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終章
問責の使者1 後編
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人物紹介
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主
イブン・カフラジ・ブグラー:本話の主人公。
ホラズム側
スルターン・テキッシュ:ホラズム帝国の先代の君主。
テルケン・カトン:テキッシュの正妻。カンクリの王女。
マリク・シャー:先代テキッシュとテルケン・カトンの間の長子。
スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。
先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。
ティムール・マリク:ホジェンド城主
イナルチュク・カン:オトラルの城主。カンクリ勢。
人物紹介終了
この者は隊商とは異なり、オトラルの方からは入らず、ホジェンドの方からサマルカンドに入る経路を取った。
これはカンの命によるものであった。
使いの用向きが用向きなだけに、オトラル経由を避けよとのことであった。
ブグラーはホジェンドに近付くと、あらかじめ入国の許可を求める使者を発した。
隊商の虐殺の後である。モンゴルの兵や使者が至れば、殺せという命が北部国境沿いの諸城市に出ておったとしても不思議ではなかった。
少数の部隊がやって来た。
それを率いる者は、ブグラーの差し出す虎符をあらためると、ここでしばし待てと命じ、戻って行った。
カンが授けてくれたのは、最高位の使者に与えられる金虎符であった。
しかし、それを誇らしげに見せることを、妻は己に許さなかった。
そして翌日ホジェンドの城主は、面会に応じるとの使者を送って来た。
護衛の百人隊については、川向こうに留めよ、代わりにホラズム軍の護衛を付けるゆえ、それと共に進めというのが入国の条件であった。
ブグラーはそれを受け入れ、二人のモンゴル人の使者のみを連れ、ホジェンドに向かった。
案内されるままに、大河シルダリヤ川北岸から渡し舟に乗った。
川の中ほどにある島に向かう。
川面から見るそれは、島そのものを城塞と化した如くであり、どうやらそこが城主の居城であるようだった。
島に上陸すると、そのはしけには幾艘もの船が横付けされておった。
何の船であろうか。
上に土色の覆いが設えられており、
――更にそれにところどころ穴が開けられておるという異様なこしらえであった。
ティムール・マリクと名乗ったその城主は、会見においてブグラーにもその用向きにも関心を示さなかった。
それはどうやら水上要塞の堅固さにのみ向けられておるようであり、
――その質問が向けられるのは、ブグラーの付き添い
――護衛も兼ねて
――としてカンにより付された二人のモンゴル人に対してであった。
「ぬしらのカンはここを攻め落とせると想うか。」
そう問われた二人のモンゴル人は、最初果たして何を問うておるのかとの怪訝な表情で顔を見合わせておった。
やがて一人が答える。
「カンに攻め落とせぬ城などありませぬ。
あの金国でさえ膝を屈したのですぞ。」
「ほう。ならば、ぬしらのカンはどうやって攻め落とすというのか。
ここは川に囲まれておるゆえ、ぬしらの得手とする騎馬では至れぬぞ。」
二人ははたと困ったようであった。
そこでティムールはにたりとし、
「やはりぬしらの軍は水を苦手とするのだな。
そもそも、ぬしらは川に入らぬのだろう。
雷に撃たれるのを恐れて。
ならば泳げるはずもない。
どうだ。泳げるのか。」
二人はやはり答えられぬ。
その様を見て、ティムールは満足の表情を浮かべて、言い放った。
「そもそも、ぬしらの軍は、スルターンの軍勢を恐れて逃げ出したと聞く。
陸でも勝てず川でも勝てぬ。
どうして、ここを攻め落とせようぞ。」
再び舟の上の人となってみれば想わざるを得ぬ。
確かにかように川に、しかも幅も広く流れも多い川に囲まれるならば、あの者の言う通りかもしれぬ。
ただその想いが長くブグラーの頭に留まることはなかった。
その物言いに、より気になることがあったからだ。
