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花言葉
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ある日、私と同い年くらいの男の子が家にやってきた。
手にはネズミ色の花びらをしたヨレヨレのお花。
「このお花、なんていうの?」
家がお花屋さんだから少しは自信があったけど、傷や汚れがいっぱいで私にもわからなかった。
「うーん、なんだろ…ちょっと待っててね」
2階の居間へバタバタと駆けていく。
「お母さーん!」
障子を勢いよく開けると、ちょうどお客さんと電話をしているところだった。
「~はい、承りました。それでは、失礼いたします」
すぐに私に気づき電話を終えると、せかせかと外へ出る準備をした。
「ごめんごめん、立て込んじゃってて。お客さんね。今行くわ」
私と一緒にドタバタと男の子の元へと向かった。
お母さんはいつも足音が大きいから、下のお店に人がいると恐竜でも来たかのような顔をこっちに向ける。
そのお手本みたいな男の子の顔を見て、少し笑ってしまった。
「あら、かわいいお客さんだこと。どうしたの?」
「このお花…」
「マーガレットじゃないの。こんなになっちゃって」
さすがお母さん。お花のことはなんでもお見通しだ。
「車に轢かれちゃってて…道の真ん中でぺしゃんこになってた。治らないかな?なんか、かわいそうで」
お母さんは背中を屈め、男の子の頭をポンポンと撫でた。
「キミ、お名前は?」
「…ヒロ」
「ヒロくん、優しい子ね。…言いづらいけどね。お花は一度傷ついたら、元には戻らないの。だけど、この子の生まれ変わりだったら」
そう言うと、奥の引き出しから袋を手に取り、ヒロくんの手の平に中身を開けた。
黒いゴマみたいな粒がたくさん。多分お花のタネ…かな。
「そのお花の子どもたち。ちゃんとお世話をすれば、来年の春にはキレイな花を咲かせるわ。お母さん花は少し黒くなっちゃってるけど、元は真っ白で立派なお花だったのよ」
ヒロくんは目をキラキラと輝かせながら話を聞いていた。
「オレ、この花育てたい!ちゃんとお母さんの分までキレイに咲かせてやりたい」
マーガレットのお花。名前は知ってるけど、どんな花を咲かせてたっけ。このタネの成長を、私も見てみたくなった。
お母さんの袖を引っ張る。
「ねぇ、私も、マーガレット育てたい」
「そうは言ってもねぇ、1人分しか無いから…そうだ、2人で育ててみたらどう?」
こうして、ヒロくんとのマーガレットの育成が始まった。
最初は全然土の中から出てくる様子がなく心配してたけど、数週間後にはちょこんとかわいい芽が飛び出した。それを見てハイタッチ。
そこからはみるみるうちに成長を遂げ、春には真っ白なキレイな花を咲かせた。
子どもながらに、2人して大はしゃぎだった。
またその花が子孫を残したら一から育てて…そんなこんなを繰り返しているうちに、3年もの月日が流れた。
小学校5年生だった私たちも、今や中学2年生。
一日も世話を欠かしたことはなかったし、水やりの時のヒロとの何気ない会話も、実は少しだけ楽しみにしていた。
「え、英語が…」
「ヒロ…もしかしてまた赤点取ったんでしょ」
「うるせーやい」
「やっぱり。教えてあげよっか?あんたより数倍できるから。なーんて」
こんな楽しい日々も永遠と続くわけではなかった。
中学2年の冬。ヒロは親の都合でこの街を離れることになった。
マーガレットのお世話は?また一緒に咲くところ見ようよ。
胸の奥が、なんだかむず痒くなった。
「ヒロくん、遠く行っちゃうんだってねぇ。もっと早めに言ってくれれば…」
「仕方ないよ。急に決まったんだし…」
