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第3部 仇(あだ)

102:その後のブジル1:ティムール・マリクとブジル8

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  人物紹介
 モンゴル側  
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主

ジョチ:チンギスと正妻ボルテの間の長子。

クナン:ジョチ家筆頭の家臣。万人隊長。ゲニゲス氏族。

モンケウル:ジョチ家の家臣。千人隊長。シジウト氏族。

ブジル:百人隊長。タタル氏族。

 ホラズム側
ティムール・マリク:元ホジェンド城主。
  人物紹介終わり



 モンケウルは後方から追いついたが、既に敵勢の姿は無かった。ブジル隊の追討の激しさを物語る如くの倒れ伏したり痛んだりした人馬の間を抜けて、ここに至ったのだった。対して、己が急追しなかったのには理由の無い訳ではなかった。

 まず、ヤンギカントを取り戻すことがこたびの主目的であり、それが達成されたゆえに。何より、ジョチ大ノヤンにウルゲンチには近付くなとの釘を刺されておったゆえに。

 地に座っておったブジルが立ち上がって迎えたので、己も下馬する。ブジルは自兵と共にたき火を囲んでおったのである。

 その右目が赤く充血しておった。こちらの視線に気付いたのであろう、問う前に、

「大丈夫です」

 とのいらえ。とはいえ、その表情はさすがに疲れをにじませておった。ただ、未だ意気のみは軒昂のようであり、

「是非にもヤンギカントに留まるべきです。ここにまたティムールが攻めて来るかもしれませぬ」
 更には
「己は自隊を率いてウルゲンチ近くに赴いて、監視任務に就きたく想います。そして、その出撃をいち早く捉え、報告します。ならば、こちらは迎撃の準備を整えた上で、ヤンギカントで迎え撃つこともできますし、また途中で待ち伏せをすることも可能となります。そうなれば、撃退も一層用意ですし、更にいえば、敵部隊の壊滅も難しくないと存じます」

「確かにそなたの申す通りであろう。ただ、言うまでもなく、軍の配置の権限はジョチ大ノヤンにある」

 早速ジョチ大ノヤンに伝令を送り、自らは部隊と共にヤンギカントに戻ると、そこに留まった。

 ただし、許しを請うたのは、ブジルの申し出の前者のみであった。後者については、己もまた先の軍議に出ておれば、そこに厄介な事情があることを理解しておった。無論のこと、普通に考えて百人隊程度で何ができるはずもなく、カンの軍令ヤサに違反することにならぬのは明らかであったが。

 ただジョチ大ノヤンはカンを恐れる気持ちが強く――こたびの出軍に際してのいさめはその表われに他ならぬ――断られることも考えられた。



 ジョチより駐留を許された後、ブジルを発するに際し、次の如く厳命した。

「そなたもあの軍議には出たゆえ、聞いておろう。カンはウルゲンチ攻めはならぬと、ジョチ大ノヤンにきつく仰せであられた。ゆえに、いかなる理由であれ、ウルゲンチの兵とは矛を交えてはならぬ。あくまで監視のみだ。そなたの任務は、まさに自ら申し出た通り。良いな」

「はい」

「もし、ことを構えたならば、我も、そしてジョチ大ノヤンもかばいきれぬぞ。軍令ヤサ違反として厳しく裁かれることになろう」

「無論のこと、承知しております」

 モンケウルは、ブジルの目にその言葉とは裏腹のこの者の心中の想いが妖しくかぎろうのを見た気がしたが。

 この者が復仇の念を激しく燃やしておると――そしてむしろそれゆえにこその対ティムール戦への登用がカンの意向によりなされたと――そうジョチ大ノヤンより聞いておれば、あえてそれを問題視する気もなかった。

 ジョチ大ノヤンはいざ知らず、カンは全て承知の上ではないかと想われた。もっとも己自身、ジョチ様に直属する身なれば、カンのことを良く知るとはとても言えぬ。しかし聞こえるところでは、野心家や、この者の如くあだの念を燃やす者を好むという。清濁併せ呑むといえば、聞こえは良いが。果て、本当にそうかとは想う。

 己でさえクナン翁に、そなたは喧嘩っ早いから自重せいと、ことあるごとに言われておる。そんな己でも、この者に比べれば、ずい分と落ち着いておると我ながら想う。このような者の登用は危険なのではないか?

 ただ、それをカンのお耳に入れるべきは、お側近くに仕えるを許されておるボオルチュ・ノヤンやシギクトク・ノヤンであり、我ではない。

 いずれにしろ、カンのそのようなところは、底知れぬところと己には見え、ゆえにこそ、カンは恐ろしい御方であるとも想うのであるが。

 他方でそうしたところを、良くも悪くも父上より受け継いでおらぬジョチ大ノヤン――己と同じ常人であり、また己にも理解できると想うからこそ、親しみを抱き、また忠心をもって仕えることができるあるじとも想うのだが。



(注 軍令ヤサ習慣ヨスン:モンゴル帝国の法体系はチンギスの発布した軍令ヤサとモンゴル社会が代々受け継いできた習慣ヨスンよりなり、平明であるを特質とする。

 軍令ヤサはチンギスの死後も遵守すべきものとして尊重された。例えば、正妻ボルテの4子が各家各々当主を立てるは、チンギスの軍令ヤサによるとされる。

 とすると、後のモンゴルの歴史で、4子の末弟トゥルイ家のクビライが元朝を建て、フレグが別にイル・カン朝を建てるは軍令ヤサ違反となる。これもあって、フレグとその子孫はカンとは称さず、イル・カンと称したと私は考える。また、ジョチ家(ジョチ・ウルスまたはキプチャク・カン国)やチャガタイ家(チャガタイ・ウルス)がイル・カン朝を対等とみなさず、軍事侵攻を試みたことは良く知られたことである)
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