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第一章
明照 弍
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「チッ。ぁくしろ。」
放浪者が脇に寝転ぶ通り。スラム、蛾骸下層の入り口。
違法薬物の売買組織を特定する任務中の海里と千樹。
二人の作戦論争は、海里が折れて終わった。
「ありがとうございます。」
今にも舌打ちを連発しそうな形相の海里に、千樹が嬉しそうに微笑む。
「ではまず、着替えましょう。」
「ぁ?んでだよ。」
「管理局の格好では警戒されてしまうからです。」
「は!?お前マジで言ってんのか?」
「え、結構大事だと思うんですけど...」
千樹が言えば、海里はうんざりした顔をする。
「もう管理局の格好でここまで来ちまってんだ。意味ねぇ。」
「あっ」
海里の指摘に、千樹は自分の羽織を掴む。
勾玉円紋が刻まれた千樹の羽織、均衡管理局の文字が印刷された海里のジャンパー。
ここに来るまでの道中で、自分たちは均衡管理局だと見せつけてしまっていた。
「ぁと」
海里は続ける。
「てめぇのその身なりじゃ着替えてもバレバレだ。金持ちクセェ。特にそのクソ髪。」
「そんな...」
千樹は自分の髪を掴む。埃一つない綺麗に手入れされた髪は、ネオンの光に綺麗に染まっていた。
「海里さんの髪は...」
己の鮮やかに光る髪を海里のそれと見比べる。短い黒髪は光沢なく、パサついていた。
先が割れ、傷んだ枝毛。洗い流しきれていない埃や汚れ。
閑黄朝では見かけることのない風貌に、千樹は改めて海里の全身を見た。
管理局の制服で多少マシに見えているが、全体的に清潔感に欠ける。
加えて、ひび割れた唇に青白く見える顔。体型も痩せ型。
今まで気付かなかったが、見れば見るほど栄養が足りていない。
「んだよジロジロと。気持ち悪りぃ。」
海里は背を向けた。
「あ、ちょっと!」
また一人で行動されることがないよう、背を向けた海里の腕を掴む。
「...!」
伝わってきた感触に、千樹は目を見開いた。
硬い。皮膚の柔らかさがない。
ジャンパーの下の体は、こんなにも──
「やめやがれ!!」
鼓膜を突き刺すような、尖った怒鳴り声。
突然の大声に飛び跳ねるように海里の顔を見れば、怒っていた。
眉を吊り上げ、眉間に皺を寄せ、首には筋が浮いている。
「憐れむんじゃねぇ。」
怒号から一転、静かな声。されど、今までで一番苛立っているのがわかる。
「俺にとってはこれが普通だ。テメェの普通を押し付けて、勝手に同情すんじゃねぇ。」
「え...」
「その顔をやめろっつってんだ!テメェが憐れめば憐れむほど、俺が惨めになんだよ!
俺は今の生活に満足してる。勝手に不幸だって決めつけて可哀想な存在にすんな!!」
中梁層の中心地区。蛾骸下層のはるか上層。
中中なんて呼ばれたりする、中梁層の核。
そこでビカビカと存在を主張する看板は均衡管理局のもの。
ガタつく引き戸を開け、階段を登った先の会議室にて。
「始めるぞ。」
円形に並べられた四つの椅子、その真ん中に立った黒澤が言う。
会議室にいるのは全部で五人。
黒澤、佐原、野崎、朝奈、そして狸男。黒澤以外は椅子に座っている。
「ほんとにやるの?」
狸が言う。焦茶に縁取られた目からは呆れが滲む。
「決定事項だ。やるぞ。」
せーの、と黒澤が息を吸い込んだ。
「フルーツバスケット!加賀に怒られたことがある人!」
フルーツバスケット。鬼がお題を出し、それに当てはまる人が椅子を取り合う簡単なゲーム。
こんな子供向けのゲームを大真面目にやることになったのには訳がある。
度重なる事件、事故に積もり募っていく民衆の不満。
それが爆発するのを防ぐため、説明会を開くことになった。が、誰が矢面に立つかが問題だった。
最適なのは、『説明に足るだけの語彙力があり、それを声に出すことができる人当たりの良い局員。』
言い換えれば、均衡管理局の新たなイメージを背負える局員。
この条件に当てはめた結果最適だったのが、会議室に集まったこの五人。
五人の候補の中からくじ引きで決めるか、話し合いで決めるか迷っていれば朝奈の一言。
「フルーツバスケットとかどうですか?」
どうしてか、これが採用されてしまった。
三回鬼になったら負けである。
「フルーツバスケット!加賀に怒られたことがある人!」
