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第八章:雑兵だけで勝つ方法
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週末の朝。
アカデミアの学生寮は、いつもより静かだった。訓練に励む者、街へ遊びに出る者、部屋で休む者、それぞれが自由に過ごしている。
ヴァンは鞄を肩にかけ、部屋の扉を開けた。
「どこ行くんだ、兄貴?」
ローランがベッドの上から声をかけてくる。まだ寝巻き姿だ。
「今日は休みだぞ」
「家に帰る」
ヴァンは鞄の中身を確認しながら答えた。
「親父――院長のところに、食事に呼ばれてる」
「え、マジで?」
ローランは身を起こした。
「大丈夫なのか? あのエレナ、完全にお前のこと敵視してるぞ」
「約束したからな」
ヴァンは肩をすくめた。
「それに、断る理由もない」
「……まぁ、お前がそう言うなら」
ローランは再びベッドに倒れ込んだ。
「気をつけろよ。料理に毒が入ってるかもしれないぞ」
「縁起でもないこと言うな」
ヴァンは笑いながら部屋を出た。
廊下を歩き、階段を降りる。寮の玄関を抜けると、外には、シンカクが立っていた。
相変わらずの白い抑制面具。相変わらずの無表情。
「よう」
ヴァンは手を上げた。
「待ってたのか?」
「はい」
シンカクは短く答えた。
「一緒に行きます」
「……そうか」
ヴァンは少し考えた。
「お前も来るか? 別に、辺境で俺の世話してた女中ってことにすれば」
「行かない」
即答。
ヴァンは眉を上げた。
「なんでだよ。せっかくだから」
「途中まで送ります」
シンカクは淡々と言った。
「安全確保のため」
「……途中まで?」
「そう。着いたら、俺は別のことする」
「別のことって?」
「調査」
シンカクは少し間を置いた。
「フィロメラのこと。帝都には……何か、知ってる場所がある気がする」
ヴァンは思わず立ち止まった。
「知ってる場所? ……記憶、戻ったのか?」
「いいえ」
シンカクは首を振った。
「戻っていません。でも、歩いていると、何となく分かります。ここ、前に来たことがあるって」
「……」
「だから、調べます」
シンカクはヴァンを見た。面具の下の表情は見えないが、その声には、わずかな感情が込められていた。
「記憶を取り戻したいです」
ヴァンは黙って頷いた。
「……わかった。無理すんなよ」
「はい」
二人は並んで歩き始めた。帝都の朝。石畳の道に、朝日が差し込んでいる。
◇
帝都の貴族街。整然と並ぶ屋敷。その一つが、ヴァレリアン家の邸宅だった。
高い塀。立派な門。広大な敷地。さすがは帝国軍の重鎮、ベルンハルト将軍の屋敷だけはある。
「ここか……」
ヴァンは門の前で立ち止まった。
「思ったより、でかいな」
「そう」
シンカクは無表情に答えた。
「じゃあ、ここまで」
「おい、待て――」
振り返った時には、もうシンカクの姿はなかった。まるで最初からいなかったかのように、消えていた。
「……相変わらず早ぇな」
ヴァンは苦笑した。
門には、門番が二人立っていた。ヴァンが近づくと、彼らは槍を交差させた。
「何用だ」
「ヴァン・フォン・ヴァレリアンだ」
ヴァンは答えた。
「院長に招待されてる」
門番たちは顔を見合わせた。そして、一人が邸内へ走っていく。しばらく待たされた後、門が開いた。
「……どうぞ」
中に入ると、そこは広大な庭園だった。
手入れされた芝生。色とりどりの花壇。噴水。そして、奥には、巨大な屋敷。
だが、出迎えに来たのは執事でも侍女頭でもなく、一人の幼い女中だった。十代前半くらいだろうか。おどおどとした様子で、深々と頭を下げた。
