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第2章:2078年8月10日水曜日

第19話:清流の上に舞い散る桜吹雪のように

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 2078年8月12日1300時。航空士官学校ベンガヴァルに残った36人の42期候補学生カデットは、再び講堂に集合させられた。既に1号学生、2号学生の全員および任官拒否した3人の3号学生は航空士官学校ベンガヴァルから撤収-1,2号学生は一時帰宅、3号学生は退学-を済ませており、また負傷した22人の候補学生カデットは全員後方搬送されている。航空士官学校ベンガヴァル全259名の候補学生カデットのうち、今なおここに残る者は36名を数えるにすぎない。

 講堂に集まった36名の3号学生はみな、袖と襟元・胸元・裾に金糸の刺繍の入った白地の第一種礼装を纏っている。本来であれば4カ月後に行われるはずであった卒業式が、その予定を前倒しして挙行されようとしているのだ。本来であればロシュやファーレンハイトなどは恐らく、下級生達からそのジャケットのボタン-鷲を模した校章マークが彫られた真鍮製-をせがまれていたことであろう。官給品を個人が許可なく贈与するなど本来はあり得べからざること-紛失するだけでも始末書ものである-ではあるが、この日に限っては売店でボタンを販売するのが航空士官学校ベンガヴァルの慣例のひとつでもあった……

 ファーレンハイトの場合などあるいは、学年首席のイッセキからもボタンの『交換』を要求された挙句に
「どうせ同じもんだし、交換したってしょうがないっしょ」
 等と言ってこれを拒否していたことであろうし、
「えぇ~、ファーレンハイトちゃん、私とも交換してくれないのぉ~?」
 等と抗議する水色ライトブルーに困った様子の桜色SAKURAを見かねた金髪ブロンド
「それでは、第18小隊みんなで交換しましょう」
 等と言いだしていたことであろう。そして、誰が誰のボタンをもらうかでひとしきり議論し揉めた後、赤髪マルーンあたりが
「じゃぁ、みんなのボタンにみんなで色を塗ろうよ」
 とか何とか言いだしたところで
「うち、デコるの得意だし」
 等と桜色SAKURAが同調して、4つのボタンそれぞれに4色の塗装を施していたことであろう。

 そんな、今となってはあり得ない幸福な未来予想図が頭をよぎったケプラーが、しんみりとした口調で残る2人の小隊メンバールームメイトに提案する。
「キルヒホッフちゃん、フレミングちゃん、2人のボタンを1つづつくれない?ファーレンハイトちゃんの棺に入れてあげたいの」
「いい考えですわね、ケプラー。ワタクシも賛同しますわ」
 キルヒホッフの賛意にフレミングも同意する。
「4人一緒に卒業だもんね」
 口の悪い同期生達も、さすがに今日は「落ちこぼれスケジュールド小隊が卒業なんて」などと軽口を言える雰囲気ではなかった。ファーレンハイトや他の戦死者の棺は今夕、ベンガヴァル近郊のバーラタ航空宇宙軍墓地に埋葬される予定であった。

 パルティル中部防衛航空軍団司令官が、今は航空士官学校ベンガヴァルj校長として登壇する。
航空士官学校ベンガヴァルは、先の戦闘において貴官ら42期生の多くを失ったのみならず、今日、卒業という美名に仮託し、未だ錬成未熟な貴官らを戦地に送り出さそうとしている。航空士官学校ベンガヴァル校長として私は、自身の不明と貴官らへの責任を全うせざる非道について、貴官らにまずは詫びなければならない」
 そう言ってパルティル校長は深々と頭を下げる。
「しかるに貴官らは、かかる緊迫した情勢下においてもなお己が責に目覚め、これを果たさんとここに集ってくれた。私は貴官らの勇気と誠心に心から感謝する次第である」
 二度頭を下げた校長は、簡潔に祝辞を締めくくる。その祝辞の最後にパルティル校長は、フレミング達42期生を「卒業生諸君」でも「候補学生諸君」でもなく、ましてや「ひよっこども」等の蔑称を使うことなく、同じ死地を乗り越えた一人前のパイロットとして認めてくれたかのように、こう呼びかけてくれた。
「戦友諸君!願わくば、この航空士官学校ベンガヴァルでの2年と8カ月が貴官らの血肉とならんことを。そして、貴官らの未来に栄光あらんことを」
 そう、彼女たちはもう軍人なのである。それも、戦時下の……

