山田牧場

佐藤 汐

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第13話

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東北地方に寒波のニュースが流れると、その日の夜から、強く吹雪き始めた。ゴーゴーという音とともに、細かい雪の粒が横に降ってきた。差すような冷たい風と氷の粒がプツプツと顔に当たって痛い。僕は顔をしかめカーテンを閉めると、小さなストーブのスイッチを入れた。ストーブは寒い冬を思い出したかのように間が合ってからぼっと付いた。暖房に当たっていても、下からしんとした寒さが体を襲った。

雪は一晩中降り続け、次の日の朝には積雪が三十センチにもなっていた。まだ十二月上旬と言うのに、もうこんなに積もった。すでに外でゴッゴッと作業をしている音がするので見てみると、母さんが一人で雪かきをしていた。頭に毛糸の帽子をかぶり、手には雪用の手袋をはめている。帽子には雪が積もっていた。眠い目をこすり、一階に下りると、朝ごはんの支度はできていた。味噌汁の鍋のふたをあけると、一気に白い蒸気が立ち上ってきた。お椀に盛り、白いご飯も用意する。あったかい朝ご飯がなによりもうれしかった。

早めに食べ終わると、僕もコートを羽織って外にでた。母さんは真っ赤なスノーダンプと言われる巨大なスコップで積もった雪をかいては一か所に集めていた。小屋から始め、玄関、牛舎、牧場出入り口、と白く細い雪の通路が出来上がって行った。雪はとんでもなく、重い。始めて数分で、汗をかいてきた。そして腰が痛い。二人で一時間以上は作業していただろうか。なんとか、生活に必要なだけの経路は確保できた。しかし、また雪が降れば、新しく積もって、せっかく出来た通路にも雪が積もってしまう。そうしたら、また最初から雪かきをするしかない。そうやって毎日毎日、雪をかくだけで、冬の日々は過ぎて行く。雪が降る地方の人々はこうやって、厳しい冬を過ごしているのだった。

雪との格闘の日々も、もうかなり慣れてきたころだった。年の瀬の雰囲気がこの牧場にも漂っていた。父さんが作業中に付けていた、ラジオを牛舎でつけると、あちこちで年を越す準備をしている情報を、アナウンサーが楽しげに話していた。牛の世話は、年末年始でも関係が無い。僕はエサやりと糞尿の始末をただひたすら毎日行っていた。
冬になると、牛の乳の脂肪分が変わる。それに合わせて飼料も変えた。事務所にあるノートには真冬の過ごし方や、気を付けなければならない病気、などが細かくメモされていた。気温が低くなるので、牛の動きも鈍くなる。健康管理にはいっそうの注意が必要だった。一頭一頭食欲などを見回って行った。

今年もあともう少し。大晦日も結局牛の世話に追われ一日が終わった。午後に少しエサを多めにやって、事務所の鍵をかけ引き上げた。最後にフェルナンデスの様子を見に行くと、僕がきたのにすぐに気が付き、かけ足でこちらに寄ってきた。長いしっぽを大きく振って、顔を柵から突き出してきた。
「んのぅーーーんのぅーーー」
「よしよし、わかった。でも今日はおとなしく寝るんだそ。もう外には出られないよ。明日朝、また来るからな…良いお年を」
僕はフェルナンデスの頭を撫でると手を振って離れた。フェルナンデスは寂しそうに、僕の姿が見えなくなるまでずっと、んのーんのーと鳴いていた。

外に出ると冷たい風が頬を突き刺した。盛り上がっている雪の塊を避けるように、牛舎を後にした。玄関に付けた正月飾りが風に揺れている。扉を開け中に入ると、僕は長靴についたたくさんの雪をはらった。
台所に入ると、つゆのだしの良いにおいがした。母さんが台所に立って、蕎麦を茹でていた。お椀が三つ。父さんの分も作るみたいだ。僕は着替えを済ますと、居間に寝っ転がりテレビを付けた。母さんが出来たばかりの蕎麦を、おぼんに乗せて運んできた。僕は湯気の立っている蕎麦を箸で突くと、赤と白のなるとをつまみ、口の中に入れた。