「あ、あの……ヴァン様、で、よろしいでしょうか……」
「ああ、そうだ」
「お、お待ちしておりました……こちらへ、どうぞ……」
少女は震える声で言った。周囲を見ると、他にも何人かの使用人がいたが、全員が遠巻きに見ているだけだ。誰も近づいてこない。誰も話しかけてこない。
(……ああ、そういうことか)
ヴァンは内心で苦笑した。
(歓迎されてないわけだ)
庭園を歩きながら、少女は小さな声で話し始めた。
「あの……ヴァン様、一つ、お伝えしておきたいことが……」
「何だ?」
「奥様と、エレナお嬢様は……その……」
少女は言葉を選びながら続けた。
「あまり、ヴァン様のことを……歓迎していらっしゃらないようで……」
「……ああ、そうだろうな」
「それで、私たち使用人も……その……関わると、巻き添えを食うかもしれないと……」
「だから、誰も近づいてこないわけか」
「申し訳ございません……」
少女は再び頭を下げた。
「でも、私、新人なので……押し付けられて……」
ヴァンは笑った。
「いいよ、気にすんな。お前のせいじゃない」
ヴァンは肩をすくめた。
自分は大元帥の私生児。
ベルンハルト将軍にとっては、上司の不始末を押し付けられた形だ。
家族や使用人からすれば、いい迷惑だろう。
屋敷の玄関前。
そこに、腕組みをした銀髪の少女が立っていた。
エレナは腕を組み、冷たい目でヴァンを見下ろしていた。
「……来ましたのね」
「よう」
ヴァンは手を上げた。
「呼ばれたから来たぞ」
「そうですか」
エレナは少女に視線を向けた。
「下がりなさい」
「は、はい!」
少女は慌てて頭を下げ、走り去った。
二人きりになった。沈黙が流れる。エレナは一切表情を変えず、ヴァンを見つめていた。
「……で?」
ヴァンは口を開いた。
「中に入れてくれないのか?」
「その前に」
エレナは冷たく言った。
「戦棋、持ってきましたの?」
「……は?」
「戦棋です」
エレナは繰り返した。
「約束したでしょう。新しいルールで対局すると」
「いや、持ってきたけどさ」
ヴァンは鞄を叩いた。
「まず飯食わせてくれよ。腹減ってるんだ」
「お食事は後です」
「後?」
「ええ」
エレナは踵を返した。
「家族でなければ、一緒に食事はできませんわ」
「……」
「まずは勝負です。もしあなたが勝ったなら、その時は、『家族』として迎えて差し上げます」
エレナは振り返り、冷たく微笑んだ。
「ですが、負けたなら、二度とこの家に足を踏み入れないでくださいまし」
ヴァンは深くため息をついた。
「……お前、本当に容赦ないな」
「当然です」
「わかったよ」
ヴァンは肩をすくめた。
「じゃあ、やろうか」
◇
庭園の奥。白い石造りの東屋。
そこに、戦棋盤が置かれていた。エレナは既に席に座り、ヴァンを待っていた。
ヴァンは鞄から、いくつかの小さな箱を取り出した。
「これは?」
エレナが眉を上げた。
「拡張パックだ」
ヴァンは箱を開けた。
「新しいルールと、新しい駒」
箱の中には、見慣れない形の駒。そして、小さなトークン。様々な色。様々な形。
ヴァンはチップを盤面に広げた。
「今回追加するのは『補給線』だ」
「補給線……?」
エレナが不審げにチップを拾う。
「そうだ。強い駒には、飯代がかかる」
ヴァンは説明を始めた。
維持費:
Sランク:毎ターン 資源3 を消費。
Aランク:毎ターン 資源1 を消費。
Bランク以下雑兵:維持費ゼロ。
資源獲得:
盤上の『補給拠点』を占領すると、毎ターン資源が得られる。
状態異常:
『補給不足』:『挟撃』状態とみなす。
『断糧』:『包囲』状態とみなす。
エレナは盤面を見つめた。しばらく考え込んだ後。
「……なるほど。つまり、ただ強い駒を前に出すだけではなく、資源管理も重要になるわけですわね」
