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いざ開戦
1. 別れの朝食 〜リーゼロッテ〜
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無事に婚約式を終えた翌朝、私は普段通り夜が明け始める頃にきちんと目を覚まし、念入りに身支度を始めた。
作り込み過ぎず、かと言って無造作でもない風の作り込み具合。ふんわりとしたシルエットのワンピースに、薄い化粧を施す。目周りと口元はあえて色を差さない。適度な隙を見せつつ、清潔感たっぷりに整った格好。
(うん、今日も完璧)
とそこへ、扉を軽くノックしてアンナが入ってきた。
「姫様、朝食の用意ができたそうですよ」
「ありがとう。アンナどう? どこか変なところはない?」
「今日も完璧に綺麗ですー」
くるりとその場で一周して見せると、アンナは
毎日そうするように、手を叩いて褒めそやしてくれた。
これが私の毎日の日課。すべてはあの方の前で、いつどんな時も愛らしい私でいるため。
「ああ、おはようリゼ。昨夜はよく眠れた?」
食堂へと向かう廊下で、さっそく意中の方とばったり遭遇した。朝から運が良い。
「おはようございます。陛下もゆっくりお休みになられましたか?」
「そんな畏まらなくても、今はオリバーで良いよ」
優しく微笑んで、きりりと釣り上がった瞳が柔らかく下がるを見て、私の胸は朝からキュンキュン忙しく高鳴る。
地上で随一の力を持つクレマチス国は、軍事力ではなく豊富な資源と知略に富んだ交渉術でもって、大地に君臨する大国だ。そのトップに位置するのが、このオリバー様。
クレマチス国王にして私の義兄である。
「ここは天上なのだから、誰がどこで見ているかわかりません」
「相変わらずリゼはお堅いなあ」
くくくっと堪えきれずに小さく笑うオリバー様に、私は赤くなった顔を見られたくなくてずんずんと先を歩いた。
ああ、本当はもっとゆっくり隣を並んで歩きたかったのに。
数年前、姉フローラの護衛に任ぜられ王城にやってきたオリバー様は、それはそれは素敵な騎士様だった。鍛え上げられた大きな体、きりりと釣り上がった瞳、野太く力強い声とは裏腹に、女性や子どもにはどこまでも優しく、真面目で誠実なオリバー様に私とフローラはきゃあきゃあはしゃいで夢中になった。
やがて騎士団長になられたオリバー様が選んだのは、私ではなくフローラだった。
二人が婚約するのと前後して、病気がちだったお父様が崩御した。空席になった王座には、自動的にオリバー様が就くことになった。
オリバー様が国王になってから、クレマチスの発展は凄まじいものだった。あまりにも急速で、官職達の仕事が追いつかず忙しすぎてぶっ倒れる者が続出したほどだった。オリバー様は、僕は何もしてないよ、なんてにこにこ笑っているだけだったけれど、一体どんな手を使ったのか。詳細を知る者は誰もいない。
クレマチスが巨大国家などと称されるようになった頃、天空の国リングエラから私に縁談の話が舞い込んだ。同じ年頃の王子の相手にぜひ、という案件にオリバー様がすぐさま飛びついた。
「良い話じゃないか。リングエラは楽園のような場所だと聞くよ。リゼの嫁ぎ先にはぴったりじゃないか」
大乗り気のオリバー様に押し切られる形で、こうして私の婚約はあっさり成立してしまった。
食堂では、既にリングエラ国王とヴィンフリート殿下が席についていた。
ヴィンフリート殿下。私の婚約者。
地上では珍しい深い赤色の髪。こうして陽光に照らされていると、昨日見た印象より実際は鮮やかな色だとわかる。じっと見つめていると、それに気づいた殿下が顔を上げて目が合った。が、すぐにぷいっと逸らされた。
(まあ、何あの態度!)