立ち上がったのは、佐原と野崎。
「うわぁ...」
一発目のお題。座り損ねたのは、佐原だった。
「勝手に不幸だって決めつけて可哀想な存在にすんな!!」
スラムを貫いた、ビリビリと肌が震えるほどの怒気。
海里からぶつけられたそれに千樹はハッとする。
「...すみません。」
千樹は手を離した。
脳ごとビンタされたかのような衝撃に、自分の中で何かが揺れる。それが何かはわからない。
分かりかけたところで、輪郭が溶けてなくなってしまう。
「これは、なんでしょうか。」
気づけば口に出していた問い。ただの一人言。
自分の声で、千樹は我に帰る。
海里の方を見れば、彼はもう遠くに行っていた。
「待ってください!」
呼び止めようとも、海里は振り返らない。
任務は二人でやらないと──
そう言いかけ、やめる。自分の中で揺れるものが拒否したから。
もっと他に言わなければいけないことがある、と。
「僕、何か間違ってますよね!」
遠ざかっていく背中。均衡管理局の印字が小さくなっていく。
「まだ、何が違うのか分かりません!でも、海里さんに失礼なことをしてしまったのは分かります!」
喉が痛む。大声を出すのが慣れないから。それでも千樹は言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい!あの、僕!あなたと仲良くなりたいです!」
海里が振り返った。
「ぁあ”!?知らねぇよ!カス!!」
返ってきたのは、突き放すような声。
それでも、返してくれた。無視することだってできたのに、この一言のために振り返ってくれた。
千樹の頬が赤くなる。顔が綻ぶ。
「ありがとうございます!」
声が震える。喜びのあまり、千樹は駆け出した。
「...は?」
海里の困惑も、今の千樹には届かない。
さすが龍族と言うべきか、たった数秒で海里に追いついた。
「よろしくお願いします!」
目を輝かせたまま、千樹は海里の手を握った。
「じゃ、じゃぁ」
管理局の会議室。早速鬼になった佐原がお題を考える。
「武下さんが怖い人!」
「...」
「あ、あれ?」
シンとする会議室。誰一人立ち上がらなかった。
「皆さん怖くないんですか!?」
「別にだなぁ。無口だけど悪人じゃないし。仕事も頼んだら手伝ってくれるもんね。」
驚愕する佐原に、朝奈が首を傾げた。
「これカウントするの?」
狸が黒澤に問う。
「あぁ。する。」
「えっ!」
「自爆したんだから当たり前だ。」
「そんな...」
佐原は消え入りそうな声を出す。
開始早々、たった二回で後がなくなってしまった。
「じゃあ!」
窮地に立った佐原が出した結論は──
「半妖の人!」
──ただの卑怯技だった。
「どんな作戦がいいですかね。」
千樹が問いかける一方、海里は困惑していた。
閑黄朝出身の龍族。海里が世間知らずとレッテルを貼ったお坊ちゃんは、
海里が突き放したのにも関わらず、大喜びで手を掴んできた。
罵倒した瞬間、顔を綻ばせていた。
「お前、ドMか?」
人は、困惑が大きすぎると怒りを忘れる。海里も例に漏れず、そうだった。
「ど、どえ...何ですか?それ。」
「んでもねぇ!」
瞬きをする千樹に、ぶっきらぼうに言う。
「そうですか?それより、任務どうしましょう。」
道中で管理局であると見せびらかした上、さっきの言い合いで余計に注目を集めてしまった。
聞き込みをしたところで警戒されて終わりだろう。あまり刺激すると攻撃されるかもしれない。
違法薬物の売買組織を特定するという任務は、今までと同じように失敗かもしれない。
「またリョウさんと武下さんに迷惑をかけてしまいます。」
武下に迷惑をかける。
その事実に、海里の耳がぴくりと動いた。
「金。」
海里が手を差し出す。
「金?お金をどうするんですか。」
「いーから寄越せ。」
「何をするつもりですか?」
千樹は問う。問いながらも、懐から財布を取り出す。
海里は万札を三枚受け取って、道端に寝転ぶ放浪者に差し出した。
「おら、やるよ。」
「カネ...!!」
顔の前で振ってみれば、放浪者はひったくるように手を伸ばす。
海里はそれを避けた。
「タダじゃやらねぇよ。その上着寄越せ。」
「こ、こレか?」
放浪者はコートを脱いだ。ほつれ、破れ、布切れ寸前のそれを海里は受け取る。
「おら。」
コートを受け取れば、海里は金を投げるようにして放浪者に渡す。
