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 聖女は教会に住む巫女見習いの中から一人選ばれる。聖女が退くとき、聖女自身によって次代の聖女が見出される。
 当代聖女に選ばれた巫女見習いは、その時から次期聖女となるため、不可視の祭壇へ招かれ、力を継承させられる。当代聖女は次期聖女に力を継承すると、巫女の力だけとなる。よって継承したと同時に、継承者は聖女と認められることとなる。
 聖女に選ばれるにはまず国の王族に名を連ねず、野心が少なく、清らかであることが必要であると伝えられている。
 王族に名を連ねれば、継承した聖女の力を失ってしまう。その場合には、その時の国王が寿命で安らかに亡くなるまで聖女が現れることはない。聖女となった後、次代に継承させずに婚約・婚姻を結ぶ場合も含まれる。
 野心が多いか少ないか判別するのは、聖女の眼を通して決められる。聖女の眼は巫女とは違い、野心などの邪な考えを持っている者は黒いオーラが体に巻き付くように見えている。逆に少ない者は黒いオーラを発さず、白いベールのような光が見えるとされている。だが過去の聖女の言葉をそのまま言い伝えられているだけで、見えるのは当代の聖女だけなので、普人や巫女には見分けが付けられず、聖女の眼だけが頼りにされている。
 清らかかどうかを判別するには巫女見習いとして、個人が励んでいれば個人が証明され、証明されることのなかった者は一度でも疎かにしたことを示している。聖女や巫女となるには、どんなことにも励むことが蓄積されるため、疎かにすると蓄積されていた物が継続を断たれ、一から修行することになる。例えるとすれば、容器に一滴ずつ水を入れられると始めは水溜まりに見えるが、数日数年と入れるうちに満たされていく。だが一度止めてしまうと、それまで満ちていた容器が新たな容器に変えられ、容器が空になるのと同じことだ。これを見分けるには聖女一人か、巫女が数人で動かす事のできる方陣で明らかにすることができる。
 だが聖女は今、辺境に存在する田舎で暮らしていた。