 しかしながら、若人達の華々しい門出を寿ぎその輝かしい未来を祝福すべき言辞の、今は何と簡素なことか。戦時下の、しかもここは最前線である。長広舌を振るう時でも場所でも無いことは言うまでもない。今、この瞬間にも敵襲があるかもしれないのだ。毎年の卒業式で行われる在校生祝辞やら卒業生答辞やら合唱やら、それら数々の儀礼が全て廃された-そもそも36名の卒業生しか出席していないのである-異例の卒業式である。尤も、別離分かれが卒業生の涙を誘うのだとすれば、もう既に沢山の死別おわかれを済ませた42期生達である。

「辞令交付!」
 ウェーバー教頭が式次第の進行を告げる。36人の42期生は今日ここで、中部防衛航空軍団司令官の権限により少尉に野戦任官されることになっていた。そもそも候補学生カデットは准尉待遇であり、厳密に言えば分隊長の権限に与ることはできない。そして軍隊とは、厳密な組織運用を行う-すなわち階級毎の指揮権限が厳密に定められている-組織である。従って42期生を実戦部隊の分隊長として正式に編成するためには、42期生を少尉に任官しなければならないのである。尤も、本来であれば候補学生カデット達は卒業後直ちに部隊に赴任し、任地で少尉任官を受けて正式な士官となるのだが、それはまだ4カ月後の予定であった。しかし幸い42期生達の最初の赴任地はここ、中部防衛航空軍団であるので、その司令官がその権限により彼女たちが正式に任官されるまでの間の身分を臨時に定める、というのがこの辞令交付の趣旨である。

航空士官学校ベンガヴァル首席卒業生イッセキ、中部防衛航空軍団司令官の権限により貴官を臨時にバーラタ共和国航空宇宙軍少尉に任じる 2078年8月12日 中部防衛航空軍団司令官 パルティル」
航空士官学校ベンガヴァル次席卒業生ラグランジュ、中部防衛航空軍団司令官の権限により貴官を臨時にバーラタ共和国航空宇宙軍少尉に任じる 2078年8月12日 中部防衛航空軍団司令官 パルティル」
航空士官学校ベンガヴァル3位卒業生ボルタ、中部防衛航空軍団司令官の権限により貴官を臨時にバーラタ共和国航空宇宙軍少尉に任じる 2078年8月12日 中部防衛航空軍団司令官 パルティル」
 学年首席のイッセキから順番に壇上に上がり、36人の卒業生が次々と少尉に野戦任官されていく。

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 『卒業生退場』などと、余韻に浸る暇も与えられない卒業生達は、ウェーバー教頭の「解散!」の掛け声でそれぞれの格納庫ハンガーに向かう。尤も、現時点で運用可能な愛機を持つ者のは15人だけであり、21人のパイロットは乗機が無い状態である。他に運用可能な機体はシャルル機-こちらは完全に無傷-とファーレンハイト機であるが、ファーレンハイト機に乗りたがる同期生はいなかった。パイロットは意外と迷信深いのである。

 第18小隊の3人は講堂から格納庫ハンガー群まで一緒に歩いてきた。自分の格納庫ハンガーの前までたどり着いた水色ライトブルーの編み込みは、何かを決心したような瞳で赤髪マルーン金髪ブロンドに告白した。
「私ね。校長先生……じゃなくって、司令官閣下にお願いしたの。ファーレンハイトちゃんの機体に乗せてください、って……」
「ケプラー、貴女……みんなが嫌がるから」
 機体が空いているとは言え、誰もファーレンハイトの機体に乗りたがる者はいなかった。そのことを悲しく感じていたキルヒホッフの問いに、ケプラーは澄み切った清流のような瞳で宣言する。
「私ね、AMF-75Aあの子をデコってあげたいの。清流の上に舞い散る桜吹雪のように。そうしたらいつも、ファーレンハイトちゃんが守ってくれそうでしょ?」
 水色ライトブルーの機体をキャンバスに、無数に流れる桜色SAKURAの花びらを描くのであろう。想像するだけでも美しいペイント案を披露したケプラーが、はにかみながら、それでも嬉しそうに続ける。
「それでその桜の花びらはね……ファーレンハイトちゃんの分隊にお願いしたいの……」
 ケプラーとファーレンハイトは同じ格納庫ハンガーであった。今も2機は隣同士で眠っており、2分隊は同じ場所で作業をしている。ファーレンハイト分隊の整備士メカニック達はいずれ、新しい分隊長ヒメを迎えることになるだろう。その前に、今はケプラーの機体となった旧分隊長ファーレンハイトの機体に、最後の整備メンテナンスをする機会を……
「それは良いアイディアですわね」
 その想いの分かるキルヒホッフが賛意を示す。
「そうだ、そう言えば、そうやって機体を乗り換えられるのも、2人のお陰だって聞いたよ。ありがとう、フレミングちゃん、キルヒホッフちゃん」
 機種間相互インタージェーン設定パラメータ変換機コンバータのことを噂に聞いていたケプラーである。