テレビではリポーターが上野の繁華街の中継をしている。東京は雪がぜんぜんないし、天気も良いみたいだ。こっちとはまるで正反対だ。僕は蕎麦をおかわりした。リポーターが蟹の脚やマグロの切り身の塊を持って興奮気味にしゃべっている。年の瀬の浮き立つような慌ただしさが画面から溢れだしていた。
「ふふふーん」
母さんはごきげんだ。めずらしく、おちょうしに日本酒を入れ温めていた。
スマートフォンが鳴った。ノリからのメールだ。

送信者:上原ノリ
件名:お疲れ様!
本文:今年もお世話になりました!来年は良い収穫目指して、お互いガンバロー!
タカちゃんがこっちに戻ってきてくれて、ホント嬉しかった!
来年もヨ・ロ・シ・ク

返信者:山田タカシ
件名:良いお年を
本文:今年はほんと、世話になった。よいお年を。風邪ひくなよ!
あ、あとたまごたくさんありがとう
来年も、頑張ろうな!

 台所から、納豆汁の匂いがしてきた。味噌汁の中に納豆を入れる、この地方特有の食べ物だ。子どもの頃から慣れ親しんでいたから、なんとも思わなかったが、東京に行ってから、この納豆汁の話をすると、決まって驚かれた。
 母さんが運んできたお椀を両手で持つ。箸を入れ、少しかき混ぜる。
ずるずる、とすする。熱い汁と納豆の糸が絡まり合って、なんともいえない触感だ。しかし、不思議とやみつきになる。

テレビでは歌番組が始まり、僕と母さんは二人で酒を飲み始めた。
テーブルの上には、小さなおちょこがもう一つ。母さんはその中に父さんの分の酒をゆっくりと注いだ。母さんの横顔が、穏やかに見えた。しばらく演歌を歌手に合わせて歌っていたが、あっというまに酔っ払い、テレビの前に横になるといびきをかいてそのまま寝てしまった。僕は奥の部屋から毛布を持ってきて上にかけてやった。
テレビを消したら部屋が急にしんとなる。今年もあと数分か。本当にいろんなことがあった一年だった。飾られたばかりの新しい仏壇に、父さんの遺影が置かれている。それを見ていたら、ちょうどボーンと時計が鳴った。

時計が午前零時を指していた。新しい年が来た。
ハルキからのメールだ。

送信者:高橋ハルキ
件名:あけおめ 
本文:新年あけましておめでとう!今年も物産展、またやりたいのでヨロシク
   次はもっと成功させたい!今からいろいろ企画中!
   手伝い、お願いシマス

返信者:山田タカシ
件名:Re 
本文:今年もヨロシク!物産展、もちろん、また一緒にやろう!
   家の仕事もそうだし、今年は充実した年にしよう!

次の日の朝、窓を開けると、真っ白い雪がしんしんとただ静かに、風のない大地に降り重なっていた。地面に雪が付くときにサササとなる音だけが耳に響いてきた。雪が音を吸い込んでしまったのか、静かすぎて、落ち着かなかった。
僕は積もった雪の上にまた新しい雪が積み重なって行く様子をただじっと見ていた。上を見上げると、灰色の分厚い雲があるだけだった。そこからどうしてこんなにもたくさんの雪が、止むことなく下りてくるのか不思議だった。顔の上にも雪が付いた。口を開けるとちゃんとその中にも入ってヒンヤリした。

正月の挨拶にノリがやってきた。手には日本酒の瓶と祝いの土産物を持っている。もう酔っ払っているのか、ノリは赤い顔をしていた。
「タカちゃぁーーん!あけましておめでとう!!!」
ノリは酔っ払っているのか、僕に抱きついてきた。
「やめろよー!なにやってんだよ!!気持ち悪りぃなーー!」
二人で大声で笑った。ノリの息が酒臭い。こいつ、一体いつから飲んでるんだ?
「お土産持ってきました!あと、これ、今朝取れたやつです!」
ノリは母さんに挨拶すると持参した土産物を手渡した。同時に、今日の朝取れたばかりという、新鮮な卵を三つほど手渡した。母さんは大事そうにそれを受け取っていた。

