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本編
18.救済法はひとつだけ
「…え、尼崎が転校した?」
翌日。まだ早い時間に登校して昇降口で靴を履き替えていた時、背後から慌てたような足音が聞こえてきて振り返った。
その先に居たのは何処と無く表情を輝かせた神楽。いつも澄ました態度で動く神楽が、珍しく走って近寄ってきたのだ。
俺の目の前で立ち止まった神楽は息を荒くさせながら言った。尼崎が学校を辞めたのだと。
てっきり怪我が治らなくて休んでいたのだと思っていたが、まさか転校していたなんて。
「何でも尼崎の親父がやってる会社が倒産したらしくて、夜逃げしたらしいぜ」
今までのバチが当たったんだ、ざまぁみろだな。なんて笑顔で語る神楽。言ってることは最低だが、それを宥めない俺も中々クズだ。
俺も何だかんだ、少し喜んでしまっている。ざまぁみろとか、そんなことは思わないけど。思わない…けども。
尼崎のことは嫌いだったが、それなりに好きでもあったから。俺を全力で苦しめてくる姿勢は案外好きだったし、それと同じくらい大嫌いでもあった。
その尼崎が、転校?確か尼崎の父親はこの辺じゃ有名な、所謂地元企業の重役だったはず。会社は安定してたって言われてたけど、違ったのか。
学校の奴らが尼崎に逆らえなかったのは、その会社が原因でもある。尼崎に逆らえばあいつの父親が出てくるからって。だから皆何も言えなかったし、何も出来なかったのだ。
「…なんで急に倒産したんだろ」
「さぁ?強がってただけで普通にヤバかったんじゃないか?」
あ、でもそういえば、と神楽が一言区切る。首を傾げると「ここだけの話な」と前置いて静かに語った。
「俺の親父が噂してたんだけどさ。尼崎んとこの会社、最近大企業のお偉いさんの怒り買って色々切られてたらしいんだ」
「大企業のお偉いさん…?」
「うん。それもうちでも頭下げなきゃいけない超大企業。馬鹿だよなー、何やらかしたんだか」
うちでも…って、神楽の両親でも同格に立てない相手なのか。それは本当にヤバいとこだな。マジの一流企業じゃないか。
親のミスの責任を連帯で被って夜逃げだなんて、尼崎が少しだけ可哀想に思えてきた。
なんてことを言うと神楽が呆れた顔で溜め息を吐く。そういうとこだぞ、なんて言ってくるが、何がどういうとこなのかさっぱり分からん。
「まぁ何にせよ、これで大分過ごしやすくなるな。雲雀もちょっとは楽になるだろ」
「…確かに、尼崎が居なければあいつらも何も出来ないだろうし、もう呼び出しも無くなる…かも」
尼崎に寄生していた奴らの中心である相模は、自分より強い人間が居ないと何も出来ない臆病者だ。あいつが何も出来ないのなら、他の奴らも当然動けない。
集団というのは気味の悪いもので、自分より強い者と、弱い者で構成されている。一番強い者が居なくなれば、それより下もまるで瓦礫が崩れるように散っていく。
改めて、尼崎の影響力を思い知った。あいつは本当に"強者"だったんだ。学校という狭い世界の中で、あいつは確かに支配者だった。
「やったな雲雀。これからはもっと気楽に過ごしていいんだ。昼飯の時もさ、授業終わったらすぐ会いに来いよ」
「…うん、わかった」
色々と気になることはあるけど、でも今は気にしないようにしよう。もう怯えることなく神楽と会って、普通に昼食を食べれることを素直に喜ぼう。
「今日も放課後どっか行く?」
「あ…ごめん。今日は父さんに早く帰れって言われてるから」
「…。…そっか、そんじゃゲーセンはまた今度だな」
一瞬何か言いたげに歪んだ神楽の表情は、けれど直ぐにいつもの笑顔に変わった。
気の所為だろうかと首を傾げて、また昼になと手を振る神楽に俺も小さく手を振り返した。
* * *
少し変わった日常。
尼崎が居なくなって、神楽と遊ぶようになって。死ぬ直前にこんなにも環境が変わるなんて神様は気まぐれだな、なんて下らないことを考えながら過ごすこと数日。
ついに湊さんの誕生日を翌日に控えて、俺はいつもよりそわそわしていた。と言っても無表情なので誰も俺の変化には気付いていないが。
いや、誰もというのは語弊があるか。唯一、神楽だけは挙動不審な俺に気が付いていた。
今朝昇降口で会うなり「そわそわし過ぎだよ鬱陶しいな…」と呆れ顔で吐かれた。容赦ないとこも神楽らしくて結構好きだ。
尼崎が居なくなった教室は意外にもあまり変化はなくて、クラスメイトの動きにも変わりはなかった。まるで初めから尼崎が存在してなかったみたいな空気が、何だか少しだけ不気味だ。
