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二章
52.帰る場所
部屋を出てしばらく経ち、俺は冷静になって階段の隅に腰掛けていた。
人気のない薄暗い場所の階段だから、誰かが上がってくることも下がってくることもない。
静かな空間でぽつりと丸まりながら、俺はあることを考えて途方に暮れていた。
「かえるおへや、ない……」
そう。俺ってば勢いよく飛び出してから気付いたのだが、ついさっき飛び出した部屋がまさに俺の自室。本来飛び出した末に帰るお部屋がないのである。
まさかあんなに威勢よく出て行ったのに、すぐ「あっ、ここが俺のおうちでしたー」とヘラヘラ入るわけにいかないだろう。とりあえずはあの二人の気配を感じなくなるまで、自室に戻ることは出来ない。
それじゃあどうするか?ヤバいマフィアやら暗殺者やらが勢揃いの本館、その安地である自室以外で呑気に寝て過ごすことも出来ないし……。
「……俺、ほんとに愛されてないんだなぁ」
こんなジメジメした薄暗い空間に蹲っているからだろうか。なんだかふと後ろ向きな……ネガティブな思考が巡り始めた。
本来ならこの本館も含めて、俺の家と言えるはずなのに。普通なら一番安心する『家』という場所の隅っこで、俺は今これだけ無様にぷるぷる震えて蹲っている。
これって、傍から見たらすごく惨めだよな。自分の家の中でさえ満足に寛げないのだから。家の人……血の繋がった家族に愛されていない証拠だ。
本館は俺を求めていない。ひとりぼっちになると、それを強く意識する。
「ガウ、ジャック……みんな……」
うるうると涙目になりながら、思い浮かんだのは別館での楽しい日々だ。
マフィアの子のくせに甘ったれるな!と言われたらそれまでだけれど、俺にとってはその甘ったれで平和な日々が一番幸せだった。
なんて、本館暮らしが始まってまだ二日目だってのに、ちょっぴり弱音が早すぎる気が否めないけれど。でも裏を返せば、それくらい本館での暮らしに希望を感じないってことだ。
俺の命を狙う運命の兄と父がいるし、天敵のロキもいるし、主人公二人にはもう既に利用されかけて嘲笑われたところだし。
もう散々だ。できるものなら戻りたい。多少の血生臭さは覗けど、それでもここと比べれば圧倒的に平和なあの日々に。俺の大切な我が家である別館に……。
……帰る?
「そうだ……そうだっっ!」
ふと浮かんだ考えにはてと首を傾げる。
なんだかしんみりと塞ぎ込んでしまっていたけれど、よく考えたら俺、どうしてこんなに落ち込んでいるんだ?
別館がなくなったわけでも、家族が消えてしまったわけでもないのに。
そう、別館があるじゃないか。俺の帰る場所……俺の我が家は、まだあるじゃないか!
「帰ろう!帰ればいいんだっ!」
ぱぁっと瞳を輝かせて立ち上がる。あと数段残っていた階段をぴょんっと飛び降り、とたとたっと本館の裏口へ走った。
わざわざ人目に付く正門を通って遠回りで帰るなんてリスクが高すぎる。
本当はだめだけれど……今はとにかく一刻も早く家族たちに会いたい気持ちが強すぎて、普段なら萎縮しているところを強気な気持ちで駆け出した。
裏口までコソコソと向かって、暗い空間にある扉をギーッと開いて。本当なら庭師や使用人しか使わない狭い扉を抜けると、すぐに見覚えのある鬱蒼とした森に出た。
森といっても、以前も言った通りベルナルディ邸の敷地内であることに変わりはない。
昨日はグダグダと居座ってしまった所為でアンドレアや父に見つかってしまったけれど、今回は違う。なにせ今回は探し物じゃなく、目的地へ向かうだけの簡単なお仕事だから。
「まってろ、みんな……!」
主がいなくなった邸に人が残るのか。今思えば一番大事なその疑問を考えることもなく、俺はキラキラッと純粋に瞳を輝かせて森を走り抜けた。
***
「うそん」
しょんぼり、と肩を落として呟く。
目の間に広がるのは、つい昨日まで温かな雰囲気が流れていた別館の玄関ロビー。
けれど今は人の気配ひとつ感じられず、無機質で寂しい空気に包まれていた。大きな家具には布が掛けられ、もはや小綺麗な廃墟といったような内装になっている。
数は多いとは言えなかったけれど、確かに別館付きの構成員は存在したのに。それが一人も見当たらず、痕跡さえ残っていないなんて。
震える足を叱咤してなんとか踏み出し、玄関ロビーを越えて中に入る。きょろきょろと辺りを見渡しても、気配どころか物音も聞こえない。
「なんで……みんな、どこ行っちゃったんだ……?」
ガウとジャックの無事は確認しているからいいとして、他のみんなは?
