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BL小説家と私小説家がパン屋でバイトしたらこうなった1
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その後の休憩も穂積と二人だった。図らずも女性客から守ったことへの感謝を散々されたあと、
「久見さんは、俺を知ってるってことは、普段小説を読むんですか。どんなのが好きですか」
と切りだされ、専ら小説の話になった。
どんなジャンルを好むか、誰の作品が好きか、その作品のどこが魅力か、互いに語りあった。互いに重なる部分もあれば、未読の作家の名も出てくる。私は偏狭な人間であるため、好きな小説を語りあうような友人がいない。小説家やその作品名を出しても、通じる相手がいなかった。が、穂積とはかなりの割合で通じあえた。だから彼との語りあいはすこぶる興奮するものであり、夢中で語ってしまった。休憩の一時間ではとても飽き足りない。私は午後の仕事を終えたあと、ためらいながらも我慢できず、ロッカールームで着替えながら彼を夕食に誘った。
「小説の話の続きをしたいんだが、どうだろう。夕飯でも食べながら。このあと、執筆の予定なんてあるのか」
一般読者ならば、作家先生と小説談議なぞ恐縮しそうなものだが、私も小説家の端くれという自負があるため、へりくだった態度はとらず、対等に話をした。それが功を奏したのか、穂積のほうも私とおなじように思ってくれていたようで、目を輝かせて誘いに乗ってくれた。
「予定なんてなにもないです。俺も話したかったんで、ぜひ」
「穂積君は、酒は飲めるほうか」
「ええ」
「居酒屋でも行く? 普段、夕飯はどうしてる?」
誰かを食事に誘うなど久方ぶりのことで、馴染みの店などもない。話しながらショッピングセンターを出て、ほど近い場所にあるチェーンの居酒屋が開いていたのでそこに入った。
酒を飲みながら小説談議に花を咲かせ、三時間以上はいただろうか。途中からよく覚えていないのだが、遅くまで居座っていたように思う。小説以外にもプライベートなことも話し、穂積が駅前のマンションに住んでいることも知った。私のほうは、小説家であることは頑なに隠し通したが、それ以外は洗いざらい喋った気がする。
すっかり打ち解けあい、私は彼の人柄に好感を覚えた。イケメンのわりに卑屈なほど謙虚。どれほど飲んでも穏やかで柔和な態度は崩さないのに、小説を語るときは狂気じみた情熱を覗かせる。
我ながら単純なことであるが、小説に関する嫉妬心は依然消えぬものの、敵愾心はなりを収めたのであった。
※※※
穂積がバイトに加わって一か月が過ぎた。
販売促進フェアを開催しているわけでもないのに、最近どうも、客が増えている気がする。全員ではないが、妙齢の女性客の多くが、穂積の姿を目で追っているように見える。
そう店長に言ったら肯定された。実際に、売り上げが増えているのだそうだ。
「やっぱりイケメン効果なんだろうかね。作る量、今日も増やすよ」
店長は売り上げが増えて嬉しかろうが、バイトは多忙になっても時給が上がるわけではないので、どちらかと言えば迷惑な話である。
ガラス越しに売り場へ目を向けると、レジ待ちで並んでいる女性客がこちらを見ていた。こちらと言っても正確には私ではなく、私の隣にいる穂積であるが。
あいかわらず販売スタッフの独身女子も、隙あらば穂積に話しかけようとしている。
穂積が女性に興味がないと知っても、彼のモテっぷりを連日目の当たりにしていると、嫉妬心が沸く。
だが嫉妬を覚えながらも、女子に対しては内心で嘲笑していた。
いくら粉をかけても、女子どもが選ばれることはない。ゲイで女性恐怖症の彼には迷惑でしかないのだ。それを知らずに今日も一生懸命媚びて、滑稽なことである。
我ながら性格が悪いことだが、心の中で毒づくことで鬱憤を晴らしていた。
そんな調子で嫉妬心は持続中だが、穂積と私の関係は極めて良好で、昨日もバイト帰りに酒を酌み交わしていた。
できれば今日もと彼のほうから誘われたのだが、あいにく今日は愛読している雑誌の発売日だったので断った。
