ひねもす亭は本日ものたり

所 花紅

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怪異:友引娘

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「うっそでしょ!?」

 流石の丞幻も顔色を変えた。
 まさか、戒めの呪符を無理やり引き剥がすとは。

「ともだちともだちともだちともだちひとりはいやだひとりはいやだひとりはいやだかえせかえせかえせかえせかえせええええぇぇぇぇぇ!」
「はい逃げるよーっ!」

 絶叫した友引娘がこちらを向くが早いか、おそねを抱え直して丞幻は地を蹴った。一拍遅れて、アオと矢凪が続く。
 背後を振り返ったアオが、楽し気にきゃあきゃあ笑った。

「おっかけっこー!」
「おい、どうすんだあれ。追いかけてきやがるぞ」
「んもー、結構強い呪符なんだけどねえあれ! やっぱ裏に文字書いてたのダメだったかしらん! てかシロちゃん、重い! 自分で走りなさいよ!」

 おそねも抱えて、背中にはひっつき虫シロだ。運動神経に自信がある丞幻も、思うように走れない。
 背中に声をかけると、毬で頭をぽかりとやられた。

「おれは足が遅いんだぞ! なのに、下りろっていうのか! きちく、人でなし、ちごしゅみ!」
「シロちゃん怪異だから襲われないって! だいじょーぶよ、多分!」
「怪異差別だ!」
「こらー、シロいじめぅなー!」

 童二人の甲高い声に混じって、樽が突き崩される派手な音が耳に届く。丞幻は背後にちらりと視線を向けた。

「かえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせかえせええええぇぇぇぇぇ!!」

 樽も背高提灯も薙ぎ倒し、友引娘が凄まじい速さで追いかけてきていた。
 手足を虫のようにうごめかしながら、四つん這いで地を這い進んでくる。縄で引っ張られた背後の人間達も同様に這い追ってくる姿は、まるで巨大な百足を思わせた。

「かえせええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 絶叫する怪異の前髪が風圧で背後に流れ、今まで隠れていた顔があらわになる。感情のこもらない双眼がはまった、なんの変哲も無い無表情な女の顔だ。
 喉が割れんばかりの絶叫が響き渡っているのに、その表情は面でも被っているようにぴくりとも動かない。
 それがひどく不気味で、丞幻は走りながらぶるりと背を震わせた。あれなら、憤怒の形相で追いかけられた方がなんぼかマシである。

「おい、どうすんだあれ」
「うーん、ワシにあいつ倒す力無いしー、今日はそっち系の道具も持って来てないのよ。失敗だったのー」

 じぐざぐに通りを駆けると、それに振り回されて壁に身体がぶつかる音が背後からする。横道にそれれば逃げ切れるかもしれないが、この辺の地理には詳しくない。
 うっかり袋小路にでも入ってしまえば最悪だ。

「やっぱ、三日三晩の拉致監禁執筆活動って駄目よねー! 対怪異用の道具も明かりも忘れてきちゃったしー!」
「じゃあ次は〆切ちゃんと守れ。またおこられるぞ」
「やーねえシロちゃん! ワシいつもちゃんと守ってるじゃろーが!」

 そう言い、丞幻は走りながらけらけらと笑う。笑っている場合ではないのだが、自分の阿呆さ加減に、逆に笑いが込み上げてきた。
 おそねを助けるだけの予定だったので、呪符と縁切鋏しか持って来なかった。普段、ネタ収集の為に怪異の取材をする時は、もう少し準備をしていたのだが。ついついそれが頭からすっこんと抜けていた。

「いやー、しっかし友達思いな怪異だわねー!」
「友達と思ってるのは、あいつだけだろうけどな。魂を食われて、抜けがらになった奴をはべらせて、何が楽しいんだか」

 小馬鹿にしたように、シロが鼻を鳴らした。言っている事は恰好良いのだが、丞幻の背にひっしとしがみ付いた姿では、どうにも決まらない。
 忙しなく足を動かしつつ、地面に視線を向ける。

「アオちゃーん、あれと戦う気ある?」
「やーや! あれ、おいちくなさそう!」

 短い手足で地を駆ける子狼の首が、ぶんぶんと横に振られた。確かに肉付きが悪そうではあるが、この状況でえり好みはしないでほしい。背にしっかりとしがみ付くシロは、怪異ではあるものの直接的な攻撃手段を持たないので論外。かといって、自分に奴を祓う力はない。
 となれば、と並走する矢凪に視線を滑らせた。

