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第2章:2078年8月10日水曜日

第16話:だいたいこういうのは、気持ちが大事でしょ?

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 小隊メンバールームメイトから戦死者を-あの華やかでボリュームのある桜色SAKURAの二つ結びにはもう会えないのだ-という現実がフレミングとキルヒホッフに重くのしかかる。講堂から寮舎レジデンスに戻る道すがら、他の同期生クラスメート達とすれ違っても口を開く気になれない2人である。尤もそれは、先方も同じことであったろう。みな俯きながら、足取り重く寮舎レジデンスに戻っていく。203号室の前まで戻った時、ようやくフレミングが重い口を開く。
「そう言えば、ケプラーはどうしたんだろうね?」
 辞令が交付されなかったということは生きているということであろうが、講堂では見かけなかったようだ。戦傷を負って保健室-今は野戦病院となっている-にでも入っているのであろうか。
「大きなケガなどしていなければよいのですが……」
 キルヒホッフのゆるふわ金髪ブロンドも、今は萎びて輝きを失っているようである。

 フレミングが自室のドアを開けると、室内は暗いままだった。
「ケプラーは未だ帰ってきてないみたいだね……」
 明かりをつけたフレミングの視界の隅に人影が映る。それは、今は亡きファーレンハイトのデスクに突っ伏している水色ライトブルーの編み込みであった。
「ケプラー、大丈夫ですか?」
 慌てて駆け寄るキルヒホッフ。パイロットスーツを着たままのケプラーがゆっくりと頭を上げて心もち振り返った。常には清流のように澄んだ水色ライトブルーの瞳の、今は真っ赤に染まって濁りきった様子にキルヒホッフは胸を痛める。よく見ると、ケプラーのスーツの胸の辺りが血に染まっているようだ。
「ケプラー、大丈夫ですか?」
 再び問いかけるキルヒホッフに、ただ項垂れるだけのケプラーが弱弱しく返事をする。
「ファーレンハイトちゃんが、ファーレンハイトちゃんが……」
「えぇ、えぇ、ファーレンハイトは……」
 キルヒホッフはケプラーの座るイスの前でしゃがみ込み、ケプラーの顔を見上げるような姿勢で優しく話しかける。もう何時間泣いていたのであろうか。顔はくしゃくしゃにしているのに、瞳が乾ききっているケプラーである。
「ケプラーは大丈夫なのですか?その胸の血は?」
「私は……大丈夫。ファーレンハイトちゃんが……ファーレンハイトちゃんは、私のせいで……」
 キルヒホッフがケプラーを抱きしめ、その水色ライトブルーの髪を優しく撫でてやる。
「ケプラーのせいなんかではありませんわ」

「ファーレンハイトちゃんは……私のせいで……」
 フレミングが自分のデスクとキルヒホッフのデスクからそれぞれ椅子を持ってくる。3人で車座になると、ようやく少し落ち着いたケプラーがたどたどしく話し始めた。
「私を待ってたから、あんなことに……」
 そんなことは無い、それは運命だ。そう言いたくなる誘惑に、しかしそう簡単に言ってしまってはいけないような気がしたフレミングは、ただ黙ってケプラーの独白を待つ。しばらくすると、ケプラーが再び口を開いた。
「ファーレンハイトちゃんの機体には、大きな損傷はなかったの……」
「でも、小さな破片が1つだけ、風防キャノピーを破ってファーレンハイトちゃんに……」
 聞いている2人は敢えて相槌もせず、優しいまなざしでケプラーを受け容れている。
「私が行った時には、ファーレンハイトちゃんは……胸から沢山血を流してて……私は……」
「私は、ファーレンハイトちゃんを抱いてあげる……しか、できなかったの……」
 あとは突っ伏して話すことのできなくなったケプラーに、フレミングが声をかける。
「でも、ファーレンハイトは良かったね。その時、ケプラーが居てくれて」
 『最期に』とは言えないフレミングである。親友の気持ちが分かるキルヒホッフもフレミングの意に同意する。
「パイロットって、1人ですものね。ケプラーありがとう、ファーレンハイトの側に居てくれて」
 少し顔を上げるケプラーに赤髪マルーン金髪ブロンドが頷く。「これを聞くのは酷かな?」と悩みながら、それでもキルヒホッフは意を決してケプラーに問う。
「ファーレンハイトは、その時、何か言ったのですか?」
 少しの間をおいてケプラーが、少しだけ顔を赤くしながら小声で答える。
「まじ、巨乳しか勝たん、って」
「何か、ファーレンハイトらしいねぇ」
 少しだけ気の軽くなったようなケプラーの表情に、キルヒホッフは安堵した。

