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2 これは、命がけかもしれません。

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「一応聞いておくが、」
 今どき何故かマニュアルの軽自動車を運転しながら、藤十郎が優毅に話しかけてきた。
 藤十郎の長い脚では軽の運転席は窮屈そうだった。
「なんだよ」
「姫奈さんを助けてもいいのだな」
「そんなの当たり前だろ」
 藤十郎は少し安心したように、「わかった」と言った。
 藤十郎は姫奈の暴君ぶりを知っているのかもしれない。
 芽生はそのやりとりを聞いていて、クスリと笑った。
「あの後、私お兄ちゃんに隠賀流の当主の座なんて狙ってないことちゃんと説明したんだ。私はただ、忍術を続けたいだけ。全部お兄ちゃんの勘違いだったって伝えたら、お兄ちゃん優毅に悪かったって。謝りたいって。それでずっと付け狙ってたんだと思うよ」
「付け狙うって――」
 昨日芽生が来るまで、優毅は藤十郎の気配も感じなかったのだ。もしこれが敵だったらと思うとゾッとする。
「余計なことを言うでない、芽生」
 藤十郎は渋い顔をしてハンドルを握っている。
「でも、俺だって腹立ってんだからな」
「おまえが、なんで――」
 藤十郎の言葉を遮って、芽生が大声をあげた。
「あ、止まって!」
 芽生はスマホのGPSで優毅のスマホを追っていたのだ。
 藤十郎がハザードを出して車を脇に寄せ、三人は車を降りてみた。
「この先みたい」
 辺りは街灯がなく、真っ暗であった。月明かりでどうにか周囲が確認できる。
 そこは田畑が広がっており、住宅もまばらに点在している、長閑な場所であった。
 芽生がスマホを藤十郎に返すと、藤十郎はそれを確かめ、顔をしかめた。
「どうやらこの先の廃墟に拉致されたらしいな、お姫様は」
「ねぇ、さっきから姫姫って、さらわれたのって誰なの?」
 芽生が首を傾げる。すると藤十郎がさも当たり前のように言った。
「なんだ、知らなかったのか。おまえの大好きなひめめだよ」
 それに驚いたのは芽生だけでなく、優毅もだった。
「おまえ、そのこと知ってたのか!?」
「愛しい妹の愛するアイドルだぞ。一眼見れば分かる」
「ちょっと待って。よくわからないんだけど、どうしてひめめがこんなところにいるの!? 変な人に拐われちゃったの!?」
「ひめめは居酒屋チェーンの会社の社長令嬢なんだよ」
これには優毅が答えた。
「色んな恨みも買ってるだろうからな、誘拐くらいされてもおかしくない」
「おまえも恨みがあるんだろう?」
 藤十郎は呆れたような顔で優毅を見た。
 恨みのある相手を、自らを危険に晒してまで助ける意味があるのか?
