笑み。

大峰亮太

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橋を渡る日

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 【ヤマアラシのジレンマ】というのはご存知だろうか。
 哲学者ショーペンハウエルの寓話に登場するヤマアラシの出来事が、人間関係の葛藤に似ていることからべラックだかフロイトだかが作ったものだ(知りたい人は信用に足る文献を漁ることをお勧めする)。
 簡単にいうと、お互いに近づきすぎると相手を傷つけてしまう、しかし離れすぎても疎遠になってしまう。そんな状態だ。

 これは、私と彼女のヤマアラシのジレンマ的恋愛のお話。

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 先に言っておこう。私には霊が見える。それは道にただずんでいるような霊ではない。人に憑き、その人物を守ると言われる霊。守護霊だ。
 そして彼女にも同じものが見えた。

 私たちの出会いは、突然だった。
 春、私は高校に入学し新しい環境とこれから始まる、まだ何も知らぬ新鮮な高校ライフに胸を躍らせていた。
 私の高校には、職員室の横に屋上まで続く階段があり職員室は二階に位置していた。
 私は三階にある教室を目指し階段を登った。階段を登りきった時であった。四階から降りてくる女性がいて私たちはばったり会った。その女性は髪が長く後ろでまとめていて、やや大きすぎる制服を背負うように着ていた。その女性が後の彼女である。
 私は彼女に目を奪われた。一目惚れであった。それと同時に彼女の守護霊にも目を奪われた。それは甲冑を纏い背中には大きな旗。その旗には何やら家紋があった。
 私の守護霊とかなり似ていた。
 彼女も私を見た後、私の背後を見て口をあんぐり開けていた。その顔は間抜けと言って仕舞えばそれまでだが、私からするとひどく可愛らしい顔だった。
「もしかして、君も見えてるの」
 私は言った。
 彼女はこくりと頷くとにこりと微笑んで言った。
「見える人に初めて会いました。びっくりしてます」
 それが私たちの初めての会話だった。
 私は一目惚れしていることに改めて気づき、彼女に見惚れていた。その時だった。私の横のガラスが割れ、割った元凶である野球ボールが私を直撃した。
 驚く彼女をを尻目に私は意識を落とした。

 気がつくと保健室であった。
 私はもぞもぞと動くと保健室の先生を呼んだ。先生はすぐに来た。
「あら!起きたかい。いやア、びっくりしたよ。女の子が走ってきて、男の子が野球のボールに撃ち抜かれた!なんて口走るもんだから私は走って行ったもんだよ。でも意識が戻ったってことは大したことはなそうかい」
 ずいぶん杜撰な人だと思った。野球ボールに撃ち抜かれて気を失っている生徒が居たら救急車でも呼んでくれればいいのにと思った。
「とりあえず大丈夫です」
 私は立ち上がった。少しふらつくが幾年ぶりかの気合いで乗り切った。
 私は彼女に礼を言わなければと思った。そして彼女を探し回ったが、結局その日は見つけることは出来なかった。