「おはようリーゼロッテ。昨夜はゆっくり休めたかな」
「はい国王陛下、おかげ様で。素敵やお部屋をありがとうございます」
「気に入ってもらえて何よりだ」
気を取り直しリングエラ国王に向けて笑みを浮かべると、私は用意された席についた。
どこでいつ調べ上げたのか、私の好物ばかりが並んでいる。
「時にオリバー殿。今日の昼には出立すると聞いたが」
「はい。火急の用がありまして、名残惜しいですが失礼させていただきます」
(え?)
私は持っていたフォークを取り落としそうになった。
「もうお帰りになるのですか?」
「ああリゼ、もう少しいたかったんだけど、どうもホクシアとの国境が危ないらしい。一度見に行かなくては」
「そうですか……どうかお気をつけて」
「ありがとう」
北の隣国ホクシアとは、国境の村々で小さな揉め事が絶えない。オリバー様に連絡があったとなると、それが肥大化しつつあるのかもしれない。
国の一大事とあらば、私一人の我儘でオリバー様を引き留めるわけにはいかない。
「聞いていた通り、リングエラはまさに楽園だね。ヴィンフリート王子も実直で信頼できるお人柄だ。幸せになるんだよ、リゼ」
初めて出会った時から変わらないオリバー様の優しい心遣いに、私は曖昧に微笑むしかなかった。
朝食を終えると、私は急いで部屋に戻った。
勢いよく開いた扉に、中で寛いでいたアンナとユリウスがびくっとなった。
「姫様! どうされたんですか? そんなに慌てて」
「オリバー様が今日お帰りになるの。お見送りの準備をしないと」
「それは大変。お手伝い致します」
アンナがあわあわとドレスを用意している間に、ユリウスはさっと敬礼し素早く退出した。と思ったら、髪飾りの入った小箱を持ってすぐに戻ってきた。
二人に手際良く身支度をしてもらっている間に、私は大きく深呼吸した。
(私は大丈夫。必ずやり遂げてみせる)
手早く化粧も済ませて、鏡で自分の姿を確認する。
「問題ないわね」
「はい、今日もとってもお綺麗です」
「ありがとう、ユリウス」
お気に入りのガラスの靴を履かせてもらい外へ出ると、もう出発する準備を整えたオリバー様が大きく腕を振って待っていた。
「リゼ、見送りありがとう。次に会う時は結婚式かな。素敵な花嫁姿を楽しみにしているよ」
屈託なく笑うオリバー様の顔を堪能したいのに、強く吹く風がそれを阻む。飛ばされそうになり足元がふらついたところを、後ろからユリウスに抱き込むようにして支えられた。
「ユリウス、リゼをよろしく頼むよ。何かあったらすぐに知らせてくれ」
「この命に変えても必ずお守り致します」
なおも吹き荒ぶ強風。この流れに乗って、来た時と同じようにリングエラの飛行船に乗り込み、オリバー様は地上へと舞い戻って行く。
飛行船の翼が見えなくなるまで、私はずっと大きく手を振り続けた。風がどんどん強くなってくる。
「リゼ様、そろそろ中へ」
部屋に戻ると、アンナが昨日出来なかった荷解きをしてくれていた。
「オリバー様、本当に帰っちゃったんですね。寂しくなりますね」
もう数日はゆっくりしていくものとばかり思っていたけれど、仕方がない。ホクシアは王が変わってからここ数年で軍事主義が色濃くなってきた。他国にばれないよう裏で着々と軍備を増強しているともっぱらの噂。特にクレマチスは標的となりやすく、実際に国境線では何度も衝突が起きている。国境を越えてすぐの場所にある、希少な水晶が数多く採れる鉱山を狙っているのだろう。
寂しさを振り切るように、私はアンナとユリウスの方を振り返ってにっこりと微笑んだ。
「大丈夫よ。私には貴方達がいるから」
「姫様……私、一生姫様に付いていきます!どこまでもお供します!」
「こらアンナ、そんな鼻水付いた手でリゼ様に触るな」
呑気にオリバー様を恋しがって泣いている時間はない。そんなことしている間にできることはいくらでもある。できるだけ早く地上に帰るため、いかに早く婚約破棄に持ち込むか、作戦を立てなければ。
私には私の戦いが待っている。
