BL小説家ですが、ライバル視している私小説家に迫られています

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 脳震盪を起こしたらしく、救急車で運ばれている途中で目覚めた。
 車内を見ると、穂積が付き添ってくれていた。
 病院についてもぼんやりしていたが、検査を受けているうちに頭がはっきりしてきた。それと共に体の痛みを自覚する。特に両腕が痛む。
 診断の結果、両肘の骨挫傷とのことだった。治癒期間は一か月。両腕を簡易ギプスで固定される。脇下から手首が隠れるところまで、ギプスの上から包帯でぐるぐる巻きにされている。
 固定されたことで多少は楽にはなったが、力を入れようとすると痛む。指を動かすだけでも患部が痛む。片腕ならまだしも両腕である。骨折よりはマシだが、これではバイトも執筆もできないどころか日常生活にも支障をきたす。これから一か月、どうやって生活したらいいのであろうか。
 そういえば、医療保険を解約してしまった。解約した直後に怪我をするなんて、なんとタイミングの悪いことかと悔しさが込みあげる。
 治療を終えた後、会計窓口前の椅子に穂積と座る。日曜日の救急外来窓口はガランとしていて、広く薄暗いそこにいるのは私と穂積だけだった。会計を待っているあいだに私をはねた相手がやってきて、謝罪して帰っていった。
 森山春香はいない。どうしただろう。

「穂積君、私の鞄の中からスマホをとってもらえるか」

 スマホを渡され、森山春香のラインを開く。ほんの少し指を動かすのも痛みが響く。

「悪いんだけど、代筆してくれるか」

 自分で文章を打つのを諦め、穂積にスマホを渡した。彼女とのこれまでのやりとりを穂積に見られることになるが、しかたがない。

「心配かけてすみませんでした。だいじょうぶです、と」

 穂積が文章を打ち、それを私に確認させてから送信する。返事はすぐに来て、穂積がスマホ画面をこちらに向けてくれる。「心配してましたよお! 無事ですか。お怪我は?」と書かれている。読んでいるうちに追加で「私は動転してしまって。一緒に救急車に乗った方はお知り合いなんですね?」とも届いた。

「だいじょうぶです、とだけ、送って」

 送信してしばらくすると、「落ち着いたらご連絡ください。待っています。また改めてお会いしましょう」と返信が来た。
 私は少し考えて、穂積に伝えた。

「忙しくなるので、今後はご連絡を控えます、すみません、楽しいひとときをありがとうございました、と送って」
「……」

 穂積が意味ありげな視線を私に寄越してくる。「送ってくれ」ともう一度言うと、彼の指がスマホの上を動く。文章を打ち、送信したのを確認すると、私はダラリと体の力を抜いた。そしてギプスから覗く己の指先へ目を落としてひっそりと告げる。

「……もう、彼女とは会わない。連絡もしない」

 穂積が私をチラリと見て、無言でスマホに指を滑らせる。

「あ、待て。いまのは違うから。きみに言ったんだ。送らなくていい――」

 慌ててスマホ画面をのぞき込むと、「救急車に乗ったのは恋人です」などという文章が送信されていた。

 なんてことを勝手に書いているのだ。

「ちょ……、おい!」
「訂正するならご自分でどうぞ」

 穂積が涼しい顔でスマホを差しだしてくる。

「……」
「どうぞ。それとも、もうしまってもいいですか?」

 再度通知があったようだが、穂積がアプリを閉じてしまった。
 私は彼の端正な顔を睨んだ。しばし見つめあう状態となる。
 
「……。鞄にしまってくれ」

 先に目を逸らしたのは私だった。
 頑張れば、少しの文章なら打てたかもしれない。私が怒って強く言えば、穂積も訂正文を書いてくれただろう。だが私はそうしなかった。スマホを受けとらず、会計を気にする素振りで顔を背けた。穂積がほんのりと微笑みながらスマホを鞄にしまう。その横顔を見たら、なんだか恥ずかしさが込みあげてきて、顔が赤くなる前に俯いた。
 穂積の勝手な文章を、森山春香は私の言葉として受けとめただろうけれども、彼女にどう思われようと、もうどうでもよくなっていた。
 彼女に対する恋情は、まるで憑き物が落ちたように私の中から消え去っていた。
 事故の前、穂積の顔を見た瞬間、わかったことがある。
 私にとって、恋とは性欲であった。
 森山春香への思いは、まことに申しわけないが性欲で占められていた。それだけだった。可愛い顔と大きな胸にしか興味がなかった。セックスできるなら彼女でなくてもよかった。
 それを気づかせてくれた穂積に対しては――。

「久見さん。あのとき、俺を追いかけようとしたでしょう。なにを言うつもりだったんですか?」
「……わからない。呼びとめて……どうするつもりだったんだろう」

 違うと言いたかった。彼女は違うんだと。そして、それで――どうするつもりだったのだろう。その後のことは頭になく、行動していた。
 私は密やかな息をつき、天井を見上げて呟いた。

「穂積君」
「はい」
「もしかしたらの話だ。もしかしたら、なんだけど」
「はい」
「いつかきみは、私の性欲という強敵に打ち勝てる日が来るかもしれない」

 穂積が眉間を顰めた。

「すみません、ちょっと意味が……。頭を強くぶつけたから……?」

 私はフッと笑った。会計から呼ばれ、席を立つ。
 支払いをしようとしたが財布を出すことができず、穂積にやってもらう。会計をすませて出口へ向かいながら、今後の生活を思いやってため息が零れた。

「自分でなにもできない。これから一か月か……。参ったな」
「食事も風呂も難しそうですね」
「ああ」
「治るまで、うちで暮らしませんか。俺がお世話しますよ」
「え」

 思わず立ちどまって見上げた。
 穂積はいつもと変わらぬ笑顔を浮かべていた。

「久見さんが俺を追いかけてこうなったんだから、俺の責任です。責任とらせてください」
「いや、道路に飛びだした私の自業自得で、穂積君のせいじゃないし。迷惑かかるし、悪いよ」
「迷惑じゃないです。悪くないです。遠慮しないでください。その腕でいきなり一人は厳しいですって。一か月俺と一緒にいるのが嫌ならば、せめて痛みが和らぐまでとか、一人でも生活できる工夫を考えてからとか。ね? そうしましょう」
「きみといるのが嫌ってことはないけど」
「じゃあ決まりですね」
「いや、でも……本当にいいのか?」
「いいに決まってるでしょう」

 いくら品性下劣な私といえども良心や遠慮というものも持ちあわせており、さすがに悪いと思った。しかしながら一人で過ごす不安と天秤にかけ、さほど悩むことなく甘えることにした。

「じゃあ……すまない。迷惑をかけるけど、よろしく頼む」

 私がそう言うと、穂積の顔が嬉しそうに綻んだ。

「こちらこそ。早速、あなたを迎える準備をしないと。まずあなたの家へ荷物をとりに行って、それから必要なものを買いだしに行って…。楽しみだなあ。俺、同棲って初めてなんです」
「は? 同棲……って」
「ん? そういうことですよね?」
「違うから」

 ニッコニコの穂積の顔を見たら、この後のことがとても不安になった。


3(了)

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