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いざ開戦
8. 警戒 〜ヴィンフリート〜
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俺の目の前に姿を現したクレマチスの王女は、庭園の散策にはおよそ似つかわしくない、それは見事な正装をしていた。
ボリュームたっぷりの煌びやかなドレスに見るからに高級な装飾品、化粧もしっかり施され、食事時の清楚な姿とはまるで別人だった。
(たかが庭の散策にこのような格好……やはりただの馬鹿なのか?)
開いた口が塞がらない一方で、不覚にも見惚れてしまっていた。これが然るべき舞踏会か何かのための装いであったなら、その夜の主役は間違いなく彼女だろう。華やかな中に言い知れぬ気品と可憐さが垣間見える。彼女に見つめられ微笑みかけられでもしたら、どんな男も心を奪われずにはいられないだろう。この世のものとは思えない程の圧倒的な美の具現化。
横からディルクに小突かれ、ようやく俺ははっと我に返った。
「今日はまた随分と素敵な衣装ですね」
「殿下に初めてお誘いいただいたのではりきってしまいましたわ。どこか変ですか?」
(俺のためにこれだけめかしこんだと?)
そう言われて一瞬心がぐらりと大きく揺れ動く。が、ディルクの冷たい視線を背中に感じ慌てて緩みかけた顔筋をきゅっと引き締めた。
「いいえ、ちっとも。よくお似合いです」
決して嘘は言っていない。嬉しそうに笑顔を浮かべる王女からぱっと視線を外しそっと自らの腕を差し出した。
(婚約者として最低限、誘い出した以上はエスコートくらいしなければ)
しかし俺の腕にクレマチスの王女の手が重なることはなく、代わりに彼女と側近の脳天気な会話が耳をつんざいた。
「リーゼロッテ様、日傘がないとお肌が焼けてしまいますよ」
「あら、すっかり忘れたわ」
「私がお待ち致します」
「ええお願いね」
そうして王女は側近の男の腕にその白くて細い腕を絡めた。城外に出て男が日傘を差してからは、日が当たらないように男の方が王女の体を引き寄せた。すぐそばで見ているこっちの方が目のやり場に困るほどの密着ぶり。
ちらりと一瞬、男と目が合った。鋭い視線に睨みつけられ、思わず一歩後ずさる。
(何だ、今のは……?)
「リーゼロッテ様、暑くはないですか?」
「ええ平気よ。それにしても綺麗なお庭ねえ。……きゃっ」
「お足元が悪いのでお気をつけください」
「本当ね。怖いわ……ユリウス決して手を離さないでね」
「心得ております」
(わざとか? それともこいつらは本当にただの馬鹿なのか?)
いちゃついてるようにしか見えない王女と側近の前を、俺はずんずんと大股で歩き急いだ。
何故こんなつまらないものを貴重な自由時間に見せつけられなければいけないのか。さっさと話すべきことを話して、自室に戻ってまた惰眠を貪りたかった。
「お二人はいつもそうなのですか」
すぐ隣を歩いていたディルクが、後ろの二人にそう疑問を投げかけた。気になって俺も振り返ると、王女は可愛らしく首を傾げていた。
「そうって? 何かおかしなところでもあって?」「何もございませんよ。リーゼロッテ様のお美しさにお二人とも驚いていらっしゃるのです。明るい日差しの下でご覧になったのは初めてでしょうから」
「まあユリウスったら、うふふ」
また始まる二人の仲睦まじい会話。完全に二人だけの世界。まったく会話にならない。
(これは正真正銘、頭の弱い王女様だな)
ディルクも諦めたように前に向き直った。
やがてテラスに着くと、手筈通りアフタヌーンティーが用意された。きゃっきゃっとはしゃぐ王女達を尻目に、ディルクは俄かに読書を始めた。ここまで準備は整えたんだから後は自分で切り出せということらしい。しかし目の前でこんなものを見せつけられては流石の俺でも気が削がれる。
適当に紅茶に口をつけながら様子を窺うものの、目の前に並んで座る王女と側近の会話は途切れることはない。
(またあの目か……)
時たま、側近の男がさり気なく周囲を警戒するような素振りを見せる。
ここは王城の庭で、危険な人物などいるはずがない。万が一不審者がいたとしても、門衛や警備の者があちこちにいるのだから我々の出る幕はない。
(奴は何を警戒しているんだ?)