「その通り」
ヴァンは笑った。
「で、もう一つ」
「で、ハンデだ。俺は『Sランクなし、Aランクなし』で始める」
「は?」
エレナが目を見開いた。
「正気ですの? 私の手元にはSもAもありますわよ?」
「構わん。その代わり、俺は雑兵を倍の数配置する」
ヴァンは盤面に、大量のEランク駒を並べた。
「数だけの烏合の衆……舐められたものですわね」
エレナは扇子を開いた。
「いいでしょう。その慢心、後悔させて差し上げますわ!」
◇
対局が始まった。
序盤は、エレナの独壇場だった。
彼女のSランク駒は無敵の強さを誇り、ヴァンの雑兵たちを次々と薙ぎ払っていく。
「ふふっ! 脆い! 脆すぎますわ!」
エレナは快進撃を続けた。
だが――数ターン後。
彼女の表情が曇り始めた。
「……あれ?」
手元の資源チップが、急速に減っている。
Sランクの維持費は『3』。
毎ターン、莫大な資源が溶けていく。
エレナは資源を確保しようとするが、ヴァンの雑兵たちは邪魔をする。
ヴァンは正面から戦わず、ゴキブリのように散開し、盤上の『補給拠点』を次々と占領していたのだ。
「くっ……! ちょこまかと!」
エレナはSランクを動かして拠点を奪い返そうとする。
だが、Sランクは一度に一マスしか制圧できない。
その間に、ヴァンの雑兵たちは別の拠点を二つ制圧する。
「資源が……足りない……!」
ジリ貧だ。
このままではSランクが『兵糧切れ』状態になり、雑兵に食い殺される。
エレナは決断した。
本陣を守っていたAランクの防衛部隊を前に出し、強引に資源拠点を奪いに行く作戦に出たのだ。
「背に腹は代えられませんわ! 全軍、突撃!」
彼女の軍勢が前進する。
資源拠点を奪取し、なんとか維持費を確保した。
「ふぅ……これで持ち直しましたわ」
エレナが安堵した、その時。
ヴァンが小さく笑った。
「……空っぽだぜ、お姫様」
「え?」
ヴァンが指を弾く。
盤の端に隠れていたCランクの騎兵が、一気に敵陣深部へ走り込んだ。
エレナの本陣。
そこにはもう、守る駒はいなかった。
維持費のために、全軍を出払わせてしまったからだ。
カチャ。
ヴァンの薄汚い騎兵が、エレナの玉座を蹴り飛ばした。
「……チェックメイトだ」
◇
沈黙。
庭園には、風の音だけが響いていた。
エレナは呆然と盤面を見つめていた。
最強のSランクを持っていた自分が、雑兵だけの相手に負けた。
それも、「餓死」寸前まで追い詰められた末に、本陣を落とされて。
「……負け、ましたわ」
絞り出すような声だった。
屈辱で肩が震えている。
ヴァンは立ち上がり、伸びをした。
「楽しかったか?」
「……は?」
エレナが顔を上げる。
ヴァンは笑っていた。
嘲笑ではない。
純粋な、遊戯を終えた後の笑顔だ。
「このルール、どうだった?」
「……悔しいですが、奥が深かったですわ」
エレナは素直に認めた。
「単なる武力だけでなく、兵站の管理……それがこれほど戦況を左右するとは」
「だろ? またやろうぜ」
ヴァンは鞄を肩にかけた。
「さて、飯だ飯。腹減って死にそうだ」
「……え?」
エレナは瞬きした。
「あ、あの……賭けは? 私に『お兄様』と呼ばせるのでは……?」
「ああ、それな」
ヴァンは振り返り、手をひらひらと振った。
「今日はいいや。無理やり言わせて、飯が不味くなったら最悪だろ?」
「……」
「ただ普通に、飯を食わせてくれ。それだけでいい」
そう言って、ヴァンは屋敷の方へ歩いていった。
取り残されたエレナは、一人、盤面を見つめていた。
自分のSランク駒。
強大だが、燃費が悪く、最後は身動きが取れなくなった獅子。
そして、ヴァンの雑兵たち。
