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第二話 シーズンの日常
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三日ぶりに屋敷の前で馬車が停まる音を聞いてからなんとなく集中できなくなって中断していた刺繍に、子爵が居なくなってから再びとりかかったものの、やっぱり気分が乗らない。
今日もまた夜会が開かれる。
社交シーズンなので安息日を除いて連日どこかで必ず夜会は開かれている。
子爵という地位自体は下位貴族に属しているが、公爵の子息であるという事実は変わらない。
そのため子爵は基本的には上位貴族しか招待されない王家主催の夜会であっても必ず招待状が送られてくるし、他の高位貴族もそれにならう。
さらに、上位貴族と繋がりを持ちたい下位貴族からも夜会の招待状が束になって届く。
だから華やかな生活を送る子爵は毎日毎日朝帰り。
三日前に馬車の音だけは夢うつつに聞いたものの、子爵と直接顔を合わせたのは五日ぶりである。
かといって私がどうこう言えるものでもないし、こんな状況で朝帰りのことなんて気にする方が馬鹿だ。
だって、私が子爵の生活に口をはさめるような権利など欠片もないのだから。
それに子爵の女性との噂は他よりも移り変わりが激しく見栄えがするので特に注目されているが、貴族の中ではごくごく普通の慣行であるし、子爵も遊び方は心得ているのか周囲に眉をひそめられるような愁嘆場を演じたことはないのだという。
逆に、暇な貴族達が噂を楽しむ種としているふしがあり、歓迎されているのではと新聞の社交欄を読んでいて思う。
数年前から私も子爵とともに子爵の領地にあるカントリーハウスと王都のタウンハウスとをシーズンごとに行ったり来たりする生活だが、私の生活はどちらに居ようとなんら変わりはない。子爵の生活に付き合うことなく規則正しく日々を過ごし、子爵の指示通り家庭教師たちから教育を受けるだけである。
王都で生活していても、家の中から出たことはない。
必要なものは必要だと思う前からすでに用意されており、欲しいものを口にすればすぐさま与えられ、必要ではないものまで子爵は私の前に山と積み上げる。
そして、そんな私の待遇はすべて子爵の気紛れなのだ。
子爵の心変わり一つで私はすぐにでも放り出される。
けれど、その子爵の心が私には分からない。
人によっては一か月とか半年とか、一年とか一生とか顔を見ないこともざらにあるらしいので、私と子爵とはそれなりに顔を合わせている方だろう。
子爵なんて顔を合わせれば、そのたびに声を掛けてくる。
時に鬱陶しいほどに。
知り得た限り、必要以上に声を掛けたりしないのが普通なのに。
子爵は本当に、自分勝手な人だ。
「おかわりはいかがですか?」
子爵のせいでモヤモヤしてしまった私に、側に控えていたメイドからそう声がかけられた。
カップの中の残り少ない紅茶は、すでに冷え切っている。
「いいえ、いらないわ。もうすぐダンスの授業ですもの」
「かしこまりました、お水とグラスをご用意しておきます」
「ありがとう」
ひと針、ふた針、と止まっていた手を動かしていく。
けれど、これが完成したとしても。
そう思うと、また手が止まってしまう。
いつもなら、こんな考えなんてすぐに振り払ってしまえるのに今日はどうして、
「…様、…べル様、イザベル様!」
いつの間にかサンルームに来ていた女中頭に少し強い口調で呼ばれて、ようやく我に返る。
「何かしら?」
「そろそろダンスの先生がいらっしゃる時間ですよ」
「そう、ならレッスン室に行かなければね。お待たせするのは失礼だわ」
結局進んだ様子もない刺繍をテーブルに置いて立ち上がろうとした瞬間、少しだけ立ちくらみがあった。
「お嬢様? どうなさいました?」
「何でもないわ」
少しふらついただけだ。
