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白いゼラニウム
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しおりを挟むパンっ…
乾いた音。
梨紅乃は立ち止まる。
どこか聞き覚えるある音。
聞こえてはいけない音。
梨紅乃は音の方を振り返った。
細い路地を、黒い影が素早く横切る。
いくつもの足音がそれに続く。
そのくらい路地の先から、さっきの音が3回。
…咄嗟に体が動くのは、彼女の育ちのせいか。
ーー
路地に飛び込むと、そこには凄惨な光景が広がっていた。
さっきまでいたはずの影はなく、寒空に似合わない軽装の男が、真っ赤な雪の上に座り込んでいた。
灰色の空を仰ぐその瞳は、何も写していない。
「ちょっ、」
梨紅乃は、男に近寄った。
両足と首筋、胸から鮮血が流れている。
咄嗟に手首を握る。
…弱いが、脈はある。
「…女、」
その声に、男の顔を見る。
喉元からヒューヒューと乾いた音が鳴る。
梨紅乃は、慌てて電話に手を伸ばした。
男は力無い手でそれを弾き飛ばす。
「やめ…」
「死なせないから。」
梨紅乃はは電話を拾い上げると、慣れた手つきで操作し、耳に押し当てた。
無機質なコールを数えながら、男を横目で見る。
…男の目は、閉じていた。
ーー
「あぁ、目が覚めた?」
誰か来る。
男は横目でその誰かを見た。
そこにいたのは、あの時の娘だった。
起きあがろうとした体に、激痛が走る。
「ああ、起きあがらないで、丸1日眠ってたの。」
娘はその肩を優しく押し止める。
その動きは、どこか慣れている。
「あなた、名前は?」
「…」
窓の外を見る。
3階くらいか、住宅の屋根に5センチほど積もった雪が見える。
降ってはいない。
そんな事を思う男の視界に、飛び込んできた黒髪。
「ごめんなさい、私も名乗ってなかった。」
娘は、窓際の椅子に浅く腰掛ける。
背中の真ん中程度のストレートヘアは、白い肌によく映える。
化粧でうっすらと染まる頬は、若々しい。
学生だろう。
「私は衣蛇梨紅乃。ここは、マリオソスドにある病院よ。大丈夫、ここの医者とは顔見知りなの。」
「マリオソスド…」
…都内の西側にあたる慶合市の街だ。
随分と遠くに来たものだと、口の中で呟く。
声にはならない。
「それで、あなたは?」
「…」
「偽名でもいい。」
呼び名がないと不便でしょ?と言って、梨紅乃が窓を開け放つ。
どこからか、ゼラニウムの花びらが舞い込んできた。
「しんむ。」
「しんむ、呼びやすくていいね。」
梨紅乃はふわりと笑った。
ゼラニウムの香りが、ほんのりと香る。
凛とした空気が、2人の頬を撫でた。
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