それこそ自らの使者の用向きに直結することであった。
あの者はカンの軍と戦う気満々であった。
ということは、スルターンはモンゴル軍と戦うことを予期し、
――少なくとも国境における戦は十分にありえると考え、
――それへの備えをあの者に命じたのだろう。
ならば、スルターンの心中にはモンゴルとの和平の道は既にない、ということか。
どうやらこちらの要求に応えることは望めそうにないとの現実を突きつけられ、
――ブグラーはより暗澹たる気持ちに支配され、
――胸のつまりを感じざるを得なかった。
その後の道中において、ホラズムの護衛がかたわらを離れることはなかった。
それは守るためというより、むしろ己を逃がさぬように監視しろと言いつけられておるのではないか。
――ブグラーにはそう想えるほどの手荒な扱いに終始した。
警戒のゆえか、夜行も許されなかった。
先のホジェンドと同様、それ以降の城市にても使者を歓待する宴が開かれることはなかった。
遂にブグラーはサマルカンドに到着した。
普段ならば旅人を楽しませずにはおかない緑、
――ザラフシャーン川の恵みのゆえに青々と茂る庭園の木々の緑を見ても、
――今のブグラーには何の喜びも湧いて来ぬ。
ソグド最大の都城の景観は、先に滅んだカラ・ハン朝の栄華を未だに伝えておった。
しかし、その最後の君主たるオスマーンを嫉妬に狂う自らの娘の讒言を入れて殺したのが、
――これから会わんとする当の人物と知っておれば、
――その心を浮き立たせることも魅了することもまたなかった。
それどころか日中の残暑は厳しく、そのためにサマルカンドが苦悶しておる如くにさえブグラーには感じられた。
その数日後、宮殿に連れて行かれた。
かたわらの本丸では修繕がなされておった。
先日通過して来た外城の城門の周辺にても、やはり城壁の修繕が行われておった。
謁見室に入ると、玉座から傲岸に睥睨するスルターンの眼差しにより迎えられた。
しかしマリク・シャーのかたわらにおる時に向けられた激しき憎しみは、そこには感じられなかった。
ゆえに、ブグラーはむしろ少しほっとし、心を落ち着けることができた。
カンの命に従い、
――足下の床に接吻して敬意を表すこともなく、
――ひざまずくことさえなく、
――立ったまま申し立てを行なった。
ブグラーはカンの言葉をそのまま伝えた。
ただ二カ所、違えた。
カンは、
――天にその潔白を示せと求め、
――最後に、さもなくば、天の命に従いて軍を差し向けるぞと脅しておった。
その『天』とあるのを『神』と違えたのであった。
カンの言葉を、自らの言葉としてスルターンに伝えることを欲したゆえであった。
スルターンの顔がみるみる真っ赤に染まるのが見えた。
伝え終わるやいなや、ブグラーは
「この者を連れ出し、即刻処刑せよ。」
との言葉を聞くことになった。
近衛の兵により、すぐさまブグラーは連れ出された。
スルターンは二人のモンゴル人使者については、
この者らはムスリムではないから我に臣従する義務はない。
ゆえに裏切りには当たらず、殺しはせぬとした。
更にはことの顛末をチンギスに告げさせるために、釈放するとした。
それからようやく少し落ち着いた表情を取り戻してから、静かに告げた。
「そなたらの主への伝言を託す。必ず伝えよ。」
ここでスルターンは一呼吸置いた。
「神は既に定められておる。
聖戦の時と。
我が聖戦士の軍勢を率いて、異教徒の王たるお前の下に赴くことを。
お前は再び逃げ出し、我が必ず追い詰めることを。
そしてお前自身に自らの罪を選ばせることを。
そしてお前の使者に与えたのと同じ罰を与えることを。」
チンギスに決して我が意を見誤らせぬためだとして、スルターンは両人にひげを剃る恥辱を与えてから、釈放した。
(あの者は、我があらがいえぬほどの軍勢で至るなどと脅して来おった。
大言壮語もはなはだしい。
あのような遠国の者が、どうして我が国土を征服できるほどの大軍を率いて至れようか。
そのためには軍勢を総動員せねばならぬはずであり、そうであれば自国を守る軍勢が足りなくなることは必定。
しかもここまで来ようとすれば、一体どれだけの期間、自国を無防備のままさらすことになろうか。
せいぜい先に追い返した程度の軍勢が至るに過ぎぬ。
そうなればまた我自ら出向けばよいこと。)