「カネだ!」
今度こそ、その手に三万を掴んだ放浪者。
コートを脱いだ彼の体は、所々紫色に変色していた。二の腕は爛れ、化膿した注射痕が並ぶ。
「これが違法薬物...」
千樹が呟く。
「わっぷ」
突然、顔にかかった布。ざらつき、異臭を放つそれ。
「着ろ。」
放浪者のコートを投げつけた海里が言う。
「え?」
「あのヤク中の後を追うんだよ!無いよりマシだから着とけつってんだ!」
「えっと...」「だぁあ!」
未だ理解しない千樹に、海里は声を荒げる。
「今さっきヤク中に金を渡しただろうが。あいつはそれでヤクを買いに行く。その後をつけんだよ。」
管理局のジャンパーを裏返しに着直しながら、海里はノロノロと先を歩く放浪者、ヤク中を睨みつける。
「ぁくしろや。チッ」
「それで?負けたんですか。」
管理局、デスクが並ぶ事務室の一角。
そろそろ切れそうな蛍光灯の下、説明会の準備をしていた加賀と武下、そしてリョウ。
加賀が呆れながら見つめた先、えへっと舌を出し笑う朝奈。
三巡目で佐原が出した、『半妖の人』のお題。当然立ち上がったのは野崎だけである。
野崎が鬼になり、次に出したお題は『自分が可愛いと思う人』。
自信満々で立ち上がってみれば、朝奈一人だった。
その後『辛党の人』『リョウさんと仲がいい人』とお題を出したが連続で自爆し、今に至る。
「職務中に遊ぶとか、常識が無いんですね。」
「あ、こんな感じなんだ。怒った玲ちゃんて。」
朝奈は堪えた様子もなく、興味深そうに呟く。
頑張れよ、と野崎がくれた飴を口へ放り込んだ。
「リョウさん聞いてくださいよ。」
飴を転がしながら話しかける。
『ん?なぁに?』
デスクの上で欠伸をしながら、リョウは返事をした。
「リョウさんと仲のいい狸の局員さん...名前なんでしたっけ?」
『イロタぁ?』
「イロタさん、私がリョウさんと仲良い人ってお題出した時に立ち上がらなかったんですよ。」
『へぇ、悲し。泣いちゃうよ?俺。』
さほど思ってなさそうに、リョウはデスクに寝転がった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)
内側に進むにつれ治安が悪くなる
均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
教官が可と判断してから入局
治安が全く改善しない中、税金泥棒どもなど暴言を浴びせられることも。
管理局のポストには毎日のように脅迫めいた手紙が届く。
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。
管理局に貢献するためだけに育てられる。
逆らえないよう従順を強制する桔梗の煮汁を飲まされる。
海里 18歳 158cm 均衡管理局所属 人間(新人) 蛾骸下層~湿禍暗出身
黒く短い癖毛、意志のある力強い目、仏頂面
小柄ながら筋肉質。盗みを重ねて生きてきたが、18になり管理局の訓練生となることができるようになったので入局(管理局の方が稼ぎがいい)。自分が生き残ること、稼ぐことに貪欲な少年。気に入らない者には生意気な態度を取るが、認めた者には従順。喧嘩っ早く乱暴な性格。教養はない。
千樹とはよく衝突。危機察知能力が高い(勘がいい)。
善意を知らない。
千樹 400歳 190cm 均衡管理局所属 龍 閑黄朝出身
青緑く透き通った長い髪、穏やかなタレ目、硝子のようなツノ
長身で美しい青年。富裕層出身の世間知らずなお坊ちゃん。
争いを嫌い、話し合えば必ず分かり合えるという甘い理想を抱きがち。
訓練生になってからかれこれ数十年立つが、未だに教官からの可がおりない。
海里とはよく衝突。
悪意を知らない。
リョウ 200~300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖 中梁層出身
狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目
普段の言動から、軽い男と評されているが、人間に対してはなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。面白そうだからと入局して以来、50年ほど所属。
教官として局員養成も仕事に入ってるが(現在休職中)、まともにやってない。
