十龍城砦

月ーん

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第二章

背水

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「分析の結果、例の薬から鬼灯ほおずきの反応が出た。」
明かりがついた局長室、ガラスで作られた花形のシャンデリアの下。
程よく年季の入ったソファに腰掛け、白髪の箱子が言う。
沼津孝宏。
金色の釦があしらえられた黒コートに身を包む彼は、
68年の人生の殆ど、50年余りを管理局に捧げてきた。
かつての黒い髪は白く染まりきったが、しゃんと伸びた背筋は変わらない。
「いずれの既存薬とも一致しない成分に、当局はこれを新薬と断定。アルカドールと命名する。」
同期のその言葉に目を細め、リョウはニヒルな笑みを浮かべた。
『すごいねぇ。最初に気づいた局員は大手柄なんじゃない?』
「まだ話している。口を挟むな。」
沼津の声に怒気が滲む。
相変わらず固い反応だ。つまらない。

「偶然ではあるが今後の益を考慮し、アルカドールの捜査の完了を条件に仮局員二名のバディを継続とする。」
捜査の完了。つまり、アルカドールの出所を掴み、そこを潰せと。
なんとも楽勝な条件である。鼻から西瓜を出すのと同じくらい。
ヒュゥ
リョウは口笛を吹いた。
「ただし、しくじれば」
沼津の皺の浮いた目が、千樹と海里を、リョウと武下を順に捉える。
「その時は監督責任者を処罰する。」

バッ、と素早い衣擦れの音。
武下が返事をするよりも早く、千樹の顔に緊張が滲むよりも早く、海里が身を跳ねさせた。
いつもの生意気な表情は消え失せ、青白い顔でハクハクと口を動かしている。

『俺勝手に責任者にされてたんだけどさーぁ、免除してもらえたりしない?』
「決定事項は不可変、忘れたか。」
馬鹿を言うなと睨まれる。
とりつく島もない、とはこのこと。
『やってくれたねぇ?』
急に狼狽出した海里を視線の脇に、リョウは武下の首筋を蹴飛ばした。
「リョウさん暴力は──」
千樹が止めようと関係ない。
どうせ、毛皮に包まれた細い足ではびくともしないのだから。
武下はいつもの死んだような顔で一度瞬きをするだけである。



やらかしたやらかしたやらかしたやらかした
一方、海里の脳内では警鐘が鳴り響いていた。
完全に覚醒した今、寝ぼけた状態で武下に喧嘩を売ったと言う事実は海里の血の気を引かせる。
力の差で叶わなかったが、反抗の意思を見せてしまった。
まさに、虎の尾を踏んだような気分。いや、虎の方がまだマシか。

「その時は監督責任者を処罰する。」
沼津の言葉が、海里は芯をさらに冷やす。
服従を破った上に、武下の首が自分のせいで飛びかねない状況。
海里の口が、ハクハクと震える。
歯がガチガチと音を立てる。
思い出すのは、とろりとした温かいものが耳に入ってくる感覚。


「これは何だ?」
空気が循環せず、澱みに澱んだ空間。
まだ幼い海里の頭を掴み、大男が言った。
蛾骸下層の一角、十龍城砦の最下層。
ネオンの光さえ届かず、手を伸ばせば触れられる距離もよく見えない。
処理に困った廃棄物が上層から捨てられてくる、蛾骸下層の中で最も不潔な場所。
呼吸までも放棄したくなる悪臭のなか口を開けば、僅かに排泄物の味がする。

ミシリ
体内で響くのは、骨が軋む音。
「ハッ、見てわかんねぇのかよ。」
頭蓋骨が歪むのを感じながら、海里は答えた。
視線の先には、投げ捨てられたぐちょぐちょの紙束。
悪臭を放ち、数字や顔の印刷が消えかけたそれは、
上層から廃棄物に混じって捨てられたものを必死にかき集めてきた札の束。
破かないよう慎重に、一応は血が繋がっている大男クズに持ってきてやったもの。

それが、ぐちゃりと音をたてて踏み躙られる。
染み込んでいた、吐瀉物のような臭いを放つ液が海里の顔に飛んだ。
「こんなのが使えると本気で思ってんのか!!!!」
激昂した大男が海里を殴る。
鋭く尖った爪が海里の側頭部を掠めた。

