長崎

田平 百石

文字の大きさ
1 / 1

長崎

しおりを挟む
 長崎本線の始発は、浦上から新線に入って諫早を目指す。下宿がある住吉から浦上駅は大分距離があるけど、電車もまだ走っていないから仕方無く歩く。霜がベンチに降り始めた某月某日、私は鳥栖の甘木さんに用があったので、始発の普通列車で鳥栖に向かう。薄っすらと半欠けの月が見えて、小さな雲が流れている事がわかった。コートに手を突っ込んで、白い息を機関車のように絶え間なく吐き続ける。しゃぁと音がして後ろから車が走ってきた。通る車はそれだけの、ただ薄暗い電車通りである。不意にごうごうと電車の音がして、後ろから人を満載した電車が私の白い吐息を切り裂くように走っていった。車室の人達は顔だけが黒くて見えない。何人かが和装をしていることはわかった。どうやら男が16名、女が10名らしい。いつしか急に現れた霧の中に消えて、見えなくなってしまった。浦上川を渡った。ちゃぷちゃぷと音が聞こえる。小さな女の子が、まるでバレェを踊るかのように跳ね回っている。水も跳ね回り、水面は揺らめく。霧の向こうからまた、電車が走ってきた。前照灯も、車室灯も付いていない。運転手が私を見つけたのか電車を止めた。服のあちこちがはち切れた、帽子の金具すらひん曲がった、顔の薄暗い運転手が降りてきて「手伝ってくれませんか」と言った。「何をです」「救助です」「爆弾が落ちたでしょうあれの救助ですよ」運転手が必死に言っている。私は「これは恐らく原爆だろう」と合点した。運転手は呆れて、電車を元の方向に戻っていった。暫く歩くと平和公園、続く爆心地公園があって、そこは「心霊スポットになっている」と福岡の学生が言っていた。平和公園の横を通ると、公園から軍服を着た男が出てきた。肩の腕章を見る限り、中尉であった。「これ貴様、ここで何をしておる」中尉殿は学校の先生が叱るような口で私を問いただした。「浦上駅に行くのです」「身分証明書は」「学生証しかありません」「どうせ私も暇なのだ。浦上駅までなら監視で付いていこう」と中尉殿が言った。段々東側の空が紫がかってきた。「中尉殿、貴方の名前を伺えますかな」と聞いた。中尉は突然しかめっ面から嬉しそうな顔をになって「堀下だ。堀下ススム」「はぁ堀下中尉」ホリシタホリシタと心の中で読んでいたら「君、僕は死んでいるのかね」と中尉が聞いてきた。「言っても殺されませんか」ニカッっと笑って「殺さんとも」と言った。「あなたは死んでいる。原子爆弾と言う新型の兵器で今から76年前に死んだ。」「そうか...」ホリシタ中尉は自分自身に、自分自身の死を言い聞かせているようだった。霧が一気に晴れた。「そうか、私は死んでいたか。」そう一言発して堀下進中尉は、長崎朝を告げる、薄紅の深い空の、一番深い所に沈んでいった。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【完結】狡い人

ジュレヌク
恋愛
双子のライラは、言う。 レイラは、狡い。 レイラの功績を盗み、賞を受賞し、母の愛も全て自分のものにしたくせに、事あるごとに、レイラを責める。 双子のライラに狡いと責められ、レイラは、黙る。 口に出して言いたいことは山ほどあるのに、おし黙る。 そこには、人それぞれの『狡さ』があった。 そんな二人の関係が、ある一つの出来事で大きく変わっていく。 恋を知り、大きく羽ばたくレイラと、地に落ちていくライラ。 2人の違いは、一体なんだったのか?

私の夫は妹の元婚約者

彼方
恋愛
私の夫ミラーは、かつて妹マリッサの婚約者だった。 そんなミラーとの日々は穏やかで、幸せなもののはずだった。 けれどマリッサは、どこか意味ありげな態度で私に言葉を投げかけてくる。 「ミラーさんには、もっと活発な女性の方が合うんじゃない?」 挑発ともとれるその言動に、心がざわつく。けれど私も負けていられない。 最近、彼女が婚約者以外の男性と一緒にいたことをそっと伝えると、マリッサは少しだけ表情を揺らした。 それでもお互い、最後には笑顔を見せ合った。 まるで何もなかったかのように。

真実の愛がどうなろうと関係ありません。

希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令息サディアスはメイドのリディと恋に落ちた。 婚約者であった伯爵令嬢フェルネは無残にも婚約を解消されてしまう。 「僕はリディと真実の愛を貫く。誰にも邪魔はさせない!」 サディアスの両親エヴァンズ伯爵夫妻は激怒し、息子を勘当、追放する。 それもそのはずで、フェルネは王家の血を引く名門貴族パートランド伯爵家の一人娘だった。 サディアスからの一方的な婚約解消は決して許されない裏切りだったのだ。 一ヶ月後、愛を信じないフェルネに新たな求婚者が現れる。 若きバラクロフ侯爵レジナルド。 「あら、あなたも真実の愛を実らせようって仰いますの?」 フェルネの曾祖母シャーリンとレジナルドの祖父アルフォンス卿には悲恋の歴史がある。 「子孫の我々が結婚しようと関係ない。聡明な妻が欲しいだけだ」 互いに塩対応だったはずが、気づくとクーデレ夫婦になっていたフェルネとレジナルド。 その頃、真実の愛を貫いたはずのサディアスは…… (予定より長くなってしまった為、完結に伴い短編→長編に変更しました)

友人の結婚式で友人兄嫁がスピーチしてくれたのだけど修羅場だった

海林檎
恋愛
え·····こんな時代錯誤の家まだあったんだ····? 友人の家はまさに嫁は義実家の家政婦と言った風潮の生きた化石でガチで引いた上での修羅場展開になった話を書きます·····(((((´°ω°`*))))))

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

王家の賠償金請求

章槻雅希
恋愛
王太子イザイアの婚約者であったエルシーリアは真実の愛に出会ったという王太子に婚約解消を求められる。相手は男爵家庶子のジルダ。 解消とはいえ実質はイザイア有責の破棄に近く、きちんと慰謝料は支払うとのこと。更に王の決めた婚約者ではない女性を選ぶ以上、王太子位を返上し、王籍から抜けて平民になるという。 そこまで覚悟を決めているならエルシーリアに言えることはない。彼女は婚約解消を受け入れる。 しかし、エルシーリアは何とも言えない胸のモヤモヤを抱える。婚約解消がショックなのではない。イザイアのことは手のかかる出来の悪い弟分程度にしか思っていなかったから、失恋したわけでもない。 身勝手な婚約解消に怒る侍女と話をして、エルシーリアはそのモヤモヤの正体に気付く。そしてエルシーリアはそれを父公爵に告げるのだった。 『小説家になろう』『アルファポリス』に重複投稿、自サイトにも掲載。

処理中です...