弱いが、補給線を確保し、しぶとく生き残り、最後は勝利をもぎ取った群狼。
ふと、エレナの脳裏に、ある光景が蘇った。
幼い頃に聞いた、父・ベルンハルトの武勇伝。
【断罪谷の奇跡】
『あの日、大元帥閣下は数万の魔族に包囲され、絶体絶命だった』
『名門出身の将軍たちは、地図を見て逃げ道を探すばかり』
『だが、父上は違った』
当時、ただの『輸送兵』だった父は、地図を叩き割って怒鳴ったという。
「飯が食いたきゃ俺についてこい!」
父は炊事班と輸送部隊を率いて、包囲網の「補給の薄い箇所」を一点突破し、大元帥を救出した。
(……そうか)
エレナは戦棋盤に手を触れた。
(私は、父上のことを何もわかっていなかった)
父は「武」の人ではない。
「理」の人だったのだ。
そして、この目の前の盤面には、父の戦いそのものが再現されていた。
(……あの人は、それを知っていたの?)
エレナは屋敷の方を見た。
ヴァンの背中はもう見えない。
「……野良犬なんて言って、申し訳ありませんでした」
誰にも聞こえない声で、彼女は呟いた。
それから、エレナは立ち上がり、屋敷へと歩き出した。
【第八章・終】
アカデミアの学生寮は、いつもより静かだった。訓練に励む者、街へ遊びに出る者、部屋で休む者、それぞれが自由に過ごしている。
ヴァンは鞄を肩にかけ、部屋の扉を開けた。
「どこ行くんだ、兄貴?」
ローランがベッドの上から声をかけてくる。まだ寝巻き姿だ。
「今日は休みだぞ」
「家に帰る」
ヴァンは鞄の中身を確認しながら答えた。
「親父――院長のところに、食事に呼ばれてる」
「え、マジで?」
ローランは身を起こした。
「大丈夫なのか? あのエレナ、完全にお前のこと敵視してるぞ」
「約束したからな」
ヴァンは肩をすくめた。
「それに、断る理由もない」
「……まぁ、お前がそう言うなら」
ローランは再びベッドに倒れ込んだ。
「気をつけろよ。料理に毒が入ってるかもしれないぞ」
「縁起でもないこと言うな」
ヴァンは笑いながら部屋を出た。
廊下を歩き、階段を降りる。寮の玄関を抜けると、外には、シンカクが立っていた。
相変わらずの白い抑制面具。相変わらずの無表情。
「よう」
ヴァンは手を上げた。
「待ってたのか?」
「はい」
シンカクは短く答えた。
「一緒に行きます」
「……そうか」
ヴァンは少し考えた。
「お前も来るか? 別に、辺境で俺の世話してた女中ってことにすれば」
「行かない」
即答。
ヴァンは眉を上げた。
「なんでだよ。せっかくだから」
「途中まで送ります」
シンカクは淡々と言った。
「安全確保のため」
「……途中まで?」
「そう。着いたら、俺は別のことする」
「別のことって?」
「調査」
シンカクは少し間を置いた。
「フィロメラのこと。帝都には……何か、知ってる場所がある気がする」
ヴァンは思わず立ち止まった。
「知ってる場所? ……記憶、戻ったのか?」
「いいえ」
シンカクは首を振った。
「戻っていません。でも、歩いていると、何となく分かります。ここ、前に来たことがあるって」
「……」
「だから、調べます」
シンカクはヴァンを見た。面具の下の表情は見えないが、その声には、わずかな感情が込められていた。
「記憶を取り戻したいです」
ヴァンは黙って頷いた。
「……わかった。無理すんなよ」
「はい」
二人は並んで歩き始めた。帝都の朝。石畳の道に、朝日が差し込んでいる。
◇
帝都の貴族街。整然と並ぶ屋敷。その一つが、ヴァレリアン家の邸宅だった。
高い塀。立派な門。広大な敷地。さすがは帝国軍の重鎮、ベルンハルト将軍の屋敷だけはある。
「ここか……」
ヴァンは門の前で立ち止まった。
「思ったより、でかいな」
「そう」
シンカクは無表情に答えた。