クラスカーストの頂点は相模に塗り替えられて、臆病者の相模のお陰で以前よりは平和なクラスになった。予想通り、俺を虐める人間も居なくなった。
なので俺はかなり過ごしやすくなった。昼食の心配もしなくていいので、いつもルンルン気分で神楽のもとへ向かっている。
神楽とは連絡先を交換したので、交流も結構増えた。これで俺のスマホに登録されている連絡先は、義父と湊さんと神楽の三人になった。感慨深い。
ちなみに母さんとはスマホを買う前に別居してしまったので、連絡先は知らない。義父も教えてくれなかったし。
でも大して困ることは無いから、あまり気にしていない。
尼崎の連絡先も、あいつが転校したと聞いた日にそっと消去した。
「ほらよ雲雀。俺の唐揚げやる」
「え、神楽唐揚げ大好物なのに。いいの?」
「いーの。肉食って気合い入れろ、明日は超大事な日なんだからさ」
だろ?と微笑みを向けられて思わずこくこく頷いた。そうだ、明日はとても大切な日。湊さんの誕生日で、俺の命日なのだ。
「ど、どうしよう神楽…緊張で手の震えが止まらない…」
「大丈夫だから落ち着け!それともあれだ、一回明日の予定確認するか。ちゃんと頭に入れときゃ不安も無くなるだろ」
「そ、そうだね、確認しよう」
背中を優しく摩ってくる神楽にお礼を言って、一度落ち着いて深呼吸をする。唐揚げをもぐもぐ食べてから、一気に水を飲んで気を整えた。
まるで呪文みたいに呟き始めた俺の言葉を、神楽は一つ一つ丁寧に拾って頷いてくれる。
「…明日はまず私服に着替えて、ケーキを買いに行く」
「そうだな。明日は休日だから人気のケーキは早めに買いに行こうな」
「…ケーキを買ったら神楽の家に行って、夜までケーキを守ってもらう」
「そうだな。雲雀の家だと親父さんに邪魔される可能性もあるし、俺の家でケーキと雲雀を守ろうな」
ぐるぐる、ぐるぐる。
頭の中は混乱していたが、予定を纏めていくと少しづつ迷いは晴れてきた。
この調子で全部確認して、誕生日当日…つまり明日に備えよう。完璧な最期の日を迎える為に。
「夜になったら神楽とさよならして、湊さんのマンションに向かう」
「…そうだな。俺と会うのも最後だし、ちゃんとお別れしような」
俺の弁当に唐揚げをぽんぽん入れながら、神楽が静かに答えた。そうだ、神楽とも最後になるのだから、明日はちゃんとお別れしないと。お礼もたくさん、言わないと。
「湊さんにケーキを渡したらすぐに家に帰って、そしたら、そしたら…」
最後の最後。すべきことは確実に把握しているのに、言葉が出てこない。
俺が最後にすべきこと。神楽とお別れして、湊さんにケーキをあげて、誕生日をめいいっぱい祝って。全部終わったあとの、結末は。
言葉に詰まった俺を見て何を思ったのか、神楽が無言で正面に回り込んでぎゅっと抱き締めてきた。
突然の抱擁に驚いていると、俺を腕の中に閉じ込めた神楽が「大丈夫。大丈夫だ」と語りかけてくる。その優しい声に力が抜けた。
背中を規則的に撫でる手が、温かくて、穏やかで。
俺たち以外誰も居ない、屋上へ続く階段の踊り場。窓から覗いた青空に、らしくなく見蕩れてしまった。
「神楽…かぐら、」
「うん」
「俺さぁ…ずっと辛かったよ、いっつも痛くて、退屈だった…」
「…うん」
「でも、でも…最近は楽しくて、幸せだったから…」
視界が滲むも、頬を伝うのも、別に何でもない。少し息を整えて吐き出した言葉は、思ったより震えていた。
「――…ちょっとだけ、迷うんだよなぁ…」
俺を抱く神楽の腕が、少し力を増した。まるで、ふらふらと彷徨う俺を引き止めるような、そんな力だ。
でもやがて俺の震えが無くなってくると、今度は諦めたように力が緩む。いくら揺れても変わらない俺の決意を、確かに察したからだろうか。
迷ったって、変わらない。過去は変わらない。
不幸な俺が無かったことにはならなくて、幸福な俺で上書きすることも出来やしない。こう見えて結構引き摺るタイプの俺は、少し前までの自分が可哀想で、見放すなんて到底出来ないんだ。
手のひら返して俺だけ幸せになろうだなんて、そんなのは許されない。俺が許せない。
だって泣いてるんだ、過去の俺が、羨ましいって泣いてる。
「ふふっ…」
「何だよ、急に笑ったりして」
不気味だな、なんて辛辣なことを言う神楽だが、表情は優しく微笑んでいる。何処と無く、嬉しそうだ。俺が笑ったからだろうか…?
「ううん。すごい楽しかったなぁって。次も神楽と会えるように、神様にお願いしとかないと」
「…だな。俺も会いたいから、ちゃんとお願いしとけよ」
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