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 その夜のことであった。
「小僧、あの女子とつるむのはよせ」
 そう声が聞こえた。私は驚いて椅子から転がり落ちそうになった。声の主は私の守護霊であった。彼も彼女の守護霊同様、甲冑を纏い、大きな旗に家紋を刻んでいる。
「お前、話せたのか」
 私は聞いた。
「話せるに決まっているであろう。話しかけられなかったから話さなかったまでだ」
 そういうと彼は続けた。
「とにかくあれとはつるむな」
「な、何を言っているんだ!私は彼女に惚れているんだぞ。つるむぞ私は!」
 私は声を荒げて言った。自分が言ったことに赤面したことは明らかであった。階下から母が「うるさいよ」と声を荒げるのが聞こえた。
「はあ」と言うと、彼は私の前にあぐらをかいた。
「いいか小僧、今日小僧の頭に球が直撃したのは必然だ」
 なんのことを言っているんだろうか、あれは私の運が悪かっただけだろう。
「我ら守護霊というのは、憑いた人間の不幸をできる限り逸らすことが使命だ。ただこれは個人の不幸だ、災害などは逸らせないがな。小僧はあの女の守護霊を見ただろう。奴が持っていた旗の家紋を覚えているか」
 そういえば家紋があった。
「うん覚えている」
「あれは揚羽蝶と言ってな平氏の家紋だ。そして我の家紋は笹竜胆と言い源氏のものだ。ここまで言えば分かるだろう」
「つまり、仲が悪い…」
「仲が悪いなんてもんじゃないぞ、小僧があの女子に見惚れている間、我と奴は、絶賛斬り合いをしておった。そしてその間、我は小僧を不幸から守ることができぬ、それはあの女子も同じだ。なぜかな、この体になっても我と奴は斬り合わなくてはいけぬらしい」
 そう言った彼はどこか悲しげであった気がした。
「つまり、私が近づけば、彼女は不幸になると?」
「そういうことだ、小僧は壇ノ浦の戦いは知っているだろう。あの戦いで平氏は滅んだ。もし小僧があの女子に近づきすぎると、我はきっと女子の守護霊を殺す、消滅させてしまうぞ。そうなれば女子を不幸から守る存在は無くなる。あとは分かるな」
 彼は淡々と言った。なんて残酷なのだろうと思った。
「じゃあ会わなければいいんだな」
 私は聞いた。
「会わなければ問題ない。なんならその携帯というものを使って連絡を取り合えばどうだ」
「そのつもりだ」
 私は悲しき事実の中に、少しばかりの希望を見つけていた。
 上手く行こうが上手く行かまいが、やるしかない。いや、私はやりたかった。彼女と心を通わせたかった。

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 そしてまあ、なんやかんやあって私と彼女は恋人関係になった。その道中、何があったか説明する気はない。分かってくれ。ただ私は彼女を求めて東奔西走していたことだけは確かだ。
 今は彼女とは、メールや電話で連絡を取るだけである。
 私も彼女もそれでよかった。それだけで幸せだった。

 ある日のことだった。私の守護霊が言った。
「うぬ、これは小僧に言っただろうか、毎年、十月二十八日は全ての人間の守護霊は消える。消えると言っても憑いた主を離れ、ある場所に行かねばならぬ」
 聞いていない、聞いていない。
「な、なんだそれ!それじゃあ彼女と会えるではないか。あら、でも不幸を守るものは…」
 彼は言った。
「いや、行くと言っても私の自我だけだ、霊体は主についたままだからその心配はない」
 私は疑問と苦言を口にした。
「それなら毎日そうしてくれればいいじゃないか」
「それがなア、そうはいかんのだ。普段は自我と霊体は強く結びついておる、憑いた人間ともな。しかしその日だけは特別でな、結びつきが綻んで自我は自由に動けるのだ。なぜその日が特別なのかは我の知るとこではない」
 彼は続けた。
「ただ、我と女子の守護霊はかなり強力だから大丈夫であろうが、十分に注意するんだ。弱い霊体は妖や色々なものに食われて連れられるぞ」
 彼の異様な威圧に私はぞっとしたが「私と彼女は大丈夫なんだな」と聞くと彼は頷いた。
 私は彼女に急いで電話をすると今の話を伝えた。そして会う約束も取り付けた。
 電話を切る際、彼女は。
「まるで彦星と織姫みたいですね」
 とくすくす笑っていた。

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 それから毎年、十月二十八日は私たち的七夕と称し一日会って愛を確かめ合った。
 初めて会ってから、実に七年である。
 私は今幸せだ。彼女もきっと幸せであると信じたい。

 前からてくてくと彼女は歩いてきた。私の前に立つと言った。

「待った?」
「いや、心の準備をするには完璧なタイミングだ」

 私は言って、彼女と共に歩き出した。
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