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【#2 異世界に生まれ変わりました】

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「お嬢様。どうなさいましたか、ティアメイ様」

穏やかな声音が聞こえてきて、はっと顔を上げる。

こちらを覗き込んでいるのは、黒いスーツを身にまとい、オールバックの黒髪に紫色の瞳の青年。

彼は私の専属執事である、アキト・グロウリーだ。

「やっぱり……眼鏡がないと駄目よね」

「は?」
思わず手を伸ばして、アキトのほっぺたに触れる。

整った清雅な顔立ち、溢れる知性、執事というスペックが揃ってて、ここに眼鏡がないなんて。

ぺたぺた触っていると、アキトが困ったように苦笑した。

「お嬢様。また、前世とやらの夢ですか?」

そう言われて、私は豪華な鏡に映った自分を見つめる。

ミルクティー色のゆるくウェーブした髪、灰色の瞳。石鹸のように真っ白で、すべすべな肌。

真珠とレースで飾られた深紅のドレスがよく似合っている。

私の名前は、ティアメイ・アネット・ルーシー・クレア・プリスタイン。

長いよね? 自分でもそう思う。

ここ、リアンダー王国では、身分が高ければ高いほど名前が長くなるのだ。

私はプリスタイン家という公爵家の令嬢で、年は十六歳。

公爵家はリアンダー王国に三十しかなく、広大な領地を治める国有数の大貴族だ。

リアンダー王国ってどこ? OLの久高芽衣はどこへ行っちゃったの?

それは、私が聞きたい。

少なくとも【久高芽衣】が住んでいた世界には、そんな名前の国は存在しなかった。

今みたいに前世の記憶を夢に見るようになったのは四、五歳のころで、あるとき気がついたのだ。

どうやら私【久高芽衣】は前世で死んでしまい、全く別の世界であるこのリアンダー王国に私【ティアメイ】として転生してきてしまったのだ――と。

「本日は午前中はミス・ケイシーの花嫁修業、午後からは街へお出かけになるご予定です。そろそろ朝食を召し上がっていただかないと」

「あーそうだった!」

今日はお忍びで街をぶらり歩きする日だった。

貴族、それも公爵家の令嬢ともなると、基本的に一人で出歩くことはできない。

どこに行くにも、何をするにも専属執事のアキトがついてきて、予定や行動を把握されている。

その上、口うるさい女性にテーブルマナーや社交術を習わされて、花嫁修業をさせられるのだ。

「お嬢様。日頃からお嬢様が街へお出かけになるのは、何かを捜しておいでなのですか」

食卓につこうとして問いかけられ、私は振り向いた。

アキトはすらりと背が高い。私よりも三つ年上だけど、それ以上に大人びて見える。

「私、眼鏡が欲しいの」

「眼鏡とは?」

「ええっと……。二つレンズがあって、金属でできてて、物をよく見るために目にかけて使う道具」

うーん、ないものを説明するって難しい。

「目を患っておいでですか? すぐ医師を呼びます」

「違う違う! 私じゃないの。私がかけるんじゃなくて、アキトがね、かけたら似合うかなって」

「私が……ですか?」

アキトはきょとんとした顔をしている。

「私がその眼鏡とやらをかけて、お嬢様に何かよいことがあるのでしょうか」

「アキトは眼鏡映えする顔立ちしてるんだよ! ハイスペ執事でイケメンだし鼻も高いし。だから、眼鏡めっちゃ似合うと思うんだよね」

力説していると、アキトは人差し指を立てた。

「お嬢様、お声は控えめに。他の方に聞こえてしまいます」

「あ、そうだった……」

せっかく生まれ変わることができたんだもん、ここは神様がチャンスをくれたと思って、眼鏡男子と制服デートの夢を今度こそ叶えたい!

だけど、肝心の眼鏡がないんじゃ、お話にならない。

それに前世の記憶を迂闊に話すと、周りに変な子扱いされるため、この話ができるのはアキトだけだった。

今はこの世界に馴染むため、『普通のお嬢様』を目指して絶賛努力中である。

とはいえ、お嬢様らしいお嬢様になるのは難しく、なかなか先は長そうだ。

……頑張れ、私。
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