寝付けぬ旅を続け、憔悴しきっておったブグラーの首はやせ細っており、処刑人の一太刀で難なく落ちた。
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主
イブン・カフラジ・ブグラー:本話の主人公。
ホラズム側
スルターン・テキッシュ:ホラズム帝国の先代の君主。
テルケン・カトン:テキッシュの正妻。カンクリの王女。
マリク・シャー:先代テキッシュとテルケン・カトンの間の長子。
スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。
先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。
ティムール・マリク:ホジェンド城主
イナルチュク・カン:オトラルの城主。カンクリ勢。
人物紹介終了
この者は隊商とは異なり、オトラルの方からは入らず、ホジェンドの方からサマルカンドに入る経路を取った。
これはカンの命によるものであった。
使いの用向きが用向きなだけに、オトラル経由を避けよとのことであった。
ブグラーはホジェンドに近付くと、あらかじめ入国の許可を求める使者を発した。
隊商の虐殺の後である。モンゴルの兵や使者が至れば、殺せという命が北部国境沿いの諸城市に出ておったとしても不思議ではなかった。
少数の部隊がやって来た。
それを率いる者は、ブグラーの差し出す虎符をあらためると、ここでしばし待てと命じ、戻って行った。
カンが授けてくれたのは、最高位の使者に与えられる金虎符であった。
しかし、それを誇らしげに見せることを、妻は己に許さなかった。
そして翌日ホジェンドの城主は、面会に応じるとの使者を送って来た。
護衛の百人隊については、川向こうに留めよ、代わりにホラズム軍の護衛を付けるゆえ、それと共に進めというのが入国の条件であった。
ブグラーはそれを受け入れ、二人のモンゴル人の使者のみを連れ、ホジェンドに向かった。
案内されるままに、大河シルダリヤ川北岸から渡し舟に乗った。
川の中ほどにある島に向かう。
川面から見るそれは、島そのものを城塞と化した如くであり、どうやらそこが城主の居城であるようだった。
島に上陸すると、そのはしけには幾艘もの船が横付けされておった。
何の船であろうか。
上に土色の覆いが設えられており、
――更にそれにところどころ穴が開けられておるという異様なこしらえであった。
ティムール・マリクと名乗ったその城主は、会見においてブグラーにもその用向きにも関心を示さなかった。
それはどうやら水上要塞の堅固さにのみ向けられておるようであり、
――その質問が向けられるのは、ブグラーの付き添い
――護衛も兼ねて
――としてカンにより付された二人のモンゴル人に対してであった。
「ぬしらのカンはここを攻め落とせると想うか。」
そう問われた二人のモンゴル人は、最初果たして何を問うておるのかとの怪訝な表情で顔を見合わせておった。
やがて一人が答える。
「カンに攻め落とせぬ城などありませぬ。
あの金国でさえ膝を屈したのですぞ。」
「ほう。ならば、ぬしらのカンはどうやって攻め落とすというのか。
ここは川に囲まれておるゆえ、ぬしらの得手とする騎馬では至れぬぞ。」
二人ははたと困ったようであった。
そこでティムールはにたりとし、
「やはりぬしらの軍は水を苦手とするのだな。
そもそも、ぬしらは川に入らぬのだろう。
雷に撃たれるのを恐れて。
ならば泳げるはずもない。
どうだ。泳げるのか。」
二人はやはり答えられぬ。
その様を見て、ティムールは満足の表情を浮かべて、言い放った。
「そもそも、ぬしらの軍は、スルターンの軍勢を恐れて逃げ出したと聞く。
陸でも勝てず川でも勝てぬ。
どうして、ここを攻め落とせようぞ。」
再び舟の上の人となってみれば想わざるを得ぬ。
確かにかように川に、しかも幅も広く流れも多い川に囲まれるならば、あの者の言う通りかもしれぬ。
ただその想いが長くブグラーの頭に留まることはなかった。
その物言いに、より気になることがあったからだ。
それこそ自らの使者の用向きに直結することであった。
あの者はカンの軍と戦う気満々であった。
ということは、スルターンはモンゴル軍と戦うことを予期し、
――少なくとも国境における戦は十分にありえると考え、