「じゃあ、ここまで」
「おい、待て――」
振り返った時には、もうシンカクの姿はなかった。まるで最初からいなかったかのように、消えていた。
「……相変わらず早ぇな」
ヴァンは苦笑した。
門には、門番が二人立っていた。ヴァンが近づくと、彼らは槍を交差させた。
「何用だ」
「ヴァン・フォン・ヴァレリアンだ」
ヴァンは答えた。
「院長に招待されてる」
門番たちは顔を見合わせた。そして、一人が邸内へ走っていく。しばらく待たされた後、門が開いた。
「……どうぞ」
中に入ると、そこは広大な庭園だった。
手入れされた芝生。色とりどりの花壇。噴水。そして、奥には、巨大な屋敷。
だが、出迎えに来たのは執事でも侍女頭でもなく、一人の幼い女中だった。十代前半くらいだろうか。おどおどとした様子で、深々と頭を下げた。
「あ、あの……ヴァン様、で、よろしいでしょうか……」
「ああ、そうだ」
「お、お待ちしておりました……こちらへ、どうぞ……」
少女は震える声で言った。周囲を見ると、他にも何人かの使用人がいたが、全員が遠巻きに見ているだけだ。誰も近づいてこない。誰も話しかけてこない。
(……ああ、そういうことか)
ヴァンは内心で苦笑した。
(歓迎されてないわけだ)
庭園を歩きながら、少女は小さな声で話し始めた。
「あの……ヴァン様、一つ、お伝えしておきたいことが……」
「何だ?」
「奥様と、エレナお嬢様は……その……」
少女は言葉を選びながら続けた。
「あまり、ヴァン様のことを……歓迎していらっしゃらないようで……」
「……ああ、そうだろうな」
「それで、私たち使用人も……その……関わると、巻き添えを食うかもしれないと……」
「だから、誰も近づいてこないわけか」
「申し訳ございません……」
少女は再び頭を下げた。
「でも、私、新人なので……押し付けられて……」
ヴァンは笑った。
「いいよ、気にすんな。お前のせいじゃない」
ヴァンは肩をすくめた。
自分は大元帥の私生児。
ベルンハルト将軍にとっては、上司の不始末を押し付けられた形だ。
家族や使用人からすれば、いい迷惑だろう。
屋敷の玄関前。
そこに、腕組みをした銀髪の少女が立っていた。
エレナは腕を組み、冷たい目でヴァンを見下ろしていた。
「……来ましたのね」
「よう」
ヴァンは手を上げた。
「呼ばれたから来たぞ」
「そうですか」
エレナは少女に視線を向けた。
「下がりなさい」
「は、はい!」
少女は慌てて頭を下げ、走り去った。
二人きりになった。沈黙が流れる。エレナは一切表情を変えず、ヴァンを見つめていた。
「……で?」
ヴァンは口を開いた。
「中に入れてくれないのか?」
「その前に」
エレナは冷たく言った。
「戦棋、持ってきましたの?」
「……は?」
「戦棋です」
エレナは繰り返した。
「約束したでしょう。新しいルールで対局すると」
「いや、持ってきたけどさ」
ヴァンは鞄を叩いた。
「まず飯食わせてくれよ。腹減ってるんだ」
「お食事は後です」
「後?」
「ええ」
エレナは踵を返した。
「家族でなければ、一緒に食事はできませんわ」
「……」
「まずは勝負です。もしあなたが勝ったなら、その時は、『家族』として迎えて差し上げます」
エレナは振り返り、冷たく微笑んだ。
「ですが、負けたなら、二度とこの家に足を踏み入れないでくださいまし」
ヴァンは深くため息をついた。
「……お前、本当に容赦ないな」
「当然です」
「わかったよ」
ヴァンは肩をすくめた。
「じゃあ、やろうか」
◇
庭園の奥。白い石造りの東屋。
そこに、戦棋盤が置かれていた。エレナは既に席に座り、ヴァンを待っていた。
ヴァンは鞄から、いくつかの小さな箱を取り出した。
「これは?」
エレナが眉を上げた。
