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第1章

運命、再び。

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 (一晩じっくり考えたけど、やっぱり運命をみすみす逃す訳にはいかないよね!)

 こうなったらリスク覚悟でアタックするしか無い、そう思い直したうららは例のサラリーマンらしき男性を探し、昨晩と同時刻に歓楽街を彷徨っていた。

「昨日あの人と会ったのは確か、この辺りだったと思うんだけど⋯⋯」

 ラブホテルが建ち並ぶ一画で立ち止まり、道行くスーツ姿の男性の顔を一人ひとりじっくりと観察する。しかし、数十分ほど待ってみても昨夜の男性は現れなかった。

 (せっかく、今日は昨日よりも更に気合いを入れてメイクも服装も大人っぽく決めてきたのにな⋯⋯)

 うららの本日のコーディネートは、お気に入りの淡色の花柄のワンピースに薄手のカーディガン、足元にはスタイルを良く見せる効果のあるピンヒール。
 顔を彩るメイクにもこだわり、より大人びた印象を与えるため普段よりもチークは控えめに、ラメ入りの赤いグロスで華やかさを演出した。
 更に大人の色気を出すために、真っ白な生足を惜しみなく露わにした格好には春の夜風が一層冷たく感じたがオシャレに我慢は付き物だ。
 しかし、これで今度こそは何処からどう見ても成人済みの大学生にしか見えないだろう。

 あわよくば一線を超えてやろうと勝負下着まで身に付けたうららは、きょろきょろと辺りを見回しながらスーツ姿の男性を求めて再び歩き出す。
 実に種種な人々の思惑と欲望が渦巻く夜の歓楽街。それもホテル街となれば1人でふらふらと歩き回る若い女性の存在はさぞかし浮いていただろう。気付けば、周囲の男性からのねっとりとした視線を感じる。

(⋯⋯違う場所も探してみよう)

 居心地が悪くなったうららは一刻も早くこの通りを抜けようと足早に歩を進めた。
 急ぐばかりに大手を振って歩いていると、不意に何者かにその手を掴まれる。

「⋯⋯っ!?」
「ねぇ、キミ~! こんなところで一人じゃ危ないよ? 俺が送ってあげる」

 驚いて振り返ると、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべた大学生くらいの男がうららの腕を掴んでいた。その視線は一直線にうららの太ももへと注がれている。
 長い茶髪にリップピアスを付けた派手な様相の男は無遠慮に肩を組み、嫌がるうららを無視してグイグイと距離を縮めてきた。

「そんな格好してさぁ、俺の事誘ってるんでしょ?」
「はぁ⋯⋯!?」

 余りに頓珍漢とんちんかんな男の物言いに、うららは言葉を失った。

(何言ってんだコイツ⋯⋯マジきもいっ! てか、息くっさっ!!)

 至近距離で吐き出される男の息は酒気を帯びており、うららの鼻は曲がりそうになった。

「離してください! あたし、急いでるんで!」

 男の手を振り解きその場を立ち去ろうとするが、それでも尚、めげずに付き纏ってくる。その執着心は一体何処から来るのだろうかとうららは不快感とともに、いっそ感心さえした。

「またまたぁ~そうやって俺の気を引こうとしてるんでしょ? いじらしいなぁ~! 俺、キミのこと気に入っちゃった。さ、行こうか」
「⋯⋯⋯⋯」

 そう言って、男はうららの腰に手を回し近場のホテルへと誘う。
 勘違いもはなはだしい男に絶句したうららは言葉が出なかった。次第に聞く耳を持たず話も通じない男にふつふつと殺意が湧いてくる。

(もう、あったまきた。急所を蹴って黙らせるっ!!)

 そう決意したうららの行動は早かった。スッと目を細めたかと思えば、躊躇う事なく男の股間目掛けて大きく脚を振りかぶる。



 しかし、その時————背後から聴き覚えのある声がうららの耳に入ってきた。

「君、彼女が嫌がっているのが見えないのですか? 直ぐに手を離しなさい」
「っ!!」

 忘れもしない、この声はあの人だ————!
 うららは煩いくらいに高鳴る心臓をどうにか深呼吸で落ち着かせ、期待に胸を膨らませて後ろを振り返る。

「⋯⋯⋯⋯!!」

 一晩中焦がれた男性との再会に思わず息を呑む。
 予想通り、そこには真剣な顔をして息を切らしたうららの王子様が立っていた。
 おそらく昨夜と同じ濃紺のスーツを身に纏い、昨日とは違って黒縁の眼鏡をかけている男性はうららの手を掴んでいる勘違い男の手を振り払う。

 途端に男の股間を攻撃しようとしている事が恥ずかしくなったうららは急いで脚を下ろした。

「⋯⋯っおい、良いとこなんだから邪魔すんな!」
「見たところ⋯⋯君は大学生でしょうか? 今ここで僕が警察に通報して学校に連絡が行けばどうなるかわかりますね? 問題を起こしたくないのなら即刻立ち去りなさい」
「っ⋯⋯⋯⋯!」

 男性の言葉に反論の余地も無く完全に論破された茶髪の男は、腹いせに道端に転がる空き缶を力いっぱいに蹴ってすごすごと尻尾を巻いて逃げていった。
 何処となく哀愁漂う背中を見送る男性に、うららの視線は釘付けになる。


(今日も会えるなんて⋯⋯! それに、二度も助けてくれたっ!)