「ねえ矢凪。お前、あれ倒せるー?」
「おう」

 気負いなく頷いた矢凪に、よし、と丞幻も頷いた。

「んじゃお願いしていーい? そんかわり、今日の夕餉はめっちゃ美味い肉豆腐置いてる店にしたげるから。お前肉豆腐好き?」
「よし。忘れんなよ、それ」

 目を輝かせた矢凪が、足を止めて背後に向き直った。丞幻とアオは少し離れた所で立ち止まり、振り返る。
 鼓膜を潰す程の金切り声が轟く。友引娘の首がごきごきと音を立てて、蛇のように伸びた。狂ったように髪を振り乱しながら、無表情の女の顔が矢凪に迫る。

「ともだちいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「うるせぇ」

 矢のような速度で襲い掛かった顔面を、矢凪は無造作に掴んだ。長く伸びた首部分もがっしりと掴んで、突進を押しとどめる。ざりっ、と草履が土を噛む音が響き、着物越しでも背中の筋肉が隆起したのが分かった。

「――っらぁ!」

 怒号一発。渾身の力で、友引娘を壁に叩きつける。背後に引っ張られていた犠牲者達も、同じように吹き飛ばされ、あるいは倒れ、団子になって地面に転がった。
 そこに歩み寄った矢凪は、怪異の顔面に振り上げた拳を叩き込んだ。ずどん、と腹に響く重たい音が木霊する。

「わぁお……」

 丞幻は口元を引きつらせた。
 矢凪のやった事は至って単純。手足に霊力をまとわせて、それを叩きつけただけである。ただの物理攻撃では怪異に効果が無いからだ。しかしまさか、それの突進を止め、あまつさえ振り回すとは。
 友引娘だけならともかく、背後には十数人の人間が繋がっていたのだ。一見して細身に見える矢凪の身体のどこに、そんな膂力りょりょくがあったのやら。
 力尽くでねじ伏せられた友引娘に視線を向ける。拳で地面に縫い留められ、びくっびくっと痙攣しながらも、ひび割れて血の滲んだ唇ががさがさと動いた。

「ひ……も……むす……しょ……か……」
「結ばねえよ」

 低く呟いて、矢凪がもう一度拳を振り上げる。それが振り下ろされる直前に、丞幻はぱんと手を叩いた。
 ぴたり、と拳が止まる。

「矢凪、もういいわよー」
「あ? なんでだよ」

 ゆるりと振り返った矢凪に、丞幻はへらっと笑った。己の背後に顎をしゃくってみせる。

「異界とはいえ、あんだけ怪異と大立ち回りしてりゃ、そりゃー気づくわよねー」

 これで気づかなかったら、流石に無能も良い所である。
 通りの向こうから、『異怪』と太文字で書かれた提灯の明かりがいくつも迫ってくるのが見えた。揺れる提灯の明かりに、アオがきゃあと歓声を上げる。

「ちょーちん! いっぱい、いっぱいねー! きれーねー!」
「異怪奉行所のお出ましよ。あとは本業に任せましょー」

 〇 ● 〇

 友引娘のあれこれから二日後。丞幻達はまた、にぎりまるに朝餉を食べに来ていた。
 本日の味噌おにぎりは、塗りつけた味噌の表面に胡麻がまぶしてある。焼けた胡麻が、なんとも香ばしい。ぷちぷちとした食感を楽しみながら食べていると、おそねが盆を持って近寄ってきた。

「センセ、本当にありがとうございます! よく覚えていないけど、センセが助けてくだすったんでしょう?」
「助けたのは奉行所の人達だって。ワシはただ、おそねちゃんが攫われた場所を見っけて、教えただーけ」
「でも、それが無ければあたしはあの怪異に、捕まったまんまだったでしょうし。ほんにありがとうございます」

 新しい花簪をさしたおそねは、すっかり血色の良くなった顔に華やぐような笑みを乗せた。
 あの後。異怪奉行所の同心達が駆けつける前に、おそねを置いて丞幻達は立ち去った。
 もし同心連中に見つかれば、色々と話を聞く為に奉行所に連れて行かれるだろうし、怪異シロとアオを連れ歩いている事もバレて面倒な事になるし、そうなれば夕餉を食いっぱぐれる。それに丞幻は、いまいち異怪奉行所とは反りが合わない。深く関わるのは御免だった。
 なのですたこらと逃げ、にぎりまるの店主には異界奉行所の同心によっておそねが助け出されたと報告。礼の言葉といくばくかの報酬を貰い、肉豆腐をたっぷり腹に詰め込んで帰途に着いたのであった。
 ちなみにあの異界は、友引娘が矢凪に顔面をぶん殴られた時点で消滅していた。奉行所が駆けつけた時には、既に丞幻達は現世に戻ってきていたのである。