頭皮がパクリと裂ける。暗闇に赤が飛ぶ。
ドクドクと鼓動のたびに流れ出る血が、
海里の髪を濡らし、頬を伝い、顎で雫を作った。


「リョウさん!そこは人間の急所です。安易に蹴ってもし何かあれば...」
『だってさ能面くん。急所蹴られるなんて、もうちょい危機感持った方が「リョウさんに言っているんです!」

あァ、そうだ。そうだった。
千樹の声がもわもわと籠もり遠く聞こえる中、海里は瞬く武下を見る。
役に立たなければ、自分に価値はない。
もう失敗は許されない。
ーーーーーーーーーー
十龍城砦
妖と人間が共存する世界。剥き出しの鉄骨が不安定に上へ上へ伸びた構造
踏み外せば下に落ちそうな不安定な足場、空気の通り道のない暗い街、澱んでカビ臭い空気、薄暗く闇を照らす提灯、目が痛いほどに光るネオン、人間と妖、
閑黄朝(かんおうちょう、富裕層)、中梁層(ちゅうりゃんそう、庶民)
蛾骸下層(ががいかそう、貧困層)、湿禍暗(しっかあん、裏社会)


 均衡管理局(妖と人間の均衡を保つ機関、治安管理局ともいう) 中梁層
人間局員:スーツのズボン、シャツ、管理局と背に書かれたジャンパー、
     18歳から局員として働く箱子と、18から訓練を始めて20歳からの一般
妖局員 :和装、勾玉円紋の羽織
     教官が可と判断してから入局
治安が全く改善しない中、税金泥棒どもなど暴言を浴びせられることも。
管理局のポストには毎日のように脅迫めいた手紙が届く。
箱子:管理局が買取り、訓練を積ませてきた子供。主に人間。
   管理局に貢献するためだけに育てられる。
   逆らえないよう従順を強制する桔梗の煮汁を飲まされる。

リョウ 200~300歳 182cm 均衡管理局所属 狐の妖  中梁層出身
狐色の癖毛、狐の耳と尾、丸い吊り目
普段の言動から、軽い男と評されているが、人間に対してはなんとなく壁がある。コミュニケーション能力に長けており、仕事はできる。自由人。身体能力はいまいちだが、術の扱いや交渉能力に長ける。 人間に比べれば長寿だが妖の中では若い方。面白そうだからと入局して以来、50年ほど所属。
教官として局員養成も仕事に入ってるが(現在休職中)、まともにやってない。
狐の姿になったが、その中身は変わらない。

武下律 24歳 173cm 均衡管理局所属(教官) 人間 蛾骸下層出身
肩まで伸びた黒髪のハーフアップ、三白眼の鋭い目つき(隈つき)、無表情
若手でありながら優秀。ただし、めちゃくちゃ寡黙で無愛想。真面目。食事も睡眠もおろそかにしがちなので華奢。無愛想で人当たりも悪いが、やるべきことはこなす。悪いやつじゃないというのが周りからの評判。
聴力を失い杖を必要とするようになったものの、相変わらず戦闘能力に長ける。術への耐性も健在。
教官として局員養成も行なっている(現在休職中)。幼い頃に管理局に売られ、以来18歳で入局するまで訓練させられてきた(いわゆる箱子)。
情操教育を受ける機会がなかった。

海里 18歳 158cm 均衡管理局所属 人間(新人) 蛾骸下層~湿禍暗出身
黒く短い癖毛、意志のある力強い目、仏頂面
小柄ながら筋肉質。盗みを重ねて生きてきたが、18になり管理局の訓練生となることができるようになったので入局(管理局の方が稼ぎがいい)。自分が生き残ること、稼ぐことに貪欲な少年。気に入らない者には生意気な態度を取るが、認めた者には従順。喧嘩っ早く乱暴な性格。教養はない。
千樹とはよく衝突。危機察知能力が高い(勘がいい)。妖の血が薄いながらも入っている。
善意を知らない。

千樹 400歳 190cm 均衡管理局所属 龍 閑黄朝出身
青緑く透き通った長い髪、穏やかなタレ目、硝子のようなツノ
長身で美しい青年。富裕層出身の世間知らずなお坊ちゃん。
争いを嫌い、話し合えば必ず分かり合えるという甘い理想を抱きがち。
訓練生になってからかれこれ数十年立つが、未だに教官からの可がおりない。
海里とはよく衝突。
悪意を知らない。

沼津孝宏 68歳 166cm 均衡管理局局長 人間
白髪 しゃんと伸びた背
箱子。
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