こわいおにぎり

功刀攸

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こわいおにぎり

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「ねえねえ、知ってる? こわーいおにぎりがあるんだって」
「怖いおにぎり?」
「何それ」

 昼休み。図書館で最近入ったばかりの本を借りて読んでいると、近くの机をかこんで座っている後輩たちがそんな話を始めた。

「怖いおにぎりって、なんだろうね?」
「人食いおにぎりとか?」
「おにぎりが人を食べちゃうの!?」

 それはそれで面白いかもしれない。人に食べられる存在が、人を食べるだなんて……。まあ、相手が肉食の動物だったら、ありえないこともない。しかし、これは肉食の動物ではない。おにぎりの話だ。

「その話、どこで聞いたの?」

 後輩たちに近づいて話しかけたのは、クラスメイトの佐藤だった。一年生の時から、図書委員会に所属していて、今年は念願の図書委員長になっている。私が本を借りにカウンターへ行った時は、司書室で何か作業をしていたようだが、終わったようだ。

「あ、うるさくしてすみません」

 佐藤に話しかけられた後輩の一人が、軽く頭を下げて謝る。

「今日は人が少ないから大丈夫だよ。これ以上、大きな声だと迷惑になっちゃうけど……ね」

 そこで私を見るな、佐藤。後輩たちが気にしてしまうだろう。――その視線を無視して、私は読書を続ける。とは言っても、会話が気になるので視線を薄い紙に印字された文字に向けているだけだ。

「それで、<こわいおにぎり>の話を教えてくれる?」
「えっと……、先輩も興味あるんですか?」

 後輩は、心底不思議とでもいうような声色で佐藤に尋ねる。少し言葉に詰まったのは、佐藤の学年を確認していたのだろう。男子は学ラン、女子はセーラー服の胸ポケットにつける名札には、自分の名前の下に、学年ごとにの違う色で一本の太いラインがひかれている。これを見ることで、私たちは相手の学年を知ることができるのだ。一年生は朱色、二年生は深緑色、三年生は水色。私と佐藤は水色のライン、後輩たちは朱色のラインがひかれていた。

「まあ、そうだね。<こわいおにぎり>なんて、どんなモノなのか一度は見てみたいじゃないか」
「うーん、私も詳しい話を聞いたわけじゃないんですけど……」

 それは、その名の通りおにぎりの形をしているモノらしい。彼女は部活の先輩からこの話を聞いたそうだ。その先輩は高校生の姉から聞き、高校生の姉は同級生、同級生は隣町に通う小学生の妹、妹はクラスメイト、クラスメイトは中学生の兄、兄は……と延々と続く。知らない誰かが始めた噂が、様々な人を通してここまでやってきたようだ。
 ――しかし、これはただの噂と言ってもいいのだろうか?

「おにぎりの形をしているから、怖いのかな」
「よく分からないんですけど、そのおにぎりは人を食べるだとか、おにぎりに怪我を負わされただとか、いろんな話がごちゃ混ぜになってるんです」

 日本で古くから弁当や携帯食、軽食として愛されているおにぎりが人を害するだなんて……。不思議な話だ。

「なんで、おにぎりなんだろうね? おにぎり以外の形のモノはないのかな」
「今のところ、おにぎり以外の形になっているという話は聞いたことないです」
「誰かがおいしくないおにぎりを食べちゃって、その悪口が噂で流れるうちに変化していったんじゃない?」
「そうかなあ?」

 人を食べるだとか、怪我を負わせるだとか、相手が自立して動くものなら分からなくもないけど、おにぎりが<こわい>だなんて、どっちの意味なんだろうなあ。

「綿野は<こわいおにぎり>の話って知ってる?」
「は?」

 佐藤は、突然私に話しかけてきた。こっちに話を振るとか聞いてないし、予想もしてなかったんだけどなあ。
 見つめていただけの黒い文字から目を離し、佐藤と後輩たちに目を向ける。佐藤は笑みを浮かべ、後輩たちは……後輩たちも佐藤が私に話しかけるとは思ってもいなかったようで驚いた顔をして私を見ていた。この際、気にしたら負けのような気がしてきた。何がとは言わないけど……。

「あー。隣のクラスの伊東がそんな話をしていたような気がするけど、情報が曖昧すぎて今の今まで忘れてたぐらいだ」
「え、うちの学年にも流れてたの? この噂」

 これには驚いた。どうやら、佐藤はこの噂を聞いたことがなかったようだ。ここ数日、どのクラスでも一度は話題に上がっていたはずなんだけどなあ。まあ、佐藤はいつも読書ばかりしているから気づいていなかったのかもしれないな。