狐の姿になったが、その中身は変わらない。
武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属(教官) 人間 蛾骸下層出身
肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情
若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。
聴力を失い杖を必要とするようになったものの、相変わらず戦闘能力に長ける。術への耐性も健在。
教官として局員養成も行なっている(現在休職中)。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた(いわゆる箱子)。
情操教育を受ける機会がなかった。
加賀玲 19歳 155cm 均衡管理局 人間 中梁層出身
茶髪のポニーテール、タレ目
箱子。物怖じしない性格で、はっきりものを言う。しっかりしてる。
先輩後輩関係はしっかり守り敬語も使えるが、佐原やリョウに当たりが強いし尊敬はしてない。武下のことは尊敬している。母親は出産時に他界。父親と暮らしていたが、6歳の時に違法薬の所持で父親が管理局に捕まる。
服役中の父親とは現在不仲。流れで箱子となり今に至る。
野崎により、情操教育はある程度されてきた。
佐原実 22歳 166cm 均衡管理局所属 人間 中梁層出身
整えられた黒髪、純粋な目、健康的な体型
やる気に満ちているが空回りしがちな青年。訓練生の時、リョウと武下が教官だった。
武下のことは信頼も尊敬もしてるけど、何より怖い。リョウには懐いてる。
小型の妖が相棒(埃の付喪神、愛称:ファサ、ファーちゃん)。
本人の気が弱すぎるのでファサとの喧嘩でも負ける。不憫。
黒澤 36歳 173cm 均衡管理局所属 人間
箱子。過去の任務で負傷し、眼帯をつけている。
放浪者が脇に寝転ぶ通り。スラム、蛾骸下層の入り口。
違法薬物の売買組織を特定する任務中の海里と千樹。
二人の作戦論争は、海里が折れて終わった。
「ありがとうございます。」
今にも舌打ちを連発しそうな形相の海里に、千樹が嬉しそうに微笑む。
「ではまず、着替えましょう。」
「ぁ?んでだよ。」
「管理局の格好では警戒されてしまうからです。」
「は!?お前マジで言ってんのか?」
「え、結構大事だと思うんですけど...」
千樹が言えば、海里はうんざりした顔をする。
「もう管理局の格好でここまで来ちまってんだ。意味ねぇ。」
「あっ」
海里の指摘に、千樹は自分の羽織を掴む。
勾玉円紋が刻まれた千樹の羽織、均衡管理局の文字が印刷された海里のジャンパー。
ここに来るまでの道中で、自分たちは均衡管理局だと見せつけてしまっていた。
「ぁと」
海里は続ける。
「てめぇのその身なりじゃ着替えてもバレバレだ。金持ちクセェ。特にそのクソ髪。」
「そんな...」
千樹は自分の髪を掴む。埃一つない綺麗に手入れされた髪は、ネオンの光に綺麗に染まっていた。
「海里さんの髪は...」
己の鮮やかに光る髪を海里のそれと見比べる。短い黒髪は光沢なく、パサついていた。
先が割れ、傷んだ枝毛。洗い流しきれていない埃や汚れ。
閑黄朝では見かけることのない風貌に、千樹は改めて海里の全身を見た。
管理局の制服で多少マシに見えているが、全体的に清潔感に欠ける。
加えて、ひび割れた唇に青白く見える顔。体型も痩せ型。
今まで気付かなかったが、見れば見るほど栄養が足りていない。
「んだよジロジロと。気持ち悪りぃ。」
海里は背を向けた。
「あ、ちょっと!」
また一人で行動されることがないよう、背を向けた海里の腕を掴む。
「...!」
伝わってきた感触に、千樹は目を見開いた。
硬い。皮膚の柔らかさがない。
ジャンパーの下の体は、こんなにも──
「やめやがれ!!」
鼓膜を突き刺すような、尖った怒鳴り声。
突然の大声に飛び跳ねるように海里の顔を見れば、怒っていた。
眉を吊り上げ、眉間に皺を寄せ、首には筋が浮いている。
「憐れむんじゃねぇ。」
怒号から一転、静かな声。されど、今までで一番苛立っているのがわかる。
「俺にとってはこれが普通だ。テメェの普通を押し付けて、勝手に同情すんじゃねぇ。」
「え...」
「その顔をやめろっつってんだ!テメェが憐れめば憐れむほど、俺が惨めになんだよ!