細かく神経を研ぎ澄ませながら、王女の声掛けには甘く優しい声音できちんと受け答えしている。この二面性、ただの過保護な側近ではないだろう。
そのうちに痺れを切らせたディルクに短く促され、俺は我に返った。
(ひとまず今はこちらが先だ)
手元のティーカップをソーサーに戻し、クレマチスの王女の方へ向き直った。
「クレマチスの王女。私との婚約に際し、貴方にはいくつか守っていただきたいことがある」
俺の声にはっとしたように、王女も俺を視界に入れた。澄んだ青い瞳が俺を真っ直ぐに映し出す。と同時に、その横から突き刺さるような痛い視線を感じる。
(何なんだ、一体……)
そうして俺は王女に『王女に天空の厳しさを(以下略)』について切り出したのだった。
王女を部屋まで送り届け執務室に戻るなり、俺はソファに沈み込んだ。
「疲れが増した。最悪の気分だ」
ディルクの指示で侍女達が軽食を運んでくる。今日はこのまま西部地域に視察に赴くため、夕食は遅くなるか下手すればまた食いっぱぐれる。整然と並べられたサンドイッチに無造作に手を伸ばしながら俺は大きく息を吐いた。
ディルクも斜め向かいのソファに腰を下ろし、一番端のサンドイッチをひょいと摘んだ。
「王女とあの側近の距離感は些か不審ですね。先程お声がけに伺った際はそんな風には見えませんでした」
「警護に役立つほど鍛えているわけでもなさそうだが、警戒心は強い。あいつは一体何なんだ。しかも王女とあんなこれ見よがしに親しく振舞うなど……もし本当にそういう仲なら、少なくとも婚約者の俺の前では隠すものではないのか」
「仰る通りです。何か引っかかりますね」
「あの側近の素性を調べ上げろ。速やかにだ」
「御意」
どっと疲れが押し寄せてきた。ソファに深く沈み込みながら、つい先程まですぐ目の前にいた王女の姿を思い浮かべる。
(衣装はちぐはぐだが、やはり美しい……)
婚約式での可憐に着飾った姿も食事時に見かけるふんわりとした姿も文句なく美しい。が、陽光の下で今日間近に見た彼女はいっそ神々しいほどだった。あれだけ存在感のある装飾品を身体中に付けていて、着られている感なくむしろ立派に着こなせる女性が他にどれほどいることか。そしてあの気品漂う艶やかな雰囲気。
(見た目は申し分ない。本当に、見た目だけは)
あれだけの美貌を持ち合わせていながら、今日のあのぶっ飛んだ態度。あれが彼女の本性なのだとしたら残念極まりない。世間知らずだろうと決め付けていたが、予想の遥か斜め上を行く過保護ぶり。挙句の果てには読み書きも満足にできないと言う。内心驚いたものの、あの側近との関係を見た後では、あり得ない話ではないなと納得してしまった部分もあり、もはや何も言う気が起きなかった。
やはりあの王女と結婚し生涯添い遂げるなど考えられない。彼女は我がリングエラ国の王妃となるには到底及ばない。
彼女の笑顔にはいちいち心惹かれてしまうが、無理なものは無理だ、と自分を戒めた。
(王女は俺のことをどう思っているんだろうか)
ふとそんな考えが頭を過ぎる。
部屋に迎えに行った時は、とても嬉しそうに微笑んでくれた。しかし今頃部屋に戻って、あの紙の内容を知らされてどう思っただろうか。
どう解釈しようとしても、こちらが王女を遠ざけようとしていることは丸わかりだ。嘆き悲しみあの側近に縋るのか、何とも思わずにこのまま日々を過ごしていくのか。どちらにしろ面白くない。
(ん……?)
自分がやったことに自分がダメージを受けている。突如として胸に湧き上がってきたこの苛立ちは何だ。
(いや、そんなはずはない。俺は……)
咄嗟に残りのサンドイッチをすべて口に放り込み、むせ返りながら立ち上がった。
父上の言いなりになどならない。政略結婚なんぞしなくとも俺一人でこの国を背負ってみせる。頭の弱い妻などいらない。彼女を手放すのが惜しいなどと思うはずがない。
ディルクから無言で渡された水を喉に流し込み、王家の紋章の入ったマントを装着する。ここリングエラを包み込む夕闇の色。果てしなく続くであろう濃紺の輝き。
「出発する」
恭しく跪いたディルクは、さっと立ち上がると入り口の扉に手をかけた。
ボリュームたっぷりの煌びやかなドレスに見るからに高級な装飾品、化粧もしっかり施され、食事時の清楚な姿とはまるで別人だった。
(たかが庭の散策にこのような格好……やはりただの馬鹿なのか?)