二人で階段を上がると、二階の僕の部屋に入った。ノリはそこに落ちていた週刊マンガを勝手に取ると、寝っ転がって読み始めた。
マンガに夢中になっているノリに僕は聞いた。
「なあ、聞きたいことがあるんだけどさ」
「ん?なあに?」
「ノリは何で、実家継ごうと思ったの?」
「んー…いやーなんとなく…親父の手伝いしてたら、そうなっただけ」
「周りに言われたのか?」
「いんや、別に言われしなかったし…。まあ、他にやることもなくてブラブラしてたからさ、やってみたら、以外と楽しかったし」
「そうか」
僕はノリの言葉を聞いて少し黙った。自然の流れでそうなった、と言うのなら自分の意思ではないとういうことなんだろうか。
僕がじっと考えていると、ノリがふと言った。
「オレ…もっとでっけくしたいんだ、あそこ。鶏を増やして、収穫量も増やしてぇんだ。親父の代で終わらせるんでなく…町から手伝いの人も、時々来てくれるし、その人達のためにも、やって行きてぇんだ。ウチがあることで、少しは地元の役にも立ってるみたいだしな。オレここが好きだからさ」
「…」
「なあ、タカちゃんは、どうすんべ?これから、この牧場」
「いや…まだぜんぜん決まってない」
ヒロさんの背中をずっと見てきたノリとは違って、僕は地元に対する思いも、牛に対する思いも薄かった。生産者として、まだ決意も自覚も乏しかった。農業に没頭できるノリが羨ましかった。
「そうだな。これからどうするのか…どっちみち、母さんと二人だけで続けていくのは無理だろうな。縮小するならするで、急には出来ない。計画立てていかないといけないし。金もかかるし、…また、ヒロさんにお世話になるかもしれないな」
僕はベットに横になると、天井を見ながらため息をついた。

家のポストに地元の同級生からの年賀状が投函されていた。
母さんは懐かしそうにそれを見ると、元気でやっている僕の同級生のことを懐かしがった。まだみんな便りをくれるというのはありがたい。

コォーーゴォーーー
地吹雪の音が、大地を叩き鳴らすように響いている。
数年に一度の寒波がやってきて、家や牛舎のまわりにもたくさんの雪が積もった。その後も雪は振り続き、さらに積雪が増えた。
牛舎の周りは、いつもきちんと雪かきをしておかないと、作業に支障が出る。しばらくは母さんと二人で雪かきをしていたが、連日の大雪にとうとう母さんが腰を痛めて寝込んでしまった。仕方なく連絡すると、ヒロさんとノリ、養鶏場のスタッフが手伝いに来てくれた。こんなにたくさんの雪が毎日降るようでは、雪かきだけで一日が終わってしまう。

その日の夜、トイレに行きたくなり、僕はベットから起きて階段を降りていた。
用をすまし、台所で水を飲み、窓の外を見ると人影が見えた。家の向こう側にある、牛舎の入り口に、一人の男の人がたたずんでいる。こんな寒い真夜中に何をしているんだろうか。それとも不審者だろうか?
よく見ると、山田牧場のロゴが入った、見慣れた青い作業着を着ている。その人影はしばらく牛舎の前に立ったまま動かなかった。そして見られていることに気が付いたのか、ふとこちらを向いた。そして一瞬、目が合ったかと思うと、ふっと消えた。

次の日、その様子を母さんに話すと、母さんは
「なんだーそれ、変な夢でも見たんでねーの?」
と、まったく取り合ってくれなかった。いや、たしかに見た。牛舎の入り口に立っていたのは、まぎれもなく父さんだった。

連日の寒波はとどまるどころか、いっそう強くなっていった。
報道では積雪により動けなくなった車が立ち往生した様子や、屋根の上に積もった分厚い雪の様子を映し出されていた。この地方も豪雪地帯ではないがけっこうな雪が降るので、覚悟はしていたが、やはりすごい。作業だけでなく、日常生活にも支障が出るようになっていた。雪で動けなくなるであろうことを予想して、一週間分の食料や燃料は確保していた。しかしこんなにも毎日雪が降り続くようでは、慣れているはずの地元の人々でも不安になるようだ。

分厚い灰色の薄黒い雲が空を覆っていた。雲は動く気配も無く、ずっと空の同じ場所に居座っていた。朝から降っていた細かい雪は、午後になるとどんどん粒が大きくなり、量も増えた。しばらくすると風も強くなり、コーコーという音が、部屋にいると台所の換気扇から聞こえた。窓に近寄ると、ひんやりとした外の空気が伝わってきた。氷点下、マイナスの世界だ。曇ったガラスを手で拭うと、地面に這うように白い氷の粒が風と一緒になって舞っていた。強い風は地面に積もった雪を吹きあげ、その白い生き物のように動く膜はいっそう激しさを増していった。