「伊東はバレー部の部長に聞いたって言ってたよ」
「それじゃあ、私が聞いた話と一緒だ!」

 私が言うと、<こわいおにぎり>の話を始めた子がそう言った。どうやら、彼女はバレー部だったらしい。他の子は知らなかったようだし、バレー部ではないんだろうな。

「バレー部かあ……」
「そう、バレー部。――それにしても、<こわいおにぎり>の<こわい>って、どんな漢字なんだろうね」
「へ?」

 そう言うと、バレー部の子は全く分からないという顔をしている。
 <こわい>を辞書で探すと、怖い・恐い・強いの三種類が出てくる。「怖い」と「恐い」は同じ意味だが、大きな違いは常用漢字かそうでないからしい。そして、「強い」は「つよい」ではなく、「こわい」。いじっぱりだとか、歯ごたえがあるという意味らしい。平安時代を舞台にしたファンタジー小説では、強飯と書いて「こわいい」と読むご飯が出ていた。

「<こわいおにぎり>の正体は、歯ごたえのある<強いおにぎり>だって言いたいのか?」

「おにぎりに使われるなら、怖いでも恐ろしいでもなくて、歯ごたえのある強いの方が一般的じゃないかって言ってるだけだよ」

 ――ただ、<こわいおにぎり>は人を害するモノらしいけどね……。
 しいんと、そこで会話が途切れてしまった。後輩たちは不安そうな顔で、佐藤を見つめている。佐藤はと言えば、眉間に皺をよせて黙ってしまった。佐藤がこんな顔をするのは、珍しいことだ。読書中はほとんど表情が動かず、一部からは能面とも言われているほどの彼でも、眉間の皺をここまで深くした様子は初めてのことだ。もちろん、私が見ていないだけで他の誰かは見たことがあるかもしれない。
 ――ああ、そうだ。あの話のことを忘れていた。

「そういえば、<こわいおにぎり>は女の人が持ってるっていう話も聞いたなあ」
「あ、それ私も聞きました! でも、見た目も年齢も全く違うんですよね」

 バレー部の子は、<こわいおにぎり>を持つ人物の姿が、見た人によって違うという話まで聞いていたようだ。ある人は小学生が持っていた、ある人は腰の曲がったおばあさんが持っていた、ある人は隣の家のお姉さんが持っていた……などなど。様々な場所から流れて来た噂が入り混じった結果、その人物の姿は全くもって分からなくなっていた。

「小学生から始まって、中学生や高校生に大学生。スーツを着た女性だとか、派手な服をきたおばちゃんに杖をついたおばあさんっていう……年齢の幅が広すぎるよね。噂にしても」
「赤ちゃんが持っていたなんてのも聞きましたよ。あ! これは昨日聞いたんですけど、クラスメイトが持っていたなんて話もありました。これは言いがかりすぎますよね」
「ああ。昼食として持ってきたおにぎりを食べていたら、<こわいおにぎり>を食べてるってクラスの男子に指を指された人だよね。失礼な人もいたもんだ」

 正体不明の人を害する<こわいおにぎり>と、それを持つ年齢不詳の女性。どちらも曖昧で、何が怖いのか、恐ろしいのか、強いのかも分からない。

「この噂を流した人は、いったい何がしたかったんだろうねえ」
「本当ですよねー。おにぎりおいしいのに、こんな噂が流れていたらいい気分で食べられないですよ」
「最近は期間限定の具材とか、いろんな種類があるからコンビニで買う時に悩む。特に新商品が出た時」
「私も悩みます。でも、結局いつもの鮭おにぎりを選んじゃいますね!」
「ちょっと。盛り上がってるところ悪いけど、<こわいおにぎり>の話はどこへいけったの?」

 ついうっかり、自分の好きなおにぎりの話を始めてしまった私たちを見ながら、佐藤はそう言った。

「ごめん」
「あ、すみません」

 佐藤は呆れた顔で、私たちを見ていた。その時、司書室の扉が開いて、中から出てきた図書館の先生――司書さんが佐藤を呼んだ。

「佐藤くーん。本の返却よろしくねー」
「あ、はーい。それじゃあ、この話はまた後で」
「はーい。お疲れ様です!」

 佐藤は返事をしながら急いで司書室の方へと向かっていってしまった。これで、話は終わりかな。後輩たちは、教室に戻るのか机の上に広げていたノートや筆記用具を片付け始めている。
 ――ああ、そうだ。

「この噂は、あまり真剣に聞かないで流しておくといいよ」
「えっ。もしかして、何か悪いことが起きちゃったりします?」

 そう言うと、バレー部の子が顔を青ざめさせながら私を見た。他の子たちも同様に、顔色が悪くなっている。

「言霊って、聞いたことないかな?」
「えっと……。確か、言ったことが本当に起きるみたいな感じでしたよね」
「言葉には霊力がこもるとか、なんとか?」

 言霊とは、言葉に宿る霊力のようなモノ。声に出した言葉が、現実へとなんらかの影響を与えると言われている。良い言葉を発すれば、良いことが起きる。反対に、悪い言葉を発すれば、悪いことが起きるらしい。