「荷解きが終わったら、さっそく二人に手伝って欲しいことがあるの」
「さっそくですね! 待ってて下さい、ちゃちゃっと終わらせますんで」
この天空での生活が、本格的に始まろうとしている。
作り込み過ぎず、かと言って無造作でもない風の作り込み具合。ふんわりとしたシルエットのワンピースに、薄い化粧を施す。目周りと口元はあえて色を差さない。適度な隙を見せつつ、清潔感たっぷりに整った格好。
(うん、今日も完璧)
とそこへ、扉を軽くノックしてアンナが入ってきた。
「姫様、朝食の用意ができたそうですよ」
「ありがとう。アンナどう? どこか変なところはない?」
「今日も完璧に綺麗ですー」
くるりとその場で一周して見せると、アンナは
毎日そうするように、手を叩いて褒めそやしてくれた。
これが私の毎日の日課。すべてはあの方の前で、いつどんな時も愛らしい私でいるため。
「ああ、おはようリゼ。昨夜はよく眠れた?」
食堂へと向かう廊下で、さっそく意中の方とばったり遭遇した。朝から運が良い。
「おはようございます。陛下もゆっくりお休みになられましたか?」
「そんな畏まらなくても、今はオリバーで良いよ」
優しく微笑んで、きりりと釣り上がった瞳が柔らかく下がるを見て、私の胸は朝からキュンキュン忙しく高鳴る。
地上で随一の力を持つクレマチス国は、軍事力ではなく豊富な資源と知略に富んだ交渉術でもって、大地に君臨する大国だ。そのトップに位置するのが、このオリバー様。
クレマチス国王にして私の義兄である。
「ここは天上なのだから、誰がどこで見ているかわかりません」
「相変わらずリゼはお堅いなあ」
くくくっと堪えきれずに小さく笑うオリバー様に、私は赤くなった顔を見られたくなくてずんずんと先を歩いた。
ああ、本当はもっとゆっくり隣を並んで歩きたかったのに。
数年前、姉フローラの護衛に任ぜられ王城にやってきたオリバー様は、それはそれは素敵な騎士様だった。鍛え上げられた大きな体、きりりと釣り上がった瞳、野太く力強い声とは裏腹に、女性や子どもにはどこまでも優しく、真面目で誠実なオリバー様に私とフローラはきゃあきゃあはしゃいで夢中になった。
やがて騎士団長になられたオリバー様が選んだのは、私ではなくフローラだった。
二人が婚約するのと前後して、病気がちだったお父様が崩御した。空席になった王座には、自動的にオリバー様が就くことになった。
オリバー様が国王になってから、クレマチスの発展は凄まじいものだった。あまりにも急速で、官職達の仕事が追いつかず忙しすぎてぶっ倒れる者が続出したほどだった。オリバー様は、僕は何もしてないよ、なんてにこにこ笑っているだけだったけれど、一体どんな手を使ったのか。詳細を知る者は誰もいない。
クレマチスが巨大国家などと称されるようになった頃、天空の国リングエラから私に縁談の話が舞い込んだ。同じ年頃の王子の相手にぜひ、という案件にオリバー様がすぐさま飛びついた。
「良い話じゃないか。リングエラは楽園のような場所だと聞くよ。リゼの嫁ぎ先にはぴったりじゃないか」
大乗り気のオリバー様に押し切られる形で、こうして私の婚約はあっさり成立してしまった。
食堂では、既にリングエラ国王とヴィンフリート殿下が席についていた。
ヴィンフリート殿下。私の婚約者。
地上では珍しい深い赤色の髪。こうして陽光に照らされていると、昨日見た印象より実際は鮮やかな色だとわかる。じっと見つめていると、それに気づいた殿下が顔を上げて目が合った。が、すぐにぷいっと逸らされた。
(まあ、何あの態度!)
「おはようリーゼロッテ。昨夜はゆっくり休めたかな」
「はい国王陛下、おかげ様で。素敵やお部屋をありがとうございます」
「気に入ってもらえて何よりだ」
気を取り直しリングエラ国王に向けて笑みを浮かべると、私は用意された席についた。
どこでいつ調べ上げたのか、私の好物ばかりが並んでいる。
「時にオリバー殿。今日の昼には出立すると聞いたが」
「はい。火急の用がありまして、名残惜しいですが失礼させていただきます」
(え?)