そろそろ、いつもヒロが来る時間だ。これからもう会えないかもしれない、最後の水やりになる。
ずっと渡したかったけど、今更照れ臭くて渡せなかったお花。今日しかないと思った私は、やっとの思いでそれを手に取り、お母さんに確認した。
「このお花、ヒロにあげてもいい?」
「もちろん。大人になったら払いに来なって言っとき。なんてね」
お母さんはいつもの笑顔を崩さずにそう言った。笑っているのに、なんとなく寂しそうだった。
「これ、あげる」
ヒロはすぐには手にとらず、一枚一枚の花びらを大事そうに眺めた。
「わ…すごく綺麗」
「このお花はベゴニアって言ってね、『親切』って花言葉もあるの。今まで、優しくしてくれてありがとうって」
「俺だって。…本当に貰っていいの?」
「ん、いいから」
泣きそうな気持ちをぐっとこらえ、押し付けるようにベゴニアの花を渡した。
「じゃあ、またね。私ずっとここにいるから。また来なよ」
「うん、絶対」
こうして、私とヒロは離れ離れになった。
…もう一つの花言葉を、私は最後まで伝えられなかった。
******************
あれから10年。
1人で世話をするようになった今でも、マーガレットの花は色濃く咲きつづけていた。
春の間ずっと咲いているこの花は、見るたびに彼との思い出を甦らせてくれる。
忘れた方がいいのかな。
甘くも苦くもある不思議な思い出は、マーガレットの世話を続ける原動力になっていた。
そんなある日。1人の男性がマーガレットを見つめて、嬉しそうな顔で呟いた。
「世話、続けてくれてたんだ」
ヒロだった。10年ぶりの再会に、喜びを隠せなかった。
「ヒロ、久しぶり!元気してた?」
「まぁぼちぼち。そっちも元気そうでよかったよ」
何気ない会話の一つ一つを噛み締めながら、また10年前と同じようにマーガレットの水やりをする。
やがて、彼は照れ臭そうに話した。
「俺さ、今度結婚するんだ。そのプロポーズにと思って。花を買うんなら絶対ここって決めてたから」
「そうなんだ、おめでとう」
反射的に出た祝福の言葉。ここから先の言葉がなぜか出てこなくて、一瞬の沈黙が流れた。
「ありがとう。それで、プロポーズに合う花無いかなと思って」
「すずらんの花とかどう?」
「それ、いいね。見た目もかわいらしい」
「あと、私からこれ。お金はいらないから」
あの時と同じだ。泣きそうな気持ちをぐっとこらえ、押し付けるようにコチョウランの花を渡した。
「『あなたの幸福を祈ります』って意味。別れたら承知しないからなっ」
ヒジでぐりぐりとお腹のあたりを突く。
「一番のお祝いだよ。ありがとう。…そうだ、お返しって訳じゃないけど。あの時貰ったベゴニアの花、今すごく綺麗に咲いてるんだ。何輪にもなってて。これ、君がくれたベゴニアの子ども」
ベゴニアの花を手渡された。
あれからずっと育ててくれてたんだ。
伝えたいことは伝えきれなかったけど、全部報われた気がした。
いつの間にか話してから1時間も経っていた。話は尽きないが、ずっとこうしている訳にもいかない。ずっとこうしていたいけど。
「じゃあ、また来るよ」
ヒロは両手いっぱいの花束を抱え、2人して満面の笑みで別れた。
彼が見えなくなるまで見送ったあと、私はすぐに店を後にした。
「ごめんお母さん、店番お願い」
私の声は、少し震えていた。
「…いいよ、後は全部やっておくから。部屋でお休み」
ヒロに貰ったベゴニアの花を、自分の部屋のベッドでじっと見つめていた。
不意に視界が涙でぼやける。
「片想い…かぁ」
誰にも届かないほどの小さな声で、そう呟いた。
ー後書きー
白のマーガレットの花には『秘めた愛』という花言葉があります。
