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【#58 校内の見回りをしました】

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「こんなところにいたんですか、先生」

屋上から見上げた空は晴れ渡っていて、空気は甘やかな春の香りがした。

白衣にぼさぼさな藍色の髪の後姿に声をかけると、フィリップ先生はゆっくりと振り向いた。

「随分探しましたよ。駄目じゃないですか、保健室にいてくれないと」

フィリップ先生は校医として、急病人が出たときの救護をお願いしていたのだ。

「面倒くさいんだよ。どいつもこいつも仮病ばっかだし」

先生はポケットに両手を突っ込み、だるそうに言った。

確かに、さっき保健室をちらっと覗いたときは、他校の女子生徒やマダムたちで溢れかえっていた。

みんなフィリップ先生目当てにやってきたんだろう。白衣眼鏡男子の魅力、恐るべし。

「人気者でよかったじゃないですか。さ、戻りましょう」

「しゃあねーなー」

藍色の髪をかきまぜ、フィリップ先生は私の後ろをついてくる。

それにしても、すっごくいい天気だ。

学園内はにぎやかだけれど、屋上は静かで、広々としていて、誰にも邪魔されることがない空間が広がっている。

もし時間があるなら、一日中ここで日向ぼっこしていたいぐらい。

「来年はどうするつもりだ?」

不意に質問が来て、私は振り向いた。ミルクティー色の髪が風にそよぐ。

「何がですか?」

「学園長は続投するのか、カリキュラムや教師陣はそのままなのか変更するのか」

「ああ、お父様とはまだきちんと話していないけど、多分来年も私に学園長を任せてもらえると思います。カリキュラムは見直しの余地があるので、そこは相談したいと思います。先生は圧倒的に数が少なくて、今年はご負担が大きくなってしまったので、来年は増員したいなって思ってます」

この辺は、アキトと一緒に計画を立てて、お父様にチェックしてもらおうと思ってる。

今年は初年度にしてはうまくいったと思うけど、改善できるところはたくさんある。

他領からの留学制度も整えたいし、眼鏡科で働いてくれるシェフやメイドたちの待遇改善、それに眼鏡そのものの普及も積極的に行いたい。

一年を通して、いろいろな事件があったけど、その根本にあるのは情報不足だ。

今は一部の人にしか眼鏡が流通していない分、眼鏡についての臆測や噂が広がりやすい状況になっている。

これからは眼鏡について悪いイメージを持ったり、誤解されるようなことがないように、正しい情報を届けたい。

学園長として、眼鏡科の生徒として、やりたいことはいっぱいあった。

「フィリップ先生。来年も眼鏡科で働いてくださいますか?」

「給料倍くれるなら、考えてやる」

「えー!? 倍は言いすぎですよ、いくら何でも」

「冗談だよ、お嬢さん」

先生は目を細めて笑うと、私の頭にぽんと手を置いた。







二年生の眼鏡カフェを訪れると、ウェイターのエルが見事なまでに女子たちに囲まれていた。

さすがパリピ。格好いいしコミュ力高いもんね。

眼鏡カフェはどの学園も大盛況だけど、その中でも特に二年生の眼鏡カフェが繁盛しているように見える。

にまにましながら通り過ぎると、エルと目が合った。

「あ、ごめん。俺ちょっと抜けていい? 用事思いついちゃった」

「えー、エル君行っちゃうの?」

髪を巻いたギャルっぽい女の子たちが、サクランボ色の唇を尖らせる。

「また戻ってくるから。また後でね、お姫様」

ウインク&上目使い&手の甲にキスの三連続コンボをかまされて、ギャルたちは「きゃー!」と黄色い悲鳴を上げて悩殺された。

私が廊下を曲がったところで、エルが追いかけてきた。

「メイちゃん!」

「え、もしかして私に用だったの?」

「そうだよ。聞きたいことがあって」

眼鏡科乗っ取り事件の後、エルは何事もなかったかのように学園に残っている。

あの後、私は生徒たち一人一人と腹を割ってお話して、今回の事件の経緯や原因を改めて説明してお詫びをした。

そのおかげか、わだかまりが解けて、前よりもずっと円滑なコミュニケーションが取れるようになった。

身分を気にしたり、学園長の私に変な気を使ったり、陰でこそこそ誰かを攻撃したりということがほとんどなくなった。災い転じて福となすって、こんな感じかも。

「それで、聞きたいことって?」

「うん。あのさ、メイちゃん、いつアキト君と結婚するの?」

「ぶはっ」

飲み物を口に含んでいたら、盛大に吐き出すところだった。

エルは相変わらずの余裕綽々っぷりで、にこにこ笑っている。

「婚約者なんだよね?」

「う……それは……」

恥ずかしくて顔から火が出そうで、思わずうつむいてしまう。

「実は、まだ親には話してないの」

観念して切り出すと、エルは目を丸くした。

「じゃあ婚約者っていうのは、メイちゃんとアキト君の間だけの話ってこと?」

「うん、まあ、今のところは」

私はもじもじしながら答える。

もちろん私とアキトの気持ちは本物で、何よりも硬い絆で結ばれてる。

でも、リアンダー王国には厳格な身分制度がある。

まがりなりにも公爵令嬢である私が、平民のアキトと結婚します!と宣言して、はいそうですかと許してもらえるほど話は簡単じゃない。

そのことが分かっているから、今はタイミングを見計らっているところ。

眼鏡祭や卒業式が終わって、春休みを迎えて、実家であるプリスタイン公爵家に戻って一年の報告をする。

そして、私が学園長として眼鏡科の運営に成功したこと、アキトの支えがなければ成し遂げられなかったことなどをアピールして、お父様に結婚の許可を得る。一応そういう計画だった。

もちろん、うまくいく保証は全くない。身分っていうのは、結構大きな壁なのよね。

「相変わらず詰めが甘いね。メイちゃんらしいなあ」

無邪気な笑顔で言い刺され、私は「うう……」と口ごもった。

「ま、いいけどね。しばらくは君で遊ぶのも悪くないし」

「私『と』じゃなくて、私『で』遊ぶわけ?」

「そりゃそうだよ。だって俺にとってメイちゃんは、最高に楽しいおもちゃだもん。まだまだ遊び足りないよ」

「エルってやっぱり性格悪い……」

「今ごろ気づいた?遅いよ」

上機嫌に言うと、エルは「じゃあねー」と手を振って走り去った。
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