没落貴族でビジネス聖女の私は、顔面国宝騎士団長に溺愛されています?

鳴音 伊織

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1.偽りの聖女

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 昔むかしあるところに、それはそれは美しい女の子がいました。
 ルビーのような真紅の瞳、透き通る程白い肌。極上の蜂蜜にも似た琥珀色の髪の毛を揺らす女の子は、皆に『天使』と呼ばれ愛されていました。

 ある日、その噂を聞きつけた第3王子が会いにきます。
 愛らしい笑顔に一目惚れした王子様は、女の子に結婚を申し込みました。

 が、見事玉砕。

 怒った王子様は、女の子から家も地位も優しい両親も――全てを取り上げてしまったのです。


 女の子は泣きました。
 三日三晩泣き続けた女の子は、思いました。

『全部アイツのせいだ』

 そして立ち上がったのです。

『天使? 上等じゃない。なら聖女にでもなって金も名誉も手に入れ、奪われた物を全部取り返す――そして同じように、あの〇〇ピーッ男を王子と云う地位から引き摺り降ろしてやるわ』


 こうして教会の門を叩いた女の子は聖女となり、迷える人々を救済しはじめます。

『聖女なんて、要はでしょ? ビジネス、これは大金の入るビジネスなのよ』

 そんな本性を、隠しながら。



◇◇◇

「聖女様……こんな俺を、神は赦してくれるのでしょうか」

 息が詰まる程に狭く暗い告解こっかい室の中、鉄格子付きの小窓の向こうで、一人の男が祈りの姿勢のまま私にそう問う。

「慈しみ深い眼で我らを見守る大天使レイデ様は、罪の赦しの為に聖霊を注がれました――わたくしは聖霊の御名によって、貴方の罪を赦します」

 聴くだけで心が浄化される程に澄みわたっている、と定評のある声で、手元のメモをスラスラ読み上げる。
 するとたちまち、向かいの男はガシャンと鉄格子を鳴らしながら泣き崩れた。

「ありがとう……ありがとうございます」
「お行きなさい。貴方はもう赦された身、同じ罪を繰り返してはなりませんよ」
「は、はい!」

 男は元気に立ち上がると、暗い小部屋から立ち去った。
 外から「ご献金はこちらに」という言葉が聞こえると手元のメモをクシャッと握り潰し、私も息苦しい部屋の扉を開けた。



「お疲れ様です、アイリーン様」

 七色に輝くステンドグラスが幻想的な雰囲気を作り上げる室内、真っ白な床に敷かれた長くて真っ赤な絨毯の上で、鎖骨にかかる髪を緩く2つに纏めた女性がこちらに頭を下げていた。
 身長155センチの私より更に小柄な彼女が、ちょこんと礼をする姿は、小動物のようで可愛らしい。

「ありがとう、メイザ。で、どうだった? 先程の〇〇ピーッ――迷える仔羊は幾ら置いてったの」

 黒いベールから覗く長い髪をなびかせ、空色髪の彼女が差し出す封筒を受け取る。

「ペラペラでございます」
「ペラペラね。で、中は」

 赤いネイルの施された指で、一見して何も入っていないようにも見える茶色い封筒の中身を覗いた私の口から、思わず小さな舌打ちが漏れる。

「1万ジニくらいでしょうか?」

 澄んだ緑色の目をキラキラと輝かせるメイザも、封筒から取り出した札を見るや、その可愛らしい顔を歪ませた。

「300ジニ。……ふざけてるのかしら」
「出禁にしましょう」

 メイザが出禁リストに記入する姿を横目で見ながら、近くの長椅子にドカッと腰掛ける。

「これじゃ今日の飲み代にもならないわ」

 大きく溜息をつき天を仰ぐ私に、スっとグラスが差し出される。

「とりあえずひと息つきましょう、アイリーン様」

 横に立つメイザが持つ銀のトレーから透明なグラスを受け取り、口を付ける。
 この香り――メイザお手製のハーブ水かしら――落ち着く香りがする。
 鼻腔を通り抜けるスッキリとしたフローラルの香りに、思わず「ほうっ」と息を吐いた。

「ありがとう、メイザ。……何度も言ってるけど、もうそんな事しなくてもいいのよ。今は専属メイドじゃなくて、同じシスターなんだから」

 真紅の瞳を細めて笑うと彼女は頬を赤らめ、あどけなさ残る顔を嬉しそうに緩めた。

「いえ、私は生涯をアイリーン様に捧げた身。これからもアイリーン様強火オタクとして、尽くし続ける所存でございます」
「……何を言っているのかよくわからないけど、まぁ……ありがとう?」