「拡張パックだ」
ヴァンは箱を開けた。
「新しいルールと、新しい駒」
箱の中には、見慣れない形の駒。そして、小さなトークン。様々な色。様々な形。
ヴァンはチップを盤面に広げた。
「今回追加するのは『補給線』だ」
「補給線……?」
エレナが不審げにチップを拾う。
「そうだ。強い駒には、飯代がかかる」
ヴァンは説明を始めた。
維持費:
Sランク:毎ターン 資源3 を消費。
Aランク:毎ターン 資源1 を消費。
Bランク以下雑兵:維持費ゼロ。
資源獲得:
盤上の『補給拠点』を占領すると、毎ターン資源が得られる。
状態異常:
『補給不足』:『挟撃』状態とみなす。
『断糧』:『包囲』状態とみなす。
エレナは盤面を見つめた。しばらく考え込んだ後。
「……なるほど。つまり、ただ強い駒を前に出すだけではなく、資源管理も重要になるわけですわね」
「その通り」
ヴァンは笑った。
「で、もう一つ」
「で、ハンデだ。俺は『Sランクなし、Aランクなし』で始める」
「は?」
エレナが目を見開いた。
「正気ですの? 私の手元にはSもAもありますわよ?」
「構わん。その代わり、俺は雑兵を倍の数配置する」
ヴァンは盤面に、大量のEランク駒を並べた。
「数だけの烏合の衆……舐められたものですわね」
エレナは扇子を開いた。
「いいでしょう。その慢心、後悔させて差し上げますわ!」
◇
対局が始まった。
序盤は、エレナの独壇場だった。
彼女のSランク駒は無敵の強さを誇り、ヴァンの雑兵たちを次々と薙ぎ払っていく。
「ふふっ! 脆い! 脆すぎますわ!」
エレナは快進撃を続けた。
だが――数ターン後。
彼女の表情が曇り始めた。
「……あれ?」
手元の資源チップが、急速に減っている。
Sランクの維持費は『3』。
毎ターン、莫大な資源が溶けていく。
エレナは資源を確保しようとするが、ヴァンの雑兵たちは邪魔をする。
ヴァンは正面から戦わず、ゴキブリのように散開し、盤上の『補給拠点』を次々と占領していたのだ。
「くっ……! ちょこまかと!」
エレナはSランクを動かして拠点を奪い返そうとする。
だが、Sランクは一度に一マスしか制圧できない。
その間に、ヴァンの雑兵たちは別の拠点を二つ制圧する。
「資源が……足りない……!」
ジリ貧だ。
このままではSランクが『兵糧切れ』状態になり、雑兵に食い殺される。
エレナは決断した。
本陣を守っていたAランクの防衛部隊を前に出し、強引に資源拠点を奪いに行く作戦に出たのだ。
「背に腹は代えられませんわ! 全軍、突撃!」
彼女の軍勢が前進する。
資源拠点を奪取し、なんとか維持費を確保した。
「ふぅ……これで持ち直しましたわ」
エレナが安堵した、その時。
ヴァンが小さく笑った。
「……空っぽだぜ、お姫様」
「え?」
ヴァンが指を弾く。
盤の端に隠れていたCランクの騎兵が、一気に敵陣深部へ走り込んだ。
エレナの本陣。
そこにはもう、守る駒はいなかった。
維持費のために、全軍を出払わせてしまったからだ。
カチャ。
ヴァンの薄汚い騎兵が、エレナの玉座を蹴り飛ばした。
「……チェックメイトだ」
◇
沈黙。
庭園には、風の音だけが響いていた。
エレナは呆然と盤面を見つめていた。
最強のSランクを持っていた自分が、雑兵だけの相手に負けた。
それも、「餓死」寸前まで追い詰められた末に、本陣を落とされて。
「……負け、ましたわ」
絞り出すような声だった。
屈辱で肩が震えている。
ヴァンは立ち上がり、伸びをした。
「楽しかったか?」
「……は?」
エレナが顔を上げる。
ヴァンは笑っていた。
嘲笑ではない。
純粋な、遊戯を終えた後の笑顔だ。
「このルール、どうだった?」
「……悔しいですが、奥が深かったですわ」
