オリジナル短編集

なぎ

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愛情

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「だから…お願い」

娘はそっと僕の手を取り、自身の首にかけた。

「ここで終わらせてほしいの」

そこかしこで聞こえる嗚咽、悲鳴、怒号。彼らの心情とは裏腹に、運命の時は刻一刻と迫っていた。
僕たちも例外ではない。

「実の娘に、手をかけられるわけないだろう」

「あいつらに殺されるくらいなら…パパにやってほしいの。本気よ、私」

20年近く見守ってきた命だ。眼を見ればそんなこと…わかりきっていた。

「行く先の地獄と逝く先の世界、パパはどっちに連れてってくれる?」

この道の辿る先が地獄ならば、さしずめこの列車は霊柩車といったところか。生きた先の幸せを保証できない自分に、心底腹が立った。彼女の問いに、壊れかけた頭を必死に回転させる。

「……わかった。先には行かせない。ここでお別れだ」

「ありがとう」

娘の首を思い切り締める。その力に逆らうように脈打つ首筋、手を伝う娘の体温、みるみる赤くなる顔。これ以上ない地獄だった。

「ゔ…ぐぅ…あ……」

声にならない声をあげながら、彼女の手が僕の腕にかかる。

その瞬間、無意識に力を緩めた。やはりこんなこと…

「ごめん、身体は反応してるけど、本心じゃないから。お願い、ここで死なせて」

か細い声が胸を貫く。消えかかっていた瞳に、最期の光が灯った。

「うあああああああああああああああああ」

自身への憤り、不甲斐なさ、葛藤。その全ての力を腕に込め、再び強く強く締め続けた。

顔は見られない。その時がくるまで俯きながら、床に落ちる涙をただただ眺めていた。


…どれほどの時が経っただろうか。娘の手がだらんとうなだれ、小さな命がきえたことがわかると、僕の手は自然と首元から離れていった。

腕は細かく震えている。

「これで…よかったんだよな」

心の準備をする間もなく、車掌が声をあげた。



「---まもなく終点、アウシュビッツ」
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