「それでね」
 再び口を開くケプラーにフレミングとキルヒホッフが相槌をうつ。
「それで、実は……ファーレンハイトちゃんから……勝手にこれをもらってきちゃったの……」
 そう言ってポケットからケプラーが取り出したのは、ファーレンハイトの認識票ドッグタグだった。それを見たフレミングが驚き声を上げる。
「えぇ、大丈夫なの?」
 幸いファーレンハイトの遺体に大きな損傷はなく識別も容易であるため、認識票ドッグタグがその役割を果たす必要はない。本来は戦死者の認識票ドッグタグを勝手に取ってくるなど重大な軍紀違反に相当するであろうが、きっと今は大目に見てもらっているのであろう。
「それでね……」
 フレミングの問いには答えず、ケプラーは自身のアイディアを2人に披露する。
「それで、私達でコレをデコって、ファーレンハイトちゃんが土に還る時に、もう一度かけてあげたいな、って……」
 バーラタでは、死者の眠る棺に故人の大切にしていた物を一緒にしまって土葬する風習がある。無機質な認識票ドッグタグを首からかけたままでは「何コレ、可愛くないし」等と言いだしかねないファーレンハイトである。せめて少しはお洒落にしてあげたい。水色ライトブルーから桜色SAKURAへの、せめてもの想いであった。
「ワタクシ達に、できますかしら?」
 案じるキルヒホッフにフレミングが調子よく答える。
「大丈夫だって。だいたいこういうのは、気持ちが大事でしょ?ね、ケプラー?」
「うん!」

******************************

「サフとか吹かなくても大丈夫かなぁ?」
 ファーレンハイトのデスクからグロスやらリップやらを選り好みしながら、フレミングが呟く。
「サフ?って何?フレミングちゃん」
 ケプラーの問いかけにキルヒホッフが替わりに答える。
「サーフェイサーのことですわ、ケプラー。塗装する前にサーフェイサーを吹いておくと、塗料が定着しやすいのですよ」
「へぇ~、そうなんだぁ~。私そんなこと全然知らなかったけど、2人はなぜそんなこと知ってるの?」
 再びの問いに、今度はフレミングが答える。
「私達、高校時代は模型部だったんだぁ。ケプラーは樹脂装甲人形プラムドールって知ってる?」
「プラ……ド?ううん、何それ?フレミングちゃん」
 初めて聞く単語に戸惑うケプラーを見て、フレミングが説明する。
「Plastic Armored Doll 略してプラムドール。女の子の人形にプラスチックの装甲を着せて遊ぶホビーなの。髪型とか洋服とかを着せ替えて遊ぶドールと、戦車やロボットの模型を作るプラモデルと、両方の趣味を同時に楽しめるんだよ。いわゆる、カッコ可愛いって奴!」
「それでワタクシ達は、その樹脂装甲プラパーツの塗装等を行っていましたから……」

 ゆるふわ金髪ブロンドの補足にあまり納得のいかない様子の水色ライトブルーが何となく訊ねる。
「それでそのサフ?ってのが必要なの?」
「そ、普通は、ね」
 赤髪マルーンの返答に頷きつつも、キルヒホッフが口を開く。
「ですが、残念ながらファーレンハイトがサーフェイサーを持っていたようには思えませんし……今回は無くても……」
「そっかぁ、しょうがないよねぇ~やっぱり……まぁ、そんなに動かすことも無いだろうし」
 摺動させて塗装面を痛めることがなければ、サフ無しでも大丈夫であろう。
「それでは始めましょう。どのような色に仕上げるか、お考えはありますか、ケプラー?」
 キルヒホッフの問いに、これだけは決めていたと言わんばかりにケプラーが答える。
「あのね、やっぱりベースはピンクにしたいの。ファーレンハイトちゃんの髪のように、華やかな桜色SAKURAに……」
 残る2人も同時に頷く。3人とも、それ以外のカラーリングは思いつかなかった。