――それへの備えをあの者に命じたのだろう。
ならば、スルターンの心中にはモンゴルとの和平の道は既にない、ということか。
どうやらこちらの要求に応えることは望めそうにないとの現実を突きつけられ、
――ブグラーはより暗澹たる気持ちに支配され、
――胸のつまりを感じざるを得なかった。
その後の道中において、ホラズムの護衛がかたわらを離れることはなかった。
それは守るためというより、むしろ己を逃がさぬように監視しろと言いつけられておるのではないか。
――ブグラーにはそう想えるほどの手荒な扱いに終始した。
警戒のゆえか、夜行も許されなかった。
先のホジェンドと同様、それ以降の城市にても使者を歓待する宴が開かれることはなかった。
遂にブグラーはサマルカンドに到着した。
普段ならば旅人を楽しませずにはおかない緑、
――ザラフシャーン川の恵みのゆえに青々と茂る庭園の木々の緑を見ても、
――今のブグラーには何の喜びも湧いて来ぬ。
ソグド最大の都城の景観は、先に滅んだカラ・ハン朝の栄華を未だに伝えておった。
しかし、その最後の君主たるオスマーンを嫉妬に狂う自らの娘の讒言を入れて殺したのが、
――これから会わんとする当の人物と知っておれば、
――その心を浮き立たせることも魅了することもまたなかった。
それどころか日中の残暑は厳しく、そのためにサマルカンドが苦悶しておる如くにさえブグラーには感じられた。
その数日後、宮殿に連れて行かれた。
かたわらの本丸では修繕がなされておった。
先日通過して来た外城の城門の周辺にても、やはり城壁の修繕が行われておった。
謁見室に入ると、玉座から傲岸に睥睨するスルターンの眼差しにより迎えられた。
しかしマリク・シャーのかたわらにおる時に向けられた激しき憎しみは、そこには感じられなかった。
ゆえに、ブグラーはむしろ少しほっとし、心を落ち着けることができた。
カンの命に従い、
――足下の床に接吻して敬意を表すこともなく、
――ひざまずくことさえなく、
――立ったまま申し立てを行なった。
ブグラーはカンの言葉をそのまま伝えた。
ただ二カ所、違えた。
カンは、
――天にその潔白を示せと求め、
――最後に、さもなくば、天の命に従いて軍を差し向けるぞと脅しておった。
その『天』とあるのを『神』と違えたのであった。
カンの言葉を、自らの言葉としてスルターンに伝えることを欲したゆえであった。
スルターンの顔がみるみる真っ赤に染まるのが見えた。
伝え終わるやいなや、ブグラーは
「この者を連れ出し、即刻処刑せよ。」
との言葉を聞くことになった。
近衛の兵により、すぐさまブグラーは連れ出された。
スルターンは二人のモンゴル人使者については、
この者らはムスリムではないから我に臣従する義務はない。
ゆえに裏切りには当たらず、殺しはせぬとした。
更にはことの顛末をチンギスに告げさせるために、釈放するとした。
それからようやく少し落ち着いた表情を取り戻してから、静かに告げた。
「そなたらの主への伝言を託す。必ず伝えよ。」
ここでスルターンは一呼吸置いた。
「神は既に定められておる。
聖戦の時と。
我が聖戦士の軍勢を率いて、異教徒の王たるお前の下に赴くことを。
お前は再び逃げ出し、我が必ず追い詰めることを。
そしてお前自身に自らの罪を選ばせることを。
そしてお前の使者に与えたのと同じ罰を与えることを。」
チンギスに決して我が意を見誤らせぬためだとして、スルターンは両人にひげを剃る恥辱を与えてから、釈放した。
(あの者は、我があらがいえぬほどの軍勢で至るなどと脅して来おった。
大言壮語もはなはだしい。
あのような遠国の者が、どうして我が国土を征服できるほどの大軍を率いて至れようか。
そのためには軍勢を総動員せねばならぬはずであり、そうであれば自国を守る軍勢が足りなくなることは必定。
しかもここまで来ようとすれば、一体どれだけの期間、自国を無防備のままさらすことになろうか。
せいぜい先に追い返した程度の軍勢が至るに過ぎぬ。
そうなればまた我自ら出向けばよいこと。)
寝付けぬ旅を続け、憔悴しきっておったブグラーの首はやせ細っており、処刑人の一太刀で難なく落ちた。
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