仕事を終えて私服に着替えると、私はいそいそとショッピングセンター内の本屋へ向かった。
目当ての純文学系の雑誌を手にし、BLコーナーを通過してレジに向かいかけ、はたと足を止めた。私の著作が平台に積まれていたのだ。
新刊が出たのは三か月前である。私は売れっ子ではないしヒット作もない。新刊が出たわけでもないのに平台に積まれるはずはないと訝ってよくよく見ると、別の著者の新刊の上に、私の既刊本が一冊だけ載っていただけだった。誰かが棚からとりだしたものを置いてそのままにしたのだろう。
私はなにげなく自著を手にとった。そのとき、
「久見さん?」
背後から声をかけられ、ぎょっとして振り返ると、穂積がいた。
穂積の視線は私の手にある文庫本へ、それからBL本だらけの棚へ、最後に私の顔へ向けられた。
「こういうのも読むんですか」
「あ、いや、これは」
予想だにしていなかったことで、私はうろたえ、赤面した。
顔をじっと観察されている。早く誤魔化さなくては。
穂積が微笑む。
「俺も読んだことありますけど、面白いですよね」
私のうろたえぶりを見て、安心させるようにそう言ってくれるが、そうではないのだ。その配慮は誤解だ。
「そうじゃなく……散らかっていたから気になって」
へどもどと言いわけにもならぬことを言いながら自著を捨て置き、BL棚を隠すような不審極まりない動きをしてから「じゃあ」と会釈してレジのほうへ逃げだした。
声をかけてきた穂積も置いていく格好である。
疾駆する心臓を押さえながら急いで支払いを済ませ、本屋から立ち去る。いまの遭遇はなかったことにしたい一心で逃げだしたが、急いだところでなかったことにはできない。逃げるのではなく、もっとうまく誤魔化すべきだったと反省したが、動転していたあの状況では、どうしたって不審で頓珍漢な言葉しか出てこなかっただろう。
それにしても、穂積はどう思っただろうか。
私がBL愛読者と思ったに違いない。まさかBL作家とばれているはずはない。
男のくせにBL愛読者と思われるのは恥ずかしい。しかし純粋な読者と思ってくれたなら、まだいい。私もそちらの性指向があると勘繰られたりしてやいないだろうか。
変に慌てたそぶりを見せたから、妙な信憑性が加わっていそうだ。
「久見さんは、俺を知ってるってことは、普段小説を読むんですか。どんなのが好きですか」
と切りだされ、専ら小説の話になった。
どんなジャンルを好むか、誰の作品が好きか、その作品のどこが魅力か、互いに語りあった。互いに重なる部分もあれば、未読の作家の名も出てくる。私は偏狭な人間であるため、好きな小説を語りあうような友人がいない。小説家やその作品名を出しても、通じる相手がいなかった。が、穂積とはかなりの割合で通じあえた。だから彼との語りあいはすこぶる興奮するものであり、夢中で語ってしまった。休憩の一時間ではとても飽き足りない。私は午後の仕事を終えたあと、ためらいながらも我慢できず、ロッカールームで着替えながら彼を夕食に誘った。
「小説の話の続きをしたいんだが、どうだろう。夕飯でも食べながら。このあと、執筆の予定なんてあるのか」
一般読者ならば、作家先生と小説談議なぞ恐縮しそうなものだが、私も小説家の端くれという自負があるため、へりくだった態度はとらず、対等に話をした。それが功を奏したのか、穂積のほうも私とおなじように思ってくれていたようで、目を輝かせて誘いに乗ってくれた。
「予定なんてなにもないです。俺も話したかったんで、ぜひ」
「穂積君は、酒は飲めるほうか」
「ええ」
「居酒屋でも行く? 普段、夕飯はどうしてる?」
誰かを食事に誘うなど久方ぶりのことで、馴染みの店などもない。話しながらショッピングセンターを出て、ほど近い場所にあるチェーンの居酒屋が開いていたのでそこに入った。
酒を飲みながら小説談議に花を咲かせ、三時間以上はいただろうか。途中からよく覚えていないのだが、遅くまで居座っていたように思う。小説以外にもプライベートなことも話し、穂積が駅前のマンションに住んでいることも知った。私のほうは、小説家であることは頑なに隠し通したが、それ以外は洗いざらい喋った気がする。