それに、この別館の雰囲気は一体……これじゃあまるで、二度と使われない建物みたいじゃないか。ここは俺の大切な我が家なのに。
本館に移ったのは昨日。俺の気持ちとしてはそう長居するつもりじゃなかった。ほとぼりが冷めたらすぐに帰ろうって、そう思っていたのに。
たった一日で、我が家がなくなってしまうなんて。
「誰か……だれか、いないのかっ?」
こんな酷いことを指示したのは誰なのだろう。父か、それともアンドレアか。
俺を本館に呼び寄せた理由が未だによく理解できていなかったけれど、やっぱり俺を嵌めるためだったのかな。俺のお家にこんなことするんだから、少なくとも俺を想った指示ではなかったはずだ。
気配がしないことくらい分かっているけれど、それでも諦めを知らず階段を駆け上がる。
厨房や広間、みんなの部屋。人がいそうな場所を徹底的に探してみるけれど、やっぱり誰もいない。
本当に誰もいないんだ。ここはもう俺の家じゃなく、ただの廃墟なんだ。
それをようやく自覚した途端、とてつもない悲しみが湧き上がった。
居場所がないという事実が辛い。別館だからこそ生き残ってこられたのに、俺みたいな偽物マフィアがどうやって本物の狂人が暮らす本館で生き残れっていうんだ。
悲しくて、苦しくて涙が止まらない。ぐすっと情けなく嗚咽を漏らしながらトボトボ歩いていると、ふいにどこからかガシャンッ!と何かが落ちるような物音が聞こえてきた。
「っ……!だれか、いる……?」
音のした方を振り返る。この先は俺の部屋がある方向だ。
もしかして、使用人の誰かが俺の部屋を掃除でもしているんだろうか。なんて、邸全体の薄暗さには目を向けず、俺は期待に瞳を輝かせながら走り出した。
見慣れた自室、その扉が微かに開いているのを見て思わず頬を緩める。
やっぱり誰かいるんだ!嬉しくてにまにましながら勢いよく駆け込んだ。
「帰ったぞ!──……って、はぇ?」
俺が来たぞ!とドヤ顔で扉を開いた直後。
部屋の奥に覚束ない足取りで立つその人を見て、ピタッと動きを止めた。
そこにいたのはガチムチの強面構成員でもなく、ガウでもジャックでもない。
自慢の艶やかな髪をパサつかせ、薄汚れたドレスに身を包んだその人は……。
「──……お母さま?」
俺の声に反応して振り返った彼女は、何やら瞳に燃え盛るような殺意と怒りを滲ませている。
俺を視認するとその色は更に強まり、その人は……母は、右手に持っていた煌めく何かをゆらりと俺に向けた。
「ルカ……探したじゃないの」
そう言って薄い笑みを浮かべる母。俺はにこやかな母に愛想笑いすら返すことが出来ず、ただ呆然と一歩後退った。
豪奢な格好を好む母が、なぜか汚れたドレスを身に纏い、髪も乱している。その事実と、何よりその手に持っている物によって、母の異常な様子が明確になっていたから。
「お母さま、なにを」
呆けたまま呟いた瞬間、母は笑顔をサッと掻き消し、ゾッとするような怒りの形相で“それ”を構えた。俺に向かって。
「お前の所為で……お前の所為でッ!この私がどれほど惨めな思いをしたと──ッ!」
錯乱状態の母が、手に持った“ナイフ”を構えながら走り出す。
あまりに突然の出来事で、俺は悲鳴を上げることもそれを避けることも出来なかった。ただ呆然と、母の動きを視線で追って……。
「──お前なんか産まなければ良かった!」
自分でも驚くくらい、その言葉は胸に痛いほど突き刺さった。だからこそ、余計に動くことが出来なくなったのかも。完全に力が抜けてしまったことを何となく悟ったから。
やがて目の前で刃先が振り下ろされる。その光景が、やけにスローモーションで見えた気がした。
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