ベゴニアの花言葉には『親切』や『片想い』という意味の他に、『愛の告白』といった意味もあるそうです。
手にはネズミ色の花びらをしたヨレヨレのお花。
「このお花、なんていうの?」
家がお花屋さんだから少しは自信があったけど、傷や汚れがいっぱいで私にもわからなかった。
「うーん、なんだろ…ちょっと待っててね」
2階の居間へバタバタと駆けていく。
「お母さーん!」
障子を勢いよく開けると、ちょうどお客さんと電話をしているところだった。
「~はい、承りました。それでは、失礼いたします」
すぐに私に気づき電話を終えると、せかせかと外へ出る準備をした。
「ごめんごめん、立て込んじゃってて。お客さんね。今行くわ」
私と一緒にドタバタと男の子の元へと向かった。
お母さんはいつも足音が大きいから、下のお店に人がいると恐竜でも来たかのような顔をこっちに向ける。
そのお手本みたいな男の子の顔を見て、少し笑ってしまった。
「あら、かわいいお客さんだこと。どうしたの?」
「このお花…」
「マーガレットじゃないの。こんなになっちゃって」
さすがお母さん。お花のことはなんでもお見通しだ。
「車に轢かれちゃってて…道の真ん中でぺしゃんこになってた。治らないかな?なんか、かわいそうで」
お母さんは背中を屈め、男の子の頭をポンポンと撫でた。
「キミ、お名前は?」
「…ヒロ」
「ヒロくん、優しい子ね。…言いづらいけどね。お花は一度傷ついたら、元には戻らないの。だけど、この子の生まれ変わりだったら」
そう言うと、奥の引き出しから袋を手に取り、ヒロくんの手の平に中身を開けた。
黒いゴマみたいな粒がたくさん。多分お花のタネ…かな。
「そのお花の子どもたち。ちゃんとお世話をすれば、来年の春にはキレイな花を咲かせるわ。お母さん花は少し黒くなっちゃってるけど、元は真っ白で立派なお花だったのよ」
ヒロくんは目をキラキラと輝かせながら話を聞いていた。
「オレ、この花育てたい!ちゃんとお母さんの分までキレイに咲かせてやりたい」
マーガレットのお花。名前は知ってるけど、どんな花を咲かせてたっけ。このタネの成長を、私も見てみたくなった。
お母さんの袖を引っ張る。
「ねぇ、私も、マーガレット育てたい」
「そうは言ってもねぇ、1人分しか無いから…そうだ、2人で育ててみたらどう?」
こうして、ヒロくんとのマーガレットの育成が始まった。
最初は全然土の中から出てくる様子がなく心配してたけど、数週間後にはちょこんとかわいい芽が飛び出した。それを見てハイタッチ。
そこからはみるみるうちに成長を遂げ、春には真っ白なキレイな花を咲かせた。
子どもながらに、2人して大はしゃぎだった。
またその花が子孫を残したら一から育てて…そんなこんなを繰り返しているうちに、3年もの月日が流れた。
小学校5年生だった私たちも、今や中学2年生。
一日も世話を欠かしたことはなかったし、水やりの時のヒロとの何気ない会話も、実は少しだけ楽しみにしていた。
「え、英語が…」
「ヒロ…もしかしてまた赤点取ったんでしょ」
「うるせーやい」
「やっぱり。教えてあげよっか?あんたより数倍できるから。なーんて」
こんな楽しい日々も永遠と続くわけではなかった。
中学2年の冬。ヒロは親の都合でこの街を離れることになった。
マーガレットのお世話は?また一緒に咲くところ見ようよ。
胸の奥が、なんだかむず痒くなった。
「ヒロくん、遠く行っちゃうんだってねぇ。もっと早めに言ってくれれば…」
「仕方ないよ。急に決まったんだし…」
そろそろ、いつもヒロが来る時間だ。これからもう会えないかもしれない、最後の水やりになる。
ずっと渡したかったけど、今更照れ臭くて渡せなかったお花。今日しかないと思った私は、やっとの思いでそれを手に取り、お母さんに確認した。
