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一章 女神と花冠の乙女

57 時々意地悪な

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カーンカーン、と正午を告げる街の鐘の音が風に乗って微かに聞こえてくる。
それを合図にロウがパタリ、と読んでいた本を閉じた。

「ーーーー今日はここまでにしましょう」

天幕の中にいたロウは、汗一つかかずに涼しそうな顔で終わりを告げると、冷えたタオルを渡してくれる。
私は日の当たらぬ木陰にいても、ポタポタと顎から滴り落ちる汗をそれで拭うと、天幕の中に入り、メルガルドの用意したレモネードを飲む。
眩しい青空と肌を焼く強い日差しは、間違いなく真夏だと訴えているのにも関わらず、冷たい空気が循環している天幕の中は涼しい。
入り口は大きく開けられていて、左右に寄せた幕が優雅に襞を折り垂れているのに、冷たい空気は天幕の外へ漏れる事は無かった。

「グローブが厚手の軍手くらいにはなりましたね」

ロウの言葉に進歩はしている?と、少しだけ安心する。
ガレールでも流石に真夏と言える季節なって、私のーーーー練習と言うか、訓練と言うか。
修行も神力を身体に纏わせる段階に入った。大気に溶け込む魔素を感じながら、という無茶振りも大分慣れた気がするけど、この神力を【身体に合わせて】纏わせるのが中々難しい。
手に纏わせた最初は、フライパンを持ったような感じだったもんね。
実態の無いものを掴まなければならないので、神力を纏わせた手が必要になる。
だから今は、肘から先の部分を薄い手袋並みになるように頑張っているんだよね。
他の身体の部分は大雑把でも、手はフライパンや、グローブじゃ掴めないし。

ーーーー厚手の軍手かぁ••••••まだまだだけど、先が見えただけマシかな。

「ーーーーフィア」

大きな手が差し出される。
私はその手に自分の手のひらを乗せると、大きな掌が私の手を包んで、身体ごとゆっくりと引き寄せられた。
繋いでいない方の手が、汗で張り付いた私の前髪をそっとかきあげると、口付ける。
そしてそのまま唇へーーーーとはさせなかった。今日は。
私の空いていた掌で、ラインハルトの額を押さえる。

「••••••ラインハルト、体内を巡る神力をクールダウン、っていうか安定させるのに、一々キスは必要無いってチュウ吉先生が言っていたんだけど」

と言うか、私が汗まみれなので、もう少し離れて欲しいのですよ。
と言ったら、速攻で却下されましたが。

「俺のしたい事と、実益を兼ねた」

「イヤイヤ、そこはしたい事、抑えよう?言われるまで気が付かなかった私も、間抜けだと思うけどね?」

そうなのだ。今まで散々と、神力の循環やら、ゆっくりと巡らせる力をコントロールするのに、ラインハルトと手を繋いで練習してきたんだよね。
それなら、グルグルと高速で巡る力を落ち着かせるのだって、手を繋ぐだけでも出来る。
なのに私は、この練習を始めてから昨日まで、ラインハルトの力を口移しで貰い受けて、全力疾走している力をクールダウンさせていたんだから、恥ずかしすぎて、穴に入りたくなったよ。

口移しだって、最初は物凄く恥ずかしくて、落ち着いていく神力と反比例して、心臓は爆発しそうだったんだから。

これは治療のようなものだと必死で言い聞かせて、最近は慣れてしまった自分がこわかったよ!
いけない事をして、それに慣れてしまった気分っていうのかな。
とにかく、乙女心は色々と複雑なのですよ。

「キスなんて毎日してるだろう?」

されてますけどね!?何か、こう、ふしだらな女になってしまったようで、居た堪れないのです!

「俺にだけなら問題無い。むしろ歓迎するが」

そう言って、ラインハルトは両手を広げ、コイコイ、と手をヒラヒラさせる。

ぐぬぬと唸った私は、とりあえずこの疾走している力を自力で宥めようと、力を抜いて深呼吸した。
坂道を走っている自転車に、ブレーキをかけるイメージを思う。
イメージ上では速度を落とすが、実際の神力の流れは一向に緩やかにならずに焦ってしまう。
涼しい天幕の中なのに、汗が止まらなくなる。
いつもどうやって鎮めてたっけ?ラインハルトから流れてくる力はーーーー。
瞳を閉じ、順を追って思い出す。いつもやっている通りに。

ーーーーあ。

暴れてた力が治まって行くのを感じる。
静かに冷やされて、流れがゆっくりと穏やかになった。

「ーーーー••••出来た!」

私はドヤァっとラインハルトを見たけど、そのラインハルトが珍しく悪戯な笑みを浮かべて私を見つめていた。
ツイっと長い人差し指が唇を指す。

その瞬間私はラインハルトの意図を悟った。

「!?!?ーーーーーうわぁァァーー!?」

私、今、どうやって落ち着けた!?頭を抱えて座り込む。
そう、ラインハルトにされている事を【最初から】思い出しつつ、感じつつ、感覚を追いながらーーーー••••って、なんて事なの!?

これって、これって。鎮めようとする度に思い出しちゃうって事じゃない!?

天使と見まごうーーーー神だけど、その無邪気にも見える、その笑みの裏に悪魔が潜んでいようとは思いもしなかった。

それは、私が物凄い敗北感を味わった瞬間だった。

「さて、フィア様、ラインハルト。そろそろ宜しいですか?フロースから、湯殿の用意が整ったからさっさと来るように、と伝言ですよ。今日は午後からは仮縫いでしょう?メルガルドが先に行って用意してますよ」

私の背後から掛かったロウの声にハッとする。
み、見られてたんだよね!?私が思い出しながらのアレを!?
居た堪れなさが半端ないです。キスシーンを生で見られるよりも致命傷率が高いです。

ソロリと振り返れば、穏やかな顔で思い出しますねぇ、あの時を、とケロリと言われ、私は何があの時をなのか聞きたかったけど、多分ラインハルトとの真っ黒く塗り潰したい過去に違いないと思い直し、聞かなかった事にした。






お湯でさっぱりすると軽く昼食を食べて、仮縫いだ。張り切っているメルガルドとフロースが滾っている。
ティティは隣の部屋で仮縫いをするそうで、隣とこちらを行ったり来たりと忙しい。


まち針を持った精霊達が広げる生地の色は黒く見える程深い紫で、光沢のある生地から、薄い蜉蝣の羽根のような軽い物まで様々だ。

「動かないで下さいませね?」

勿論、動けませんですわーと言いたかったけど、ユラン、と部屋の空気が歪んで、思わず身構えるのに動いてしまった。

「お、やっているね!フィアちゃん」

突然現れたのはカーク兄様で、手に持っていた巾着をラインハルトに渡す。

「頼まれた朝露の結晶石だ。フィアちゃんの宮ので良いんだろ?」

ああ、と答えたラインハルトは結晶に色々と付与して、それを精霊達が衣装に縫い付けるらしい。

「そうそう、ここに来る前に、ディオンストムの所にも寄ったんだよ。結晶石に力を込めたいって言うからさ。そうしたら、あのフィリアナって娘、まだ彷徨いているみたいだったな。神域の近くをさ、毎日」

「ーーーー当日まで行く予定は無い」

「ディオンストムからの報告にもありましたが••••••相当強く思い込んでいると」

「そう、それな。俺、聞いちゃったんだよ。『お兄様、待っていて、必ずあたしがあの魔女から助けるわ』って言ってるの」

カーク兄様がフィリアナの真似をして、演技たっぷりに言う。

それを見たラインハルトの顔から表情の全てが消えた。

ーーーースン、と。






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