 藤十郎はそう言いたいのだ。
「しつこいぞ。それに恨みがあるのは彩羽さんのはずだ。でもその彩羽さんが助けてあげてと言ったんだ。そうしたら、助けるしかない」
 藤十郎は嘆息し、スーツの上着を脱いだ。
 それから、車の座席を上げると、風呂敷包を取り出した。
 中には黒い衣装が入っている。
「夜陰に乗じて助けにゆくぞ」
「おう」
 藤十郎に衣装を渡され、優毅は忍び装束に袖を通した。
「けど、なんでこんなもの持ってるんだよ? 随分準備がよくないか? 覆面まであるし」「おまえの親父さんの車だ。学生の時に使っていたものらしい。俺が東京に出る時、くれたんだよ」
「こんなボロをか?」
 優毅の言葉に藤十郎は苦笑する。
「おまえは価値をわかってないな。ボロでも、師匠が大事にしていた車なんだぞ。それをぼくにくれるということに意味があるんだよ」
「へー」
 いまいちわからずにいる優毅を、藤十郎が急かす。
「相手は何をしてくるか分からない。何人いるかも、何を持っているかも分からない。油断するなよ」
「わかってるよ」
怖くないわけはなかった。だが、不思議とそうして忍び装束に着替えると、勇気が湧いてくる気がするのだ。
 芽生も行きたがったが、それは藤十郎が断じて許さなかった。
 万が一の時に備えてくれと言って、芽生はようやく引き下がった。
「気をつけてね、お兄ちゃん、優毅」
 優毅たちは頷き、廃墟となった倉庫へと向かった。
 
 

3 隠賀流忍家カトゥーマン、参上。って、実はちょっと言ってみたかったんですよね。
 
 工場後なのか、建物の前には砂が盛られている。トタンの壁は所々剥がれ落ちていた。
 覆面で顔を覆い、忍び装束に身を包んだ優毅たちは打ち合わせ、藤十郎は一人裏手に向かった。
 窓から中を覗き見ると、塗料の禿げた鉄骨が剥き出しとなった柱が等間隔に立っている。
 そのだだっ広いフロアの中央に姫奈が目隠しされ、椅子に縛り付けられていた。
 それを取り囲むようにして、男が数人、恐らく四人、立っていた。
 いずれもスーツで、一人がどこかに電話を掛けている。
 五億という数字が聞こえたところを見ると、身代金の要求だろうか。
 薄暗くて男たちの顔はよく見えない。
 優毅は窓から中に入れないだろうかと触ってみたが、はめ込み式になっているため開閉ができない。
 他に入れる場所はないか? と、辺りを見回すと、入口に体格の良いダークスーツの男が一人見張りについていた。
 入口は固く閉ざされているが、他に入れそうなところはない。
 もとより正面から優毅が囮となって忍び込む手筈となっていた。
 覚悟を決めるしかない。
 優毅は深呼吸すると、九字の印を結んだ。
しくじったら自分も姫奈も殺される。そう思うと、肋骨の内側でバクバク言っている心臓の音は止まらない。だが、頭は冷静だ。
摩利支天を口の中で唱えながら、手近の石を掴む。
 やるしかない――。
 優毅は、自分がいるのとは反対の方の草むらに、石を投げた。
 草木が揺れ、男がそちらに向かって腕を上げた。
 その手に握られているものを見て、優毅は息を呑んだ。
 銃じゃないか――。
 対して自分の持っている武器らしいものといえばボールペンくらいだ。
 忍び装束にもなにも暗器を仕込んでこなかった。
 しかし武器を探しに行っている暇はない。
 それに、そこにあるものを最大限に活用するのが忍者だ。
 優毅はもう一つ反対側へ石を投げた。
「誰だ!」
 見張りの者がライトをそちらに向け、その場を離れた。
 今だ!
 優毅は素早く、持ってあった砂を一掴みして内袋に入れつつ、倉庫の入り口へと向かった。
 幸い鍵はかかっていない。
 だが開けようとするとギシギシと音がする。中の様子も分からない。飛び込むのは危険だ。
「ニャー」
 猫の鳴き真似をすると男は納得したのか、持ち場に戻ってくる。物陰にしゃがみこんでいる優毅には気づいていない。
 男が間合いに入った瞬間、優毅は飛び上がって男の首根を打った。
