英雄将軍の隠し子は、軍学校で『普通』に暮らしたい。~でも前世の戦術知識がチートすぎて、気付けば帝国の影の支配者になっていました~

ヒミヤデリュージョン

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第二十五章:嘘つき文官、雇われる


学院に戻ったのは夕暮れ前だった。

ブルーノとディーターと合流し、三人でヴァレリアン邸まで歩いた。道中、護衛の二人はヴァンの単独行動について何も聞かなかったし、ヴァンも何も言わなかった。

夕食の空気は、いつも通りだった。
エレナが「兄さん、もっと召し上がって」と山盛りの肉と付け合わせをヴァンの皿に乗せてくる。ベルンハルトは黙々と食事を進めながら、たまに鋭い目線だけで「残さず食え」と圧をかけてきた。フリーダ夫人は「お代わりはいかが?」と静かに微笑んでいる。

昨夜、この老将軍と『政治婚姻』という生々しい話をしたばかりの食卓だというのに。
ヴァンは何事もなかったかのように、出された肉を平らげた。

 

食後、あてがわれた自室に戻る。
机の前の椅子に腰を下ろした。

窓の外はすでに完全な夜の闇に沈んでいる。
ワイルドの到着を待ちながら、ヴァンは頭の中の情報を整理し始めた。

アイリの素性ファイル。ルートヴィヒ事件の背後関係。そして、まだ底の見えないクラウス局長の思惑。

(……そういえば、シンカクは今頃どうしているだろうか)

昼間、『ビリィ救出済、帰還中』という謎の伝言は届いていた。アイリの妹の救出という、あの狼娘をこちら側に引き入れるための最大の『取引条件』はクリアしたはずだ。だが、あれからまだシンカクからの音沙汰がない。

まさか、またこの部屋の窓から突然飛び込んでくる、なんてことは――

カチャリ。
音もなく、窓が開いた。

ヴァンは振り返らなかった。

「……シンカクか」

「へへッ、残念でしたァ」

背後から聞こえたのは、シンカクの感情のない声ではなく、やたらとへりくだった男の粘り気のある声だった。
窓枠に足をかけ、器用に滑り込んできたのは、昼間軍情局で会ったばかりの文官だった。

くたびれた上着。少し丸みを帯びた体型。その脇には、羊皮紙の巻物が抱えられている。

ヴァンは深く溜め息をついた。

「……お前たちスパイは、正面からドアを叩くのがそんなに嫌いなのか。うちのアイリもよく窓から入ってくるが」

「そりゃァ、旦那ァ。正面から堂々と入ってくるスパイなんて、三流もいいところでさァ」

ワイルドは愛想笑いを浮かべながら、部屋に足を踏み入れた。

「お約束の品、お持ちしやした。どうぞご覧くだせェ」

恭しく巻物を差し出す。
ヴァンは立ち上がり、それを受け取った。

 

ワイルドは、ヴァンが巻物を開くのを見届けると、するりと部屋の隅の椅子に腰を下ろした。
彼の視線が、机の端に置かれた菓子皿にピタリと止まる。

そのまま、ワイルドの手がスッと伸びた。
クッキーを一つ口に入れ、もう一つをさりげなく内ポケットへ。

ワイルドは口を動かしながら、巻物を読むヴァンの背中を値踏みするように眺めていた。

 

ヴァンは無言で巻物に目を通した。
読み進めるほどに、ヴァンの眉間には深い皺が寄っていった。

そこに記載されている内容は、これでもかというほど物騒なものだった。

『対象:アイリ。ノストラ暗部所属。帝国内部における複数の要人暗殺疑惑。第一軍団防衛線への大規模な破壊工作記録。危険度評価:特S級』

(……なるほど)

ヴァンは顔を上げた。
ちょうどクッキーを咀嚼していたワイルドと、鏡越しに目が合った。

「偽物だな」

ワイルドが「ゲホッ」と咽せた。

「……な、なんで、そう言い切れやすんで?」

「論理が破綻している。俺が彼女と帝都へ入った時、各方面の反応がああにはならないはずだ。俺が連れ歩いていて、誰も本気で警戒しなかった。」

ヴァンは巻物を一度丸め、机の上に放り投げた。

「それに、ルートヴィヒの襲撃事件を思い出せ。あの時、治安局は『敵国の亜人を匿っている』という微罪を理由に俺をしょっ引こうとした。もしアイリが本当にこのファイルにあるような『特S級のノストラ暗殺者』なら、あんな回りくどい街のチンピラみたいな真似はしない。マルクスか大元帥が、直接第一軍団の魔導兵中隊を差し向けて、アイリごと俺を吹き飛ばしているはずだ」

わざわざ特高警察を使った偽証の小道具にする必要がない。
……後から意図的に作られたものだな。

(……誰が手を加えた? クラウス局長か、それとも目の前のこいつの単独の判断か)

ヴァンが沈黙していると、ワイルドが揉み手をしながら先に口を開いた。

「……旦那ァ、どうなさるおつもりで?」

「どういう意味だ」

「ノストラ出身の亜人を手元に置いておくのは、ベルンハルト閣下のご子息である旦那にとって、爆弾を抱えているようなものでさァ。今後の軍での出世にも、政治的な立場にも、致命的なリスクになりやす。『トカゲの尻尾切り』――早めに切り捨てるのが、上を目指す者の定石かと」