 彼女の決意を秘めた目には、苦笑いする私の顔が写っていた。

 ――

 雪が舞う曇天の中、意を決して教会の門を叩いたあの日。
 私の専属メイドであったメイザは、我がユニス伯爵家が大解散を行った後も、傍を離れなかった。
 最初は『1人で大丈夫、貴女は自分の人生を送って』と断ったけれど……それでも彼女は首を縦には振らなかった。
『いいえ。アイリーン様は唯一で絶対の主、何があっても私は貴女のお世話をすると決めているのです』
『メイザ……』

 正直、彼女が居てくれて何度も折れかけた心が救われた……今は無くてはならない大切なひと家族

 ――


「それにしても聖女って、もう少し儲かるもんだと思ってたわ」

 長椅子の背に凭れたまま、高い天井へと視線を上げる。
 壁中に描かれた可愛らしい天使達の笑顔が、まるで私を嘲笑っているかの様に見え、思わずキッと睨みを利かせた。

「アイリーン様は、充分儲けを出しておられます。この国の高位聖職者――司教のミラベル様だって『この6年で、奇跡を求め教会へと来る者達の数が跳ね上がった。流石聖女様だ』と感心しておりましたよ」
「奇跡なんて、なーんも起こしてないんだけどね」

 半分ほど残ったハーブ水を、グイッと一気に飲み干す。
 空になったグラスをメイザの持つトレーへと置くと、その所作にすら見蕩れる彼女の姿がそこにはあった。

「その見目麗しい存在が既に奇跡です、ご安心ください」

 「大袈裟ね」なんて返しながら、手元に握る数枚の札をじっと見つめる。

 ――この端金は無いもの考えてもまだ、目標金額の半分すら満たしていない。

『アイリーン、おいで。今日はお前に似合うドレスを用意した』
『まぁ、可愛らしい。さすが私たちの天使ね』
『愛してるぞ、私たちの宝物』

 昔の記憶が蘇ると、嫌でも札を持つ手に力が入る。

「まだ、足りない。お父様やお母様、マリーサ――そしてあの土地と家を買い、全てを元に戻すには」

 ふと、教会内部に彩りを添えるステンドグラスに目を遣ると――そこには、1人の天使が女の子を救済する絵が描かれていた。


「……あまり、思い詰めないでください」

 メイザはポンっと、その小さな手で私の背中を撫でてくれる。

「私が、私があの第3王子――エドガーの求愛を跳ね除けたばかりに……」
「あんな横柄で高圧的なジャガイモを、誰が受け入れることが出来ますでしょうか――あっ、ジャガイモに失礼」
「それはそうだけど」

 俯き言葉を詰まらす私を、メイザはあやす様に優しく撫でてくれる――昔から彼女は、何かある度にこうやって私を慰めてくれた。
 慣れたその感触に、ささくれた私の心が和らいでいく。

「どうかご自身ばかりを責めないでください。それに……」
「それに?」
「あのような、この世のものとは思えない非常に特徴的――まるで哲学のようなお顔と中身のジャガイモ――そんな人を主人呼びするなんて、メイドこちらとしても願い下げです」

 ふと彼女の方に視線を向けると――至極真面目な顔でそう告げる彼女の姿。
 思わず「ふふっ」と笑いが込み上げる。

「ははっ、メイザも言うわね。まぁ暫く地道に聖女ビジネス、がんばるわ」
「頑張りましょう、アイリーン様」

 スウッと深く息を吸い「よしっ」と己を奮い立たせる。

 そう、こんな所で立ち止まってる訳にはいかない。あの――家族が揃った幸せな時間を、絶対に取り戻してやるんだから。

「次で8人目の告解だっけ? そろそろイケメン現れないかしら……栄養補給がしたいわ」

 朝からもう、立て続けに人の悩みを聞いている。「がんばる」と意気込んだは良いものの、流石に疲れを隠せない。

「アイリーン様は本当に綺麗な顔がお好きでいらっしゃる」
「当たり前でしょ。顔が良いと言うだけで全てが許されるのよ――何処かに転がってないの、野良のイケメン」
「そんな猫じゃないんですから」

 残念ながら、聖女としての素質を私はどれも持ち合わせてはなかった。
 だって私は、信仰心もなければ魔法使いでもない。ただ見た目がその辺の女性より頭7個分程飛び抜けただけの、なのだから。