俺は今の生活に満足してる。勝手に不幸だって決めつけて可哀想な存在にすんな!!」
中梁層の中心地区。蛾骸下層のはるか上層。
中中なんて呼ばれたりする、中梁層の核。
そこでビカビカと存在を主張する看板は均衡管理局のもの。
ガタつく引き戸を開け、階段を登った先の会議室にて。
「始めるぞ。」
円形に並べられた四つの椅子、その真ん中に立った黒澤が言う。
会議室にいるのは全部で五人。
黒澤、佐原、野崎、朝奈、そして狸男。黒澤以外は椅子に座っている。
「ほんとにやるの?」
狸が言う。焦茶に縁取られた目からは呆れが滲む。
「決定事項だ。やるぞ。」
せーの、と黒澤が息を吸い込んだ。
「フルーツバスケット!加賀に怒られたことがある人!」
フルーツバスケット。鬼がお題を出し、それに当てはまる人が椅子を取り合う簡単なゲーム。
こんな子供向けのゲームを大真面目にやることになったのには訳がある。
度重なる事件、事故に積もり募っていく民衆の不満。
それが爆発するのを防ぐため、説明会を開くことになった。が、誰が矢面に立つかが問題だった。
最適なのは、『説明に足るだけの語彙力があり、それを声に出すことができる人当たりの良い局員。』
言い換えれば、均衡管理局の新たなイメージを背負える局員。
この条件に当てはめた結果最適だったのが、会議室に集まったこの五人。
五人の候補の中からくじ引きで決めるか、話し合いで決めるか迷っていれば朝奈の一言。
「フルーツバスケットとかどうですか?」
どうしてか、これが採用されてしまった。
三回鬼になったら負けである。
「フルーツバスケット!加賀に怒られたことがある人!」
立ち上がったのは、佐原と野崎。
「うわぁ...」
一発目のお題。座り損ねたのは、佐原だった。
「勝手に不幸だって決めつけて可哀想な存在にすんな!!」
スラムを貫いた、ビリビリと肌が震えるほどの怒気。
海里からぶつけられたそれに千樹はハッとする。
「...すみません。」
千樹は手を離した。
脳ごとビンタされたかのような衝撃に、自分の中で何かが揺れる。それが何かはわからない。
分かりかけたところで、輪郭が溶けてなくなってしまう。
「これは、なんでしょうか。」
気づけば口に出していた問い。ただの一人言。
自分の声で、千樹は我に帰る。
海里の方を見れば、彼はもう遠くに行っていた。
「待ってください!」
呼び止めようとも、海里は振り返らない。
任務は二人でやらないと──
そう言いかけ、やめる。自分の中で揺れるものが拒否したから。
もっと他に言わなければいけないことがある、と。
「僕、何か間違ってますよね!」
遠ざかっていく背中。均衡管理局の印字が小さくなっていく。
「まだ、何が違うのか分かりません!でも、海里さんに失礼なことをしてしまったのは分かります!」
喉が痛む。大声を出すのが慣れないから。それでも千樹は言葉を紡ぐ。
「ごめんなさい!あの、僕!あなたと仲良くなりたいです!」
海里が振り返った。
「ぁあ”!?知らねぇよ!カス!!」
返ってきたのは、突き放すような声。
それでも、返してくれた。無視することだってできたのに、この一言のために振り返ってくれた。
千樹の頬が赤くなる。顔が綻ぶ。
「ありがとうございます!」
声が震える。喜びのあまり、千樹は駆け出した。
「...は?」
海里の困惑も、今の千樹には届かない。
さすが龍族と言うべきか、たった数秒で海里に追いついた。
「よろしくお願いします!」
目を輝かせたまま、千樹は海里の手を握った。
「じゃ、じゃぁ」
管理局の会議室。早速鬼になった佐原がお題を考える。
「武下さんが怖い人!」
「...」
「あ、あれ?」
シンとする会議室。誰一人立ち上がらなかった。
「皆さん怖くないんですか!?」
「別にだなぁ。無口だけど悪人じゃないし。仕事も頼んだら手伝ってくれるもんね。」
驚愕する佐原に、朝奈が首を傾げた。
「これカウントするの?」
狸が黒澤に問う。
「あぁ。する。」
「えっ!」
「自爆したんだから当たり前だ。」
「そんな...」
佐原は消え入りそうな声を出す。
開始早々、たった二回で後がなくなってしまった。
「じゃあ!」
