三界の棲家

九影歌介

文字の大きさ
上 下
15 / 15

14

しおりを挟む
それからまた、二か月が過ぎた。



 あの少年のお母さんはやはり、亡くなってしまったらしい。
 彩はそれをあの少年本人からきいた。
 あの日から少年は、まなぶと共に毎日祠にお祈りにくるようになったのだ。その願いは、

お狐様が元気になれますように。

 というものだった。それから、「ありがとう」と必ず云ってゆく。
 それは母を亡くした日も同じだった。
 そしてその日からは、少年は母と兄と三人で祠に通うようになっていた。
 他にも、どこから聞きつけたのか、同じように紅の元気を祈って、お礼を述べるためだ
けにお参りに来るものが増えていた。
 その声は確実に紅に届いてはいるだろう。だが紅は相変わらず呑まず食わずで御神木の
前で丸まっているだけだった。
 だが時折願いが耳に入れば、のっそりと起き上って仕事には行く。
 それだけでも進歩なのかもしれない。
「紅。また作ってみたよ、ブリかつ丼」
 彩は半可と共に作ったブリかつ丼を紅の顔の前に置いた。
 紅はみじろぎもしない。かと思ったが、むくっと顔をあげて、彩を睨んだ。
「あのな、前から言おうと思ってたが」
「え」
「これはイナダだ」
「は?」
「これじゃあ、イナダかつ丼だろうが」
「なに、イナダって」
「おまえ、イナダも知らないのか。ブリは出世魚なんだよ。幼魚から順にワカシ・イナダ・
ワラサ・ブリと変わるんだ。私は脂ののったブリを油で揚げたブリかつ丼が好きなんだ」
「なにそれ。結局ブリなんでしょ?」
「ちがう。イナダはイナダ、ブリはブリだ」
「意味わかんない。どっちでもいいじゃん!」
「よくないって云ってるだろうが!」
「だったら食べなくていいから」
 彩が丼をさげようとすると、それより早く紅が丼に顔をつっこんであっという間に平ら
げてしまった。
「なによ。結局食べるんじゃン」
「だれが喰わんと云った。ごちそうさま」
 彩がまた文句を云おうとしたときだった。半可が随分焦ったようすで飛び込んできたか
と思うと、こう云ったのだ。
「芽が出たですれ!」
 紅は一瞬目を見開き、次にはもう畑へ駆けこんでいた。
 急いで後を追って行ってみると、確かに畑から青い芽がいくつも顔をのぞかせている。
 紅は人の姿となってへたりこみ、涙を流していた。
 胸には愛おしそうに金色の玉を抱いている。
 一度灰色の石となった半助の魂がまた金色に輝き出したのだ。
 そして、紅は半助の胸の中に抱かれていた。幸せそうな顔をしていた。
「側にいるよ。ずっとね」
 半助はその言葉を言い残して、光が光の中で薄れるように消えていく。
 紅は引きとめなかった。
 胸にあてていた手で、涙をぬぐう。そして、彩を振り返った。
「彩。ありがとう」
 
 




狐の嫁入りは七日七晩晴れた空に雨が降る。
山神様と海神様の祝福で、正式に婚姻が認められれば雨は止んで空が輝き、その年は作
物が良く育つのだと云う。
 そうして万物の神に認められた嫁は妖狐に転身し、長い寿命を得てのためにその命を尽くすのだそうだ。


 





 果たして、婿入りの場合はどうなのか――。
 もう無いはずの半助の寿命を与えられた彩の子も紅の子も、長生きするような予感がしていた。






しおりを挟む

この作品の感想を投稿する


処理中です...