ヴァンは静かにワイルドを見た。

「……合理的に計算するなら、確かにそっちが正解だな」

部屋に数秒の空白が落ちた。

「だが、断る」

ワイルドは、ぽかんと目を瞬かせた。
「……理由を、お伺いしても?」

「アイリとは取引がある。妹を助け出し、俺の元で働くというな。それが一つ」
ヴァンは椅子の背に肘をかけ、冷たい目を向けた。

「もう一つは、単純な算数だ。自分の手駒一つ守れない人間に、誰がついてくる? 孤立した状態で戦争に勝てるほど、俺は傲慢じゃない」

それだけ言って、ヴァンはワイルドを真っ向から見据えた。

「俺が亜人を飼っているのが気に食わない奴らがいるなら、勝手に吠えさせておけ。そいつらに、俺を盤上から引きずり下ろす手札があるなら……やってみろと言え」

部屋の空気が、シン、と凍りついた。

「――盤面ごと、根こそぎへし折ってやる」

ワイルドはしばらくの間、呆けたようにヴァンを見つめていた。
それから、ふっと胡散臭い表情を崩し。
にぃっと、口の端を吊り上げて笑った。

「……旦那ァ。やっぱり良い方でありやすね」

「茶番は要らない」

「いえいえ、本心でさァ。あの手の脅しに乗って、すぐに手駒を切り捨てる三流の貴族は腐るほど見てきやしたからね」

ワイルドは上着の内側から、もう一本の、今度は少し古びた巻物を取り出した。

「実は、もう一つ用意しておきやして」

「……何だ、それは」

「旦那が『尻尾切り』を選ばれるような凡庸なお方だった場合に備えて、最初のは少し……盛った内容の偽物を渡したんでさァ。こちらが、正真正銘の本物の記録でありやす」

ヴァンはその巻物を受け取った。
紐を解き、開く。

今度の記録は、拍子抜けするほど薄っぺらいものだった。

『アイリ。ノストラ出身。亜人、狼族。ノストラ特務機関の末端工作員。戦歴は数件あるが、特筆すべき脅威はなし』

ただ一点、備考欄の記載でヴァンの目が止まった。

『――魔導回路への付加術式として、任務失敗時の「自爆回路」が埋め込まれている形跡あり』

(……ああ、これか)

ヴァンは内心で一人納得した。
帝都へ向かう道中、ヴァンは『高圧魔力』を強引に流し込んで、その自爆回路ごと物理的に焼き切って破壊していた。

ヴァンは本物の巻物をパタンと閉じた。

「なぜ二つ用意した。クラウスの指示か。それとも、俺の器を測るための自己判断か」

ワイルドは少しもじもじと身をよじらせた。
「……いやァ、実を言いますとね。あっしは無類の『ケモ耳好き』でありやしてェ。旦那がもし手放すなら、あっしが個人的に引き取って飼おうかなァと。それに、小さな妹さんもいるって言うじゃないですか。大きな耳と小さな耳、両方いっぺんにモフモフ撫で回せるなんて、男の浪漫でありやす――」

ヴァンの足が、音もなく跳ね上がった。
そして、正確無比な軌道でワイルドの尻を蹴り上げた。

「いッ……痛ァ!?」

「一言も本当のことを言わない男だな、お前は」

「い、いえ! 亜人好きは本当でありやしてェ――!」

「それすらも怪しいな」

ただ、言葉の裏の状況くらいは読めた。
軍情局が動いている。クラウス局長が、ヴァンという人間を天秤にかけている。そしてワイルドは、その末端でありながら、彼個人の裁量と興味でヴァンをテストした。

今は、それで十分だ。

ワイルドは尻をさすりながら立ち上がった。
「……いやァ、良い蹴りでありやした。持病の腰痛まで治った気がしやすよ」

「それは重畳」
ヴァンは本物の巻物を机の引き出しに収めた。

「お前、なぜ軍情局でしがない文官をやっている。これだけの動きと腹芸ができるなら、もっと上のポジションで使い道があるだろう」

「とんでもねェ。文官は安全でさァ。あっしには家族がおりやすから、無茶はできやせん」

「……今度から、たまに俺の仕事を手伝え」

ワイルドの動きが、一拍止まった。
「……それは、少々リスクが高うございやすねェ。特高警察や軍団長を敵に回すような方のお手伝いなんて」

「兼業でいい」

「いやァ、あっしの細腕には荷が重う――」

ドン、と。
ヴァンは無言で、机の上に革袋を置いた。

中で硬く冷たい金属同士が擦れ合う音が響く。ゴールド、ざっと五十枚は下らない重量感。

ワイルドの目が、ピタリと止まった。
視線が革袋に吸い込まれ、完全に接着される。

わずか一秒後。
ぴしりッ! と、ワイルドのくたびれた背筋が、大本営の近衛兵すら凌ぐほど真っ直ぐに伸びた。

「特別監察官閣下のご指示とあらば!! このワイルド、身命を賭して、粉骨砕身、地の果てまでも働き抜く所存でありやすッ!!」

「大げさだ。持って消えろ」

「へいッ!!」

革袋が、シンカクすら凌駕するかもしれない超高速の挙動で、ワイルドの上着の内側へ消えた。

 

窓から出ていく丸い背中を見送った。
音もなく、夜の闇の中へ溶けるように消えていく。

正面から入らず、正面から出ない。
そして、金に対する嗅覚だけは異常に鋭い。

(……徹底した食わせ物だな)

ヴァンは溜め息をつき、机に目を落とした。

菓子皿が、空になっていた。
クッキーの欠片一つ残っていない。
見事な仕事人の手つきで、全部ポケットに回収していったのだ。

「……つまみ食いどころか、全部『お持ち帰り』しやがったか」

誰もいない部屋で、ヴァンは呆れたように小声で呟いた。
机の上の蝋燭の炎が、夜風にゆらりと揺れた。




【第二十五章・終】
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