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名前のある人

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由さんの旦那さんがいるという鞠堂まで、あと5分程度と言われたすぐ後。

ピリリリリリっと機械的な音が鳴り響く。
時雨はピクッと目線だけ作務衣のポケットに目を向けた。

2回目で今まで地図だった、正面のモニターの表示が変わる。

  着信:雨宮 秦

と、書いてある。

「どうしたの、父さん。」

父さんって事は、これで“あめのみや しん”って読むのね。

『あぁ時雨、良かった。』

こ、声⁉︎

「電話だよ、遠くの人とも会話ができる通信機器なんだ。」
「と、遠くの人とも…。」

それはつまり、遠方に行った人とその場にいるかのようにコミュニケーションが取れると言う事だ。
そんなものがあれば、祖国はいかに発展したか。

「依存や詐欺なんかも問題視されているけれど、これは本当に文明の利器だね。」
『それより時雨、今どこにいる?』
「マリオソスドだけど。」
「じゃあ近いな。」

今いるマリオソスドと、雨宮神社のあるロランスレッドは、川を挟んで反対側に位置する。


「なんかあった?」

時雨がそう尋ねると、秦さんはそこまで緊急でも無いんだけどね、と前置きする。

こう君が来た。』
「…すぐ、帰るよ。」

そういうと、時雨はありがとうと言って電話を切った。
それと同時に、左側のレバーを引く。

「はい、到着。」

…雨宮神社じゃ無いどこかに到着した。
私はシートベルトを外し、支度をする。

「そこの正面の窓のあるドアから入って、先生って呼びかけたら、派手なジャケットのオッサンが出てくるから。」
「その人が、先生?」
「そう。」

時雨が降りてくる気配はない。

「僕は一度帰らないといけないから、帰りは迎えにくるから、由さんにでもお願いして。」
「な、なんて?」
「あぁ、由さんも電話を持っているから。」

なるほど。
由さんに、電話で時雨を読んでもらうってことね。

「分かったわ。」
「それじゃ、楽しんで。」

そう言って、時雨は銀色の四角い車体を走らせて行った。


ーー

「…さて。」

目の前の木の看板には、黒い字で鞠堂と彫られている。
ドアのガラスは埃でほとんど向こうが見えないが、夥しい数の本が積み上がっているのはわかる。

「こ、ここだよね?」

そう思って、ドアに手をかけようとした…が。
そのノブにはcloseの札が下がっている。

…これ、だめじゃない?

しかし、このままでは帰れない。
(せめて誰かに会わないと、切実に帰れない。)

「うーん。」

ガラス窓の下に、木製のノッカーが付いていた。
丸いノブには、クルクルと長い生き物がモチーフの何かが巻きついている。

蛇?
いや、これはうさぎ…?
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