エレナは素直に認めた。
「単なる武力だけでなく、兵站の管理……それがこれほど戦況を左右するとは」
「だろ? またやろうぜ」
ヴァンは鞄を肩にかけた。
「さて、飯だ飯。腹減って死にそうだ」
「……え?」
エレナは瞬きした。
「あ、あの……賭けは? 私に『お兄様』と呼ばせるのでは……?」
「ああ、それな」
ヴァンは振り返り、手をひらひらと振った。
「今日はいいや。無理やり言わせて、飯が不味くなったら最悪だろ?」
「……」
「ただ普通に、飯を食わせてくれ。それだけでいい」
そう言って、ヴァンは屋敷の方へ歩いていった。
取り残されたエレナは、一人、盤面を見つめていた。
自分のSランク駒。
強大だが、燃費が悪く、最後は身動きが取れなくなった獅子。
そして、ヴァンの雑兵たち。
弱いが、補給線を確保し、しぶとく生き残り、最後は勝利をもぎ取った群狼。
ふと、エレナの脳裏に、ある光景が蘇った。
幼い頃に聞いた、父・ベルンハルトの武勇伝。
【断罪谷の奇跡】
『あの日、大元帥閣下は数万の魔族に包囲され、絶体絶命だった』
『名門出身の将軍たちは、地図を見て逃げ道を探すばかり』
『だが、父上は違った』
当時、ただの『輸送兵』だった父は、地図を叩き割って怒鳴ったという。
「飯が食いたきゃ俺についてこい!」
父は炊事班と輸送部隊を率いて、包囲網の「補給の薄い箇所」を一点突破し、大元帥を救出した。
(……そうか)
エレナは戦棋盤に手を触れた。
(私は、父上のことを何もわかっていなかった)
父は「武」の人ではない。
「理」の人だったのだ。
そして、この目の前の盤面には、父の戦いそのものが再現されていた。
(……あの人は、それを知っていたの?)
エレナは屋敷の方を見た。
ヴァンの背中はもう見えない。
「……野良犬なんて言って、申し訳ありませんでした」
誰にも聞こえない声で、彼女は呟いた。
それから、エレナは立ち上がり、屋敷へと歩き出した。
【第八章・終】
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この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
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お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
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注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
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最低最悪の悪役令息に転生しましたが、神スキル構成を引き当てたので思うままに突き進みます! 〜何やら転生者の勇者から強いヘイトを買っている模様
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一方で、別の転生者の勇者であり、元エリートで地方自治体の首長でもあったアルフレッドは、
「なんでモブキャラの悪役令息があんなに強力なスキルを複数持ってるんだ! しかも俺が目指してる国王エンドを邪魔するような行動ばかり取りやがって!!」
悪役令息のグレイスに対して日々不満を高まらせていた。
なんか俺、勇者のアルフレッドからものすごいヘイト買ってる?
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