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一章 女神と花冠の乙女

23 置いてけぼりの心

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ーーー地上で自由に動ける人材が必要ですね。
ロウはそう言った矢先に黒い蝶を掌から出した。

「彼らをここへ」

そう言うと蝶を放す。ひらひらと、光沢のある羽を動かして飛んでいく。
私はその蝶が決して自由では無いことにを知っているのに、空を、風に、飛ぶ姿を見て少し羨ましかった。

空を見上げる。さっきまで青かったのに、いつの間にか重そうな雲が低く垂れ込めている。太陽を隠したと思ったら、頬に冷たい雫が落ちた。

「ああ、これは来ますかねぇ。風も冷たい。離れに戻りましょう」

踵を返したロウの背中を追う。
また、置いて行かれる、心が、追い付かない。
私を置いて、色んな事が起きて決まっていく。

私の身に起きているらしい事象は聞いた。天界でいきなり姿を消したって。ずっと探していたけど見付からなかったと。フロースが私を見付けて今に至るわけなんだけど、どうやら記憶と一緒に女神としての力の一部も無くしているらしい。

あんな事やそんな事を、いきなりなんて噛み砕いて飲み込めない。罰ゲームのやたらと苦い、大きな飴玉を思い出す。喉に突っかかって中々嚥下出来ないやつ。

私が思い出したら何か出来た?今は何が?

エントラスに入るとラインハルトに抱えられる。左腕の上に座る格好だ。ふわりと香るのは何だろう。香水じゃない気がするけど。

ーーーあ、また拒絶しそこねてしまった。

抱えられてそのまま応接室へと入る。
カリンとティティはお茶の用意をしている。
然程待つことなく壮年の執事に案内されて来たのは、ガレール公爵にトリスタンとアルブレフトだった。

彼らは応接室に入るなり直ぐ様公爵を先頭に両の膝を付き、床に額づく。
私と言えば、反射で挨拶をと、立ち上がりかけたのをラインハルトに回された腕に阻まれて、ええ、大人しく膝の上でございます。

誰も挨拶しない?って思ったけど、そうだった、神様だった。私もその扱いなんだなぁ。
ロウの声が威厳に満ちて応接室に響く。
おおっとっても偉そうです。実際、偉いんだけどね。

「ーーーレイティティアには世話になった。今暫し借りる」

あれ、面をあげよ、とかじゃないの?公爵様達ずっと頭額づいたまんまだよ?
と思ったらフロースが言ってくれた。

「面をあげよ。レイティティア、お茶をお願い出来るかい?彼らのもね。さてーーー公爵とーーーそちらの二人は、第一王子の側近だね?」

三人は恐縮しながらも、神の仰せ通りに席に着く。顔を直接見ないよう、俯き加減だ。彼らはまだ一言も話さない。許しが出ていないからだ。

やがてお茶が行き渡ると、構わん。直答を許すゆえーーー。
と、聞き覚えのある声音とは違い、甘さの0.1mmも無いラインハルトの言葉で緊急会議が始まった。

でも私が膝の上にいるせいか、今一締まらない気がします。





「そうでしたか。ではもう側近ではないのですね?」

ロウの言葉に「はい」と頷く元側近。
簡単に言うと、クビになったと。
それで二人は、じゃぁこれで自由だとティティを探しに向かう途中でチュウ吉先生に会ったんだって。ティティが無事に公爵家にいる事、神々と共にいる事等を聞いて、神殿からの情報で、急ぎ王都へと来ていた公爵にこれまた特急でコンタクトを取り、今に至る、と。
公爵家はガレール領の本邸と王都の屋敷に転移魔法陣があるんだって。でも、側近の二人は一度カタルの港町で船に乗った工作をしてから、公爵様とバルサ湖の番小屋で待ち合わせしたと。
なんで工作?って思ったら、ラインハルトが行方が知れない事にしたかったんだろうと。
だからなんで?って顔をラインハルトに向けたら、大きな掌が私の頬を包んで、形の良い親指が私の唇をなぞってくるもんだから、お口チャックですねって黙って前を向きました。
まただ、逃げたいのに、身体が動かなくなる。拒絶の言葉を吐こうとすると、声が出なくなる。口を酸素を求める金魚みたいにパクパクさせるだけで、苦しくなる。

ーーーすいません、お客様の中にお医者様はいらっしゃいませんかー?

それにしても、工作するのにも転移の魔法陣の札を使ってーーーと言うか、転移の魔法自体、物凄く高度だし、ものすんごくお高いんじゃ!?流石お貴族様公爵様。

「ならば、貴方達に調べて欲しいことがあります。目立たずに、早急に」

ロウが端的に説明をする。
前世云々は抜かしてーーー私の事も少し。

要は、王子ご執心の子爵令嬢が、自分がある物語の主人公だと思い込んで、そのシナリオ通りに物事を運ぼうと世界を引っ掻き回しているのだと。

レイティティアの断罪も、その被害の内だ。

これは、神々の世界にも影響が出るかも知れない。大きく動かざるを得なくなる前に何とかしたいと。

「ではそのフィリアナと言う子爵家の娘をーーー」

今度は顔を上げて公爵様が答える。
キリッと、出来るイケオジな感じだ。

「はい、できる限り細かく。出生から今までのものを」

いくつかの取り決めの後、彼らはそれぞれで動くらしく、直ぐに準備に取り掛かると、離れを辞した。

彼らが去ると、窓を叩く水滴の音が激しくなった。雷でも来そうな暗い感じが嫌で、ランプの光量を上げてとティティに頼む。

「なんだ?雷は来ないぞ?」

ラインハルトの指が、俯いた私の横の流れた髪を掬い、耳に掛ける。指先が耳輪を柔らかくなぞった。
身体の奥から呼出されそうになるのは感情か身体の持つ記憶か。別のナニカと一緒に。
だがそれは形になる前に霧散する。

