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第四部 1 嘘つかないでください。
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それから三日。優毅はシフトに入っておらず、彩羽さんに会うこともなかった。
めんどくさいのと、先に卒業した元同級生の仲間に合コンに誘われていたからシフトを入れなかったのだ。
しかし結局その気になれず、合コンも病欠した。もともと数合わせにと、無理やり誘われただけの合コンだ。こんなことなら、シフトを入れておけば良かった。でも、彩羽さんとどんな顔をして会えばいいのか分からない。
自分は本当にダメな奴だ。
彩羽さんにストーカーみたいな真似して、恋人の樹神さんの店で暴れて、みんなに迷惑かけて。
本当に、ダメな奴だ。
三日前、彩羽さんが店を出て行く時一瞬見えた顔が忘れられない。
泣きそうなのを、必死で堪えて唇を噛んでいた。そんな風に見えた。
「客を投げ飛ばすなんてありえないよな……」
彩羽さんに嫌われたかもしれない。
そう思うと、救いようのないくらいに気持ちが沈んだ。
深い深い海の底よりも深いため息が出る。
明日はシフトが入っている。一体、どんな顔をして会えば良いのだろうか。
そして翌日十六時三十分――。
優毅は重い気持ちを引きずりながら、「呑之助」の戸を開けた。開店前は自動ドアのスイッチは切られているので手動で開けなければならないのだ。
ちょうどそこを彩羽さんが通りかかった。
どんな顔をすればいいんだ。そんなことを悩んでいたのがバカバカしくなるくらいに明るく、彩羽さんはいつもどおりに笑いかけてくれた。
「おはよう」
優毅は慌てて頭を下げる。
「彩羽さん、この前はすみませんでした!」
こういうことは勢いよく済ませてしまった方が良い。
彩羽さんはニコリと笑って、
「全然」と言った。
だが、いつも彩羽さんの笑顔を観察している優毅にはそれが無理した笑顔だと分かってしまう。
「むしろ御礼を言わなきゃいけないくらいだよ。優毅くんがあの人たちを追い払ってくれなきゃ、きっと樹神も私もしつこくいびられてたよ。本部の人は何も助けてくれないしね――」
彩羽さんは最後の一言をため息まじりに言った。
「とにかく、気にしないでね。でも、優毅くんどうしてあんなに強いの? ビックリしちゃった」
その質問に優毅がビックリする。
「あーえっとそれは……」
実はぼくは忍者なんです。なんて、絶対に言えない。絶対に引かれる。
「ちょっと昔合気道をやってたことがあって」
こういうときのお決まりの誤魔化し文句を吐く。
「そうなの? 凄いね!」
「いや、なにも凄くはありませんよ」
ほんとになにも凄くはない。
凄いというのは、信念を曲げずに立ち向かう樹神さんや、どんなときでも人の気持ちを考えて笑っていられる彩羽さんのことを言うのだ。
優毅は今まで深いことは何も考えず、ただ、言われたことを適当にやってきただけのことだ。
自分が恥ずかしいと思った。
藤十郎には仕事があるし、両親を亡くして妹を守っていくという信念がある。芽生でさえ、隠賀流(おんがりゅう)を継ぎたいという志がある。
樹神さんや彩羽さんと一緒にいて自分が小さく思えるのは、肩を並べることができないと思うのは、自分には何も、無いからだ。
「樹神さんは、大丈夫でしたか?」
樹神の名が出て、彩羽は一瞬顔を曇らせた。
「うん。怪我もしてないし、大丈夫みたい」
彩羽さんはそう言って微笑むが、その笑顔が痛々しかった。
無理をさせてしまっている。
「嘘つかないでください」
優毅は思わずそう言っていた。
「え?」
「彩羽さん、無理してます。俺なんかに気を遣(つか)ってくれなくてもいいんですよ。笑いたくないときは、笑わなくたっていいですよ」
すると、優毅の言葉に、彩羽がポロポロと泣き始めたのだ。
彩羽の眼からこぼれる涙に優毅はぎょっとして慌てた。
「え、あ、いや。すいません、ちょっと言い方きつかったですか」
彩羽はうつむいて首を振る。
これじゃあ俺が彩羽さんをいじめているみたいじゃないか。
「違うの。ごめんね。なんだか、そんな風に言ってもらったら、安心しちゃって」
「安心――ですか」
「うん。ああ、そっか。私無理してたんだなって思って」
彩羽さんは顔を上げてにっこりと笑った。
それはいつもの彩羽さんのキラキラ光る太陽みたいな笑顔に戻っていた。
「ちょっと楽になった。ありがとね、優毅くん」
「いえ、俺は何も……」
「私が頑張らなきゃね」
彩羽はそう言うと、仕事に戻っていった。
それから一週間後。