「それで、司令官閣下はOKって?」
 フレミングの問いにケプラーが破顔する。
「うんっ!」
「良かったね、ケプラー。そしたらファーレンハイトといつも一緒だね」
「そうなの!」
 赤髪マルーン水色ライトブルーのやり取りを聞きながら、キルヒホッフが疑問を呈する。
「ところで、機体とパイロットの編成はどうなるのでしょう?」
 現状はパイロット過多である。尤も「ひよっこ」パイロットではあるのだが。
「そう言えばファラデー先輩もAMF-75Aに乗るみたいだし……」

 唐突にファラデーの名を出すフレミングにケプラーが確認する。
「ファラデー先輩って、確か……私達が1号の時の、競技会オリンピア準優勝の……」
 確認するケプラーに、フレミングがケプラーとファラデーの共通点を挙げる。
「そう、ファラデー先輩。私達とは高校も一緒なんだ、模型部の。そう言えばファラデー先輩もケプラーと同じ水色の髪だね。でも、ケプラーの方が少し……」
「そうですわね、ケプラーの方が澄んだ色というか、ケプラーは清流の水色ライトブルーで、ファラデー先輩は大空の濃い水色ヘブンリーブルーという感じかしら?」
 髪色の話に脱線しかけたところ、珍しくケプラーが軌道修正する。
「それで、そのファラデー先輩がどうしたの?」
「ファラデー先輩も航空士官学校ベンガヴァルに帰ってきたの」
 不正確かつ不明瞭な表現の赤髪マルーン金髪ブロンドが正す。
「というより、中部防衛航空軍団に配属になったそうです。先の戦闘に出撃されて……」
「えぇ?ファラデー先輩、大丈夫だったの?」
 ケプラーの当然の反応にフレミングが中途半端に応える。
「うん、ファラデー先輩も機体も無事だったんだけど、機体は先輩の先輩に取られちゃうんだって」
「ファラデー先輩は機種転換訓練を受けて、AMF-75Aのパイロットになるそうですわ」
 状況を理解したケプラーが呟く。
「それじゃぁ、益々機体が足りなくなるね……」
 恐らくファラデー先輩以外にも、機体を失ったAMF-60Aパイロットがベンガヴァルに集結することであろう。しかし、乗る機体は足りていない。

「大丈夫ですわ、きっと」
 フレミングも共有するケプラーの不安を、努めて明るくキルヒホッフが払拭する。
「我がドラヴィタ重工DHIがきっと増産してくれますわ」
「さっすが!ドラヴィタ重工DHIのお嬢様が言うなら間違いなしだね」
 太鼓判を押す赤髪マルーン水色ライトブルーが聞く。
ドラヴィタ重工DHIのお嬢様って?」
「えっ、知らなかったっけ?キルヒーって、ドラヴィタ重工DHIの社長令嬢なんだよ、本当は!」
「えぇっ~?そんなの聞いてないよぉ~フレミングちゃん。えぇ~何で~?」
 驚くケプラーをよそにキルヒホッフが真顔でこたえる。
「それはともかく、今頃バーラタ政府はAMF-75Aの増産をドラヴィタ重工DHIに指示しているはずですわ。それに……」
「それに?」
 フレミングの問いにキルヒホッフが続ける。
「それに、元々10月には72機のAMF-75Aが納入される予定だったはず……」
 本来であれば2号学生が愛機を受領する11月1日より前に、定数72機のAMF-75Aが航空士官学校ベンガヴァルに納入される予定だったはずである。2か月後に72機納入であれば、既に今頃は製造ラインで多くの機体が搬出ロールアウトを待っていることであろう。
「そっかぁ。じゃぁ、そのうちの何機かはすぐに納入されてもおかしくはないね、キルヒー?」
「えぇ、恐らく……」
 納得する赤髪マルーンをよそに、新しい問題を発見してしまったことに気づいた水色ライトブルーが1人黄昏ている。
「えぇ~?これからキルヒホッフちゃん、じゃなくてキルヒホッフさんのことを何て呼んだらいいんだろぉ~?」
「じゃぁいっそ、キルヒーでいいじゃん!」
 あっけらかんと提案するフレミングに、より一層困惑を深めるケプラーである。

 キルヒホッフが予想した通り、翌13日0900時、中部防衛航空軍団は15機の新造AMF-75Aを受領することになった。しかし17機の現用機と合わせて合計32機。未だ定数48機を充足できない第000防衛飛行群000Wである。
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