「噂というモノは、人を介して伝わっていくうちに、元々の話とは全く違う別のモノになっていたりすることはよくあることだ。私たちが聞いたモノは、本当かもしれないし嘘かもしれない。けれど、遊び半分でも噂を本当のことだと思いながら話せば、それは事実になるかもしれないのさ。―――だから、噂を流す時は気をつけてね」
「は、はーい!」
「気をつます」
「ありがとうございます。綿野先輩」

 そろって口元を引き攣らせた後輩たちは、お互いに「気をつけようね」と言葉を交わしながら、足早に教室へと帰っていった。
 ――さて、結局<こわいおにぎり>とはなんなのだろうか?

「あれ、あの子たち帰っちゃったんだ」
「佐藤か」

 返却された本を本棚に戻し終えたのか、佐藤がやってきて私の目の前の席に座った。

「綿野は、あの噂どう思う?」
「<こわいおにぎり>ねえ……。私はただの言葉遊びの延長だと思っているよ」

 この話は、「<こわいおにぎり>って知ってる?」という言葉から始まる噂だ。「こわい」と聞くと、強飯を知らない人は基本的に「怖い」や「恐い」だと思ってしまうだろう。そうすると、おにぎりの何が怖いのかと疑問を浮かべる人が現れ、話し手はおにぎりで人を害し始める。
 人を食らうだの、怪我を負わせるだの、手足が生えて追いかけてくるだの……。ホラーにありきたりなものから、犯罪者のような行いをするモノまで様々なおにぎりが現れた。

「あー、綿野はそっち派か」
「そっち派って何さ。佐藤はどう考えてるわけ?」
「俺はね、どちらでもあってどちらでもないと思ってる」
「つまり……?」
「<こわいおにぎり>は、怖くて・恐ろしくて・歯ごたえを感じるほどに強いおにぎりってことさ」

 佐藤は難しそうな顔をしながら、そう言った。これは、もしかして実際にそのおにぎりを見たことがあるということだろうか?

「もしかして、本当に<こわいおにぎり>を見たとか?」
「おにぎりじゃなくて、それに怯える人なら……ね」

 佐藤は図書館に人がそれほどいないにも関わらず、声をひそめて話し始めた。
 ――話は、数日前に遡る。佐藤の家の近くに住んでいる、幼馴染である大学生の様子がおかしくなったらしい。始めは、家から一歩も出なくなり、今では大学も休学しているという。次に、自分の部屋から出なくなり、風呂やトイレに行く時以外は出てこないそうだ。酷い時は、丸一日出てこない日もあるらしい。
 そして最後に、その人を心配した母親が作ったおにぎりを見ては、顔を青ざめさせて「こわいこわい」とつぶやくようになったとか……。

「おにぎり恐怖症だったりするの、その人」
 思わず声に出してしまったが、そんな恐怖症の人がいるなら一度は会ってみたいものだ。なんだ、おにぎり恐怖症って。
「いや、普通にご飯も食べてたし、昼食は毎日おばさんお手製のおにぎりを食べてた。茶碗に盛られたご飯なら食べるけど、おにぎりにすると見ようともしないんだってさ。ちなみに、おばさんの作るおにぎりの具は沢庵キムチだよ」

 それはまた、歯ごたえのありそうな具材だ。
 ――それにしても、なぜ身近にそんなことが起きているというのに、佐藤は<こわいおにぎり>の話を知らなかったのだろうか。休み時間や給食時間にも、この話をしている人はいたというのに……。不思議だ。

「その人にとっては、<こわいおにぎり>は怖くて・恐ろしくて・歯ごたえがあるモノなんだろうねえ」
「どうしてそう思うようになったのかは、全く分からないけどね。正気に戻ってくれたら聞きに行るんだけど……。おばさんに、今はそっとしておいてって言われてるからなあ……」
「早く治るといいね」

 ありきたりな言葉しか言えないが、その人は私の知り合いではないので、これ以上に何も言うことがない。
 ――丁度その時、予鈴が鳴った。
 そろそろ戻らないと、次の授業に遅れてしまう。立ち上がり、借りた本を抱えて歩き出す。佐藤はまだ、椅子に座ったままだ。

「結局、<こわいおにぎり>の正体はなんなんだろうね」

 図書館から出ると、廊下は教室に戻る生徒たちが歩いたり走ったりと騒がしい。その中に、<こわいおにぎり>の話がちらほらと聞こえる。人の噂も七十五日と言うが、この噂の始まりは二ヶ月ほど前だというのにも関わらず、その勢いは衰えることを知らない。

「さあて、何が面白かったんだろうなあ。こんな言葉遊び」

 ぽつりと零れた言葉は、誰にも拾われずに地面へと吸い込まれていった。
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