張りつめていた糸が切れる音を聞いたきがした。
知らないフリをしていても。
自覚してしまえばーーーもう駄目だった。

私はラインハルトの手をそっと外す。払わなかったのを褒めて欲しい。
やめて、と言ったはずの口からは何も音が出なかった。

だけど、ラインハルトはピクっと動きを止めるとお腹に回ってる腕も解く。
その拍子に香るラインハルトの匂いに私は泣きたくなる。

記憶で一番残るのは匂いだという。思考よりも、理性も飛ばして感情を揺さぶる。

私はラインハルトの膝から文字通り飛び降りると、応接室どころか、エントラスすら抜けて外へ飛び出した。

カリンとティティが呼ぶ声は激しくなった雨音に消されて聞こえなかった。



走って走って。前も見えない程激しい雨の中で私は号泣する。前屈みになって、声を上げて叫ぶ。

ーーー女神って何?なんにも知らない、覚えてない。
なのに、あの香りが、触れてくる指が、抱きしめる腕が、何よりも私の身体が、思い出せと責める。

ーーーそんなの知らない。

恋すら知らない。知らない感情。それは掴もうとしても、形になる前に掌から溢れていくのに、存在した事だけを訴えて、痛みを残す。

叫ぶような号泣の雨と一緒に感情も流す。泣いてないてーーー。





もう自分がどうして泣いているのかわからなくなる位に泣くと、頭が雨で冷やされたのか、冷えた頭と身体に反比例して、泣いている自分がおかしく思えて、ふふふと笑う。

「あー久しぶりに泣いた」

色んな事が一度に起きてちょっと脳みそがキャパオーバーになってたんだね、私。
うん、泣いたらスッキリした。泣くって大事だね。

覚えてないモノは仕方ないし?ならば今の私にできる事をすればいい。
ラインハルト達の事だって、女神の記憶だって、力だって、無くしたならば何処かにある、筈。多分?なんかそれっぽい雰囲気だし。

頑張れ、フィア。元気出して行こう。えいえいオー!

泣き止むと同時に雨脚が弱くなる。
折角のドレスも髪もずっしりと重い。

ーーーでも心は、きっともう大丈夫。

皆のところに帰ろう。それでこっそり謝ろう。ちょっと恥ずかしいから。










泣きそうなフィアを離した。
追いかけるカリンとレイティティアを止める。

なんで、とか、こんな雨なのにとか言ってるが。

「こんな雨だからだ」

「はぁ!?何言ってんの?」

一人にしたくないのは分かる。だが、駄目だ。今は。

身を守るように丸くなって眠るフィアは、キツく目を閉じて、力が入り過ぎて白くなった指先が握りこぶしをつくっていた。

「フィアは人前では泣かない。カリン、お前はフィアが泣いた所、見たことあるか?お前の前で」
「ーーーーーーな、い、です」
「泣かせてやれ。大声で、何ものからも憚らずに、形振り構わずに。この雨なら聞こえない、涙は見えない。色々な事が短時間にあり過ぎて、感じる事と現実の落差に、心が追いついていないだろう?」

離れの前で豪雨に打たれる。

ラインハルト様は行くつもりなの?と、止められるが、そんなつもりはない。

「少し頭を冷す」

フィアを泣かせた。泣かせてしまった。

「相変わらず馬鹿だよね、君って。真綿に包んで大事にしたいだろうに、態々追い詰めて【泣かせてあげる】んだから。そんな表情までしてさ」

何とでも言えばいい。

「フィアが泣くのはこの腕の中で、だけでいい」

他の誰にも、知らなくていいことだ。

掌から愛刀を呼ぶ。

「ちょっと、何物騒な物だしてるんだよ!?今ここで?落すの?君何考えてんのさ!?頭を冷やすって言わなかった?!」
「レイティティア嬢、もう少し中へ入って耳と目を塞ぎなさい、カリン、彼女の周りに結界を」
「え、ロウ様!?一体何が起きるッーーー」

刃に手を添えスッとなぞる。
深呼吸の後に地面に突き刺した。






ーーーーーーピカっと光った?のかも分からない位の眩しさが辺りを白く染めた。

ドォン、という轟音と共に。

何があったのかと急いで離れに戻る。一本道で良かったよ!迷わずに帰れるから!

離れの庭先に一人の青年が佇んでいる。
何やらプスプスいってない?身体が。
アチコチ焦げているような?気もしなくもなくない。
20時に集合されてる方々ですかね?

ん?ーーーあれってまさかラインハルト?

髪の毛が、うん、でも美形はどんな髪型でも美形だね。チリチリいってるけど。

「ラインハルト、どうしたの!?何かあったの?」

私、ちょっと焦って聞いたんだけどね?

「問題ない。少し頭を冷しただけだ」

って、焦げてるよ?冷やすって何!?
私はそんなラインハルトがおかしくて、笑ってしまったのだけれど。

そんな私を見たラインハルトは、綺麗に微笑んだ。

「忘れたっていい。何度でも言う。ーーー俺は、お前の為に存在する」


ーーー俺が憶えている。
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