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第四話 午後の不埒者

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 ダンスの授業が終われば昼食の時間だ。
 子爵は寝入っているだろうし、食堂で食べるのも味気ないのでサンルームに用意してもらった。
 王都では子爵領のカントリーハウスと違って庭に出ることにも子爵の許可が必要なため、庭がよく見えるサンルームは一番お気に入りの場所である。

 私がいま居るのは子爵のタウンハウスである。
 王都の中心部にある公爵家の広大な町屋敷からは、かなり離れた所に子爵が個人的に購入した町屋敷であり、公爵子息として派手に遊び歩く子爵には不似合いなほど地味で慎ましやかなものだ。

 権勢が衰える気配などない公爵家ではそれに見合う盛大な夜会を開いているし、他家の夜会に出るのにも公爵家で過ごしているほうが便利である。
 子爵がこの家に帰ってこないのは、朝帰り以外にもそういう理由があるのだろう。

 きっと、子爵はこの家に居るよりも公爵家に居る時間のほうが長いはずだ。 

 この家は人の気配より自然の気配の方が近い場所にあり、それゆえに地味でありながらも庭付きの一戸建てである。
 室内も庭も手入れは行き届き、公爵家から子爵が連れてきた気安い使用人たちの手によって居心地の良い空間が作り上げられている。

 元々が領地を持たない隠居貴族の屋敷であったこの家は、社交より生活に重きを置いた造りとなっている。
 しかし、一階にわずかにあった広間と客室さえ子爵の手によってサンルームと音楽室兼ダンス室に変わってしまったため、一般には社交のための町屋敷でありながら行えるは生活のみである。

 社交も仕事のひとつとされる貴族であり社交の中心である王都に居を構えながらこんなことが出来るのは、子爵がパーティを主催することがないからだ。
 子爵は常に招かれる側であり、もてなす側に回るとしたらそれは子爵の生家である公爵家で夜会が開かれる時である。

 だからこそ、私はここに居られる。
 子爵がそこまでして私をここに置く理由はなにひとつ分からないけれど。

 しっかりと昼食を食べ終えれば、今日の午後は自由時間だ。
 とりあえず作りかけの刺繍を完成させようと頑張るが、なんだか眠気が襲ってきた。
 その様子に気づいたのか、侍女が私の手から刺繍道具を取り上げるとお昼寝を勧めてくる。

 そんなに子供ではないと思いつつも、眠気でぼんやりとする頭では刺繍針で指を刺す危険があるため、その提案を受け入れた。
 一時間ほどで起こしてくれるようにお願いして、寝間着に着替えると自分の部屋のベッドに潜り込み、すぐにスヤスヤと寝息を立てた。 

 夢も見ずにぐっすりと眠っていた私は、だれかがそっと部屋に侵入したことにも気づかなかった。

 ふと、寝苦しいことに気付いて薄目を開けた。
 天蓋で光を遮り、薄暗いベッドの上で身じろぎすると明らかに枕や布団ではない固い感触がした。
 一瞬の思考停止の後、体に回されていた重たい腕の中から抜け出して自力で天蓋を開けると、夕日が差し込む。
 私の部屋の、私のベッドの上で眠っていた不埒者が眩しさに唸りながら、その瞼を開く。

「こ、ここで何をなさっているんですか!?」

 マナーを教える先生に見られたら即座に叱責される大声を上げてしまった。

「何って、よく眠っていたから一緒に寝ようと思って」
「信じられません! 何をお考えなんですか!? こんなはしたない真似」
「真っ赤になって、可愛いね。僕のレディ」

 悪びれた様子もなく、寝乱れた姿を晒す子爵は、確かに物語の王子様や騎士のように美しい。
 けれど、物語の王子様や騎士よりもずっとずっとだらしなくてすけべな人だ。

 私と子爵が起きたことに気づいたのか、執事が静かに私の部屋に入ってきた。

「アーサー様、そろそろお召替えを。本日の夜会は公爵様の姉君が嫁がれた辺境伯家が主催なのですから」
「この歳で伯母上に叱られるのはご遠慮願いたいね」
「でしたら、お早く」
「わかってるよ」

 わがままな主人にいつも手を焼いている執事が、これからの予定を告げた。
 子爵は機嫌良く執事に言葉を返して私のベッドから優雅に足を降ろすと、真っ赤になってベッドの端で縮こまっている私に背を向けたまま部屋を後にした。

「し……」

 子爵が十分に私の部屋から離れるだけの時間が経った後、私はようやく自失から立ち直り言葉を発した。

「信じられない!! 勝手に部屋に入ってきて、同じベッドで寝るなんて、子爵は何を考えてるの!?」

 真っ赤になった顔だけが元に戻らない。
 意味もなく子爵が寝ていた場所を乱暴に叩いたり、シーツの皺になった場所を伸ばしたりする。

「レディとか言いながら、全然レディ扱いしてないのは誰なのよ!」

 と文句を言ったりしていると、

「イザベル様。埃が立ちますのでベッドを叩くのはおやめください。それと、そのような振る舞いは淑女としていかがなものかと」 

 女中頭がやってきて、嘆かわしいと言いながら額に手をやって首を振る。
 彼女の言葉に、私はハッとなって居ずまいを正す。

「み、みんなには、内緒よ! 特に子爵には!」

 上目づかいでお願いすると、

「あれほど大きな声を出されていれば、近くに居た者たちに緘口令を敷かねばなりませんね。それに、アーサー様からはイザベル様に何かあれば逐一報告するようにとの指示が……」
「お願い!」
「……アーサー様の行動にも、非はございますね」

 それは、内緒にしていてくれるということだろうか。

「ありがとう!」

 嬉しくなって、にっこり笑って心からお礼を言う。

「まあ、役得ですわね」

 女中頭が何事かをぼそりと呟いたが、小さな声だったので私の耳には届かなかった。 

「さあ、イザベル様。もうすぐお夕食ですから身支度をいたしましょう」
「もうそんな時間なの?」
「アーサー様の指示で、夕食の前まではイザベル様が起きるまで起こさないようにと」
「あいかわらず、子爵は勝手なんだから」

 ここにはいない子爵に文句を言いながら、身支度のためにベッドを降りたがその際に一瞬違和感があった。
 痛いというよりも、地に足がつかないような変な感覚。

「イザベル様?」
「すぐに行くわ」

 ダンスの時間に足を変にひねったのかと思い、慎重に歩き出したが痛みはやはりない。
 気のせいかと思ったが、もしかしたら子爵が寝ている私の足の上に子爵の足を乗っけていて、私の足が少し痺れたのかもしれないと思い至った。

「本当に子爵は仕方ないんだから」

 小さく口にした呟きは、私のドレスを選ぶのに忙しい女中頭の耳に届くことはなかった。
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