騒ぐほどのことでも、無駄に心配されることでもない。
「本当になんでもないの。行きましょう」
重ねて言うと、女中頭はメイドに茶器などの片付けを指示し、ようやく歩き出した。
今日もまた夜会が開かれる。
社交シーズンなので安息日を除いて連日どこかで必ず夜会は開かれている。
子爵という地位自体は下位貴族に属しているが、公爵の子息であるという事実は変わらない。
そのため子爵は基本的には上位貴族しか招待されない王家主催の夜会であっても必ず招待状が送られてくるし、他の高位貴族もそれにならう。
さらに、上位貴族と繋がりを持ちたい下位貴族からも夜会の招待状が束になって届く。
だから華やかな生活を送る子爵は毎日毎日朝帰り。
三日前に馬車の音だけは夢うつつに聞いたものの、子爵と直接顔を合わせたのは五日ぶりである。
かといって私がどうこう言えるものでもないし、こんな状況で朝帰りのことなんて気にする方が馬鹿だ。
だって、私が子爵の生活に口をはさめるような権利など欠片もないのだから。
それに子爵の女性との噂は他よりも移り変わりが激しく見栄えがするので特に注目されているが、貴族の中ではごくごく普通の慣行であるし、子爵も遊び方は心得ているのか周囲に眉をひそめられるような愁嘆場を演じたことはないのだという。
逆に、暇な貴族達が噂を楽しむ種としているふしがあり、歓迎されているのではと新聞の社交欄を読んでいて思う。
数年前から私も子爵とともに子爵の領地にあるカントリーハウスと王都のタウンハウスとをシーズンごとに行ったり来たりする生活だが、私の生活はどちらに居ようとなんら変わりはない。子爵の生活に付き合うことなく規則正しく日々を過ごし、子爵の指示通り家庭教師たちから教育を受けるだけである。
王都で生活していても、家の中から出たことはない。
必要なものは必要だと思う前からすでに用意されており、欲しいものを口にすればすぐさま与えられ、必要ではないものまで子爵は私の前に山と積み上げる。
そして、そんな私の待遇はすべて子爵の気紛れなのだ。
子爵の心変わり一つで私はすぐにでも放り出される。
けれど、その子爵の心が私には分からない。
人によっては一か月とか半年とか、一年とか一生とか顔を見ないこともざらにあるらしいので、私と子爵とはそれなりに顔を合わせている方だろう。
子爵なんて顔を合わせれば、そのたびに声を掛けてくる。
時に鬱陶しいほどに。
知り得た限り、必要以上に声を掛けたりしないのが普通なのに。
子爵は本当に、自分勝手な人だ。
「おかわりはいかがですか?」
子爵のせいでモヤモヤしてしまった私に、側に控えていたメイドからそう声がかけられた。
カップの中の残り少ない紅茶は、すでに冷え切っている。
「いいえ、いらないわ。もうすぐダンスの授業ですもの」
「かしこまりました、お水とグラスをご用意しておきます」
「ありがとう」
ひと針、ふた針、と止まっていた手を動かしていく。
けれど、これが完成したとしても。
そう思うと、また手が止まってしまう。
いつもなら、こんな考えなんてすぐに振り払ってしまえるのに今日はどうして、
「…様、…べル様、イザベル様!」
いつの間にかサンルームに来ていた女中頭に少し強い口調で呼ばれて、ようやく我に返る。
「何かしら?」
「そろそろダンスの先生がいらっしゃる時間ですよ」
「そう、ならレッスン室に行かなければね。お待たせするのは失礼だわ」
結局進んだ様子もない刺繍をテーブルに置いて立ち上がろうとした瞬間、少しだけ立ちくらみがあった。
「お嬢様? どうなさいました?」
「何でもないわ」
少しふらついただけだ。
騒ぐほどのことでも、無駄に心配されることでもない。
「本当になんでもないの。行きましょう」
重ねて言うと、女中頭はメイドに茶器などの片付けを指示し、ようやく歩き出した。
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