 次代の聖女に定められた聖女ノーラは静かな生活を早々に飽きだしていた。聖女の生活は礼拝堂での祈りを朝と晩に一度行い、食事を終えた後は教会を歩き回る日々。だが聖女は教会の象徴的であることが第一であるため、巫女のような仕事は回ってこない。巫女見習い時代では、巫女から与えられる仕事をこなし、終われば倉庫にある食材を使ってレシピを開発していた。同僚かつ同じ巫女見習いにも教え、素朴だった食事もノーラが見習いを続けながらレシピを開発したことで大分改善してきた。だが聖女の条件に加え、巫女見習いからも巫女からも信頼の厚いことが裏目に出てしまい、次代に定められてしまった背景があった。
 変装して休憩に馴染みの店でデザートを食べていると、ウエイトレスをしている店員を眺めていると開業を閃く。早速その日のうちに不動産へ行くと、大通りに一つ小さな空き家を教わる。巫女見習い時代に貯めていた貯金を即金で払い、変装のまま開店を目指した。聖女の仕事では正装する際、覆面をしているため、巫女見習い時代の同僚など数人しか知らない。巫女見習い時代の同僚は全員が巫女を選ばず嫁ぐことを選んだため、それから会う機会は綺麗さっぱり無くなった。だが念のため顔の鼻周りに塗料を使って、そばかすに似せた上で変装して店主デイジーと名乗りを上げた。喫茶店を開店してから人が来るかと思いきや、誰も来なかった。商売にすらならないことを身に染みたデイジーはレシピで作った菓子を巫女見習い時代の元同僚であり元巫女に作った分を贈った。聖女という仕事を行う傍ら、デイジーとして喫茶店で菓子を作り続けた。商店の新参者に売る者はないと王都中の商店から見限られたため、王都の外にある村や都市から聖女の仕事で向かったついでに仕入れを続けた。出立する前に荷馬車を一つ多く頼んだことで、帰りも楽に進むことができた。教会へ帰る途中で連れていた荷馬車を喫茶店の裏手に止めてもらう。そこで待っていた男達に荷の運び出しを告げる。男達は鎧やローブを着ており、腰には剣やナイフといった武器を付けている。
 彼らは冒険者と呼ばれている。巫女見習い時代、巫女のパシリ…手伝いで王都郊外へ向かった先で傷付き、声が掠れているところを見つけ治療したのが彼らとの出会いだった。騎士が取り逃した手負いの魔物を倒したものの、治癒できず誰にも知られることもないと思っていた先での出来事だった。彼らを癒し、近隣の街で休ませた後、必要な滞在費を払って彼らの元を去った。目覚めた彼らは街を治める長から巫女見習いに救われ、滞在費も払ったのを包み隠さず聞かされ、彼らは力を付け、喫茶店を切り盛りするデイジーの元を訪れた。始めは知らぬ存ぜぬを突き通していたが、偽そばかすを当てられ、他にも貴族家の馬車の往来を咎められ当時巫女見習いだったことを教えた。だが彼らは流石に当代聖女になっているという情報には、頭の中が真っ白になるほどに驚いた。互いの失点を補うように隠すようにして、ノーラの名で護衛を持ち掛けたのが彼らとの関係の始まりだった。
 元同僚が嫁いだ家に作った菓子を贈り、その菓子を使って各家が催す茶会で話題が話題を広めていった。そのうち材料も王都以外から仕入れるだけでなく、元同僚達の使いから材料を仕入れられるようになった。その分の菓子を多く贈り、宣伝も兼ねて元同僚達を窓口に知人や家の親族へ菓子を贈ることを続けるうちに、噂が立ち始め、その噂は王宮で暮らす王子の耳にも届くほどだった。
 天才と名高く教わることを吸収し尽くした王子は話題に上がった噂は娯楽の一種であった。喫茶店の場所を喫茶店に通っていた近衛から盗み聞いた王子は変装(平民からは貴族に見える服装)に着替えて通うようになった。学問も武術も吸収した王子だが、異性に対しては何も知らなかった。そんな中、噂の喫茶店に通ううちに運命だと感じる。王子本人は本気だったが、店主のデイジーは営業スマイルを前に出して誰に対しても同じ対応をしていた。
「君、名はなんて言うんだ?」
「デイジーと言います」
「そうか!デイジーか。君、俺と婚約してくれ!」
「え、嫌ですが?」
「はっ!?」
客の接待を済ませて店仕舞いの準備をしていたデイジーに向かって、迫った王子だったが結婚自体に夢を抱いていなかったデイジー…ノーラにとって誰に言われても決まって言う言葉でもあった。王子はショックを明らかに受けたように地面へ手を突いていたが、失恋よりも王子としてのプライドが勝ったからか近くを通っていた者も含め困惑する民衆の前にも関わらず、唐突に笑い出した。
「ハハハッ!王子である俺に刃向かったな。お前なんか追放してやる!それでも良いのか?」
 民衆は王族だったことに驚いたが、更に困惑したように皆揃って首を傾げた。陰から見守っていた近衛は状況に付いて行けず、ただただ見守ることしか出来なかった。
「良いでしょう。お客様に別れを告げてきますね。」
 売り言葉に買い言葉と言えるかは別として、素直に店内へ消えるデイジーを厳しい眼差しで見送る。王子は後ろを振り返り、近衛を集めると本気だということを知らしめるために追放を見て、それを証言するように告げると、王宮へと帰っていった。近衛は嫌々ながら店の周りを包囲して、出てくるのを静かに待った。
 デイジーは店内で護衛の男一人に数瞬で綴った羊皮紙を渡すと、男は裏門から足音を鳴らさず出て行く。他の護衛を連れて外へ出て行く。逃げずに戻ってきたデイジーを見て申し訳なさそうに招こうとするが、その手はあと数歩でデイジーの手に近づくと思える位置で止まる。デイジーの背後から手で制されたからだった。近衛が手を辿って、デイジーの背後に目を向けると、そこには五人の男達が佇んでいた。瞠目する近衛に護衛だと告げるデイジーだが、その目は笑っていない。そして男達の装いから冒険者と仮定し、容姿から話題の冒険者パーティーであることを知る。腰を抜かした近衛を置いて、正門から冒険者の男達を連れてデイジーを門番は見送るのだった。

 デイジーに託された羊皮紙を持って駆け込んできたのは王都で一、二を争う新聞社だった。建物は古い木造家屋かおくだが、中に入ればカウンターやテーブルなどが並べられ、社として立派なのが見て取れる。突然蹴破るように開いた扉に、慄く社員を一瞥すると会長室へ向かう。会長室では、インテリでふくよかな男が胡座をかいて休憩中だった。突然の来訪にも動じず、コーティを飲む。
「これが代金だ。」
他には何も話さず出て行く男を見送り、コーティを飲みながらチラッと置かれた紙を見た途端、会長は飲んでいたコーティを吹き出した。
 その翌朝王都で全新聞社から号外として、ビラが無料で撒かれた。ビラには見出し大きく『王族の不興を買い、人気店「デイジーの喫茶店」店主、王国追放される』と書かれていた。その影響力は、多くの人に齎した。

 そんな事情が起こり、王都から追放されたデイジー…聖女ノーラは辺境の片田舎で静かに暮らしていた。王都での問題など届くことのない辺境で今日も丘に佇む一軒家から出て、陽に当てられながら茶色い髪を風に靡かせて、ほのぼのとノーラは暮らす。


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