 このサイマリナス教会が信仰しているのは大天使レイデ様を崇める『天使教』。ありがたいことに「慈悲深き赦し」のおかげでタブーなんて殆ど存在しない、雑な――かなりゆるゆるな戒律。お陰で、無力な私が天使っぽさ見た目だけで、どうにかゴリ押して聖女になる事が出来た。
 そして「とにかく信者達から信頼を得よう」と、人々の悩みを聞き続ける日々が始まった。
『話を聞くだけでしょ? 楽勝じゃない』と思っていたのは最初の3日だけ。己の意見を押し殺し、ただのイエスマンになるストレスは想像を絶していた。
 「嫌ならやめろ」と思うかもしれないが、そういう事ではない――擦れた心を少しだけ、潤したいのだ。

「あぁーイケメン吸いたい補給したいッッ!!」

 「よしよし」とメイザに頭を撫でられながら、奥行きのある天井に向かい、そう吠えた時だった。

「あのー……」

 長椅子で項垂れる私たちの背後から、控え目な女性の声が聞こえる。
 「しまった、次の告解予約時間!」と焦り立ち上がった私とメイザはアーチ型の入口に立つ老女へ、何事も無かったかのように――背景に花を添えながら――淑女の笑みを浮かべた。

「……ようこそいらっしゃいました、迷える仔羊よ」

 もう反射で出来るようになったけれど、ピクピクと眉間の辺りが痙攣を起こしている。

 あぁーホントに癒し――癒しを私に!!
 
 


◇◇◇


「今日も飲みに出掛けるので?」

 本日の職務を終え夕刻を報せる鐘が聞こえる控え室の中、長い髪を高い位置で纏めていると「今日も少しばかり露出が過ぎるとでは」と、ホットパンツからスラッと出た太腿を見ながらメイザはボヤいていた。

「当然。今日のストレスは今日の内に洗い流さなきゃでしょ?」

 良い男を眺めて心を弾ませたい所だが、そう都合の良い人間が居る訳でもなく――結局、行き着く先は酒だったのだ。
 酒は、私を裏切らない。

「くれぐれも聖女様である事を悟られませぬよう」
「いつものバーだから平気よ。私以外の客がいる所見たことないんだから」

 水色のシャツを羽織った所で姿見を覗き、――細長いトップの付いたネックレスを調整しながら――本日の装いの最終確認すると「今日も完璧じゃない」なんて言葉が自然と零れた。

「それなら良いですが。……アイリーン様はお忘れかもしれませんが、明日は大事な式典があります。深酒されぬようお気を付けください」

 背後から私を見守り、心配そうな顔で鏡越しにそう告げるメイザへ「大丈夫大丈夫!」と声を掛け、マジックアワーの広がる外へと飛び出した。



 ◇◇◇

 街灯が途切れた町外れ。
 既に営業を取り止め、風化が始まった伽藍がらんとした廃墟街の一角で、ひっそりと営業を続けるバーがある。
 黒いドアを空けると、カウンター席が5つほど置かれた狭い店内――知る人ぞ知るこの店の席が埋まる事を見たことがない。その席の真ん中に、私はドカッと座っていた。


「ってかさぁ、意味わかんなくない? M男性癖に嫌気のさした彼女が逃げてしまったんだけれど『やっぱりあの子に嬲られるのが忘れられないから戻って来て欲しい』って」
「そんなの、アタシの所に来なさいよォ。今すぐ忘れさせてあげるわッ」
「それはそれで、トラウマ植え付けられそうね……」

 壁一面に置かれた酒瓶の前でグラスを拭くマスターに向かい、今日も私はカクテルグラスを片手にクダを巻いていた。

「んな事言って、置いていった金は300ジニ。もう、二度と来るなよ!! って感じ」
「まー、それはちょっと困ったちゃんねぇ」

 グイッと可愛らしいピンク色の液体を飲み干し、テーブルに突っ伏していると、スっと横から1杯のグラスが現れた。

「随分と出来上がってる様だな」

 綺麗な円形の氷がカランッと音を立てる先には、1人の男が座っていた。
 黒いジャケットに、光沢のある黒いシャツ――それらは一目見て上等なあつらえだとわかる。
 ――どこか名家の方かしら? 庶民御用達のバーに、珍しいわね。

「えっと……?」

 顔を上げ、飴色の液体とその男に視線を左右させる。

「まぁ、1杯飲めよ」

 同じロックグラスを片手に持ったその男は、黄金に輝く髪を揺らし「ニヤッ」と薄い唇の片口角を上げた。

 ――かっ、顔がーッ!! 良い。

 本日4杯目のカクテルで、既にホワホワと出来上がってるいた私の脳が、一気に覚醒する。

 真ん中で分けられた長い前髪の隙間から覗く、蒼穹の瞳。キリッとした2つのまなこの真ん中をスっと通る美しい鼻筋。
 このラキシウス王国でこんなにも顔面の配置が完璧なかっこいい男、見たことがないわ――どうしよう、視覚から全身が潤っていくのが分かる。

