環の中で

影燈

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「私、もう限界です」

カウンセリングルームの柔らかな照明の下で、美咲は震える声でそう告白した。結婚して一年。姑との関係に苦しみ続けた末の来院だった。

「何もかも完璧を求められて...」

そこで美咲は言葉を詰まらせた。カウンセラーの沢村先生は、静かに頷きながら次の言葉を待った。

窓の外では、桜の花びらが舞っていた。着任したばかりの新入社員たちが、期待に胸を膨らませて歩いている。美咲は自分も一年前、同じように希望に満ちていたことを思い出していた。

「私の母は専業主婦でした。でも私は仕事を続けたくて...姑さんは、それを良く思っていないみたいで」

沢村先生は、メモを取りながらゆっくりと話し始めた。

「美咲さん、姑さんのことを、どんな人だと感じていますか?」

「厳しい人です。何をしても批判ばかりで...」

「その批判の裏に、何か感じることはありますか?」

美咲は少し考え込んだ。確かに姑の光子さんは、毎週日曜日には必ず手作りの惣菜を持ってきてくれる。残業が多い時は、夫の誠に内緒で美咲の分まで作り置きを届けてくれたこともあった。

「実は...優しいところもあるんです」

そう言った途端、美咲の目から涙がこぼれ落ちた。

「でも、なぜこんなに苦しいんでしょう?」

沢村先生は、桜の舞う窓の外を見やりながら、静かに語り始めた。

「人は誰でも、自分の魂の成長に必要な出会いをするものです。その出会いは、時に大きな試練として現れることもある。美咲さんにとって、姑さんとの出会いは、そんな機会なのかもしれません」

美咲は少し困惑した表情を浮かべた。

「試練...ですか?」

「はい。例えば、姑さんの厳しさは、美咲さんの中にある何かを目覚めさせようとしているのかもしれません」

「私の中にある...何かを?」

「人は往々にして、自分の課題を持った人と出会うものです。その人との関係に苦しむのは、実は自分の中の未解決の部分に向き合っているからかもしれません」

美咲は、自分の内面を探るように黙り込んだ。確かに、姑の光子さんに対して感じる苛立ちは、どこか見覚えのある感情だった。

「私...母にも同じように反発していたかもしれません」

その気づきは、美咲自身を驚かせた。

「完璧を求められるのが辛いと感じる背景には、もしかしたら美咲さん自身が自分に課している高すぎる基準があるのかもしれません」

その言葉に、美咲は深くため息をついた。仕事でも、家事でも、いつも人一倍頑張ってきた。でも、それは本当に必要なことだったのだろうか。

「試練は、私たちに気づきをもたらす贈り物でもあります」

沢村先生は優しく微笑んだ。

その日から、美咲は少しずつ変わり始めた。姑の言葉に反射的に反発するのではなく、その背後にある思いを感じ取ろうとするようになった。

ある日の夕方、光子さんが思いがけず訪ねてきた。

「美咲さん、これ...」

差し出されたのは、古びたノートだった。

「私の料理ノートなの。最初の頃は本当に下手で、誠の父によく叱られたわ」

光子さんの目が潤んでいた。

「でも、それが今では良かったと思えるの。あの厳しさがあったから、今の私がある」

美咲は、初めて光子さんの若かった頃の姿を想像してみた。きっと自分と同じように、不安と期待を胸に秘めて嫁いできたのだろう。

「私も...頑張ってきたのよ」

その言葉に、美咲は思わず光子さんの手を握っていた。手のぬくもりを通じて、何かが伝わってくるような気がした。

それは、世代を超えて受け継がれてきた女性たちの物語。完璧を求められ、時に挫折し、それでも前に進もうとしてきた魂の記録。

「光子さん...ありがとうございます」

美咲の言葉に、光子さんは照れたように微笑んだ。

その夜、美咲は夫の誠に、素直な気持ちを打ち明けた。仕事と家庭の両立への不安。完璧でありたいという強迫観念。そして、光子さんとの関係に悩む自分。

誠は黙って美咲の話を聞き、最後にそっと言った。

「母さんも、きっと美咲の気持ちを分かってくれると思う」

次の日曜日、美咲は初めて自分から光子さんに電話をかけた。

「光子さん、今度私に料理を教えていただけませんか?」

電話の向こうで、光子さんの声が明るく弾んだ。

「ああ、嬉しいわ。実は私もずっと、美咲さんに教えたいと思っていたの」

その日から、日曜日の午後は二人の特別な時間となった。料理を教わりながら、美咲は光子さんの人生の物語に耳を傾けた。そして徐々に、自分の中の変化に気づいていった。

完璧を求めすぎない自分。失敗を認められる自分。そして、助けを求められる自分。

カウンセリングルームを去る時、沢村先生は最後にこう言った。

「私たちの周りにいる人々は、みな私たちの魂の成長のために現れる。その出会いを大切にしてください」

美咲は今、その言葉の意味を深く理解している。姑との関係は、まだ完璧とは言えない。でも、それは自分の魂が成長していくための大切な学びの場なのだと、心から感じられるようになっていた。

窓の外では、新しい季節を告げる風が吹いていた。
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