 気を失い、頽れそうになる男を背から支えて、
「おい、入るぞ」
 と、野太い声をかけて堂々と扉を開けた。
 男を優毅の前に立たせて、背後からそっと中の様子を覗き見ると、男たちがこちらに注目している。
「なんだ。見張りはどうした」
 姫奈のそばにいた男の一人が言った。
 男がライトを手に近づいてくる。
 優毅は充分に男を引きつけておいてから、背負っていた男の身体を、近づいてきた男に向かって投げ飛ばし、砂を撒いて目眩しにして自分は脇へ飛び退いた。
「なんだなんだ!? 誰か入り込んだぞ!」
 優毅の影を男たちのライトが追う。銃声が鳴った。
 姫奈が悲鳴を上げる。
 優毅は背筋が凍るような思いがしたが、幸い弾は誰にも当たらなかった。
「ばか! 無闇に撃つんじゃねえ!」
 敵の一人が怒鳴り、姫奈を人質に羽交い締めにしようと近づいた。
 だがそれよりも早く、闇の中からヌッと伸びてきた手が敵の男の首を捻り、投げ飛ばした。
 藤十郎だ。
 ゴキュっという物凄い音がしたが、まさか折れてやしまいか。
 だがそんな心配をしている暇はない。
 藤十郎は間をおかずに次の男を蹴り倒している。
 藤十郎が他の奴らを相手してくれているうちに、優毅は一気に姫奈に近づき目隠しを外し、縄を解いた。
 姫奈は覆面姿の優毅を見て目を瞠ったが、説明している暇はない。
「逃げるぞ」
 振り向くと、藤十郎が最後の一人の顎を下から蹴り上げているところだった。
 男が気絶して倒れるのを見てほっとするのも束の間――優毅たちの向かった出口に一人の男が立ちはだかった。
 男はライトを優毅に照らしてきた。
「なんだなんだ、しょんべんから戻ってきたら一体なんの騒ぎだ」
 その声に聞き覚えがある。優毅は眩しさに顔を覆いながら目の前の男を覗き見る。
「恵木――」
 恵木の手には銃が握られている。
「奥に戻れ。その女は大事な金蔓だ」
 恵木は銃で指示した。
 すると姫奈が優毅の陰に隠れて叫んだ。
「パパとは絶交したんだから。あたしのためにお金なんて出さないわ!」
「絶交? ああ」
 恵木はニヤリと笑う。
「おまえがユーチューバーアイドルだとようやくバレたのか」
「よくも白々しくそんなこと言えるわね! パパはYouTubeなんて見ないもの。あんたがバラしたんでしょ!」
「そうだ。仕事のメールのフリしておまえの動画を送りつけてやったよ」
「どうしてそんなことするのよ。あたしになんの恨みがあるの」
「よく言うよな。俺をクビにしたのはあんただろ」
「ち、違うわ」
「前に俺が殴ったあの客に俺を訴えさせたんだろ。金を渡して弁護士をつけて。俺がおまえにアイドルしていることを親父にバラすぞって脅したから」
「知らないわよ、そんなの!」
「しらばっくれんじゃねえ! 俺は俺を訴えた奴に会ってきたんだよ。六発殴ったら洗いざらい吐いた」
 姫奈の顔が青ざめている。
「う、うそ。そんなの弁護士が許さないはずでしょ」
 すると恵木は高笑いして言った。
「法律なんざ、守る奴だけにしか意味がねえものなんだよ」
「わ、悪かったわ。あたしがあなたを会社に戻してあげるから。そうだ。副社長にするよう、パパに言ってあげる。だから、ここから出して。あたしには大事な用事が」
「ふざけんな! 今更会社に興味なんてあるわけねえだろ。つくづく自分勝手なやろうだな。てめぇは自分のことしか考えてねえ。自分がアイドルを続けたいがために、俺の人生を奪ったんだ。てめえのわがままで俺は会社を追われたんだ! そもそも最初から嫌いだったんだてめえのことは。苦労もなく会社に入って、社長の娘だからって仕事もできねぇくせに偉そうに指図しやがって。なんもしねえくせに高い給料も役員報酬ももらいやがって。好き放題やりやがって、舐めてんじゃねえよ!」
「なによ! あんたに何が分かるのよ! 私はあんな会社どうでもいい。アイドルになりたかったのに、許してもらえない。その気持ちがあんたに分かるの!?」
「金持ちの道楽なんて分かるか! 奥に戻れ!」
「いやよ!」
 姫奈が啖呵を切る。