 この世の者と思えない美丈夫の登場に、固まってしまった私に向かい、男は「フッ」と笑いかける。

「何だ、ウイスキーは飲めないお子様か?」

 その意地の悪い言葉を吐く吐息は、甘いムスクのよう。
 左耳に垂れる黒曜石の付いた派手なロングピアスが、ゆらゆらと揺れる様が――また彼の色気に拍車を掛けている。

「ののの、飲みます飲めます美味しくいただきます!!」

 グラスへと伸ばした手が震える。
 そもそも見ず知らずの男に酒を奢られた事など、人生で1度もない。
 それが今日――まさかこんな本から飛び出た貴公子のような相手にされるとは……
 
 半分程注がれた酒が「早く飲めよ」と私を誘う。

 暫く宙を彷徨っていた手で「ヨシッ」を気合いを入れ――水滴の滲むグラスを、勢いよく掴んだ。

 ――えいっ、もう……どうにでもなれッ!
 
 置かれたグラスをグイッと一気に飲み干すと、隣から「おー」と感嘆の声が上がる。
 「ぷはッ」と甘い果実香を振り撒く息を吐き、空になったグラスを、ドンッとコースターへと戻した。
 正直、味なんて分かったもんじゃない。
 イケメンが目の前に居る。それだけで酒が美味しく飲めるからいいのよ、味なんて。
 
「いい飲みっぷりじゃないか」

 その男は気を良くしたのか、自分の隣に置かれた瓶からドボドボと景気よく空いたグラスに酒を注ぐ。

 何よこれ……なんのご褒美?

「そ、そうですか? 酒は命の源ですからね」
「はは、違いない。じゃぁ、乾杯といくか」

 いつの間にか自分のグラスにも酒を注いだ彼が、ロックグラスを私に傾ける。

「わぁ! かんぱーい!」

 カンッと互いのグラスが綺麗な音を鳴らしたところで、半分程注がれた酒を、また一気に飲み干した。

◇◇◇

「おにーしゃん、かっこいいって、いわれるでしょ……」

 空のグラスを片手に握ったままの私は、謎のイケメンの肩にぐてっともたれかかっていた。
 
「さぁ……どうだかな。お前こそ、綺麗で可愛らしい顔してる。実に俺好みだ」

 ゴツっとした大きな手で彼は先程から――日々メイザが手入れを行い――もち肌と称賛される頬を撫で回している。
 その手が動く度フワッと馨る、エキゾチックな甘い香りが私の鼻腔を刺激し続けていた。
 
 いい匂い……香水かな? 男らしくてドキドキする。それにおっきい手――暖かくて、気持ちいい。こんなに誰かに触れられるのなんて初めて。
 うっとりと目を細めながら、ほんのりと桃色に染まる頬を緩ませた。

「そぉー? 天使様ってよく言われてたんだよぉ」

 彼をじっと見上げ、その滑らかな手のひらに自ら擦り寄ると、気を良くしたのか彼はシャラっとピアスを鳴らしながら、大きな手をスっと私の肩へと回した。

「ほう……じゃぁ今宵は、その天使様を堕天使に変えてやろうか」

 悪魔じみた蒼玉の瞳サファイアと視線が交わると、桃の実だった頬はすっかり熟れてしまい、ドクッと鼓動が高鳴る。

「えー? わたしまだ乙女なのにぃ」

 酒が回りボヤけた視界でも分かる彼の強い視線から逃れるように、身体を起こして顔を背ける。
 だが彼は逃さないとばかりに、私の顎に指を掛けクイッと自分の方へと向けた。

 雄の色気が滲む目元から、目を離すことが出来ない。
 更にどういう訳か、身体の奥の――芯の方が、ズクッと知らない疼きを覚える。

「ふーん? 純粋無垢な天使を、俺の手で穢してやるなんて……最高にそそるな」

 ギラ付いた目で、ペロリと舌舐りをする男の所作が視界に入れば、全身にパァァっと熱が一気に駆け巡った。

「あれ……なんか、ふあふあしてきた」

 すっかり沸騰した脳に、アルコールの力が加わり、ふわりと天に昇り始める。

「大丈夫か?」
「んー、平気……へいき……」
 
 愉悦に歪む美しい顔が、霞む視線の先で揺らめく。
 ふらっと後ろに傾いた身体が、何か暖かい物に抱き留められた。

 なにこれ――暖かくて気持ちいい。

 その心地良さから、私はそのまま意識を手放した。
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