窮地に立った佐原が出した結論は──
「半妖の人!」
──ただの卑怯技だった。
「どんな作戦がいいですかね。」
千樹が問いかける一方、海里は困惑していた。
閑黄朝出身の龍族。海里が世間知らずとレッテルを貼ったお坊ちゃんは、
海里が突き放したのにも関わらず、大喜びで手を掴んできた。
罵倒した瞬間、顔を綻ばせていた。
「お前、ドMか?」
人は、困惑が大きすぎると怒りを忘れる。海里も例に漏れず、そうだった。
「ど、どえ...何ですか?それ。」
「んでもねぇ!」
瞬きをする千樹に、ぶっきらぼうに言う。
「そうですか?それより、任務どうしましょう。」
道中で管理局であると見せびらかした上、さっきの言い合いで余計に注目を集めてしまった。
聞き込みをしたところで警戒されて終わりだろう。あまり刺激すると攻撃されるかもしれない。
違法薬物の売買組織を特定するという任務は、今までと同じように失敗かもしれない。
「またリョウさんと武下さんに迷惑をかけてしまいます。」
武下に迷惑をかける。
その事実に、海里の耳がぴくりと動いた。
「金。」
海里が手を差し出す。
「金?お金をどうするんですか。」
「いーから寄越せ。」
「何をするつもりですか?」
千樹は問う。問いながらも、懐から財布を取り出す。
海里は万札を三枚受け取って、道端に寝転ぶ放浪者に差し出した。
「おら、やるよ。」
「カネ...!!」
顔の前で振ってみれば、放浪者はひったくるように手を伸ばす。
海里はそれを避けた。
「タダじゃやらねぇよ。その上着寄越せ。」
「こ、こレか?」
放浪者はコートを脱いだ。ほつれ、破れ、布切れ寸前のそれを海里は受け取る。
「おら。」
コートを受け取れば、海里は金を投げるようにして放浪者に渡す。
「カネだ!」
今度こそ、その手に三万を掴んだ放浪者。
コートを脱いだ彼の体は、所々紫色に変色していた。二の腕は爛れ、化膿した注射痕が並ぶ。
「これが違法薬物...」
千樹が呟く。
「わっぷ」
突然、顔にかかった布。ざらつき、異臭を放つそれ。
「着ろ。」
放浪者のコートを投げつけた海里が言う。
「え?」
「あのヤク中の後を追うんだよ!無いよりマシだから着とけつってんだ!」
「えっと...」「だぁあ!」
未だ理解しない千樹に、海里は声を荒げる。
「今さっきヤク中に金を渡しただろうが。あいつはそれでヤクを買いに行く。その後をつけんだよ。」
管理局のジャンパーを裏返しに着直しながら、海里はノロノロと先を歩く放浪者、ヤク中を睨みつける。
「ぁくしろや。チッ」
「それで?負けたんですか。」
管理局、デスクが並ぶ事務室の一角。
そろそろ切れそうな蛍光灯の下、説明会の準備をしていた加賀と武下、そしてリョウ。
加賀が呆れながら見つめた先、えへっと舌を出し笑う朝奈。
三巡目で佐原が出した、『半妖の人』のお題。当然立ち上がったのは野崎だけである。
野崎が鬼になり、次に出したお題は『自分が可愛いと思う人』。
自信満々で立ち上がってみれば、朝奈一人だった。
その後『辛党の人』『リョウさんと仲がいい人』とお題を出したが連続で自爆し、今に至る。
「職務中に遊ぶとか、常識が無いんですね。」
「あ、こんな感じなんだ。怒った玲ちゃんて。」
朝奈は堪えた様子もなく、興味深そうに呟く。
頑張れよ、と野崎がくれた飴を口へ放り込んだ。
「リョウさん聞いてくださいよ。」
飴を転がしながら話しかける。
『ん?なぁに?』
デスクの上で欠伸をしながら、リョウは返事をした。
「リョウさんと仲のいい狸の局員さん...名前なんでしたっけ?」
『イロタぁ?』
「イロタさん、私がリョウさんと仲良い人ってお題出した時に立ち上がらなかったんですよ。」
『へぇ、悲し。泣いちゃうよ?俺。』
さほど思ってなさそうに、リョウはデスクに寝転がった。
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十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)
内側に進むにつれ治安が悪くなる
均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