開いた口が塞がらない一方で、不覚にも見惚れてしまっていた。これが然るべき舞踏会か何かのための装いであったなら、その夜の主役は間違いなく彼女だろう。華やかな中に言い知れぬ気品と可憐さが垣間見える。彼女に見つめられ微笑みかけられでもしたら、どんな男も心を奪われずにはいられないだろう。この世のものとは思えない程の圧倒的な美の具現化。
横からディルクに小突かれ、ようやく俺ははっと我に返った。
「今日はまた随分と素敵な衣装ですね」
「殿下に初めてお誘いいただいたのではりきってしまいましたわ。どこか変ですか?」
(俺のためにこれだけめかしこんだと?)
そう言われて一瞬心がぐらりと大きく揺れ動く。が、ディルクの冷たい視線を背中に感じ慌てて緩みかけた顔筋をきゅっと引き締めた。
「いいえ、ちっとも。よくお似合いです」
決して嘘は言っていない。嬉しそうに笑顔を浮かべる王女からぱっと視線を外しそっと自らの腕を差し出した。
(婚約者として最低限、誘い出した以上はエスコートくらいしなければ)
しかし俺の腕にクレマチスの王女の手が重なることはなく、代わりに彼女と側近の脳天気な会話が耳をつんざいた。
「リーゼロッテ様、日傘がないとお肌が焼けてしまいますよ」
「あら、すっかり忘れたわ」
「私がお待ち致します」
「ええお願いね」
そうして王女は側近の男の腕にその白くて細い腕を絡めた。城外に出て男が日傘を差してからは、日が当たらないように男の方が王女の体を引き寄せた。すぐそばで見ているこっちの方が目のやり場に困るほどの密着ぶり。
ちらりと一瞬、男と目が合った。鋭い視線に睨みつけられ、思わず一歩後ずさる。
(何だ、今のは……?)
「リーゼロッテ様、暑くはないですか?」
「ええ平気よ。それにしても綺麗なお庭ねえ。……きゃっ」
「お足元が悪いのでお気をつけください」
「本当ね。怖いわ……ユリウス決して手を離さないでね」
「心得ております」
(わざとか? それともこいつらは本当にただの馬鹿なのか?)
いちゃついてるようにしか見えない王女と側近の前を、俺はずんずんと大股で歩き急いだ。
何故こんなつまらないものを貴重な自由時間に見せつけられなければいけないのか。さっさと話すべきことを話して、自室に戻ってまた惰眠を貪りたかった。
「お二人はいつもそうなのですか」
すぐ隣を歩いていたディルクが、後ろの二人にそう疑問を投げかけた。気になって俺も振り返ると、王女は可愛らしく首を傾げていた。
「そうって? 何かおかしなところでもあって?」「何もございませんよ。リーゼロッテ様のお美しさにお二人とも驚いていらっしゃるのです。明るい日差しの下でご覧になったのは初めてでしょうから」
「まあユリウスったら、うふふ」
また始まる二人の仲睦まじい会話。完全に二人だけの世界。まったく会話にならない。
(これは正真正銘、頭の弱い王女様だな)
ディルクも諦めたように前に向き直った。
やがてテラスに着くと、手筈通りアフタヌーンティーが用意された。きゃっきゃっとはしゃぐ王女達を尻目に、ディルクは俄かに読書を始めた。ここまで準備は整えたんだから後は自分で切り出せということらしい。しかし目の前でこんなものを見せつけられては流石の俺でも気が削がれる。
適当に紅茶に口をつけながら様子を窺うものの、目の前に並んで座る王女と側近の会話は途切れることはない。
(またあの目か……)
時たま、側近の男がさり気なく周囲を警戒するような素振りを見せる。
ここは王城の庭で、危険な人物などいるはずがない。万が一不審者がいたとしても、門衛や警備の者があちこちにいるのだから我々の出る幕はない。
(奴は何を警戒しているんだ?)
