私の平凡ってなんでしょう?

吉村巡

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私の平凡ってなんでしょう?

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 幼いころから早熟だ才媛だと評判で、その結果、多少の縁があった侯爵家へ侍女として勤めだしたのが13歳の時だ。
 実家は男爵家出身の父が牧師をしていたが、小さい村の教会を受け持って、父子二人で慎ましく暮らしていた。母は私が幼いころに流感で亡くなった。
 教会がある村は、村と言っても荒野だし特産品も観光地もないしということで、その日暮らしていくのもやっとな貧乏村のため教会への寄付もままならず、家計は常に火の車。

 私がどっかに奉公に出るのは当然のことだった。
 父方の伯父である男爵の紹介と、小さな村での下馬評もあってか、新人にしては目をかけてもらえたと思う。
 次代の侯爵家を担う、嫡男様(御年2歳)の世話係の一人として選ばれるくらいには。

 村にいたころは、父の手伝いで村の子供たちに説法もしていたし、子供の扱いはお手の物。多分、父の手伝いをして子供の面倒を見ていたことが、村の下馬評にもつながるのだけど。
 すくすく成長していく坊ちゃまの悪戯やらなんやらを回避したり、引っかかったり、叱り飛ばしたり、追いかけたりといった体力仕事は一番若い私の役目だった。

 あれ、これ才媛とか早熟とか関係なくね?という話は置いておく。

 そんな坊ちゃんも10歳になるころには嫡男としての心得や勉強も始まって、落ち着いていった。
 坊ちゃんに振り回されて、そろそろ婚期ギリギリだな、と思っていたら侯爵夫人が侯爵(坊ちゃんの父君)の侍従の一人と縁談を取り持ってくれた。
 子爵家のお気楽三男だったらしく、けっこう良い大学を出たのに親の脛を齧ろうとするのを心配した父親が侯爵家に頼み込んで従者として鍛えるように言ったらしい。
 侍女として業務上の会話を交わしたことはあるが、まあ、従者としては普通だった。侯爵家の基準で普通なのだから、世間ではそこそこ出来のいい人間として扱われる。
 最初の面通しを兼ねたデートでも特に問題は見当たらず、賭け事とか酒癖が悪いとかいうこともなく、申し分のない話だと受け入れた。
 相手がちょっとぽやんとしていて、誰かに甘えられるなら甘えるという人間だということは婚約期間のうちに理解した。誰かの面倒を見るのも、成長のために引き際を心得るのもお手の物だ。

 婚約者となった相手は貴族位を持たない三男ということだが、それでもいまだ父親が子爵をしているので貴族の子供ということである。貴族ではない牧師の娘は多少不便があり、私は伯父の男爵の養子となって釣り合いをとった。
 両家の挨拶やらも恙なく終了し、実父が牧師となり、義父の伯父にエスコートされて結婚式を挙げて、小さな部屋を借りて生活を始める。坊ちゃんの世話係から外されて、通いの侯爵夫人付の侍女となるが、もともと侍女として雇っている人たちが主に仕事をするので細々とした仕事を手伝う程度である。

 この上なく、平凡な人生だった。
 不満なんてどこにもない。
 こんな平凡な日々がこれからも続くのだと思っていた。

 結婚から2年目、死ぬかと思った初産を終えて、意識を失った私は夢を見た。

 いまよりもっと未来の夢。

 年頃になって、侯爵家に雇われた我が子が、母親に世話になった誼よしみだと言われて、侯爵の位を継いだ坊ちゃんにあれこれと目を掛けられて、社交界の貴公子達の目に留まるようになって華々しく咲き誇る。けれど、最終的にその花を手に入れるのは坊ちゃんだった。それも、日陰の身としてだ。

 不吉な夢だった、と目を覚ました私を見て、旦那はベッドにすがって良かったと泣いた。
 どうやら、意識が戻らな過ぎて、医者に今夜が峠だといわれていたらしい。藪医者め。

