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本編
34.あとひとつ
ぱちっと目を開ける。
何か嫌な夢を見ていた気がしたが、起きた時にはもう何も覚えていなかった。
呼吸が少し荒いけれど、深呼吸すればすぐに落ち着いた。
嫌な夢を見たと言っても、内容は覚えてないから別にいいかとあっさり思う。引き摺るよりは、全て忘れてしまった方が楽だ。
「………」
まだぼんやりとする意識。柔らかいベッドの感触は未だに慣れないけれど、あと何度か使ったらやがて慣れるだろう。
窓から漏れる光で今が朝だということを察したけれど、一向に起きる気力が湧かない。
けれど、昨夜ベッドに入った時には隣にあった温もりが消えていることに気付いて、さっきまでの霞んだ意識が嘘のように明確になった。
ハッとして起き上がり室内を見渡すが、目当ての人物が見当たらないことで喪失感に襲われる。
その時、ちょうど扉が静かに開いた。
呆然としたままそっちを向くと、入って来た彼と目が合う。お互い一瞬固まって、先に動いたのは目を見開いた彼の方だった。
「雲雀!」
焦ったような彼の…湊さんの顔に首を傾げる。
俺の頬に手を添えると、湊さんは悲しそうに眉を下げて問い掛けてきた。
「どうして、泣いてるの…?」
その問いを聞いて初めて、自分が泣いていることに気付く。彼の手が添えられていない方に触れてみると、確かに濡れた感触があった。
それを雑に拭って、滲んだ視界を塞ぐように瞼に指を当てる。目を擦ろうとしたとき、その手を湊さんに掴まれて防がれた。
代わりに彼の端正な顔が近付いてきて、その唇が瞼に触れる。触れるか触れないか、それくらい淡い口付けで、溢れ続けていた涙はぴたりと止んだ。
「…とまった」
「うん、止まったね」
くすくす笑って彼が頷く。よかった、と吐息混じりに吐き出される言葉に頬が赤く染まった。
今更恥ずかしくなって伏し目がちに俯く。それもすぐに湊さんにバレて、顔を覗き込まれてしまった。
「見ないで」
ふいっと視線を逸らすと、突然目の前の湊さんが苦しそうに心臓を抑えてしゃがみ込んだ。
慌てて呼びかけると、「倍にして返された…」という呟きが聞こえてくる。何かされた覚えもそれを倍にして返した覚えも無いけれど、一体どうしたんだろう。
「…怖い夢でも見ちゃった?」
考え込んでいると、ふと優しい声が問い掛けてきてハッとした。
回復したのか、蹲っていた湊さんが立ち上がり、ベッドの縁に座っていた俺の隣に腰掛ける。
彼の腕がこっちに伸ばされて、頭にぽんと大きな手が乗った。
寝癖を優しく梳いてくる湊さんに思わず目を細める。眠気が戻ってきそうなくらい、穏やかな空気だった。
だからか体の力も無意識に抜けて、緩い思考のまま湊さんに寄りかかってしまう。けれど彼は嫌な顔ひとつせず、寧ろ嬉しそうに微笑んだ。
「…怖い夢、みた。でももういい、湊さんがいるから」
「俺が居れば、もういいの?」
「うん。湊さんがいるならいい。何でもいい」
霞んだ思考に反して、言葉は流れるようにすらすらと零れる。
俺の言葉に湊さんは泣きそうな顔で微笑んで、小さく「そっか」と呟いた。
* * *
湊さんとの同棲…と言ったら気が早いが、マンションに居候し始めたのはつい数日前のことだ。
あの家に居ると近所の目も面倒だし、何より嫌な記憶がずっと纏わり付く。俺は別にそのまま暮らし続けても良かったのだが、過保護で心配性の神楽と湊さんがそれを良しとしなかった。
いつの間に説得したのか、母さんの許可を得たからと同棲を提案してきた湊さんには本当に驚いた。
この前母さんに会いに行って散々嫌なことを言われたし、もう湊さんを母さんに会わせないようにしようとすら思っていたのに。
それを言うと湊さんは困ったように笑って、大丈夫だからと俺を宥めた。
