした。ようやく、この苦行から解放されたのだ。
レミーは指を顎に当て、しばらく考え込んだ。
「ああ、あそこ?たしか、火事で焼けちゃったのよね。残念だったわね。」
「そうさ。別にどうでもいいけど……開店には毎回ぴったり来るくせに、閉店のときはいつもいねぇんだよな、あの店長。」
マーカスは肩をすくめ、教室のドアへと向かった。レミーは足をドンと踏み鳴らして、マーカスのあとを追いかけた。
「マーカス!」
「なんだよ。誰かが死んだわけでもないし。かえって、もっといい場所が見つかるかもしれねぇしな」
「不釣り合いなふたり」──そう呼ばれるのも、もう数えきれない。だが、マーカス・ルーカスターからすれば、それはずいぶん甘い評価だった。実のところ、彼の立場は「付き添い」──しかも無給だった。ベゴニア公の娘、レンブラティア・メイフラワーの「庶民体験」という気まぐれに付き合わされ、護衛役を任されていたのだ。最初は、この関係がどうにも腑に落ちなかった。だが、人は一緒にいる時間が長くなれば、不思議と嫌悪感も薄れていくものだ。所作のひとつひとつに育ちの良さがにじみ出ている彼女だが、それでもレミーを嫌いになるのは難しかった。……認めるのは少し癪だが、最近では「友達」だと思えることさえある。
今日は、ふたりがコミュニティカレッジに通い始めて二年目の初日だった。マーカスにとってそれは、興味のない授業をいくつもこなしたあと、彼女を迎えに来た執事と気まずい時間を過ごす──そんな退屈な一日がまた始まる、ということでもあった。
マーカスは安物のスマコムを取り出し、メールをざっとスクロールした。新着はなし。続けてバイトアプリを開き、通知欄に並んだ「0」と、募集終了の案件リストをじっと見つめた。
スマコムを下ろしたとき、レミーが後ろ向きに歩きながら、じっとマーカスを見つめていた。大きな目を見開き、何かを探るような顔つきで。
「ん……?」
その視線は、まったく揺るがなかった。
「……何だよ」
マーカスは、その責めるような赤い瞳から目をそらした。
「私、力になれるわよ、マーカス。お父さまには内緒にしておく。だから……そんなに意地を張らなくてもいいのよ?」
マーカスはぴたりと足を止めた。
「いや、もう「パパ・デューク」には学費ローンでたっぷり借りがあるからさ。これ以上ツケを増やす気はないよ、メイフラワーお嬢様」
そう言って、わざとらしく笑ってみせた。
するとレミーの表情がふっと曇り、ほんの一瞬だけ、落ち込んだような影が顔をよぎった。レミーは小さく息を吐き、言いかけた言葉を飲み込むと、観念したように首を振った。
「仕方ないわね……それなら、お定まりの場所で少し休みましょうか。ちょっと小腹もすいてきたし」
「お定まりの場所?」
マーカスがつぶやいた。
「貴族ってのは、なんで普通に『いつもの場所』って言えねぇんだ?」
いずれにしても、話題が金のことからそれたのはありがたかった。
二人はキャンパスの出口へと歩みを進めた。出口には、白く磨かれた石の柱が二本立っている。その間には、かすかに音を立てる境界線が張られている。アニムスによるほとんど見えないこのカーテンが、通過する学生のIDを読み取り、青緑色の光で通過を認証していた。
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