教官が可と判断してから入局
治安が全く改善しない中、税金泥棒どもなど暴言を浴びせられることも。
管理局のポストには毎日のように脅迫めいた手紙が届く。
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。
管理局に貢献するためだけに育てられる。
逆らえないよう従順を強制する桔梗の煮汁を飲まされる。
海里 18歳 158cm 均衡管理局所属 人間(新人) 蛾骸下層~湿禍暗出身
黒く短い癖毛、意志のある力強い目、仏頂面
小柄ながら筋肉質。盗みを重ねて生きてきたが、18になり管理局の訓練生となることができるようになったので入局(管理局の方が稼ぎがいい)。自分が生き残ること、稼ぐことに貪欲な少年。気に入らない者には生意気な態度を取るが、認めた者には従順。喧嘩っ早く乱暴な性格。教養はない。
千樹とはよく衝突。危機察知能力が高い(勘がいい)。
善意を知らない。
千樹 400歳 190cm 均衡管理局所属 龍 閑黄朝出身
青緑く透き通った長い髪、穏やかなタレ目、硝子のようなツノ
長身で美しい青年。富裕層出身の世間知らずなお坊ちゃん。
争いを嫌い、話し合えば必ず分かり合えるという甘い理想を抱きがち。
訓練生になってからかれこれ数十年立つが、未だに教官からの可がおりない。
海里とはよく衝突。
悪意を知らない。
リョウ 200~300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖 中梁層出身
狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目
普段の言動から、軽い男と評されているが、人間に対してはなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。面白そうだからと入局して以来、50年ほど所属。
教官として局員養成も仕事に入ってるが(現在休職中)、まともにやってない。
狐の姿になったが、その中身は変わらない。
武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属(教官) 人間 蛾骸下層出身
肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情
若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。
聴力を失い杖を必要とするようになったものの、相変わらず戦闘能力に長ける。術への耐性も健在。
教官として局員養成も行なっている(現在休職中)。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた(いわゆる箱子)。
情操教育を受ける機会がなかった。
加賀玲 19歳 155cm 均衡管理局 人間 中梁層出身
茶髪のポニーテール、タレ目
箱子。物怖じしない性格で、はっきりものを言う。しっかりしてる。
先輩後輩関係はしっかり守り敬語も使えるが、佐原やリョウに当たりが強いし尊敬はしてない。武下のことは尊敬している。母親は出産時に他界。父親と暮らしていたが、6歳の時に違法薬の所持で父親が管理局に捕まる。
服役中の父親とは現在不仲。流れで箱子となり今に至る。
野崎により、情操教育はある程度されてきた。
佐原実 22歳 166cm 均衡管理局所属 人間 中梁層出身
整えられた黒髪、純粋な目、健康的な体型
やる気に満ちているが空回りしがちな青年。訓練生の時、リョウと武下が教官だった。
武下のことは信頼も尊敬もしてるけど、何より怖い。リョウには懐いてる。
小型の妖が相棒(埃の付喪神、愛称:ファサ、ファーちゃん)。
本人の気が弱すぎるのでファサとの喧嘩でも負ける。不憫。
黒澤 36歳 173cm 均衡管理局所属 人間
箱子。過去の任務で負傷し、眼帯をつけている。
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