「このお花、ヒロにあげてもいい?」
「もちろん。大人になったら払いに来なって言っとき。なんてね」
お母さんはいつもの笑顔を崩さずにそう言った。笑っているのに、なんとなく寂しそうだった。
「これ、あげる」
ヒロはすぐには手にとらず、一枚一枚の花びらを大事そうに眺めた。
「わ…すごく綺麗」
「このお花はベゴニアって言ってね、『親切』って花言葉もあるの。今まで、優しくしてくれてありがとうって」
「俺だって。…本当に貰っていいの?」
「ん、いいから」
泣きそうな気持ちをぐっとこらえ、押し付けるようにベゴニアの花を渡した。
「じゃあ、またね。私ずっとここにいるから。また来なよ」
「うん、絶対」
こうして、私とヒロは離れ離れになった。
…もう一つの花言葉を、私は最後まで伝えられなかった。
******************
あれから10年。
1人で世話をするようになった今でも、マーガレットの花は色濃く咲きつづけていた。
春の間ずっと咲いているこの花は、見るたびに彼との思い出を甦らせてくれる。
忘れた方がいいのかな。
甘くも苦くもある不思議な思い出は、マーガレットの世話を続ける原動力になっていた。
そんなある日。1人の男性がマーガレットを見つめて、嬉しそうな顔で呟いた。
「世話、続けてくれてたんだ」
ヒロだった。10年ぶりの再会に、喜びを隠せなかった。
「ヒロ、久しぶり!元気してた?」
「まぁぼちぼち。そっちも元気そうでよかったよ」
何気ない会話の一つ一つを噛み締めながら、また10年前と同じようにマーガレットの水やりをする。
やがて、彼は照れ臭そうに話した。
「俺さ、今度結婚するんだ。そのプロポーズにと思って。花を買うんなら絶対ここって決めてたから」
「そうなんだ、おめでとう」
反射的に出た祝福の言葉。ここから先の言葉がなぜか出てこなくて、一瞬の沈黙が流れた。
「ありがとう。それで、プロポーズに合う花無いかなと思って」
「すずらんの花とかどう?」
「それ、いいね。見た目もかわいらしい」
「あと、私からこれ。お金はいらないから」
あの時と同じだ。泣きそうな気持ちをぐっとこらえ、押し付けるようにコチョウランの花を渡した。
「『あなたの幸福を祈ります』って意味。別れたら承知しないからなっ」
ヒジでぐりぐりとお腹のあたりを突く。
「一番のお祝いだよ。ありがとう。…そうだ、お返しって訳じゃないけど。あの時貰ったベゴニアの花、今すごく綺麗に咲いてるんだ。何輪にもなってて。これ、君がくれたベゴニアの子ども」
ベゴニアの花を手渡された。
あれからずっと育ててくれてたんだ。
伝えたいことは伝えきれなかったけど、全部報われた気がした。
いつの間にか話してから1時間も経っていた。話は尽きないが、ずっとこうしている訳にもいかない。ずっとこうしていたいけど。
「じゃあ、また来るよ」
ヒロは両手いっぱいの花束を抱え、2人して満面の笑みで別れた。
彼が見えなくなるまで見送ったあと、私はすぐに店を後にした。
「ごめんお母さん、店番お願い」
私の声は、少し震えていた。
「…いいよ、後は全部やっておくから。部屋でお休み」
ヒロに貰ったベゴニアの花を、自分の部屋のベッドでじっと見つめていた。
不意に視界が涙でぼやける。
「片想い…かぁ」
誰にも届かないほどの小さな声で、そう呟いた。
ー後書きー
白のマーガレットの花には『秘めた愛』という花言葉があります。
ベゴニアの花言葉には『親切』や『片想い』という意味の他に、『愛の告白』といった意味もあるそうです。
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