細かく神経を研ぎ澄ませながら、王女の声掛けには甘く優しい声音できちんと受け答えしている。この二面性、ただの過保護な側近ではないだろう。
そのうちに痺れを切らせたディルクに短く促され、俺は我に返った。
(ひとまず今はこちらが先だ)
手元のティーカップをソーサーに戻し、クレマチスの王女の方へ向き直った。
「クレマチスの王女。私との婚約に際し、貴方にはいくつか守っていただきたいことがある」
俺の声にはっとしたように、王女も俺を視界に入れた。澄んだ青い瞳が俺を真っ直ぐに映し出す。と同時に、その横から突き刺さるような痛い視線を感じる。
(何なんだ、一体……)
そうして俺は王女に『王女に天空の厳しさを(以下略)』について切り出したのだった。
王女を部屋まで送り届け執務室に戻るなり、俺はソファに沈み込んだ。
「疲れが増した。最悪の気分だ」
ディルクの指示で侍女達が軽食を運んでくる。今日はこのまま西部地域に視察に赴くため、夕食は遅くなるか下手すればまた食いっぱぐれる。整然と並べられたサンドイッチに無造作に手を伸ばしながら俺は大きく息を吐いた。
ディルクも斜め向かいのソファに腰を下ろし、一番端のサンドイッチをひょいと摘んだ。
「王女とあの側近の距離感は些か不審ですね。先程お声がけに伺った際はそんな風には見えませんでした」
「警護に役立つほど鍛えているわけでもなさそうだが、警戒心は強い。あいつは一体何なんだ。しかも王女とあんなこれ見よがしに親しく振舞うなど……もし本当にそういう仲なら、少なくとも婚約者の俺の前では隠すものではないのか」
「仰る通りです。何か引っかかりますね」
「あの側近の素性を調べ上げろ。速やかにだ」
「御意」
どっと疲れが押し寄せてきた。ソファに深く沈み込みながら、つい先程まですぐ目の前にいた王女の姿を思い浮かべる。
(衣装はちぐはぐだが、やはり美しい……)
婚約式での可憐に着飾った姿も食事時に見かけるふんわりとした姿も文句なく美しい。が、陽光の下で今日間近に見た彼女はいっそ神々しいほどだった。あれだけ存在感のある装飾品を身体中に付けていて、着られている感なくむしろ立派に着こなせる女性が他にどれほどいることか。そしてあの気品漂う艶やかな雰囲気。
(見た目は申し分ない。本当に、見た目だけは)
あれだけの美貌を持ち合わせていながら、今日のあのぶっ飛んだ態度。あれが彼女の本性なのだとしたら残念極まりない。世間知らずだろうと決め付けていたが、予想の遥か斜め上を行く過保護ぶり。挙句の果てには読み書きも満足にできないと言う。内心驚いたものの、あの側近との関係を見た後では、あり得ない話ではないなと納得してしまった部分もあり、もはや何も言う気が起きなかった。
やはりあの王女と結婚し生涯添い遂げるなど考えられない。彼女は我がリングエラ国の王妃となるには到底及ばない。
彼女の笑顔にはいちいち心惹かれてしまうが、無理なものは無理だ、と自分を戒めた。
(王女は俺のことをどう思っているんだろうか)
ふとそんな考えが頭を過ぎる。
部屋に迎えに行った時は、とても嬉しそうに微笑んでくれた。しかし今頃部屋に戻って、あの紙の内容を知らされてどう思っただろうか。
どう解釈しようとしても、こちらが王女を遠ざけようとしていることは丸わかりだ。嘆き悲しみあの側近に縋るのか、何とも思わずにこのまま日々を過ごしていくのか。どちらにしろ面白くない。
(ん……?)
自分がやったことに自分がダメージを受けている。突如として胸に湧き上がってきたこの苛立ちは何だ。
(いや、そんなはずはない。俺は……)
咄嗟に残りのサンドイッチをすべて口に放り込み、むせ返りながら立ち上がった。
父上の言いなりになどならない。政略結婚なんぞしなくとも俺一人でこの国を背負ってみせる。頭の弱い妻などいらない。彼女を手放すのが惜しいなどと思うはずがない。
ディルクから無言で渡された水を喉に流し込み、王家の紋章の入ったマントを装着する。ここリングエラを包み込む夕闇の色。果てしなく続くであろう濃紺の輝き。
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