 とにかく。

「私は、一応牧師の娘でな。うちの宗教は同性の恋愛を否定はしていないが、結婚は男女でしか行えないと決まっている。国の制度としてもそうだ。お前に報われない恋に身をやつしてもらいたくないし、貴族、特に嫡男ともなれば血を分けた子供をもうけることが義務の一つにもなっている。当人同士は突き抜けて納得しているかもしれないが、伴侶となった女性を悲しませる結果にもなるだろう」

 娘を産めなかった侯爵夫人の着せ替え人形ともなっている、旦那に似て可愛い顔立ちの我が子に言い聞かせる。

「ルトマルク、私の大事な息子よ。激情のまま男色の道に進みたいというなら、君の人生を代わりに生きることができない母は止められないが、忠告はしておく。周りを、きちんと見ろ」

 お前の人生には、たとえお前が意図しなくとも、お前を狙う男が多すぎるぞ。多分。

「だんしょく、ってなーに?」
「そのうち分かる」
「かなしいの?」
「少なくとも、母はちょっと泣きたくなるな。できれば孫の顔を見たい。無理なら養子でも構わんがな」
「あの、僕の奥さん?何の話をしてるんだい?」

 夕飯に間に合うように帰ってきた旦那が、台所で“なぜなに”期を迎えた幼い息子をあやしながら料理の仕上げをしていた私に声をかけた。

「私たちの息子がかわいらしくて、将来が心配で仕方ないという話よ」
「そんな話だったけ?いまの」
「あら、違いました?」
「ちがう、とも、言いきれないか……。ところで、どうでもいいかもしれないけど、僕とルトとで口調を変えるのはどうしてだい?」
「まあ、あなたは私の旦那様ですわ。息子に話しかけることと同じ言葉で旦那様に話しかけるわけには参りません」
「どうしてだろう?夫婦関係に溝を感じる」

 息子が成長して本当に旦那の若いころそっくりになり、坊ちゃまが侯爵家を継ぎ、坊ちゃまの父君の若いころにそっくりになった。
 そういえば、旦那の母親である子爵夫人は、坊ちゃまの父君の年上の幼馴染で、親交が深かったらしい。
 平凡な自分に未来や過去を見通す力など存在しないと理解しつつ、ますます旦那に対して丁寧な扱いをする。さりげなーく、一歩ずーつ、後ろに下がっていくように。

 夫婦の溝がさらに深まった、ような気がした旦那様は原因も分からず、今日も悩んでいた。




 そんな両親の様子を、見た目は父似だが、中身は多大に母の影響を受けた長男は冷静な目で観察し、溜息を吐いた。

「お前は、あんな面倒な夫婦になるなよ?ルイシャ」
「ふうふ?父さまと母さまのこと?兄さま」
「そうだ。というか、むしろ夫なんか迎えず、ずっと私の妹でいてはどうだ?一生、この兄が養ってやるから」
「姉さまも?」
「姉?家に姉はいないだろう?」
「いたよー。先代の奥さまが見せてくれたもの。姉さまの絵」
「その絵のことは忘れなさい。ルイシャ。良い子だから」
「じゃあ、本物の姉さまに会える?」
「会えないんだよ、ルイシャ。この世界にあの絵の人は存在しないんだ」

 坊ちゃまの世話係に復帰するための人身御供として、奥様に捧げられた少年の身に何が起こったかは、誰にも話せぬ黒歴史である。
 黒歴史。
 それが母の愛の結果だと知ることなど、少年にはできなかったはずである。
 あれは、少年にとって母に見捨てられた負の歴史である。

 そう、少年は母の多大なる影響を受けて、見事に性格が曲がってしまった。
 唯一の例外は年の離れたかわいい、かわいい妹である。
 ちなみに、この妹も奥様の餌食となった。

「でも、あの絵、兄さまに似ていたよ」

(神よ!私の癒しを、唯一の拠り所を、あなたは奪うというのですか!?)

 こうして、平凡な使用人一家の平凡な一日は過ぎていく。
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