窓の外を見ていると、牛舎にまだ人がいるのが見えた。母さんだ。まだ作業をしていたのだろうか。牛舎に雪が入りこまないように、最後まで様子を見ていたのだろう。外に出た途端、風にあおられ、母さんは深々とした上着を着ながら、強い吹雪に目も開けられず顔を手で覆っていた。
「母さん!早く!家の中に入れ!!」
強い風に声が出ないのか、大きく手を振っている。何か訴えかけているようだ。急いで家までくると、入口を開けてはあはあ息を切らし、玄関にペタリと座り込んで言った。
「水が…水が出なくなっちゃったんだよ、牛舎の。事務所の水も出ねぇ。湯であっためてみたけどだめだった…」
上着にはまだ細かい雪が付いている。フードを取ると、母さんの青白く凍えきった顔が出てきた。雪用の大きな手袋を脱いで置いた。雪の匂いがした。冷凍庫のようなスーッとする匂い。
「水が出ないって…水道管が壊れたってこと?じゃまさか、ここの家も…?業者に連絡しないと、まずい」
と、言った途端、ドン、と音がして部屋が真っ暗になった。

停電だった。
ヒーターもこたつも、もちろんテレビも消えていた。
何もかも止まって薄暗くて静寂が訪れた。
「……」
母さんも僕も、言葉が出なかった。母さんは手袋を付け、フードをかぶると、また外に出ようとしていた。
「待てよ、母さん、凍え死んじゃうよ!」
「小屋に、灯油ストーブあったか、見てくる!」
母さんはそのまま外に出ていった。
僕は携帯から業者の連絡先を探すと、電話をかけた。が、つながらなかった。充電があと半分しかない。まずい。僕は電池を温存させるために、携帯の電源を切った。

何時だろうか。かなりの時間が経った。
真っ暗い部屋に、ストーブの消えそうな小さな明かりだけが浮かんでいた。そのまわりを取り囲むように、大人が二人、座り込んでいた。母さんは言葉も少なく、ぐったりとしていた。もうしばらく、水分も取っていなかった。頭が朦朧とする。外は相変わらず、ゴーゴーというごう音とともに、風と雪が入り乱れるように横にかなぐり降っている。永遠に続くかと思われるような、氷の世界だった。

体が動かない。寒さですっかり冷え切り、固まってしまっている。窓の外を見ると、人影がぽつんとあってこちらに向かって歩いてくるのが見えた。人影がもう一人。手に荷物を下げている。ヒロさんとノリだった。
ヒロさんとノリは数日分の食料を持ってウチを訪ねてくれた。
「もうすぐ、消防の人が来る。それまではなんとか、これでしのぐんだ」
ヒロさんはストーブのタンクを取り出すと、持ってきた灯油を注いだ。ストーブを付けると、部屋にじんわりと温かさが広がった。ストーブのほのかな明かりがみんなの顔を照らした。
「ありがとう、ヒロさん。寒さで…こんなになっちまうなんて…情けないな」
母さんが、かすれた声で言った。ノリが手渡してくれた、携帯用の軽食をつまんで食べていると、ヒロさんの携帯電話が大きな音で鳴った。
「はい、こちらです。二人は無事です」
ヒロさんは連絡が付かなくなった僕達を心配して、地元の消防団に連絡してくれていたのだった。しばらくすると、外が騒がしくなり、数人の紺色のジャンバーに身を包んだたくさんの人が歩いてくるのが見えた。
「母さん、救助の人、来たよ」
僕は母さんの脚をさすりながら話しかけた。にぶい返事をした母さんは、タンカに乗せられ、そのまま病院へと運ばれていった。

数時間後、電気が復旧し、この辺りの電力も問題なく供給されるようになった。
が、僕は居間の電気は付けず、食卓の小さな電気をひとつただけだった。あとは携帯を充電しただけだった。食卓の棚の一番下の引き戸に、即席めんが残っていたので、お湯を注いで一人で食べた。

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