 1時間後、第18小隊特製カスタム認識票ドッグタグが出来上がった。桜色SAKURAのベースカラーの上に彫られた文字は水色ライトブルーで埋め、左上隅にはアンティークゴールド、右下隅にはマルーンのアクセントをあしらってある。名前の上下にそれぞれ9個並べた合計18個のラインストーンは小隊番号を、名前の左に貼り付けたクリスタルはファーレンハイト機の撃墜マーク-空戦実技競技会マヌーヴァオリンピアの決勝トーナメント進出者にはその権利があるのだ-をモチーフとしている。
「ファーレンハイトちゃん、喜んでくれるかなぁ?」
 遠い目をするケプラーにファーレンハイトの口癖を真似たフレミングが応える。
「当たり前っしょ!」
 その時3人には、桜色SAKURAの二つ結びが嬉しそうに揺れている光景が見えた気がした。

******************************

「それで、お2人はこの後どうなさいますの?」
「どうって?」
 講堂に集合していなかったケプラーは詳しい話を聞いていないのであろう。改めてキルヒホッフが簡潔にパルティル校長の訓令をまとめる。宣戦布告のこと、バーラタと、何より航空士官学校ベンガヴァルの被害のこと、そして任官拒否のこと。
「私は残るよ、キルヒー」
 何の躊躇いもなくまっすぐな瞳を返してくる親友に、キルヒホッフも同意する。
「ワタクシも無論残りますわ。それで……ケプラーは……?」
 小隊メンバールームメイトの死を間近で見てしまった彼女は精神的に……キルヒホッフの懸念をフレミングも共有している。そして、その方がいいかもしれない、とも……
「私はね……」
 ゆっくりと口を開くケプラーの答は、2人には意外なものであったかもしれない。
「私も残るよ。だって……」
「ファーレンハイトの仇?」
 思わず口をついて出たフレミングの言葉に、しかしケプラーは気を悪くした様子もなく決心を述べる。
「もちろんそれもあるけど、それだけじゃないの……実は私……他にもファーレンハイトちゃんから勝手にもらってきちゃったものがあるの」
 そういって自分のデスクの引き出しを開けると、中から何やら取り出しながらケプラーが話を続ける。

「実はね私、ファーレンハイトちゃんの髪の毛を2本もらってきたの……」
 意外な話の展開に赤髪マルーン金髪ブロンドは沈黙を守る。
「1本はね……私のお守りにするの。これがあれば、私は絶対大丈夫。だってファーレンハイトちゃんが守ってくれるから。あの時のように……」
 頷く2人にケプラーは続ける。
「それで、もう1本はね……」
「ファーレンハイトちゃん言ってたでしょ。ベンガヴァルここは水が違うって。ファーレンハイトちゃんはおばあちゃんっ子で、故郷のバーダリープトラに帰りたい、って……」
 ケプラーが何を言ってるか分からない2人は、そのままケプラーが口を開くのを待つ。
「でもね……可哀そうだけど、ファーレンハイトちゃんはベンガヴァルここに埋められちゃうの。だからせめて髪の毛だけでも私が持っていて、この戦争が終わったら、ファーレンハイトちゃんのおばぁちゃんに返しにいくの」
 何となく様子が分かってきた2人に、ケプラーは思いの丈の全てを話す。
「その時ね、もし私が任官拒否してたら……おばぁちゃんに合わせる顔がないでしょ……それにきっと、ファーレンハイトちゃんにも笑われちゃうから……」
「私はね、ファーレンハイトちゃんのおばぁちゃんに会って、謝って、お礼を言って、お願いするの。私のせいでごめんなさい。ファーレンハイトちゃんのお陰でありがとう。ファーレンハイトちゃんお帰り、って」
 目を潤ませながら金髪ブロンド小隊長リーダーが語り掛ける。
「そうね、それまでワタクシ達は、死ぬわけには参りませんわね」
「うん、ゼッタイ」
 我が意を得たケプラーが力強くうなずいた。
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