ある女教師の世界

吉村巡

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第四話 静かな決意

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 そんな、始まっていたことにようやく気づいたときから始まった関係は、ズルズルと続いた。

 同じ年に大学の修了証書を貰って、この教師として大学に付属する学校に採用されても。

 それが少し変化したのは、あの女生徒が私と真久貝が勤める学校に編入してきてからだった。

 あのピンク色の髪と空色の目をした女生徒を中心とした騒動に騒動を重ねた一年は、生徒の間に流れるピリピリとした雰囲気とともにようやく一段落がついた。あの騒動の中心人物の中には今回卒業した3年生も多く居たから。

 その様は、かつての生徒達が話していた乙女ゲームとやらのようで、はたから見ている分には、良く出来た大袈裟な喜劇のようだっただろう。

 けれど、傍観者になることが出来なかった。

 ポジションとしては相手役の1人である教師だろうか。真久貝はあの女生徒の担任として騒動の中心に居た1人で、教師間では密やかな噂(私の振る舞いではなく、真久貝の態度からバレたに違いない)になっていた私と真久貝の関係で、ゲームのセオリーどおり私も多少は巻き込まれた。

 私は巻き込まれながらも、真久貝に児童福祉法34条の淫行条例を根拠とした犯罪歴を書き足させるわけにはいかないと思った。

 真久貝がそこまで愚かな人間でないことを確信しているが、騒動の対処にともに奔走するなかで、真久貝とあの女生徒の関係が他者に誤解を与えるような光景を目にして、慌てて誰に見られても平気なように緩衝材として突入するのには骨が折れた。

 元来、積極的に人の間に立つ気性を持ち合わせていない。それが得意なのは凪子や、現在は弁護士をしている牧崎のほうで、私は役目が違うのだ。むしろ、私は他人との間に立ってくれる他人を必要とする方の人間である。

 けれど、その役目から逃げ出す真似はしたくなかった。

 私が私を守る方法を教えてくれた真久貝が、彼の意に反する不運で、落ちぶれさせるわけにはいかないのだ。それは、私にとって大切な彼が、今まで必死で積み上げてきた経歴を傷つける行為であり、私の自尊心をも傷つける行為だったから。

 だから、私は越権行為をした。不正行為といってもいい。

 本当に、このままでは真久貝の出世に関わるか懲戒免職になるかという局面で、私はあの女生徒の名前を“無断”で交換留学生枠に追加した。他の本当に留学を希望していた一般生徒を1人犠牲にして。

 大学生時代に留学を経験した経歴を買われて交換留学生の選考員の一員を務めていた私に、その細工は笑えるほど簡単だった。

 罪悪感や倫理観が邪魔をしなければ。

 思惑通り、交換留学生に選ばれたことをあのピンク色の髪をした女生徒はひどく驚いていた。

 混乱している様子のあの女生徒に、事前に誓約書を書いているのだから、一度選ばれたら拒否することは出来ないこと。手続きをした覚えは無いという言葉を信じて学校としても調査はするが、今考えられる可能性は編入手続きの際に何か手違いがあるのかもしれないこと。学校の不備でも女生徒の不備でも、女生徒の成績は留学の基準には十分であるし、取り消しはやはり出来ないことを伝えた。

 本当は、あの女生徒が最初の例外になる可能性もあることを私は女生徒に伝えなかった。

 女生徒の両親は編入前の面談の記録を見る限り、自分達が海外に赴任するのに女生徒も連れて行きたいという思いが見受けられたが、本人が日本を離れるのは不安だと言うので無理に連れて行くことをやめたのだと言外に語っていたので、すでに今回の話を女生徒の両親に伝えた所、留学に積極的な姿勢でいる印象を持った。

 教職員内でも、あの女生徒を中心とする騒動を問題視する声も出始めていたので(だから真久貝の立場が危うくなっていたわけだが)多くの教職員が女生徒の気持ちを留学に向かわせる方に動いた。語学力に不安があるのなら、つきっきりで指導をするし、ALTの先生以外にも外国から来た方と交流を持つ機会だってもうけるから、と。親切面をして。

 女生徒が留学の話を受け入れた頃、ようやく本格的な事態の調査が行われた。そのとき、私はまだ沈黙を守った。

 そして、の女生徒が彼女の両親が居る国に飛び立ってから行われた交換留学生選考委員の会議で、『私がやった』と告げた。

 真久貝が関係しているのか、と勘ぐられたが、私はそのことに関しては完全に沈黙を守って犯行の手口を伝えた。

 真久貝や他の教師達には他言することなく、上層部と選考委員の間で内々に処分は下された。

 間もなく春休みであったことも幸いし、終業式の日に私の退職が初めて、生徒達にも教師陣にも伝えられた。理由は、一身上の都合。

 私の不正行為は、自分の書類の不備に気づきながらも事なかれ、と黙認したことに対してやがて自責の念を感じるようになり、上に自分の不正を告白した温情で、依願退職という形に収まった。

 生徒達の前で短く、無難な挨拶を終える。

 その間ずっと、真久貝の顔は努めて見ないようにした。

 ほとんどの教師が、HRで春休みの注意事項や補習のことについて話している間、どのクラスも受け持っていなかった私は、私物の整理をした。もともと、机の周りは整頓していたし、自分の物はほとんど持ってきていない。30分と経たずに、段ボール1つに全てが収まった。

 教頭、校長、学園長と挨拶をして回り、HRを終えて教科別の教室を常駐(じょうちゅう)にしている教師も含めて全ての教師達が職員室で春休みのことについて打ち合わせを始めるためにやって来た。全員が揃って、打ち合わせが始まる少し前のタイミングに私は教頭の勧めもあってその場で、全ての教師に向かって退職の挨拶をし、段ボール1つを持って職員室を出た。

 春休みに、私は存在しない人間だから。

 そして、真久貝は生徒指導部の一員と言う長期休暇中に面倒な仕事がある立場上、絶対に私を追いかけては来ない。

 彼は、優しくて真面目な人間だ。突然の話に、何があったのかと問いつめてくることは目に見えていたから、薄情と言われようと水臭いと言われようと居場所の無くなるところからはさっさと出て行くに限る。

 私は電車通勤なので、荷物が多い時には少々困る。

 段ボールを抱え、えっちらおっちら歩きにくいと思いながら、駅に到着した。予想通り終業式を終えて下校している生徒の数が多い。顔見知りの生徒達がちょこちょこ声を掛けてくれるたびに、こちらも返事を返していった。

 生徒達はこれから商業地区に繰り出すのだろう。郊外の、住宅地が多い方面の電車内に生徒の姿は無く、閑散としていた。

 教師として採用されたときに学園に紹介されて借りた一室があったマンションの最寄り駅を通り過ぎる。

 いつもの最寄り駅から7つ離れた場所の名前がアナウンスされて、荷物を持って立ち上がる。

 まだ一度しか訪れたことは無いが、道はきちんと覚えている。郊外の住宅地を抜けて、少し雑然とした市街地。学園のある場所は大部分が少し前に再開発されたので整然としていたのを思うと差が激しい。この辺りは何も考えずに開発に開発を繰り返しただけ、という印象だ。

 でも、それでもいい。

 私はずっと、家が欲しかった。

 歩いて、歩いて、鄙びた印象のアパートに辿り着いた。

 ここが、これからしばらくの間、私の家。
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