「親父さんにも言ったけど、ほんとになーんもしてな……こらアオちゃん。まずお口の中ごっくんしなさい、ごっくんて」

 ほっぺたがぱんぱんなのに、更におにぎりを詰め込もうとするアオに声をかける。アオはぷるぷると首を横に振って、何やら反論してきた。

「むーむ! むぐむむむー、むむぬむむぬんんんむむー」
「何言ってるか分からんぞい」
「おいアオ、口の中にものが入ってる時はお話したらだめなんだぞ。おれの言う事聞けるか?」
「む!」
「だからって、おにぎりじゃなくて、とん汁をつめこむんじゃない。おこるぞ、こら」

 童二人のわちゃわちゃに、おそねがおかしそうに笑った。

「そうそう、これ。お代わりもあるので、好きなだけ食べてってくださいな」

 とん、と各膳に小鉢が置かれる。中には言わずもがな、白和えが入っていた。白い豆腐に緑が鮮やかで、見た目だけでも美味そうだ。丞幻は顔を綻ばせる。

「ありがとねー、おそねちゃん。やっぱりおそねちゃんの白和えが一番美味しいわー。高級料亭だってこの味は出せないと思うわよ、ワシ」
「もう、センセってば。褒めすぎですよう」

 ころころと笑って、おそねは別の客の元へ向かった。怪異に攫われた彼女が無事に戻ってきたという事は、既にここら一帯の噂となっていた。無事なおそねの姿を一目見るべく、本日のにぎりまるは満席であった。どころか、外には順番待ちをしている者達もいる。
 わいわいと賑やかな客の声を聞き流しつつ、丞幻は早速小鉢に手を付けた。
 滑らかになるまで崩された豆腐の中に、しゃきしゃきとした歯触りの野菜。仄かな昆布出汁の香りが鼻に抜けて、思わず頬が緩む。
 これこれ、これだ。やっぱり白和えはこれが一番美味しい。

「んー。これ、おかひじきかねー。歯ごたえあって美味しいわー。お、こんにゃくも入ってるじゃないの。へえ、これ枝豆! 夏らしくっていいじゃない」
「おいちい! しゃきしゃきおいちぃねー!」
「じょーげん、丞幻、おかわりだ。おかわり頼んでくれ」
「シロちゃーん。欲しい時は自分で頼みなさいね、ワシに頼むんじゃなくって。……おそねちゃーん、白和えお代わりー! っと、どしたの矢凪?」
「……」

 ぺろりと白和えを食べきった矢凪が、物足りなさそうに小鉢を見つめている。

「あっ、お前もお代わり欲しい? 一緒に頼んどく? なんじゃい、お前もシロちゃんと一緒で人見知りなの? よしよし、しょーがないわね。一人も二人も同じだし、ワシが頼んであげるわよう、もう」
「ちげぇよ」

 絡む丞幻に鬱陶しそうに首を振って、豆腐の欠片も残っていない小鉢に視線をやる。

「持ち帰れんのか、これ?」
「もっちろん、持ち帰れるわよー。持ち帰って酒のあてにする? 前も言ったけど、ほんっと清酒に合っていくらでも飲めるのよー」
「ん」

 こくり、と首を縦に振る。その幼子のような仕草に苦笑いを漏らし、そういえばこいつの年齢聞いてないわね、いくつなのかしらんと思いつつ、丞幻は片手を挙げた。

「おそねちゃーん! 白和えお持ち帰りするから、なんかに詰めてくれるー? あと、全員分の小鉢お代わりでー!」
「はぁーい!」

 厨房からは、おそねの元気な返事が返ってきた。


◆◆◆

怪異名:友引娘(ともびきむすめ)(退治済)
危険度:丙
概要:
夕刻に蛙田沢でよく見られる怪異。
首に麻縄を巻いた黒髪の娘姿をしている。後ろには過去の犠牲者十五名(内、生存者一名)が数珠繋ぎに繋がれている。身体の一部に紐を巻いている事が犠牲者の条件であり、紐であればなんでも良い。異怪奉行所の守り紐も対象内。
自害した娘の魂が死体を見つけてもらえず、寂しさのあまり怪異化したものとみられる。紐を巻いていた者を狙った理由として、「己のように、身体の一部に紐を巻いている人はみんな友達である」という歪な考えによるもの(推測)。
縄に繋がれている犠牲者を一人でも切り離した場合、「友達を取られた」と怒り狂い襲ってくる。
異怪奉行所の同心により発見、退治済。
(追記)同心が駆けつける前に怪異が弱っていたという情報あり。調査求。←了解。
犠牲者は一名を除き死亡を確認。身元確認後、遺族へ連絡を入れる。←終了。
怪異が現れる一月ほど前より、件の地域で友引娘を示すような童歌が流行っている事を確認。調査求。←重要度が低い為、必要無し。

『貴墨怪異覚書』より抜粋。
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