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一章 女神と花冠の乙女

38 メルガルドの独り言 後

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私は、違和感を感じてはおりました。
姫様がおやつの時間にも帰っていらっしゃらなかったからです。

いつぞや、お小さい時などは、宮の園庭で朝露の結晶を夢中で集めていて、昼食時に帰らなかったこともございましたし、父君の創世神様と秘密基地を作ると言って、全然秘密じゃない秘密基地を作っていて、夕食時にも帰らず、お迎えに上がったこともございました。

ですが、此度は胸騒ぎが致しました。
夜空に浮かぶ、細く繊細な下弦の月が悲鳴の疵痕にも見えて、不吉な予感に身が震えます。

その時でした。
キンーーーと空気が張り、竪琴の弦がフツリと切れた様な余韻が私の身の中を刺すように通り過ぎたのです。

ラインハルト様の気配が天界から消えました。姫様の気配を探しに行かれたのでしょう。
ロウ殿は地上に対しての大掛かりな魔法陣を構築しています。
私も聖霊達へと指示を出し、天界、聖霊界、冥界と、姫様の気配を探します。
お身内の神々やフロース様も姫様の宮にお集まりになり、それぞれの方法でお探しになりましたが、姫様の気配の欠片一つも感じられなかったのです。

地上を隈無く探索していたロウ殿が、力なく首を振ります。
地上に落ちてしまい、迷子になっているのでは、との予測は潰えました。
これは過去に二度ありましたので、迷子ならば迎えに行けばいいだけの事。然程心配は要らないのです。

が、この予測は残念にも外れ、このヴァステール世界のどこにも、姫様の気配を辿る事は出来なかったのです。


皆がそれぞれに姫様を探す中、天界は火の消えた様に暗く、あれ程楽しげな笑い声が絶えなかった宮も静まり返り、カップを置く音すら寂しく聞こえます。
一年、また一年と、その寂しさが宮に澱のように溜まっていくのです。
地上の聖霊達に探させても報告は芳しく無く。


この辺りの件は、カリンという火の上級精霊が関わっていてーーーこの時の、かの精霊の返事は『女神様?見てないけど』という呆気ない返事のみで、直ぐにお気に入りの少女の方へ行ってしまったという、人の子のにしか見えない姫様がそこにいた、何とも皮肉なすれ違いが後に判明したのですがね。


ですが、当時の私はそんな事は露知らず、姫様が見つからぬ絶望を抱いていた、そんな時でした。

あれ程憔悴しきって、気が狂う寸前まで追い込まれていたラインハルト様が、すっかり憑き物が落ちたような、穏やかな顔つきで宮に戻ってらっしゃるではありませんか!

これはただ事ではありません。こっそりと後を付けて様子を伺っていますと、なんと、姫様のお衣装を吟味しているではありませんか。

何気に気配を一切漏らさず動いている事から、どうやらコソコソしているつもりなのでしょう。

ーーー堂々とコソコソしていらっしゃいました。ええ。

ラインハルト様はやがて一つ頷くと、ごっそりとお衣装を空間収納へと仕舞っていきます。
私はハッと閃きました。急いで湯殿へと足を運ぶと姫様がご愛用のお道具や、お手入れのあれこれが棚から無くなっているではありませんか!

ラインハルト様に一体どう言う事なのかお尋ねしようとした私は、空になった衣装部屋を見て、ラインハルト様が既に何処かへと向かった事、に私の閃きが正しかったと確信をしたのです。


そうして私は、アルディア王国ガレール領で姫様と再会を果たしたのでございます。
ですが、嗚呼、何と言う事が起きてしまったのでしょうか、記憶と力の欠片を奪われ、天界での日々を何一つ憶えてらっしゃらないとは!
申し訳なさそうに、悲しげに謝る姫様は寄る辺ない子供のようで、傷ついたそのお姿に、私も涙を流さずにはおられませんでした。
五月蝿いとラインハルト様に蹴られましたが。でも負けませんよ、私。

ロウ殿から事情を聞くと、なる程と思い、それでいて姫様と入れ替わろうとするフィリアナと言う娘の所業に腹の底からドロっとした怒りが吹きこぼれそうになりました。
ガ、話しながら薄く嗤うロウ殿のピリピリと空気を凍らせる怒気にーーー聖霊王が動いても止める事は無いでしょう。
ロウ殿も、ラインハルト様も、フロース様も。おそらくは干渉出来る【隙】を見逃さずに手を下すでしょうし。

ーーーそんなに踊りたいなら真っ赤に焼けた鉄の舞台でも用意したくなりますね。

うっそりと笑みながらロウ殿が呟きました。

先ずは私が動くとしましょうか。
神々よりも地上に対して干渉しやすい聖霊ならば尚更。自然と共にあるのが聖霊。人もまた自然の中で生きるのだから。

蟲に貶された妖精達。
今も。ーーーただ、ランジという神官が頑張ってくれているみたいなので、一匹も漏らさず、は不可能でも、きっと多くを救えているであろう事には感謝せねばならないでしょう。堕ちた妖精を、蟲となってしまったものを怪異に喰らわせたとしても。その魂は還るのだから。

ーーーが、フロース様が仰っていた、妖精達を糧として魂ごと喰らっているフィリアという娘には。相応の等価を用意せねばなりませんね。


私は暗い思考を頭を振って、一旦隅に追いやり、今なさねばならない事に集中します。
姫様のお過ごしになられる環境を整えて、侍女を幾人か。
ああ、お身内の神々への説明もしなくてはなりませんし、忙しくなりますね。
技芸神様が降臨なされ、レイティティア嬢の弟子入りが叶いました。
姫様も、厳しい修行と言うのでしょうか、アレは。お仕置きも入っている気がしなくもなくも無いですが。大気の中の魔素を感じるには手っ取り早いのも確かですので、姫様には頑張っていただかねば!
私もお邪魔にならぬ様、サポート致しますゆえ。

そんなハラハラしながらも姫様を見守る毎日でしたが、不意に、カリンが南国へとフルーツを取りに行くと言うではありませんか。


天界へと行けば姫様のお好きな果物がわんさかと採れますが、今誰かに捕まるのは面倒です。受け入れの体制が整いません。

私はカリンと共に果物狩りへと行くことにしました。
魔素を含んだ為に変異したバナナは好評で、ならばと、カリンと南国へ再び足を運びました。

カタルよりも西南の方角には、西大陸に沿うように島々が点在し、その間を縫う様に、碧い海を白い帆で風を受けて進む大きな船。
私達の目的地の近くを航行中のその船には、年若い乗組員も多く、とても賑やかでした。
一際目立つ美貌の若者がマストを登り、きっと見張り台に付くのでしょう。日に焼けた肌と、スフェーンの様に輝く瞳が印象的です。
風の妖精が若者に懐いてますが、気付かれずに少し可哀想になりました。

思わず止まって眺めてしまいーーーその時でした。カリンがしきりに首を傾げるのです。

どうしたのかと問えば、アルディア王国のハルナイト第一王子に良く似ていると。
そして、行方知れずの第二王子は、スフェーンの瞳を持っていると言うのです。そう、見張り台の若者のような。


その若者は、カスタリア帝国でも指折りの大商会が所有する商船の船員らしいですが、王子ならば何故船員をやっているのでしょう?

私はその若者をザッと視ると、一応の加護を与えて、姫様の元へと戻ったのです。

いやはや、姫様はお力を使わずとも、運を引き寄せますね。
人の世で、この運が吉とでるかーー私はそうなる事を願わずにはいられませんでした。

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