 意外といい度胸をしている。
 いや、頼むからここは言うことを聞いてくれ。優毅は心の中でそう願ったが、姫奈は動こうとしない。もうヤケになっているのだろう。だがそのヤケに巻き込まれるわけにはいかない。
「おい、姫奈下がれ」
 優毅が言うも、姫奈は聞く耳を持たなかった。
「なによ。撃ちたいなら撃てばいいでしょう。どうせこんな意気地なしにはできないわよ!」
 何故挑発する――。
 もう姫奈の発言だけで優毅の頭は真っ白になった。
 人には魔が差すということがあるのだ。優毅が焦った、その時。
 ダンッ。
 その音と共に、すべてのことが同時に起こった。
 恵木の持っている銃口から煙が上がり、優毅は姫奈もろとも突き飛ばされていた。
 硝煙の臭いと、血の臭い。
「くっ」
 呻き声が聞こえて、振り返ると藤十郎が床に倒れていた。
 押さえた肩からはおびただしい量の血が溢れている。
 一瞬、何が起きたかわからず呆然とした。
 ――まさか。
 撃たれたのか――。
「藤十郎」
 優毅が駆け寄ろうとするのを制して、藤十郎が叫んだ。
「下がれ!」
 銃は本物だ。
 銃弾を避けることなんて、孫悟空でもないし出来るわけがない。
 藤十郎はゆっくり起き上がりながら言った。
「下がれ、優毅」
 だが、藤十郎の意図に、優毅は気づいた。
 藤十郎に言われた通り少し下がると、視界が変わった。
 恵木のことがよく視える――。
 恵木はニヤリと笑って言った。
「それでいい。しかしてめえ誰かと思ったらあのバイトか。その格好。コスプレか」
「コスプレだと」
 カチン。
 と、優毅の中で何かの音がした。
 ただでさえ藤十郎が撃たれて気が立っているところへ、一番嫌いな言葉。
 優毅はコスプレと言われるのが昔から一番嫌いなのだ。
「この忍び装束は戦国の世より代々続いてきた蘇芳染め。その辺の忍者マニアの着ている化繊のものと一緒にするな」
「なぁにがすおうぞめだ。知るかそんなの。ただの忍者ごっこだろうが」
「ごっこ……」
 恵木の言葉に、優毅の中で何かが完全に切れた。
「俺はごっことか、コスプレとか言われるのが一番嫌いなんだ」
 人はこの格好を見て笑う。
 だが――人は知らない。
 優毅が令和の時代にはありえないような、文字通り血の滲む修行を積んできたことを。呼吸を詰める修行に、高いところから飛び降り、頭を木刀で打たれ、気を失ったことは数えきれない。猛犬に襲われ、火に巻かれ、水に溺れて死にかけたこともある。夜中の修行のせいで昼間は眠いし友だちも出来ない。何のためにそんな辛い修行をしているのか分からなかった。辞めたいと思うことも何度もあった。でも、結局辞めないで来たのは……忍家であるということが、優毅にとっての誇りだからだ。
「コスプレはコスプレだろうが。そんな格好したところで、クズはクズだ」
「これが、ただのコスプレじゃないこと思い知らせてやる」
 優毅は姫奈を藤十郎の方へ突き飛ばした。
 優毅の行動を読んでいた藤十郎はすかさず姫奈を抱えて遠くに離れた。
 恵木が銃を構える。
 銃のことは良く知らない。だが銃弾が銃口から飛び出してくることくらいは知っている。
 恵木が引き金を引いた。銃声が鳴る。だが、優毅はその時すでに銃口の前から消えていた。
 横合いから投げ打ったボールペンが、恵木の銃を持つ手に貫通した。
「ぎゃっ」
 恵木が銃を落とす。
現代人知の及ばぬ脚力で一気に跳び上がり、恵木の背後に着地すると、恵木の首根を打って気絶させた。
「隠賀流忍家カトゥーマン、参上」
 と、小声で言ってみた。
 かつての父の決め台詞だった。
 こうしてたまに正義の味方ぶるのも、悪くはない。のかもしれない。
「格好つけてる場合じゃない。逃げるぞ」
 藤十郎がさっさと姫奈の手を引いて出口を出て行く。
「あ、待て、置いてくなよ」
 優毅も我に返り、藤十郎たちの後を追った。
 
 
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