樹神の都外への異動が決まった。
ブリュワリーのオープン間近のことだった。
実質、樹神のブリュワーへの道は途絶えたのだった。
めんどくさいのと、先に卒業した元同級生の仲間に合コンに誘われていたからシフトを入れなかったのだ。
しかし結局その気になれず、合コンも病欠した。もともと数合わせにと、無理やり誘われただけの合コンだ。こんなことなら、シフトを入れておけば良かった。でも、彩羽さんとどんな顔をして会えばいいのか分からない。
自分は本当にダメな奴だ。
彩羽さんにストーカーみたいな真似して、恋人の樹神さんの店で暴れて、みんなに迷惑かけて。
本当に、ダメな奴だ。
三日前、彩羽さんが店を出て行く時一瞬見えた顔が忘れられない。
泣きそうなのを、必死で堪えて唇を噛んでいた。そんな風に見えた。
「客を投げ飛ばすなんてありえないよな……」
彩羽さんに嫌われたかもしれない。
そう思うと、救いようのないくらいに気持ちが沈んだ。
深い深い海の底よりも深いため息が出る。
明日はシフトが入っている。一体、どんな顔をして会えば良いのだろうか。
そして翌日十六時三十分――。
優毅は重い気持ちを引きずりながら、「呑之助」の戸を開けた。開店前は自動ドアのスイッチは切られているので手動で開けなければならないのだ。
ちょうどそこを彩羽さんが通りかかった。
どんな顔をすればいいんだ。そんなことを悩んでいたのがバカバカしくなるくらいに明るく、彩羽さんはいつもどおりに笑いかけてくれた。
「おはよう」
優毅は慌てて頭を下げる。
「彩羽さん、この前はすみませんでした!」
こういうことは勢いよく済ませてしまった方が良い。
彩羽さんはニコリと笑って、
「全然」と言った。
だが、いつも彩羽さんの笑顔を観察している優毅にはそれが無理した笑顔だと分かってしまう。
「むしろ御礼を言わなきゃいけないくらいだよ。優毅くんがあの人たちを追い払ってくれなきゃ、きっと樹神も私もしつこくいびられてたよ。本部の人は何も助けてくれないしね――」
彩羽さんは最後の一言をため息まじりに言った。
「とにかく、気にしないでね。でも、優毅くんどうしてあんなに強いの? ビックリしちゃった」
その質問に優毅がビックリする。
「あーえっとそれは……」
実はぼくは忍者なんです。なんて、絶対に言えない。絶対に引かれる。
「ちょっと昔合気道をやってたことがあって」
こういうときのお決まりの誤魔化し文句を吐く。
「そうなの? 凄いね!」
「いや、なにも凄くはありませんよ」
ほんとになにも凄くはない。
凄いというのは、信念を曲げずに立ち向かう樹神さんや、どんなときでも人の気持ちを考えて笑っていられる彩羽さんのことを言うのだ。
優毅は今まで深いことは何も考えず、ただ、言われたことを適当にやってきただけのことだ。
自分が恥ずかしいと思った。
藤十郎には仕事があるし、両親を亡くして妹を守っていくという信念がある。芽生でさえ、隠賀流(おんがりゅう)を継ぎたいという志がある。
樹神さんや彩羽さんと一緒にいて自分が小さく思えるのは、肩を並べることができないと思うのは、自分には何も、無いからだ。
「樹神さんは、大丈夫でしたか?」
樹神の名が出て、彩羽は一瞬顔を曇らせた。
「うん。怪我もしてないし、大丈夫みたい」
彩羽さんはそう言って微笑むが、その笑顔が痛々しかった。
無理をさせてしまっている。
「嘘つかないでください」
優毅は思わずそう言っていた。
「え?」
「彩羽さん、無理してます。俺なんかに気を遣(つか)ってくれなくてもいいんですよ。笑いたくないときは、笑わなくたっていいですよ」
すると、優毅の言葉に、彩羽がポロポロと泣き始めたのだ。
彩羽の眼からこぼれる涙に優毅はぎょっとして慌てた。
「え、あ、いや。すいません、ちょっと言い方きつかったですか」
彩羽はうつむいて首を振る。
これじゃあ俺が彩羽さんをいじめているみたいじゃないか。
「違うの。ごめんね。なんだか、そんな風に言ってもらったら、安心しちゃって」
「安心――ですか」
「うん。ああ、そっか。私無理してたんだなって思って」
彩羽さんは顔を上げてにっこりと笑った。
それはいつもの彩羽さんのキラキラ光る太陽みたいな笑顔に戻っていた。
「ちょっと楽になった。ありがとね、優毅くん」
「いえ、俺は何も……」
「私が頑張らなきゃね」
彩羽はそう言うと、仕事に戻っていった。
それから一週間後。
樹神の都外への異動が決まった。
ブリュワリーのオープン間近のことだった。
実質、樹神のブリュワーへの道は途絶えたのだった。
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