 見知らぬ男に絡まれた不快感は既に跡形もなく消え去り、うららの頭の中は運命の王子様の事でいっぱいになっていた。
 うっとりと感動の再会の余韻に浸っていると頭にコツンと僅かな衝撃を感じる。見ると、緩く拳を握った男性が怒った顔でうららの頭を小突いたようだった。

「もう、本当に君って人は危なっかしいんですから⋯⋯!! 懲りずにまたこんなところにまで来て一体何を考えているんですか!」
「ご、ごめんなさい⋯⋯。でも、あたし⋯⋯どうしてもまた貴方に会いたくて!」
「会いたい⋯⋯? 僕に⋯⋯⋯⋯?」
「うん! だって、貴方はあたしの————」

 そこまで言ったうららはハッとして、とある事に気が付き口を閉ざした。

(待てよ⋯⋯? ほぼほぼ初対面の人に向かって『運命なんですっ!』ってのは不味いかも⋯⋯? 最悪の場合、頭の可笑しい女だと思われて運命の恋が呆気なく終わっちゃうかもしれない! ここは、もどかしいけど少しずつ距離を縮めて⋯⋯⋯⋯)

「え~っと⋯⋯あたし、貴方にお礼をしたくて探していたんです」
「お礼なんて結構ですよ。当然の事をしたまでですから」

 至って真面目な顔で答える男性には取り付く島もない。

(それじゃあダメなの⋯⋯! せっかくもう一度会えたのに、この人との接点が無くなっちゃう!! どうにかして次に繋がる口実を作らないと!)

 中々思い通りにいかない事にもどかしさを感じるうららは心の中で地団駄を踏む。
 なんとしてでも男性を引き留めたいうららは最終手段とばかりに男性へと迫った。友人に絶壁とまで称された無い胸を、限界まで寄せて色仕掛けで落とす作戦だ。

「そこをなんとか、ね⋯⋯? せめて、お名前だけでも教えてくれませんか?」
「こらこら。年頃の女の子が男性にそんなに密着するんじゃありません」

 猫なで声でグイグイと詰め寄るうららを軽くいなした男性は直ぐにうららから距離を取り、暫しの間考える仕草をした後、おもむろに口を開いた。

「そうですね⋯⋯君がどうしても僕にお礼がしたいというのでしたら、せめて授業には真面目に出席して欲しいものですね」
「は!? じ、授業⋯⋯!?」

 ワントーン低くなった素の声で驚愕するうららを見た男性は小さくため息を吐いた。

「⋯⋯⋯⋯やっぱり、気付いていなかったんですね。僕は君の通う四季ヶ丘高校で教鞭を執っている冬木至ふゆきいたるです。担当は国語で、3年生では主に古典の授業を受け持っています。授業にほとんど顔を出さない君は知らないかもしれませんが、僕は君のクラスでも授業をしているんですよ、常春うららさん?」
「う、うそ⋯⋯!?」
「嘘じゃありませんよ。⋯⋯という事で、教師である僕には懲りずに二度もこのような場所でふらふらする君の事を家まで送り届ける責任があります」
「⋯⋯⋯⋯」

(————間違いない、やっぱりこれは運命だ。だって、昨日今日とあたしを助けてくれた王子様が、あたしの通う学校の先生だったんだから⋯⋯!)



 しかし、喜びも束の間、うららはとある事に気付いてしまう。

(や、やばいっ⋯⋯! 先生なのはアタックする機会が増えるから良いとしても、学校にバレたら不味い⋯⋯不味すぎる!!)

「ね⋯⋯ねえ、センセー。もしかしてだけど⋯⋯この事って学校に報告する?」

 うららは背中にびっしょりと冷や汗をかきながらも恐る恐る尋ねる。
 もし学校にバレれば良くて停学、最悪退学だ。うららは碧の瞳を潤ませ、至の事を縋るように見つめた。


「⋯⋯しませんよ。君にも何か事情があってあんなところに居たんでしょう。ですが、身を持って経験したから分かると思いますが、若い女性がこのような場所を一人で歩くのは大変危険ですので今後は控えて下さいね。僕としても、生徒の悲しむ顔は見たくありませんから」

(良かった、センセーにパパ活の事は気付かれていないみたい⋯⋯。それなら何としてでも隠し通す⋯⋯!!)

 ホッと息を吐き、調子を取り戻したうららは至の腕に絡みつくようにして再び距離を縮める。

「ねぇねぇ、至センセー! 知らない仲じゃないんだし、昨日と今日のお礼にこれからご飯でもどう? もちろん、あたしの奢りでっ!」
「こんな時間に⋯⋯しかも生徒と二人きりでなんて行けるわけないでしょう⋯⋯⋯⋯」
「ちぇ~⋯⋯じゃあ、取り敢えずLIMEライム教えて!!」

 初恋を自覚したうららは猪突猛進、ありとあらゆる手を使って運命の王子様を落とす為に画策することになる。
 こうして、留まるところを知らないうららの至への猛アタックの日々が始まったのだった。





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