私は持っていたフォークを取り落としそうになった。
「もうお帰りになるのですか?」
「ああリゼ、もう少しいたかったんだけど、どうもホクシアとの国境が危ないらしい。一度見に行かなくては」
「そうですか……どうかお気をつけて」
「ありがとう」
北の隣国ホクシアとは、国境の村々で小さな揉め事が絶えない。オリバー様に連絡があったとなると、それが肥大化しつつあるのかもしれない。
国の一大事とあらば、私一人の我儘でオリバー様を引き留めるわけにはいかない。
「聞いていた通り、リングエラはまさに楽園だね。ヴィンフリート王子も実直で信頼できるお人柄だ。幸せになるんだよ、リゼ」
初めて出会った時から変わらないオリバー様の優しい心遣いに、私は曖昧に微笑むしかなかった。
朝食を終えると、私は急いで部屋に戻った。
勢いよく開いた扉に、中で寛いでいたアンナとユリウスがびくっとなった。
「姫様! どうされたんですか? そんなに慌てて」
「オリバー様が今日お帰りになるの。お見送りの準備をしないと」
「それは大変。お手伝い致します」
アンナがあわあわとドレスを用意している間に、ユリウスはさっと敬礼し素早く退出した。と思ったら、髪飾りの入った小箱を持ってすぐに戻ってきた。
二人に手際良く身支度をしてもらっている間に、私は大きく深呼吸した。
(私は大丈夫。必ずやり遂げてみせる)
手早く化粧も済ませて、鏡で自分の姿を確認する。
「問題ないわね」
「はい、今日もとってもお綺麗です」
「ありがとう、ユリウス」
お気に入りのガラスの靴を履かせてもらい外へ出ると、もう出発する準備を整えたオリバー様が大きく腕を振って待っていた。
「リゼ、見送りありがとう。次に会う時は結婚式かな。素敵な花嫁姿を楽しみにしているよ」
屈託なく笑うオリバー様の顔を堪能したいのに、強く吹く風がそれを阻む。飛ばされそうになり足元がふらついたところを、後ろからユリウスに抱き込むようにして支えられた。
「ユリウス、リゼをよろしく頼むよ。何かあったらすぐに知らせてくれ」
「この命に変えても必ずお守り致します」
なおも吹き荒ぶ強風。この流れに乗って、来た時と同じようにリングエラの飛行船に乗り込み、オリバー様は地上へと舞い戻って行く。
飛行船の翼が見えなくなるまで、私はずっと大きく手を振り続けた。風がどんどん強くなってくる。
「リゼ様、そろそろ中へ」
部屋に戻ると、アンナが昨日出来なかった荷解きをしてくれていた。
「オリバー様、本当に帰っちゃったんですね。寂しくなりますね」
もう数日はゆっくりしていくものとばかり思っていたけれど、仕方がない。ホクシアは王が変わってからここ数年で軍事主義が色濃くなってきた。他国にばれないよう裏で着々と軍備を増強しているともっぱらの噂。特にクレマチスは標的となりやすく、実際に国境線では何度も衝突が起きている。国境を越えてすぐの場所にある、希少な水晶が数多く採れる鉱山を狙っているのだろう。
寂しさを振り切るように、私はアンナとユリウスの方を振り返ってにっこりと微笑んだ。
「大丈夫よ。私には貴方達がいるから」
「姫様……私、一生姫様に付いていきます!どこまでもお供します!」
「こらアンナ、そんな鼻水付いた手でリゼ様に触るな」
呑気にオリバー様を恋しがって泣いている時間はない。そんなことしている間にできることはいくらでもある。できるだけ早く地上に帰るため、いかに早く婚約破棄に持ち込むか、作戦を立てなければ。
私には私の戦いが待っている。
「荷解きが終わったら、さっそく二人に手伝って欲しいことがあるの」
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