そういえば母さんに呼び止められて二人きりで話していたなと思い出し、あの時何か言われたのかと心配になって問い詰めたりもしたが、湊さんは曖昧に誤魔化すばかりで何も答えてくれなかった。
きっと母さんが失礼なことを言ったんだろうと、それについては今でも申し訳なく思っている。
「雲雀、本当に送って行かなくて大丈夫?」
心配そうな声が聞こえてハッと我に返った。
朝食を食べ終えて、学校へ行く準備を進めていた時だった。制服を着てリビングに戻ると、湊さんが眉を下げて問い掛けてきたのだ。
「うん。神楽、迎えに来てくれるって言ってたから」
昨夜メッセージでやり取りした内容を思い出し、こくりと頷きながら答えた。
二人はまだ休んでた方がいいと言っていたが、いつまでも休んだままという訳にもいかない。
俺自身は全然本調子なのに、あんまり長い間休んでいてもサボり癖が付いてしまうだけだ。何より、そろそろ周囲も落ち着いてきた頃だろうし。
そう言うと二人は頷いてくれたけど、やっぱりまだ納得は出来ていないようだった。神楽はマンションまで迎えに来るとか言うし、ほんと過保護すぎる。
不安なのは神楽だけじゃないのか、湊さんも今日になるまで…いや今も、ずっと心配そうだった。
「…本当に行かなきゃダメ?あと一日…二日くらい休んでも…」
「湊さん、それ先週も言ってたよ」
何回"あと一日"を繰り返すつもり?と問うと、湊さんはしゅん…と肩を落とした。それをぽんぽん宥めて準備に戻る。
朝まったりし過ぎたせいで、少し遅れそうなのだ。早く準備しないと神楽が来てしまう。
片手で寝癖を直す…というよりは押さえつけながら、必要なものをぽいぽいっと鞄に放り込んでいく。
と言っても入れるのは弁当とスマホと、昼休みに神楽と食べるお菓子くらいだ。教科書やら何やらは全て机に置きっぱなしにしているので、鞄は常に軽い。
以前まではリュックを使っていたのだが、こんな感じで持っていく荷物がすごく少ないことに気付いて鞄に変えた。ちなみにこの鞄は神楽から貰ったものだ。
「あ、神楽着いたって」
鞄に放り込もうと手に持ったスマホがちょうど通知を鳴らした。画面を開くと案の定神楽からで、『出てこい』という短い文章だけ届いている。
そう言うと湊さんは「じゃあ一緒に行こう」と笑顔を浮かべる。
結構前からスーツを着込んで準備万端な感じだったのに、何故か一向に仕事に向かわなかったのはこれが原因か。
俺と一緒に外に出たいが為だけに待ってるとか、本当に湊さんは優しくて過保護で心配性だ。
曰く、外に出るまでに攫われる可能性もあると語る湊さん。心配性にも程がある。けど湊さんに心配されるのは悪い気分じゃないから別にいい。むしろ嬉しい。
…けど…今回はちょっと、嬉しいだけじゃない。
「…俺、湊さんが仕事行くの待ってたんだけどな」
「え…」
玄関で靴を履きながら、思わずボソッと呟いてしまった。
ハッとした時にはもう遅い。振り返ると、青ざめた顔で固まる湊さんが今にも倒れそうな顔色で震えていた。
「お、俺…邪魔だった…?早く行って欲しかった…?」
「あっ、違う!違うよ!ごめん湊さん!」
慌てて弁明するが、湊さんは呆然としたまま虚ろな目で頷くだけだ。沈んだ表情に胸が痛んで何度か謝るが、どうやら俺の声がちゃんと聞こえていないらしい。
一言呟いただけなのに、こんなに衝撃を与えてしまうなんて思ってもみなかった。
でも抱えているこの悩みを口にする訳にいかない。言ったら引かれるだろうし、それくらい下らない悩みだから。
「ご、ごめんね湊さん…!でも本当に違うから…!」
「…うん…俺の方こそごめんね…」
何だか誤解されたままのような気もするが、湊さんが薄く笑みを浮かべたのを見てほっと息を吐いた。笑ったってことは、俺の言葉を理解してくれたってことだろう。
安堵して「行こう」と声を掛けると、湊さんは何故か肩を落として、力無い笑みで頷いた。
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