すっかり打ち解けあい、私は彼の人柄に好感を覚えた。イケメンのわりに卑屈なほど謙虚。どれほど飲んでも穏やかで柔和な態度は崩さないのに、小説を語るときは狂気じみた情熱を覗かせる。
我ながら単純なことであるが、小説に関する嫉妬心は依然消えぬものの、敵愾心はなりを収めたのであった。
※※※
穂積がバイトに加わって一か月が過ぎた。
販売促進フェアを開催しているわけでもないのに、最近どうも、客が増えている気がする。全員ではないが、妙齢の女性客の多くが、穂積の姿を目で追っているように見える。
そう店長に言ったら肯定された。実際に、売り上げが増えているのだそうだ。
「やっぱりイケメン効果なんだろうかね。作る量、今日も増やすよ」
店長は売り上げが増えて嬉しかろうが、バイトは多忙になっても時給が上がるわけではないので、どちらかと言えば迷惑な話である。
ガラス越しに売り場へ目を向けると、レジ待ちで並んでいる女性客がこちらを見ていた。こちらと言っても正確には私ではなく、私の隣にいる穂積であるが。
あいかわらず販売スタッフの独身女子も、隙あらば穂積に話しかけようとしている。
穂積が女性に興味がないと知っても、彼のモテっぷりを連日目の当たりにしていると、嫉妬心が沸く。
だが嫉妬を覚えながらも、女子に対しては内心で嘲笑していた。
いくら粉をかけても、女子どもが選ばれることはない。ゲイで女性恐怖症の彼には迷惑でしかないのだ。それを知らずに今日も一生懸命媚びて、滑稽なことである。
我ながら性格が悪いことだが、心の中で毒づくことで鬱憤を晴らしていた。
そんな調子で嫉妬心は持続中だが、穂積と私の関係は極めて良好で、昨日もバイト帰りに酒を酌み交わしていた。
できれば今日もと彼のほうから誘われたのだが、あいにく今日は愛読している雑誌の発売日だったので断った。
仕事を終えて私服に着替えると、私はいそいそとショッピングセンター内の本屋へ向かった。
目当ての純文学系の雑誌を手にし、BLコーナーを通過してレジに向かいかけ、はたと足を止めた。私の著作が平台に積まれていたのだ。
新刊が出たのは三か月前である。私は売れっ子ではないしヒット作もない。新刊が出たわけでもないのに平台に積まれるはずはないと訝ってよくよく見ると、別の著者の新刊の上に、私の既刊本が一冊だけ載っていただけだった。誰かが棚からとりだしたものを置いてそのままにしたのだろう。
私はなにげなく自著を手にとった。そのとき、
「久見さん?」
背後から声をかけられ、ぎょっとして振り返ると、穂積がいた。
穂積の視線は私の手にある文庫本へ、それからBL本だらけの棚へ、最後に私の顔へ向けられた。
「こういうのも読むんですか」
「あ、いや、これは」
予想だにしていなかったことで、私はうろたえ、赤面した。
顔をじっと観察されている。早く誤魔化さなくては。
穂積が微笑む。
「俺も読んだことありますけど、面白いですよね」
私のうろたえぶりを見て、安心させるようにそう言ってくれるが、そうではないのだ。その配慮は誤解だ。
「そうじゃなく……散らかっていたから気になって」
へどもどと言いわけにもならぬことを言いながら自著を捨て置き、BL棚を隠すような不審極まりない動きをしてから「じゃあ」と会釈してレジのほうへ逃げだした。
声をかけてきた穂積も置いていく格好である。
疾駆する心臓を押さえながら急いで支払いを済ませ、本屋から立ち去る。いまの遭遇はなかったことにしたい一心で逃げだしたが、急いだところでなかったことにはできない。逃げるのではなく、もっとうまく誤魔化すべきだったと反省したが、動転していたあの状況では、どうしたって不審で頓珍漢な言葉しか出てこなかっただろう。
それにしても、穂積はどう思っただろうか。
私がBL愛読者と思ったに違いない。まさかBL作家とばれているはずはない。
男のくせにBL愛読者と思われるのは恥ずかしい。しかし純粋な読者と思ってくれたなら、まだいい。私もそちらの性指向があると勘繰られたりしてやいないだろうか。
変に慌てたそぶりを見せたから、妙な信憑性が加わっていそうだ。
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